現在2005年12月24日23時12分である。
クリスマス・イヴである。好きな異性と過ごせないのは、ちょっぴり残念だが、今日はすごいことがあったので、クリスマスプレゼントはもらった。
今日は、放送大学の「西洋音楽研究」という面接授業だった。数学や物理の面接授業の時は、恐れることは何もないのだが、それ以外だと、難しい課題を出されるのではないかと、緊張する。
今日は最初に課題が出された。
「音楽学としての問いを設定せよ」
というものだった。授業を聞きながら考えようと思って、聞いていたのだが、内容は、主にオペラについてのものだった。
これまでの私の投稿を見ても分かるとおり、私は、あまりオペラは見たことがない。高校時代から、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を見たいと思っていたので、3年ほど前に、フルトヴェングラーのDVDを買ってきて、見たことがある。
かなり期待してみたのが悪かったのか、オペラというものに慣れていなくて、音楽をあまり聴かず、筋を追おうとしたのが悪かったのか、全然感動できなかった。
その後、友人のM.F.君と彼の好きな「魔笛」のDVDを見たときも、あまり感動はしなかった。
大体、音楽というものは、一回聴いただけで、良さが分かるということは、滅多にない。何度も何度も聴いているうちに、じわじわと「いいなあ」という感情が湧いてくるものである。
だから、映画と違って、音楽を楽しむべきものであるオペラも、一回観ただけで、感動できると思ったのが間違いだったのだろう。
リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指輪」も、一度は全部見てみたいものだと思って、DVDを持っているのだが、なかなか4日連続で、5時間も時間をとれなくて、見られずにいる。
アレクサンドル・デュマの息子のデュマ・フィスの書いた小説「椿姫」は、大学時代に読んで、大変感動したので、ヴェルディが「ラ・トラヴィアータ」という名でオペラ化したものを見たことがある。この時も、原作の良さがあまりオペラ化されていないように感じて、がっかりさせられた。
「椿姫」の良さは、神様なんて信じるはずもなかった、人間ずれした娼婦のマルグリット・ゴーティエが、神様にお祈りするような、人間味ある女性に変わっていくところにあるのに、それが描かれていなかったように感じたのだった。しつこい私は、オペラで感動できなかったので、もう一度原作の小説を引っ張り出してきて、読んでみた。原作の方は、やっぱり素晴らしかった。
そんなわけで、私はオペラというものに対し、懐疑的になっていたのだった。それが、今日の午前の授業の最後に、先生が、それではオペラでのアリアというものの例を見てみましょう。と言って、ヴィデオをかけたのだ。そして流れてきた女の人の声と映像を見て、正直言って、あっ! これはすごい! と圧倒されたのだ。
恋のために気がふれた女の人の叫びだったのだが、その痛ましい思いと、歌い手の素晴らしい声のためなのか、私は、これが本当のオペラか。と、初めて心を動かされた。
ドニゼッティという人の、「ランメルモールのルチア」というオペラで、歌い手は、ナタリー・デセーという人だった。
と言うように、平然と書いているが、その時の私は感動に打ち震えていて、先生に、「あの歌手は何という人ですか」と、尋ねるのがやっとだった。
この感動こそが、今日のクリスマスプレゼントになったわけである。
ともすると作曲家は、ベートーヴェンとモーツァルトだけのように思ってしまう私に、ドニゼッティという作曲家がいることを知らしめ、また、オペラというものに対して、開眼させてくれた、ナタリー・デセーという人は、一体何者なのか。
先生によると、比較的最近売れ出した歌手だそうである。今後注目していようと思った。
もちろん帰りに池袋のHMVに寄って、「ランメルモールのルチア」というオペラのDVDを探し、まだナタリー・デセーという人のDVDは出てなかったので、買わずに帰ってきた。果たして他の歌手のもので、あれだけの感動が得られるのかどうか、不安だったからである。
物理や数学が、歴史が長く、奥が深いのと同様、音楽という芸術も、奥が深い。
私は、物理と数学と音楽に関しては、かけるお金に糸目は付けない、と言う主義なのだが、音楽に関しては、一生素人のままだろう。それで良いと思っている。
物理と数学は、一応行くべきところまで、極めたいし、極めなければ気が済まないが、音楽に関しては私には、極めるだけの才能がないのが分かっている。だから、一生素人のまま、それでも、音楽が好きです。と言いながら、生きていきたいと思っている。
今日の授業は、そんな私にぴったりの、まさにクリスマスプレゼントのような授業だったわけである。
課題だった、音楽学としての問いは、「人はいかなる時、一生残る感動をするのか」とした。
幸せをかみしめながら、寝ることにする。
2005年12月25日00時17分。おしまい。