リンクの張ってある、「やっぱり物理が好き」のさとみさんが、自分の使っているボールペンを紹介していたので、私もいつも使っている筆記用具を紹介することにした。
私は、普段勉強するとき、鉛筆を使っている。ミツビシのユニスターという鉛筆の、堅さはHである。
中学の頃は、腕に力があったのか、2Hを使っていたのだが、段々2Hでは堅すぎるように感じてきて、高校に入った頃から、Hを使うようになった。
私のペンケースには、鉛筆が11本はいるので、ここに、ギンギンにとがらせたユニスターを並べて、持ち歩いている。
でも、実際にその鉛筆を使うのは、家にいるときである。それも、物理や数学をまじめに勉強するとき以外はこれを使わない。ちょっとメモを書いたり、放送大学の勉強をするときなどは、もう短くなって、そのままでは手で持って書けないようになったものを、補助軸を付けて、使うのである。
だから、この11本の鉛筆を使うのは、本気で勉強しているときだけである。
通常私はこの11本を平均して減るように使っていく。2時間から3時間一生懸命勉強しても、6本くらい使うのが関の山だ。だから勉強中に鉛筆を削るということはない。
しかし、大学にいたとき、一度だけ、ものすごく勉強した日があって、ランダウ・リフシッツの力学を10ページ書き写した、という日があった。その日は、一本だけを削りながら使ったので、一日で、ほとんど新品だった鉛筆が、持てないほどに短くなり、補助軸送りになった。
こんなことは一回きりであり、私の集中力が続くのは、やはり2時間くらいが限度である。
ところで、私が鉛筆にこだわるのは、シャープペンよりも字が少しは綺麗に書けるかな? という淡い期待があるからである。
ボールペンや万年筆を使わないのは、やはり書き損じたとき、消したいからである。本を写していて、太い字で書いてある重要語句などは、赤いゲルインキペンで書いたりするから、間違えたら消せないのは同じなのだが、完璧主義の私には、ちょっと字が傾いた、なんてのも気になるので、すぐ消しゴムで消して、書き直す。
じゃあ私は万年筆などは使わなかったのかというと、そんなことはなかった。私が横浜翠嵐高校に合格したとき、父が合格祝いに、当時パーカーが、アインシュタインは彼のペンで地球をひっくり返した、とかいうコピーで、アインシュタインの使っていたのと同じ形の万年筆を売り出したのを、買ってくれた。
これがその万年筆。すぐには使う機会が訪れなかったが、大学受験で浪人した年、私は、恋をして、毎日ノートにその万年筆で、10ページくらい日記を書いた、ということがあった。パーカーのパーマネントブラックのインク瓶を1年でほぼ全部使い切ってしまった。
その恋は、告白したが、結局実らなかった。
だが、私は恋をするたびに、いろんなものを相手の女性からもらうようで、その人からは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタとピアノ・ソナタの素晴らしさを気付かせてもらった。
正確に言うと、恋の激しい感情から、クロイツェル・ソナタのあの火花を散らすような感情の表れに共感を覚え、これこそ私の今の感情を表す曲だと、感じたのだった。
ピアノ・ソナタに関しては、恋の対象が、ピアノを弾けるのではないかと、勝手に想像したので、ピアノ曲を聴くようになった、というものだった。この時以来、私にとって、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番 作品101は、忘れられない曲になった。
相手の人は、ピアノが弾けなかったので、私は、勝手な想像で、自分だけプレゼントをもらったのだった。
その後も私は、恋をしたが、その度に、色々なものをもらった。他の恋については、また機会があったら書こう。
鉛筆で書いたものは、消せるが、私は、ちょっとした、筆算やノートに証明を自分なりに書くときの、下書きも、全部残している。どうやってその証明を思いつけたか? とか、計算間違いがあったとき、それを後でたどれるようにするためである。
そこまでするなら、万年筆で書けば良いではないか、と思うかも知れないが、私は、ギンギンにとがった鉛筆を一本一本使っていくのが楽しみなのである。そして、2時間ほど集中した後、ノートに日付と時刻を書き込み、さあ今日は何本使ったかな、とふり返るのが、何とも言えない醍醐味なのである。
最近は、ミツビシがユニスターを作らなくなったので、一つ格上のユニそのものを少し高いが、買おうかと思っている。
鉛筆は良いですよ。あの六角形が手になじむし、持ち方により、線を太くしたり、細くしたりできるし、定規で線を引いたとき、定規が滑って、線が曲がったら、消しゴムで消せるし。
と、鉛筆の宣伝をしたところで今日はおしまい。
現在2006年3月2日21時23分です。