現在2008年5月23日19時52分である。
今日は、ねくすと の就労準備講座で、5月9日に話題になった、 「気違い」という言葉について考えてみたい。
その日、就労準備講座では、働いている障害者を扱ったヴィデオを見て、その後に、感想を話し合った。
司会をしてくださった、女性のスタッフの方が、メンバーから発言のあった、 「気違い」という言葉に、敏感に反応して、大きく取り上げた。
その司会の方は、
「『気違い』と言っても、一過性のものなんです。」
と、障害者のために尽くしている人としての、当然の感情の爆発を示した。
私はここで、
「『一過性』という言葉は、難しすぎる。」
と思い、みんなに説明してあげようと思った。
そこで、
「今、 『一過性』という言葉があがりましたが、私の経験を話させてください。」
と言い、まず、
「私は、小学校の頃は、障害者じゃなかったんです。その頃抱いていた、 “『気違い』の人のイメージ”からすると、私の大学時代の頃の行動は、“確かに、 『気違い』の人のする行動だ。”と、今になって思えるんですね。」
と、 「気違い」の私なりの定義の与え方を述べた。
そして、
「だけど、私の心の中では、その気違いになっていたときも、意識は、ずっと、一つながりなんですね。だから、大学時代のおかしい行動を取り上げて、 『どうして、あんなことしたの?』と聞かれれば、きちんと論理的に、そういう行動をした理由を、説明できるんです。」
と、きちんと述べ、さらに、
「説明は出来るんですけど、今になって思えば、あの時の行動は、いわゆる『気違い』の行動だったな、と分かるんです。」
と、だめ押しをし、
「そういう意味で、 『気違い』というものは、 『一過性』と言えますね。」
と、締めくくった。
これには、司会の方も、
「思っていたことを、当事者から、実例を挙げて説明してもらえた。」
と感じられたようで、満足したようだった。
では、ここで改めて、私が小学校にいた頃の「“『気違い』の人のイメージ”というものは、どんなものなのか?」
と、問うてみよう。
そうすると、次のような、 「『気違い』の定義」が得られる。
定義 「気違い」
ある一人の人がいて、その人が「気の違った行動」をしているとは、次のような状態と定義する。
その人が、心では、
「こうするためには、こうしなければならない。」
と、「目的」と「手段」をはっきりと認識して行動しているが、その行動の「手段」及び、得られる「結果」が、客観的に見て、その「目的」を達成するのに、役立たないか、又は矛盾することが、はっきりしている時がある。
そうであるにもかかわらず、本人が、そのはっきりしている事実に気付けないほどに、心の機能が、制限されている時がある。
そういう状態にある時の、その人の行動を、 「『気の違った』行動」と、定義する。
また、そういう状態にある人を、 「気違い」と言うことと定義する。
これが、 「気違い」の私なりの現在与えうる最も正確な、定義である。
定義だけでは、抽象的で分からないので、具体例をあげよう。
例 1 (「気違い」でない例)
「ユダヤ人が、生意気だから、殺そう。」
と、思った。そして、その目的のために、
「ドイツ総統になり、アウシュヴィッツなどの収容所をいくつも作り、ユダヤ人を虐殺する。」
という手段により、目的を達成しようとした。
そして実際に、誰が見ても明らかなように、客観的な結果として、
「多くのユダヤ人を殺すことが出来た。」
というものを得た。
従って、ヒトラーの場合、他の人から見て、
「間違っていたのは『目的』であり、 『手段』や『結果』が『目的』と矛盾してはいない。」
と言える。
従って、ヒトラーは「気違い」ではない。
似たようなことをした、イオシフ・ヴィサリオーノヴィッチ・スターリンも同様に、 「気違い」ではない。
例 2 (「気違い」である例)
福岡発の日本航空DC-8が、1982年2月9日、片桐(かたぎり)機長のエンジン逆噴射により、失速し墜落した事故(詳細を知りたい人は、以下のページを参照)。
この事故では、機長はパイロットであり、本人も
「乗客を安全に運ばなければいけない。」
と心で思っていた。これが、 「目的」であった。
それにもかかわらず、
「ここで、機を降下させてみるのが、色々な理由から、必要だ。」
と、心で感じられたために、
「操縦悍を前に倒す(機が下を向く)。」
という「手段」を取った。
「結果」として、
「DC-8は墜落し、多くの乗客が死に至った。」
というものが得られた。
だが、機長は、
「嬉しそうだった。」
という。
明らかに、片桐機長は、 「目的」に矛盾する「手段」や「結果」を正しいと認めており、これは、私の定義する、 「気違い」の条件を満たす。
以上の例で分かってもらえただろうか。
実は、これだけで分かる人というのは、相当に頭の良い人である。普通の人だったら分からないだろうと思う。
そこで、私自身が、最初の発言にあったように、
「おかしくなっていた状態の時に取った行動の意図していた理由を、論理的に説明できる。」
というのを、実際にやって見せようと思う。
実際にあったことなのだが、私が京都で、「気違い」になり、横浜に連れ戻されてきた時、私の幼稚園の時からの親友と言っている、親友が、それを伝え聞いて、
「可哀想だ。」
と言って、
「今の僕には、これしかできない。」
と思ったのか、 「山手線サブレー」という、今では余り見かけない、美味しいクッキーをもの凄くたくさん、プレゼントしてくれた。
当時の私は、そのサブレーを、美味しいので、毎日食べていた。
まだ、薬を模索中で、先生も、私を生還させられるのかどうか、はっきりとしたことは言えない状態だった。
父は、毎日のように、私の病気のことを化学的に調べ、私に、
「お前は狂っているんだ。」
というのを、次のように説明して聞かせてくれた。
「パソコンが、一つの計算を上手く処理できなくて、グルグルと、同じところで、回り続けている状態があるだろ。あれを、暴走と言うな。お前は、そういう状態なんだ。」
と言い、ボールペンでグルグルと何度も何度も同じところをなぞって見せた。
当然、インクがどんどん出て、そのグルグルは、もの凄くはっきりとしたものになった。
私の母が来て、
「この説明を良く考えておきなさい。」
と言って、私を食事に連れて行った。
さて、それから数日した日の深夜、私は、みんなが寝静まっている時間に、起き出し、食卓のテーブルの下にもぐって、紙に、まあるい円を描き、そこから、接線を一本引き出し、その先に、山手線サブレーの箱を置いた。
そして、
「以後、山手線の電車はすべて、この引き込み線に入ること。」
とぃう、印として、シャープ・ペンをポイントの切り替えのところに置いた。
この私の深夜の行動を見た時、普通の人は、
「この人は、気が狂っている。」
と思う。
なぜか?
それは、その時の私に、
「なぜそんなことをしているの?」
と、尋ねると、
「私の人生を、暴走状態から、引き込み線に入れて、人生を元に戻すには、こうしなければならないから。」
と、真顔で答えるからである。
私は、「目的」は正しいかも知れないが、明らかに、「手段」がそれに矛盾しており、得られる「結果」も、
「何も自分の人生のためにならない。」
という点で、 「目的」に矛盾している。
今だから、こんなことを書いているが、あの時の私は、真剣だったのである。
このように、私の「気が違っていた時」の行動は、すべて、それぞれに、私が、
「世界の人のために、こうしなければ、世の中が良くならないんだ。」
と思って、何か理由があって、 していたことなのであるが、 「結果」は、 「目的」を達成するものにならなかったのである。
この泥沼から抜け出すには、もの凄いショックが与えられねばならなかった。私の場合、そのショックは、薬によって与えられた。
そして、やっと今、あの時の状態は、
「『気違い』のすることだ。」
と、認識出来たのである。
だが、多くの人に希望を残すために書き添えておくと、あのおかしくなっていた当時、私の心の中には、
「私のしていることが、本当は役に立っていないみたいだ。」
という認識が、かすかにあった。
この認識があったからこそ、私は、人を殺すこともしなかったし、辛くても、自殺しなかった。
「まだ、完全に解明されていない、可能性がある。」
と思うからこそ、自分の行動に、保留を付け続けたのである。
そして、この投稿自体にも、私は保留を付けたいと思う。
私は、病気からは治ったかも知れないが、依然として、障害者であり、考え方も、他の人と比べると、もの凄く変わっている。
その例としては、2007年8月22日の「理論物理学者として」という投稿から始まって、2007年9月2日の「分かりにくかったのだろうか1~6」、2007年9月5日の「我が父に捧ぐ1~10」と続く、一連の投稿を、あげるだけで充分だろう。これらを読むと、私が変わった考え方をしているのを知ることができる。
だから、私の、 「ヒトラーやスターリンは、気違いではない。」という、説にも、保留が付くことになる。
これで、決まり、とは、言い切れないのである。
今日はここまで。
現在2008年5月23日22時07分である。おしまい。
注記:2012年2月21日19時27分復活させました。
2012年12月25日3時04分改訂しました。
2012年12月25日13時11分改訂しました。