相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

本当の名曲

 現在2007年12月20日2時09分です。

 12月16日の日、卒業論文の発表会だったことは投稿した。

 この日、私はほとんどお金を持っていなかった。17日の月曜日がお給料日なので、今日をなんとか過ごせばよいのが分かっていたので、心配はしていなかった。
 どういう状況だったかというと、財布には31円しかなく、Suicaに、2,660円しか入っていなかったのだ。その状態で、戸塚から、海浜幕張まで向かい、途中東京駅で、Suicaで500円のお弁当を買ったので、帰りには、Suicaに950円しかなく、横浜駅までJRに乗ると、1,050円なので、横浜まで戻れない、という有様だったのだ。
 鶴見までだと890円なので、鶴見で降り、バスで新横浜まで行って、定期のようなものを持っている地下鉄に乗る、という曲芸飛行をやって、帰ってきたのだった。

 12月17日の月曜日は、「数学辞典 第4版」をプレゼントしてくれた親友達が、私と3人で忘年会をやってくれた。この2人というのは、2007年7月25日の投稿に書いた小学校からの親友達で、今では2人ともちゃんと結婚して、家庭を持っている。

 仕事も私のように、チラシ配りなんていうお金にならない仕事ではなく、まともな仕事をしているので、私にお金の負担が余りかからないように、配慮してくれる。

 私としても、ある程度、お金に余裕のある時は、親友の家に行く時に、お子さん達のために、ルービックキューブを買っていったりするのだが、前の日31円しか無かった、という状況だったので、この親友達の配慮は嬉しかった。

 特に、男性の方の親友が、気を遣ってくれ、私には、2,500円しか、払わなくて良いようにしてくれた。

 この男性の親友というのは、小学校5年の時から、友達になったのだが、当時は私に比べてとても体が大きく、ガメラなんて呼んでからかっていた。

 お遊びが過ぎて、鬼ごっこをしていて私の前歯を欠けさせてしまって、お母様が謝りの電話をしてこられたりしたこともあったのだが、私には何でも話せる親友になって行った。

 中学に入ってからは、他にも友人が出来たし、彼は帰宅部だったが、私は科学部の天文班に入ったので、そこで新たな親友が出来たりして、彼とは、少し距離が出来た。

 だが、男同士というのは、一度深い仲になるといつでもそこへ戻れるようで、高校時代は、ほとんど会わなかったのだが、大学に入ってから、また会ったりして、その時も、昔のままだった。

 彼は、優秀なお兄さんやお姉さんのいる家の末っ子で、小さい頃から、大人の世界を知っていたのだろうが、私は長男だったし、その上、親戚中で一番の年上だったので、自分で、世界を切り開いて行っている感じがあった。そういう意味で、彼は私の危なっかしいところも見ながら、いつも、そばにいてくれたのだと思う。

 その親友が、予約などしてくれて、東京駅のお寿司屋さんで、忘年会をやってくれた。

 私の親戚はみんな知っているのだが、私はお寿司が大好きである。特に、マグロとウニは大好物である。どちらも、美味しいものを食べようとすると、お金のかかるものだが、彼は、

「何が好きなの?」

と言って、

「ウニとか・・・」

と答えたら、苦笑した後、たくさん食べさせてくれた。

 女性の親友の方が、もう少し、彼を援助しなければならなかったのではないかな、という感じだった。

 マグロもトロを食べさせてくれたので、私は、大満足だった。

 それにしても、あのウニは本当にとろとろで美味しかった。彼にしても、あんな贅沢なことは、滅多にしないのだろうが・・・

 お寿司を食べた後、3人で、カラオケに行った。東京のど真ん中に、こんなにカラオケ店があるのかと、びっくりしたのだが、需要があるのだろう。

 そこで、私としては、ミシンがけの作業所に通っていた時に、何回か、やったきりのカラオケを久しぶりにやった。

 最初、私はかなり酔っていたので、フラフラだった。その状態で、何にしようかな、と思って、なんとなく、一番歌いやすそうだった、中島みゆきの「最後の女神」を歌った。

♪あーあれはー壊れたおもちゃ

♪いつもいつも好きだったのに

♪僕には治せなかった

♪夢の中で今も泣いてる

という、ちょっと悲しい歌である。でも、私には誰の心にもそんな部分があるんじゃないかな? と思って、非常に気に入っている。

 これを歌い始めた瞬間に2人はすぐ分かっただろうが、私は非常に音痴なのだ。妹などが、

「音楽が好きなのに、どうしてそこまで音痴なの?」

というほどに、ひどいのだ。

 だが、2人はその後、2時間付き合ってくれた。

 この時、辛島美登里の「笑顔をさがして」と、原由子の「少女時代」も歌わせてもらった。2005年6月4日の投稿を読めば、この2曲が私に対して持つ意味が分かるだろう。

 このブログは、ほとんどが面白くないことが書いてあるのだが、カテゴリー別過去の投稿で「音楽映画など」を選ぶと、結構面白い、話が読めるはずである。もう、2ページ以上になっているが・・・

 そして、色んな歌を歌ったのだが、その中で私が、TMネットワークの「STILL LOVE HER(失われた風景)」という歌をかけた時、初めは「TMネットワークなんて。」と言っていた親友が、歌が始まってシティー・ハンターの映像が映った瞬間、

「あっ! これは名曲だよ。」

とつぶやいたのだ。

 そうなのだ、

♪歌を聴かせたかった。愛を届けたかった。思いが伝えられなかった・・・

という歌詞で始まるこの歌は、小室哲哉の名前が忘れられても、永遠に残る名曲なのだ。

 少なくとも、私はそう信じている。

 「Get Wild」も良いが、この曲にはかなわない。

 こういう風に、音楽に関して全くのアマチュアの彼のような人にまで、「これは名曲だよ。」と、つぶやかせる歌こそ、本当の名曲だと私は思う。

 音楽の通は色々と難しい曲をあげて、ここが優れているだの、ここが革新的だのと言うが、私はそんなのには耳を傾けない。

 彼がクラシックで一番好きなのは、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だそうなのだが、うなずける気がする。

 彼のこの一言で、私は、あの日のカラオケは大満足であった。

 もちろん、最後には、

「卒業写真」

を歌って、2007年10月22日の投稿に書いたことを話したりもしたし、女性の方の親友が、中島みゆき

「霧に走る」

や、

「南三条」

という歌を歌って、私に新しい中島みゆき像を教えてくれたので、私としては、得るものの多い1日だった。

 余り書きすぎても、せっかくの雰囲気が壊れるので、ここまでとする。

 2007年12月20日4時05分です。おしまい。