現在2007年10月10日5時08分です。
先日の10月7日の日曜日、ふとしたことから、NHK教育テレヴィで、ETV特集というのを見た。
ある40歳の歌手についての特集だった。一度は忘れられた存在だった彼が、38歳の時、再びスポット・ライトを浴びるようになり、30代40代の人々に熱烈な支持をされるようになったということであった。
馬場俊英という歌手だった。
もちろん私が知っているわけがない。そもそも、この番組を見たのは、その前のN響アワーを見て、そのままテレヴィをつけっぱなしにしていたからなのだ。N響アワーでは、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番と、交響曲第36番「リンツ」を聴いていた。
音楽における天才、モーツァルトの名曲を聴いた後で、この無名の歌手の歌は、上手いと思えるはずがなかった。
だが、私はその番組を見ていて、「歌」というものの持つ力に改めて気付かされた。
もちろん、モーツァルトやベートーヴェンにも歌はある。でも、それはラテン語だったり、ドイツ語だったりして、日本人には言葉の意味は分からない。
一方で、曲自体はそれほどでなくとも、歌詞が日本語なら、日本人には分かる。そして、まさに馬場さんがファンを獲得していたのは、その歌詞によってだったのだ。
30代後半から、40代後半の、家庭や子どもを持ったり、離婚していたり、職を探していたり、という、どこにでもいるような、大人達が、自分の生き方に迷い、どこにぶつけていいか分からない、自分だけの悩みを持っている。
そういう人達に、馬場さんの「スタートライン」という歌の歌詞が、響いたのだ。
私の目から見て、果たしてこの馬場俊英という歌手が、いつまでも支持され続けるかどうかは分からない。だが、少なくとも今、彼が多くの人の心を救っているのは確かだ。
こういうものも大切なのだ。
私はそう思った。
この世界で、大切なのは、必ずしも普遍的なものでなくとも良いのだ。今必要とされているもの、今だけ必要なもの、そういうものもあるのだ。
私はかつて、高校の卒業文集に、将来なりたいものとして、物理学者になって、統一理論の研究をしたい。と書いた。
そして、生まれ変わったら何になりたい?
という問いに、「カメ」と書いた。そうしたら、友達が、
「別に他の動物でなくてもいいんだよ。僕なんか、生まれ変わったら女になりたいな。」
と言ったので、ああそうか。と思い、カメの後に
「数学者」
と書いた。それでも余白がいっぱいあったので、私は、
「社会の矛盾に立ち向かう人」
と書いた。
それは、生まれ変わったら何になりたいかという問いだったのだから、私自身が、数学者になったり、社会の矛盾に立ち向かう人にならなくとも良いはずだった。
だが、そこに書いたのは、全部私がそうありたいと思っているものだったのだ。
恋愛における、社会の矛盾をなんとかしたい、と思ったのも、このためであった。
だが、今振り返ってみて、私には、何も出来なかったことが分かった。それぞれの分野で、その問題に一所懸命取り組んでいる人がおり、私ごときが一人でどうにか出来る問題ではなかったのである。
私は、持って生まれた物理学の才能を、思いっきり開花させるべきだったのだろう。随分と無駄なことをした。
話は戻るが、今必要とされているもの、それが何であるかを見極めないと、結局無駄の多いことになるのだと言うことが分かった。
物理学においても、その時代時代で、必要とされている人というのは違うのだろう。その時代に必要なものをもたらした人が結局評価されるのだ。早くても遅くても駄目なのだ。
今の時代、物理学には何が求められているのだろう。それを探ることから始めるのが、賢明なようだ。
そのことが、私が、馬場俊英さんの歌から得たものだった。
今日はここまで
現在2007年10月10日6時32分です。おしまい。