現在2022年12月21日14時34分である。(この投稿は、ほぼ1690文字)
麻友「やっぱり、音楽の話をしなければ、デートは、終わらないわね」
私「昨日の投稿の、麻友さんの、2、3カ月前の悟りという言葉の根拠は、ノートにある」
研究ノート 272ページ
2022.10.30 8:00:04「
捨てるべきシャツを見ながら、洗濯物を干していて、女の人は、肉体を喜ばせてもらうという点では、バイブレーターを使ってもらう方が、ずっと気持ち良いんだよな、などという成果が得られた。
」2022.10.30 8:08:55
麻友「ノートに本当に、書いてある」
私「本当は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のことも、ブログに書いてあった。まだ、復活させていない部分なのだが、ここで、麻友さんに、話そう」
麻友「どんな、話なの?」
私「よく、スピーカーの音が、良いというとき、低音が、ズンズンと響いてきて、迫力がある、とか言うよね」
麻友「そうね」
私「低音が、良いのは当たり前として、スピーカーの高音が、美しく出なかったら、興ざめという、話なんだ」
麻友「太郎さん。立派なスピーカー、持っている」
私「今、聴けないんだけどね。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の、第1楽章の最後のカデンツァ。ヨアヒムのカデンツァだと、ヴァイオリンがカデンツァを弾き終わった後、オーケストラが、ソロソロと、入ってくる。ここで、ヴァイオリンが、物凄く、高い音を弾く」
麻友「その高い音が、問題なのね」
私「高い音を、何度も弾いていって、そこまでは、普通のスピーカーでも、再生できるんだけど、1番高い音が、その辺のCDラジカセやテレヴィやパソコンのスピーカーでは、美しく再生できない。実は2000年のチョン・キョンファのCDでも、これは、入っていない。当時存命だった、評論家の宇野功芳が、チョン・キョンファの演奏を聴いて、『これは、マイクに収まるまいな』、と言っていて、本当なのかな?と、思った。そして、21世紀に入って、2001年のヒラリー・ハーンの録音。あのヤマハのアンプとスピーカーで、聴いてみて、ああ、本来、こうなのかと、納得した」
麻友「今の下宿で、再生できるの?」
私「テレヴィのスピーカーや、パソコンのスピーカーでは、無理だね。あの音は、出ない」
麻友「どうすれば、良いかしら?」
私「再生したいのは、ブルーレイだけなのだから、うんと簡単な、プリメインアンプが、あれば、良いんだ。スピーカーは、あるんだからね」
麻友「スピーカーは、あるの?」
私「うん。父が、アンプ、持って行っちゃったから、再生できないんだから」
麻友「どれくらい、貯めればいいの?」
私「4万から、5万円」
麻友「うんと簡単な、でも、値が張るのね」
私「良い音を、聴くためには、それくらいは、かかる」
麻友「2020年代の、音も、聴いてみたいわね」
私「ハイレゾか。それは、LAN端子が、必要だから、もっとお金がかかるな」
麻友「ああ、太郎さんのお金を、管理しなければ、ならないの、だったわ」
私「デート中に、金銭の話を、しているのかなぁ。世の中のカップルは?」
麻友「それは、当然だと、思うわ。少女マンガじゃないんだから」
私「書店で、婚活雑誌のゼクシィだけ、特別扱いされているんだけど、読まれたら困ることでも、書いてあるの?」
麻友「多分、太郎さんに読まれたら困ることは、書かれてないと思う」
私「そうなんだろうね。現実(げんじつ)と、芸術(げいじゅつ)は、似た言葉だけど、正反対のものだね。多くの人が、自分のやっていることが、芸術だと言われると、ちょっぴり嬉しい。麻友さんの、顔は芸術品。これは、お世辞ではないよ」
麻友「ありがとう。デート、今回は、これで、終わりにしたら?」
私「じゃあ、バイバイ」
麻友「バイバイ」
現在2022年12月21日16時07分である。おしまい。