現在2006年2月2日22時32分である。
「博士の愛した数式」は面白かった。数学の話が面白いのではなく、小説として十分面白かったのだ。私が今までに読んだ中で、最初から最後までずっと面白かったのは、「嵐が丘」ただ一冊だったが、その記録が破られる日が来た。「博士の愛した数式」もまた、最初から最後までずっと面白かったのだ。
幸せな3日間を過ごさせてもらった。
そのお礼と言っては何だが、この小説の中に登場した数式、
eπi+1=0
について、そこに現れる、自然対数の底eと円周率πの超越性を証明する。この小説の中では、こんな繰り返しもない数字の並んだ数が、なんで自然なのだろう、と疑問を表明している。確かに、自然が秩序のあるものなら、こんな何の脈絡もなく、小数点以下に、数字の並ぶ数が、重要な数であるというのは不思議だ。
だが、私達が証明しようとしていることを知ったら、もっと、不思議さが増すだろう。そしてむしろ、自然の奥深さに頭を垂れたいという気になることだろう。
超越数とは何か。それは、整数を係数とする、代数方程式の根にならない数。のことである。
もう少し、丁寧に説明しよう。例えば√2 は、
x2-2=0
の根である。この時、
x2
の係数は1、定数項は-2である。だから、係数は整数だ。整数とは、・・・,-3,-2,-1,0,1,2,3,・・・というような数であることは、覚えているだろう。
もし整数を係数とする、という条件を外して、ただ、代数方程式の根にならない、といったのだったら、おかしなことになる。
例えば、
x-π=0
という方程式は、πを根に持つ。
しかし、係数が整数ではないのだ。
代数方程式というのは、aかけるxのn乗たすbかけるxのn-1乗たす・・・=0
という方程式のことである。微分方程式とか、
sinx=0
というようなものは含まれない。実際、
sinx=0
の根には、πが入っている。
じゃあなんで、整数を係数とする代数方程式だけ特別扱いするのか。それに答えるのは、実は私の手に余る。有理数体Qの代数拡大の中に含まれない。ということが、代数的整数論という分野では、重要な意味を持つのだが、それを皆さんに分かるように説明することが出来ないのだ。
だから、とにかく、普通の方程式の根にならないような、特別な数なんだ、ということが証明された、というだけで、喜んでもらうしかない。私にとっては、それだけでも、十分嬉しいことだった。
今日一日で、πの超越性まで到達するのは無理である。まず手始めに、πが無理数であることを証明しよう。無理数とは、有理数のように、整数a,bを用いて、a/bと表されない数である。私達が既に知っている無理数は、√2である。これは証明した。
今日は、πが無理数であることを証明するのだ。証明は、イアン・スチュワート著 永尾 汎(ながお ひろし)監訳 新関 章三(にいぜき しょうぞう)訳 「ガロアの理論」(共立全書) を参考にして行う。この本には、数学に慣れている者なら、分かる程度に、省略をされた証明が書かれているので、私が、一般の人でも分かるように、大幅に書き加える。
それでは始めよう。
定理
πは無理数である。
証明
ここで一つ補題を用意する。意味を理解すれば難しいものではないので、大丈夫。
整数を値にとる数列が、0に収束するならば、その数列の、あるところから先は、すべて0である。
補題の証明
これは、本当は、当たり前である。
limf(n)=0
n→∞
なのだから、もし、どこまで行っても、f(n)が0にならないのだったら、0に収束することにはならないからだ。
ε-δ論法を用いて厳密に証明すると、0に収束するとは、任意のε>0に対し、ある自然数Nが存在し、n>Nとなるすべてのnについて
|f(n)-0|<ε
となるということである。そこで、εとして1/2をとってみよう。そうすると、あるNが存在し、n>Nとなるすべてのnについて、
|f(n)-0|<1/2
である。f(n)は整数を値にとるのであったから、1/2より0に近い整数は、0だけなので、f(n)=0となる。
n>Nとなるすべてのnについてf(n)=0なのであるから、あるところから先は、すべて0である、という補題が証明された。
補題証明終わり
さて、次の積分を考えよう。
+1
In=∫ (1-x2)ncosαxdx
-1
こういうとき、どうしてその積分を考えるのか、とか、どうやって思いついたのか、とか、気になるだろうが、ひとまずそういうことは、おいといて、これを考えると、うまくいくらしい、という期待に胸をふくらませるのが、さしあたってはよい。いろんな人が、一所懸命考えて、やっと思いついた式なのかも知れないのだから。
さて、これを部分積分することにより、n≧2について
α2In=2n(2n-1)In-1
-4n(n-1)In-2
という漸化式が得られる。
と書いても、多くの人は、ついて来れないだろうから、やって見せよう。部分積分の公式は覚えているだろうか。
b
∫ f(x)g’(x)dx
a
|b
=f(x)g(x)|
|a
b
-∫ f’(x)g(x)dx
a
である。ここで、
f(x)=(1-x2)n
とおき、
g’(x)=cosαx
とおく。そうすると、
+1
In=∫ (1-x2)ncosαxdx
-1
1 |+1
=(1-x2)n─sinαx |
α |-1
+1 1
-∫n(1-x2)n-1(-2x)──sinαxdx
-1 α
となる。
(1-x2)n
の微分は、まず
1-x2
をひとかたまりと思って、それのn乗だから、nが前に出て、n-1乗になる。次に、
1-x2
さて、
|+1
|
|-1
の部分は、-1と1を代入したとき、
(1-x2)n
の部分が0になるので、消える。そこで、二つのマイナスをキャンセルさせて、
+1 1
In=∫n(1-x2)n-12x──sinαxdx
-1 α
となる。ここで、くどいようだが、もう一度部分積分をする。
f(x)=n(1-x2)n-12x
1
g’(x)=──sinαx
α
とおくと、
1
g(x)=-──cosαx
α2
であるから、
-1 |+1
In=n(1-x2)n-12x──cosαx |
α2 |-1
+1
-∫{n(n-1)(1-x2)n-2(-2x)2x
-1
-1
2n(1-x2)n-1}──cosαxdx
α2
となる。
|+1
|
|-1
の部分は、今回も0である。
ここまでのところは、大丈夫だろうか。まだ難しい部分には入っていない。
さて、ここでちょっと技巧を凝らす。
上の式の(-2x)2xという部分から、
(-2x)2x=-4x2
=4-4x2-4
=4(1-x2)-4
と、変形するのだ。これで、
(1-x2)
の次数が一つ上がる。従ってInは、
+1
-∫{4n(n-1)(1-x2)n-1
-1
-4n(n-1)(1-x2)n-2
-1
2n(1-x2)n-1}──cosαxdx
α2
となる。n-1乗の項をまとめて、
+1
-∫{2n(2n-1)(1-x2)n-1
-1
-4n(n-1)(1-x2)n-2
-1
}──cosαxdx
α2
となる。マイナスとマイナスをキャンセルさせて、
+1
=∫{2n(2n-1)(1-x2)n-1
-1
-4n(n-1)(1-x2)n-2
1
}──cosαxdx
α2
となる。
+1
In=∫ (1-x2)ncosαxdx
-1
であったから、上の式より、
α2In=2n(2n-1)In-1
-4n(n-1)In-2
が示されたことになる。これで、この本でやっと1行進んだことになる。この調子でいくと、夜が明けるので、今日はここまでにする。明日には、πの無理性が示せるだろうか。
これを見ていて分かっただろうが、πが無理数であることを証明するだけでも苦労する。ましてや、超越数であることを証明するのは、ものすごくしんどい。
しかし、それを理解できたとき、あなたはきっと、ある種の陶酔感を味わえるはずである。人間は、ここまで見事な理論を構築できるものなのか、という思いは、人間は空を飛ぶことが出来るのか、というのと同じくらいの驚きを私達に与えてくれる。
その瞬間を目指してがんばろう。
現在2006年2月3日1時32分。おしまい。