現在2007年7月10日15時18分です。
前回の7月7日の投稿で、私の自然科学の勉強法を改革したり、ブログの体裁を変えてみたりすることを宣言したが、ほとんど撤回することにした。
勉強法について言えば、やはり私は、数学の難しい本を読むときは、全文写ししながらギャップを埋めていくのが一番自分に合っていると悟った。
私の尊敬する数学者であるニールス・ヘンリック・アーベルにしても、カール・フリードリッヒ・ガウスにしても、また物理学者のリチャード・フィリップス・ファインマンにしても、レフ・ダヴィッドヴィッチ・ランダウにしても、それぞれ自分の見つけた勉強法で勉強していった。
私がこの人生で一番やりたいことは何か。
小学校の頃は、相対性理論の間違いを正そうという気持ちがあった。だが、相対性理論は正しいということが中学時代に分かった。
その後、中学2年の時にユークリッド幾何学の証明のやり方の素晴らしさを知って、数学に興味を持った。高校1年の時には、アーベルの業績を知って、数学とは完成したものではなく、まだまだ発展して行っていることを知った。
群論という抽象的なものなど考え出したから、5次方程式が解けないなどという結果が出てきたのではないか、と疑い、群論などというものは、いるのだろうか、という思いから、「数Ⅲ方式 ガロアの理論」を読み進めた。結局この本は読破できなかったが、群論というものが必要なものだ、ということは分かった。
高校2年の頃は、数学者を目指そうか、と考えていた。
だが、高校3年の秋に、電場と磁場の関係を考えていて、統一理論のアイディアがわいた。このアイディアがあったからこそ、物理学者になろうと思ったのだった。
大学に入ってからは、新しく色々なことを知った。それまで、解析力学などというものがあることなど知らなかったのに、そういうものがあるということを知っただけでも、大学の理学部へ行って良かったと思う。一般相対性理論を理解できたのも、多様体という全く新しい数学的概念を知ったからだった。
失敗も色々した。数学で自信を失ったり、物理学で自信を失ったり、最後には、病気になり、退学せざるを得なくなった。1994年のことである。
そうして、色々のものを失って、最後に残ったのは、数学や物理学は、基礎からきちんと学んでいけば、必ず理解できるものだ、という新しい信念と、大量の数学書と物理学書だった。
初めは病気が重くて、なかなか本が読めなかった。「きかんしゃ1414」という、絵本のような本を読んで、
「ハラハラ、ドキドキだった。」
と話して、家族を笑わせた。その次は「サイボーグ009」を子供図書館へ読みにいって、3日間かけて読んで、とても面白かった。
その次は、江沢洋が、「物理学の視点」という本の中で、参考文献にあげていた、中学生向けの、「だれが原子をみたか」という本を図書館で借りて読んだ。易しく書かれている本だったが、非常に時間をかけて読んだのを覚えている。
この頃から、物理だけでなく数学も始め、以前から少し読んであった、朝倉書店の前原昭二著「数学基礎論入門」を全文写ししながら読んでいった。だが、これは分かりにくい本で、途中で挫折した。1996年の終わり頃のことである。
論理学は諦めて、杉浦光夫著「解析入門Ⅰ」を始めようと何度か努力したが、その度に挫折した。
その後、「数学基礎論入門」の分かりにくかったところを見事に説明してある本として、世界思想社の安井邦夫著「現代論理学」を図書館で見つけ、1年ほどかけて、半分くらい全文写ししながら読んだ。
まともな数学書のギャップを全部埋めたという経験は、この時が最初だった。1999年12月6日のことである。
物理学は、この頃から、岩波の物理入門コース全10巻を読み始めていた。これも1年くらいかかった。
数学の全文写しはここから大学時代からの懸案事項であった、公理論的集合論の勉強に進んだ。大芝猛著「数学基礎概説」(共立出版)を、2004年5月16日までかけて、全部写し、全部のギャップを埋めた。
本当のことを言うと実は一つだけ埋めていないギャップがある。244ページの
(三角関数の集合としての存在は問題として残しておく。)
という問題だけは、解いていない。これは、私にとっては楽しみなテーマで、もし、北海道大学の数学科を受験することに決めたら、これをレポートのテーマとしようか、と思っているほど解くのを楽しみに取ってある問題なのである。
さて、「数学基礎概説」を読んでいる間、物理学は、「ファインマン物理学」を読んでいた。記録によると、2000年4月29日から2005年3月11日までかかったようである。
それから現在、2007年7月10日までは、いくつかの本を読んだが、ギャップを全部埋めたというほどの成果のあるものはない。ただ、「解析入門Ⅰ」とブルバキをどちらも全文写しして、ギャップも全部埋めながら、途中まで読んだのが、ある程度の成果だ。
こうしてみてくると、私は、病気の回復とともに、少しずつだが、進んでいることが分かる。そして、私は少しずつだが、私の科学を広げていっているのだ。
そして、そのやり方は、大学時代、
「本当はこうやりたいのに。」
と思っていたやり方なのだ。これが私の科学のあり方なのだ。
私は、統合失調症という重い病気になって、頭が壊れてから、もう一度一から科学を築き直しているのだ。慌てるのはよそう。
私が一番やりたいことは、自分で納得できるまで数学的に厳密に物理学を理解することだ。そして、私に新しい発見が出来たらなお素晴らしいことだと思う。
私にとって、新しいことを発見するということは、それほど重要なことではないのだ。自分で納得出来るかどうか、ということが問題なのだ。
なぜか。それは、私にとって、数学や物理はそれに触れているだけで楽しいものであり、新しいことを発見して誰よりも早くオリジナルペーパーを書くということは他の人がやってくれても良いのだ。
私は論文というものをあまり重要視していない。いくつもの文献を引用していて、それだけではほんの一握りの学者にしか理解できない、学術論文というものに、価値を感じないのだ。
それよりも、一人でも多くの人に、科学の面白いところを紹介する学術書の方に、価値を見いだすのだ。
そういう意味で、2004年に上田 博(うえだ ひろし)という高校の数学の先生が書いた、
「独学一般相対論-専門書への入門書-」(牧歌舎)
という本など、とても立派だと思う。この人にとって、一般相対性理論の本格的な入門書を完全に書ききることは出来なかったのだ。もちろん、新しい発見もしていない。しかし、専門書で挫折した人の気持ちは良く分かっており、自分と同じ思いをしている人のために、この本を書いたのだ。
こういう形での科学への貢献を私は非常に評価する。こういう本は、それ自体は物理学の発見ではないかも知れないが、後に物理学の大発見をする若者を何人も産むのだ。
現在の私には、全文写しをしながらなら、ブルバキを読めるほどの数学的なトレーニングが出来ている。また、ブルバキの集合論よりも精密な、ベルナイス・ゲーデルの集合論を扱えるようになっている。
これを利用すれば、ランダウ/リフシッツの理論物理学教程を、時間さえかければ、小学生に語って聞かせることも、可能になるはずだ。
ファインマンや朝永振一郎は、数学を使わずに、言葉で難しいことを語るのが上手かった。だが、私は数学というものをタブーとする風潮に敢えて挑んでみたい。数字や記号を書き並べていくときの楽しさを、一人でも多くの人に味わって欲しい。
私が小学生にこだわるようになったのには原因がある。以前は、高校生に一般相対性理論を分からせる本を書くんだ、と言っていたのだ。だが、放送大学で、「若者の科学離れを考える」という授業を取ったところ、その中で、小学校低学年くらいの時は、算数や理科が好きな子が多いのに、学年が上がるに従って算数は分からない子がうなぎ上り、理科の実験も興味を持たなくなるという結果が出ていることを知ったのである。
数学嫌いの前に、算数嫌いがあったのか、と納得したのである。
私の願いがどこまで実現できるかは、分からない。しかし、私がここにこれを書くだけでも、80人くらいの人が読む。その中から、私の遺志を継いでくれる人が現れるかも知れない。まだ私は当分死なないが、先のことを考えて、これを書いておくのも無駄ではあるまい。
今日は、私の科学がどう組み立てられてきたかの一端をお見せした。それぞれの人が、それぞれの人生を持っているだろう。そこに科学の居場所はあるだろうか。
今日はここまで。
現在2007年7月10日21時24分です。おしまい。