現在2007年3月12日20時37分です。
京都へ行ったことは書いた。しかし、家も職も見つからず、佐々木先生とお会いしただけで帰ってきた。
その後、無理をしたために、39度も熱を出し、寝込んでいた。
もっと勉強したいのに、なかなか出来ないものである。
宮崎駿の映画、「紅の豚」の最後にかかるテーマ、加藤登紀子の「時には昔の話を」聴きながら、今朝は起きた。
♪見えない明日を むやみにさがして 誰もが希望をたくした
♪お金はなくても なんとか生きてた 貧しさが明日を運んだ
♪嵐のように毎日が燃えていた 息が切れるまで走った そうだね
♪あの日のすべてが空しいものだと それは誰にも言えない
♪今でも同じように見果てぬ夢を描いて 走りつづけているよね どこかで
歌詞を抜粋
私は今まで、「見果てぬ夢」という言葉の意味を知らなかった。「尽きることのない夢」という意味だと思っていた。しかし、今日辞書で調べてみて、その意味が、「実現不可能な事柄」というものであることを知った。
私のランダウ・リフシッツ理論物理学教程小学生バージョンというのは、「見果てぬ夢」なのか?
先日京大大学院の入試問題の過去問を解いてみた。全く歯が立たなかった。大学院入試の問題を解くのなんて、初めてだったから、ということもあったが、これほどまでに実力がないというのは、ショックだった。
大学にいた頃から、10年以上たっており、その間、数学しかやってこなかった、というのもたたったのだろう。
来年度大学院に行くというのは、無理かも知れない。
このまま、歳を重ね、何も成すことなく、終わっていくのだろうか。
私の夢は、すべて、「見果てぬ夢」なのだろうか?
しかしそれが、「見果てぬ夢」だったとしても、「走りつづけて」いたい。
この世界の他のすべての人が、小学生に物理を教えるのを諦めたとしても、私だけは、諦めてはならないはずだ。それだけが、私の生き甲斐なのだから。
♪今でも同じように見果てぬ夢を描いて 走りつづけているよね どこかで・・・
そうありたい。
現在2007年3月12日21時05分です。おしまい。