相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

神様の存在に思い至るまでの経緯

 現在2007年5月13日22時05分です。

 前回の投稿で、神様の存在に思い至った、と書きましたが、そこに思い至るまでの経過を書いていませんでした。

 もちろん神様が居るということを証明することは出来ないのですが、私が考えていった経過を説明することで、どこで飛躍が起こったのかを納得してもらおうと思います。

 まず、私はあの日の2日前、自分がチラシを配って歩いているとき、後ろから少し間隔を開けて付いてくる女の人がいるのに気付きました。私が止まると、その人も止まる。

 私は何気なくふり返りました。そうしたら、目が合ってしまったのです。その途端、その女の人は、「顔を見られてしまった。」というような、表情をして、私を追い抜いていきました。

 私はこの瞬間、次のようなことを考えたのです。この女の人は、探偵社の人なのではないかと。今は、探偵社とは言わず、興信所とか言うそうですが、それではないかと。

 なぜ私を尾行するかというと、私は新しいチラシ配りの会社に入ったばかりなので、私が本当にちゃんとチラシを配っているかどうか、というのは、会社にとって、非常な関心事だろうと思うからです。それで、探偵に調べさせているのではないかと。

 この翌日、私は、2ヶ月ごとの通院日だったので、病院へ行ったのですが、主治医の先生には、

「誰かに噂されているのではないか。とか、感じたことはありませんか?」

と、いつもの質問をされたとき、このことは言いませんでした。なぜなら、この話をしたら、また妄想が生まれているんじゃないかと、先生が心配して、統合失調症の再発の可能性を疑ってしまうからです。

 さて、私はあの地下鉄の中で、なぜあの女の人が、私の後ろを、私が止まると、一緒に止まるようにして、付いてきたのかと、もう一度考えていました。

 この時です。私は、自分が大学1回生に入学したばかりの時のことを思い出しました。

 ちょっと唐突ですが、私は、中学の頃から、漢詩を暗誦するのが好きでした。今でも、10句くらいは暗誦できます。一番好きなのは、月並みですが、王維(おうい)の「元二(げんじ)の安西(あんせい)に使いするを送る」です。この詩を知りたい人のために、後で、全句を載せますが、今はこれはどうでも良い。

 私が大学に入ったとき、クラスの名簿を作ったのですが、その時、クラスメイトの一人が、「今、長恨歌(ちょうごんか)を暗誦しようとしている。」と、書いていたので、早速その友達を追いかけていきました。

 そして、その時、偶然、クラスに4人しかいない女の人の一人、Yさんが、そばに立っていたのです。

 私は、そのことに後から気付きました。

 ところで、私はそのクラスメイトに早速

「漢皇(かんのう)色を重んじて傾国を思う・・・」

とやろうとしたのです。ところが、急にのどが詰まってしまって、私は、

「ゴホン、ゴホン、ゴホン」

と、咳き込んでしまったのです。それからやっと、

「漢皇色を重んじて・・・」

と、やって見せ、

「君も同じ趣味を持っているんだね。」

と、言ったのです。そう言いながら、その人の後ろを見たら、Yさんがこっちを振り返ってみていました。

 このことを、私は、奇妙なことだな、と、ずっと思っていました。

 というのは、私が咳払いをしてから漢詩を暗誦して見せたのでは、まるで、女の人の注意を引いておいてから、自分の教養を見せたみたいになって、その女の人の気を引こうとしているような格好になったからです。

 実は、大学入学当時、私は、高校時代のクラスメイトの一人の女の子に夢中で、その女の人の興味を引く必要はなかったのです。

 この大学1回生の時の記憶が、地下鉄の中で、甦ってきたのです。

 その瞬間、私は、これこそ、神様が、私に、新しい女の人を紹介しようとした、イタズラだったのだ。と、気付いたのです。

 なぜ偶然咳払いをしたのではなく、神様が、咳払いさせたと思うのかというと、私は結核でもないし、タバコも吸わないので、この半生で、あの時ほど激しく咳き込んだことは、前にも後にもないからなのです。あれは、偶然と片付けるには、物理学者として余りにも無神経すぎることだったのです。ずっと私の記憶に残っていたのは、何か特別な力が作用したな、という、物理学者としての直感が働いたからです。

 さて、これを、今回の探偵社の女の人らしき人の場合に当てはめてみましょう。

 あの女の人は、探偵社の女の人ではなかったのです。ただ、神様のイタズラで、無意識のうちに、私の後を付いてくるような歩き方になっていたのです。私が、自分で意図したのではないのに、Yさんに良いところを見せてしまったように、あの女の人は、私を尾行しようなどとはつゆほども思っていないのに、靴の加減か荷物の重さかで、私が止まったときに、一緒に止まってしまったような格好になっていたのです。

 その靴の加減や、荷物の重さを、不確定性原理の許す範囲で上手く調整していたのが、神様だったのです。

 このことに気付いたお陰で、私は遂に、妄想に陥ることから救われました。そして、神様の存在を改めて認識したのです。

 神様もいるのだから、恐らく、死後の世界というものもあるのでしょう。

 今から2007年前誕生した、イエス・キリスト様は、神の子と言われていますが、本当は人間です。しかし、本当に賢い人だったので、神様の存在を認識したのです。そして、賢いと同時に、とても優しい人だったので、人間達に、多くの良いことを残して、死んでいったのです。余りにも残酷な殺され方をしました。優し過ぎる人というのは、この世の中では、長生きできないようです。イエス様しかり、コルベ神父しかり。

 この世界で、最も大切なことは何か、それは、少しでも多くの人に、生き甲斐を与えることです。

 例えば、モーツァルト。彼は、実に多くの素晴らしい作品を残しました。今でも、モーツァルトの音楽に癒されて、また明日生きていく英気を養われている、多くの人がいます。

 こういう業績こそ、本当に尊いことなのです。

 なぜ、宇宙探査などという役に立たないものに、大量のお金を使っているのか。それは、それが、多くの人の夢を広げるものだからです。

 ファインマンは、踊らされていただけだ、と、前回の投稿で書きましたが、あの、ファインマンのような誠実な魂。これは、お金で作り出すことの出来ない、エンターテインメントなのです。

 私は、ファインマンをけなす気はありません。ファインマンの物理学における業績は本物です。そしてまた、ファインマンは、「ファインマン物理学」という他の誰にも書けない教科書を書きました。こういうものこそ、本当に貴重なものです。

 

ファインマン物理学〈1〉力学

ファインマン物理学〈1〉力学

 

 

ファインマン物理学〈2〉光・熱・波動

ファインマン物理学〈2〉光・熱・波動

 

 

ファインマン物理学〈3〉電磁気学

ファインマン物理学〈3〉電磁気学

 

 

ファインマン物理学〈4〉電磁波と物性

ファインマン物理学〈4〉電磁波と物性

 

  

ファインマン物理学〈5〉量子力学

ファインマン物理学〈5〉量子力学

 

 

 モーツァルトファインマンもイエス様も、皆、人間達が生きていくための本当に大切なもの。「生き甲斐」を生み出したのです。

 私の物理の才能では、神様の存在をこれ以上分かりやすく説明することは出来ません。でも、人は皆、神様に見守られているのです。そして、死んでも、それで終わりではないのです。

 地獄へ行く人もいるんじゃないかって? そう言う発想が、人間的なのです。神様の前では、地獄へ行くべき人間なんていません。

 みんな、子供の時を思い出してご覧なさい。誰だって、夢に胸を膨らませながら、新しい朝を迎える無邪気な子供だったじゃないですか。

 人間の中に、死後の世界へ持って行かれるものがあるとしたら、どれだけ誠実に人生を送ったか、という思い出です。

 余り努力もしなかったのに、うっかり学位を取ったり、賞を取ったり、有名になったりすると、人間は、辛い人生を送ることになります。

 本当に地道な研究成果を重ねて、博士号を取ったのなら、でーんと構えていられますが、インチキをして、博士号を取ったりしたら、その後、一生、落ち着いた人生を送れません。

 私が、頭で分かるだけでなく、本当に心で信じられるまで、一つことをきちんと認めないのは、この世界は、本当に恐ろしい世界だからです。

 ファインマンのように、誰でもが、誠実に生きるのは難しいでしょう。でも、考え方を一つ変えるだけで、人生は変わるものです。

 今日からで良い、自分にウソをつくのは止めましょう。これが、私に言える最善のことです。これだけで、人生が変わります。でも、家族を抱えていたりして、清く正しく美しく生きようとすると、家庭が崩壊するという人もいるでしょう。そういう人は、今日を、

死んでから、「あの時から、自分は他の人達のために生き始めたんだ。」

という思い出の日としましょう。そして、生き方は変えなくとも、意識を変えましょう。

「他人を自分のように愛せよ。」

イエス様の一番言いたかったことです。

 

語法詳解漢詩 (1972年) (古典解釈シリーズ)

語法詳解漢詩 (1972年) (古典解釈シリーズ)

 

 

 今日の投稿は、この一句暗誦するだけで、漢詩というものの持つ美しさを堪能できる、最上の句で終わることにしましょう。

 

 

 元二(げんじ)の安西(あんせい)に使いする(つかいする)を送る(おくる)

                      王維(おうい)

 

いじょうの朝雨(ちょうう)けいじんを潤す(うるおす)

かくしゃ青青(せいせい)として柳色(りゅうしょく)新たなり

君に勧む(すすむ)更に尽くせ一杯の酒

西のかた陽関(ようかん)を出づれば(いづれば)故人無からん(こじんなからん)

 

 本当の漢字とか、この詩の意味とかは、本屋で、漢詩に関する本を開けば、必ず載っています。杜甫(とほ)の「春望」と並んで、一番有名な漢詩なのです。

 現在2007年5月13日23時50分です。おしまい。