相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

就職活動始めました

 現在2006年12月28日1時33分です。

 来年度、放送大学で卒業研究をして、卒業したら大学院に行く、ということを決めたので、そのために少し動き出した。

 まず、今まで8年半アルバイトとして勤めてきた会社を辞めて、もう少し本業の物理や数学に近い職業に就こうと思った。将来、研究者としても教育者としても優れていたファインマンのような物理学者になるために、教育に関係した職業を探すことにした。

 まず探し始めたのが、塾の講師の職である。

 今の会社は、ミシンがけも出来ないくらい障害が重かった1998年の頃、パソコンを使った、CADなどの仕事なら出来るのではないか? という父の紹介で入ったところだった。

 みんな周りの人は優しくしてくれたので、私はリハビリに専念できた。週に3日通うところから始め、1日ずつ増やしていった。奇特な社長の好意もあって、調子の悪いときも乗り越えて来られた。

 ミシンがけの職場では、日給500円だったのに、その社長は、こんな私に時給800円という、本式のアルバイトと同じお給料を下さった。そのお陰で、家賃から薬代まで、完全に経済的に自立した生活を送ってこられた。

 統合失調症の障害を持った人間の3分の1は治らず、3分の1は良くなったり悪くなったりを繰り返し、残りの3分の1だけが治り、社会に復帰できると言われていて、最近の調査では半分でも自立できるのは60%程と家庭の医学にも書かれている。

 その最後の3分の1に私がなれたのは、この社長のお陰が大きい。

 もちろん道は他にもあっただろう。これだけが唯一の道ではなかったのだろう。デイケアでリハビリを続けて、完全に治ってから、物理や数学を学びなおし、大学に戻るというのも不可能ではなかっただろう。

 だが、経済的に父母に最も負担をかけない道、という点では、私の取った道は最も最良の道だったと信じる。また、勤めていた会社は、24人ほどの小さな会社だったが、ほとんどの人がとても人間的に温かく、数学と物理はものすごくできるが社会のことには疎いという私の弱い部分を、色々とカヴァーしてくれた。この、社会にきちんと復帰するという点でも、私の取った道は最良だったと信じている。

 さて、8年半経って、放送大学の卒業研究も決まり、そろそろ物理学者になるための本来の道へ舵を切るべき時が来たように思う。

 私は数年前一度、Z会の高校1年生の通信添削に入会してみたことがあった。その時、国語は96点だったが、数学と英語は100点だった。だから、少なくとも中学生や高校1年生に対しては数学と英語が教えられるくらいの力を持っているのだろう。

 そうは言っても、やはり英語を他人に教えるのは、私にははばかられる。

 英語の物理学書や数学書を読むのには全然問題ないレヴェルに達しているが、スピーキングはやったことがないのだから、高校生どころか、中学生にも模範を示すことは出来ない。今から英会話スクールに通っても遅すぎるので、これは諦めるしかない。

 数学と物理だったらどちらを教えるか? これは迷うところである。本来物理学者を目指しているのだから、塾でも物理を教えられるのだが、私が京都大学というとんでもなく物理の出来る人間ばかりのところにいたために、物理の分からない人の気持ち、というのが分からないのだ。

 数学は、以前小学生に算数の家庭教師をしたこともあったりするし、高校でも、授業の分からない友達から質問されたのに応えてきたので、ある程度数学のわからない人の気持ちが分かる。ある程度であって完全ではないのは注意がいるが、数学は一応計算や証明がかけるところまで持って行ってあげれば、「うん、分かったよ。」と言ってもらえる。

 しかし、物理では、「慣性の法則が分からない。」という人に、いかに「電車がブレーキをかけたら・・・」とか、説明しても、「本当に分かりました。」という答えが得られるという保証はない。物理現象を理解するということには、大きな飛躍が要求されるのだ。この飛躍をどの高校生にもさせてあげられるか、というといささか心許ない。大学の先生として、大学入試をくぐり抜けてきた学生に教えるのとはわけが違うのだ。

 だから、私の場合、第1希望 数学 第2希望 物理 第3希望 英語 とならざるを得ない。

 まあこれから探してみて、春までにどこかにアルバイトとして就職できれば、物理学者に一歩近づけることになる。夢に向けてがんばろう。

 現在2006年12月28日2時30分です。おしまい。