相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

分かりにくかったのだろうか6

 現在2007年9月2日14時09分です。

 ここまでの5回分は、携帯から投稿した。そのために一つ一つが短くなってしまっている。

 ここから家で書くことになる。

 結局私は、堅物の彼女を説得することは出来なかった。

 少なくとも私にはそう思えた。彼女はサンフランシスコへ行って以来、私に対して、何の信号も、送って来なくなったのである。

 しばらくして、私は面白いことに気付いた。

 オー・ヘンリーの短編に「賢者の贈り物」という話がある。

 私は、あれの愚者バージョンをやってしまったのではないかと言うことであった。

 どういうことか?

 つまりこういうことである。

 医学部で特に優秀な彼女であるから、私が説明しなくても、人間のことは良く分かっていたはずだ。

 その彼女にとって、生命誕生につながる行為なんて、どうということはなかったのだ。もしかしたら、自分を実験台にして、その行為を実験済みかも知れなかった。

 つまり、私が、頭の堅い処女さんだと思って、どうやって、みんなと寝てもらおうかと、悩みに悩んでいた時、彼女の方は、もう処女でも何でもなく、みんなと寝ていたのかも知れないのだ。

 私は、彼女に宛てて、この一連のことを書いて、「愚者からの贈り物」と題して、送ったのだが、それに対しても、返事はなかった。

 さて、真相や如何に。

 旧約聖書の創世記にアダムとイヴが、禁断の果実を食べたためにエデンの園を追い出される、という話がある。もちろん禁断の果実というのは、私の言う生命誕生につながる行為の象徴である。

 では、エデンの園を追い出される、というのは、何を象徴しているのか? また、果実を食べたことによって、目が開けるというのは何を象徴しているのか?

 目が開けるというのは、行為によって、お互いが、異性の発するホルモンを知覚するようになり、男女が、お互いに相手を求め合っていることが分かるようになってしまう。ということである。

 要するに、私が、

「女性も男性の体を求めているんだ。」

と、知って驚いた時のことを指すと考えればよい。

 そして、エデンの園を追い出されるというのは、これから話すようなことになると言うことである。

 結婚するまで処女を通そうとしている人がいたとする。その女の人に恋をした男性が、結婚を決心したのならまあいいだろう。

 しかし、結婚はしないけれども、生命誕生につながる行為は、したかったとする。例えば、まだ若くて結婚適齢期でなかった場合などである。そういう場合どうなるか?

 もし、結婚するまで処女を通そうとしていた女の人の方が、折れて、その男の人に身を任せたとする。

 そうなると、その男の人は、自分とは寝たくなかった女の人に寝てもらったことになる。

 すると、次に、その男の人に恋をした女の人がいた時、その男の人は、断れなくなる。

 こういう風に連鎖が続いて、一度でも、結婚していないのに生命誕生につながる行為を行うと、後々、断れない、依頼が一杯来ることもあり得るのだ。

 つまり、安心して生活していられなくなる。

 エデンの園を追い出される、というのは、このことを象徴しているのである。

 つまり、処女と童貞には、むやみに生命誕生につながる行為をさせてください、とは言えないが、一度でも彼らが、それを失うと、後は歯止めがきかなくなるのである。

 これで、種明かしが全て終わったことになる。

 以前書いた、「ささやかな試み」に続いて、私は、「2つの補足」という題で文章を発表していた。

 その中で私は、自分の経験として、

「そういうことをどうやって勉強したの?」

とかいうことを尋ねた時、

「好きになった人に、『好きです。』って言えば、全部分かるよ」、とか、

「小説を読めば分かるよ。」

などという、無責任なことを言う大人が多くて困る。と書いている。そして、大学入学早々、ある先輩に、そういう話になった時に、

「一線を越えるとどうなるのですか?」

と、尋ねた時のことを、書いている。その先輩は、苦渋の顔で

「それは、俺には言えん。」

と、答えたのだった。

 私は、

「その先輩の解答は、私が聞いた中で最も誠実なものだったが、しかし問題の解決にはならなかった。」

と、記している。

 そして今、一度の実験も経ることなく、一つの解答を私は提出した。

 もし京大理学部のような、ちょっと気違いがかったところの新入生に、今度は私が、

「一線を越えるとどうなるのですか?」

と尋ねられたら、どう答えるのか。

 精一杯の誠意を持って、上に述べたようなことを説明するのが、科学者として本来あるべき姿だろう。

 一線を越えると、物理的には何も変わるわけではないが、人間関係が、色々変わってくるのだ。上で述べたことを繰り返しはしないが、やはり、のんきには生きていられなくなるのである。

 これで、私の文章の分かりにくかった点が分かってもらえただろうか?

 これが、一線を越えることに関して、現在の私の知りうることの全てである。

 恐らくほとんどの人が、このことに関し、思い違いをしたまま行為を行い、その後になって、大変な思いをしたことがあるのだろう。あるいは、結婚するまで、処女や童貞を大事に持っていたが、果たして、若き日にそれをもっと別な形で結晶させていても良かったのではないか、という思いにとらわれているのかも知れない。

 そういう悔しい思いがあるからこそ、若者たちに教えてあげよう、という優しい気持ちになれないのだ。

 私の説明は、小学生にはちょっと難しかったかも知れないが、中学生には分かるはずである。最近は、性教育がなされているから、物理的なことは皆分かっているはずだし。

 当分、「性」のことは書かないと言っていたのだが、ちょっとした疑問から、大きく発展してしまった。

 今日はここまで。

 現在2007年9月2日15時38分です。おしまい。