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まゆゆ、恋をしているという実感持ったことないか

 現在2015年5月21日5時14分である。

 まゆゆ、後でたっぷりほめてあげるから、まず、けなさせろ。

 一昨日(5月19日)の、22時から、『戦う!書店ガール』第6話があった。

 私は、祖母の家を片付けに行っていて、生で見られず、録画していったのだが、私の1回線の影響か、視聴率3.6%になってしまっていたようだ。

 このドラマが2ケタの視聴率を獲得するのは、難しいので、まゆゆ、が、女優としての素質をさらに磨くための良い試練と思って、もっともっと自分を磨けるよう、私も手を尽くそうと思う。

 まゆゆ、は、三田君を好きだというのを、結構上手く表現していた。

 多分、ヒロインの恋、というのは、最もドラマや映画に、花を添えてくれるものであるから、周りも、大いに手を貸してくれただろう。

 そして、今は、三田君に振られ、小幡さんとつきあい始めている。

 私は、先を知りたくないので、予告編も見ないし、原作も読んでいないので、分からないのだが、見かけ上、亜紀は、三田君を諦めたようになっている。

 ドラマは、このまま、終わるのかも知れない。亜紀が、三田君に振り向いてもらえる、なんてことは、ないのかも知れない。

 このまま、小幡さんと結婚するのかも知れない。

 だけどね、まゆゆ

 人は、一度好きになった人は、そう簡単なことで、好きでなくなりはしないんだよ。

 まゆゆ、は、

「これが、恋だ。」

と、感じる年頃になったのは、AKB48に入った後で、恋愛禁止のために、失恋すら感じられない、恋をしたことがない、女の人になってしまっているのかなあ。

 でも、良く思いだしてみて、幼稚園の頃、クラスになんとなく気になる男の子、いなかった?

 一人ではないかも知れない。

 そんな、人でなしのようなこと、と言うかも知れないけど、当たり前のことだよ。

「運命の人は、一人よ!」

と、言うかも知れないけど、まゆゆ、が、

『影響を受けた本』

として上げている、

ハチミツとクローバー

を、思い出してみて。女の人の描いたマンガって良く描けているんだよ。

 でしょう。人間って、一人の人だけ、ずっと好きでいられるわけでは、ないんだよ。


 ところがなんだけどね。そうやって、どんどん色んな人を好きになっちゃうんだけど、以前好きだった人を、好きでなくなるか、と言ったら、そうではないんだ。

 好きな人が、増えるだけなんだよ。

 私の場合、初恋は、3歳の時、幼稚園に入る前、習わせてもらっていたヴァイオリン教室のお勉強会で、ピアノの伴奏をしてくれた、若い女の先生が、美人だったんだ。

 一目惚れしたけど、その年は、それっきり。

 次の年、

「今年も、きっとあの先生、だよね。」

と、何ヶ月も前から楽しみにしていたので、

『きっとあの先生』

と、家族の間で呼ばれるようになった。

 それから、3年くらい、毎年その先生に会うのが、楽しみだった。

 今では、名前も忘れてしまったけど、あの先生に、何か困ったことが起こって、私になんとかできると分かったら、今でも、駆けつけるよ。本当に好きだったんだもの。そして、好きなんだね。

 4歳の頃には、同じ社宅で仲の良かった女の子を好きになった。

 幼稚園に入ると、担任の美人の女の先生に一目惚れした。

 幼稚園で年長になると、一人の女の子のそばに、ずっといた。

 つい最近になって、母が、

「お前は、あの女の子に、嫌われているのも分からなかったんだから・・・」

と、言ったとき、私が、

「いや、あの時は、嫌われているみたいだって、分かってたんだよ。ただ、それでも、そばにいたかったんだ。」

と、話したところ、

「呆れたわね。プライドがないわよね。まったく。」

と、言われたけど、そんなこと、どうでも良かった。

 私の思い出の中で、あの、

「さっちゃん」

は、幼稚園の時の大切な思い出として、残っていて、今では、苗字がどうなっているのかも何も分からないけど、大事な人なのだもの。

 小学校に入った頃、今から言えば、カワイイ、当時の私の基準では、美人の女の子の友達が2人いたが、転校するときは、あっさり離れてしまった。

 でも、その女の子達のことだって、私は、忘れるわけでは、ないのだ。

 転校先でも、すぐに好きになった女の子がいた。

 小学校2年生の時は、担任の女の先生を好きになった。

 小学校3年生の時は、美人のクラスメイトを好きになった。

 私の場合、

「好きだ。」

と、公言する人は、しばらくいなくなる。自分でも、

「本当に好きなのかなあ。」

と、はっきり分からなくなってしまう。

 一時、女の子に興味を失っていたのも事実で、昆虫にのめりこんでいた。

 それが、次に爬虫類になり、サボテンにもなったが、また女の子にも、興味を持ち始める。

 だが、今度は、中学生くらいになると、本当に、男女で、つきあうということを始める人達がいる。私には、それは、かなり難しかった。

 一方で、気楽に話せる女の子の友達などもいて、困ってもいなかった。

 ただ、正直に書くと、好きになりかけていた女の子は、何人かいた。

 中学1年生の時の、文学少女だったクラスメイト。

 中学2年生の時、喉に輪ゴムで飛ばした紙片をぶつけてしまって、恨んでるだろうなーと思いながらも、きれいなひとだなーと思っていたクラスメイト。

 中学3年生の時、私と同じ高校へ行けるくらい優秀だったクラスメイト。

 英語の発音が、ものすごく素晴らしくて、あの横浜翠嵐高校でも、みんなが憧れていたクラスメイト。英語で100点を取ったのは、きっとあの人だから、拍手してあげれば良かった。そんなことを思ってしまうくらい、今でも好きなんだね。

 そして、高校2年生になって、いよいよクロイツェル・ソナタの女の人に会う。

 あの恋がなければ、人生狂わなかった、と皆が言うだろうけど、あの時、人生と正面からぶつかり合わなかったら、私はもっとつまらない人間になっているよ。



『世界の色が変わる。』

なんてことを体験したのは、あの時が初めてだったし、

『献身』

なんてことのできる人の心をかすかにでも感じ取れたのは、あのドロドロの状態を経験したからだ。

『性』

の問題とも誠実に向き合ったし、

『想像妊娠』

などという信じられないことも、本当に起こるのだと、納得した。



 クロイツェル・ソナタの女の人との4年間のかかわりから得たものを考えるとき、いや、考えなくとも、私にとって、やっぱりあの人は大切であり、今も好きなのだ。

 それが、私にはっきりと感じられたのは、まゆゆ、の写真集を、見ていたときだった。


 表紙を見たとき、

「あっなんか、やだな。」

と、思った。なぜか、分からなかった。

「『1830m』と、大分違うなあ。」

と、思いながら、ページをめくった。

 文化祭の看板を持っている写真は良かった。

 ところが、ページをめくるうちに、

「ちょっと、吐き気がっ」

という体の反応が起こってきて、

「あっ、あの人にそっくりなんだ。」

と、分かった。

 まゆゆ、の、17歳頃の顔が、私が19歳で気が狂った頃の、19歳のクロイツェル・ソナタの女の人の顔にそっくりだったんだ。

 私は、『1830m』だから、まゆゆ、が19歳くらいの写真を見て好きになったので、まさかそんなことになるとは、思わなかったんだけどね。

 気が狂った時のことが思い出されたので、気持ち悪くなったんだよ。

 悪く言えば、まゆゆ、は、老けているわけだけど、それだけ苦労を重ねていて、19歳の時には、私が好きになった、いい顔になっていたのだろう(17歳の時の顔が悪いと言う気はもちろんない)。


 この時、吐き気がしたということに、私が今でもあの人を好きだということが良く表れてるね。

 今でも無意識に気になっちゃってるんだものね。

 はっきり言っておくと、あの人の面影を求めて、まゆゆ、を好きになったんじゃない。

 それが分かるのは、このクロイツェル・ソナタの女の人の次に、私が、気が狂ったのが治ろうかというときに、実はクロイツェル・ソナタの女の人と3年もオーバーラップしてジワジワと心を占めるようになっていた、大切な女の人が現れるからだ。

 この人からどれだけ多くのものをもらったかは、言葉では書ききれない。でも、その人は、国から力を見込まれてサンフランシスコへ行ってしまった。

 気が狂うで済まされず、私は、完全に障害者になってしまった。ツイッターの写真は、実は証明写真で、良く撮れてはいるんだけど、キチガイ状態の写真なんだ。

 今回入院して、私の頭がはっきりして、まゆゆ、に、好かれている、と、勝手に妄想を持ちながらも、こうやって、自分の気持ちを少し分析できるようになってからの顔は、ブログのプロフィールのところのE.T.の写真をタッチして、ブログの説明を表示させ、さらに、その中段のユーザー名のところの私のペンネームにタッチすると、見ることが出来る。老けてしまっているが、これが現在の私である。


 気が狂った後も、何人もの女の人を好きになった。

 でも、正直言って、嫌いになった女の人はいない。

 そして、ここに敢えて書かなかったが、私を好きになってくれた女の人もいる。

 私は、そういう女の人のことも、大事に思っている。

 それは、私が、人を好きになるというのがどういうことか、分かっているから。

「好き?」

となると、

「いや、好きじゃない。」

と、なってしまうので、傷ついた女の人も多いだろうが、好きでなくても大事に思っている女の人は大勢いるのだ。

 そして、私の『大事』は、今の場合、

まゆゆ、の邪魔にならなければ、望めば何でもしてあげる用意がある。』

ということを意味するのだ。

 前も話したけど、昔好きだったというただそれだけのために、助けに行った、怪盗ルパンのように。


 さて、ここまでで、人は、一度好きになったら、ずっと好きなのだ、ということを実証してきたけど、これで、何を言いたいのか?


 今回の第6話で、亜紀が、三田君と、仲間を待つ場面。

「みんな来てくれるかな。」

という三田君に対し、

「来てくれますよ。きっと。私、信じてます。」

と言う時のあの目の輝き。あれを、まゆゆ、もう一回、見せなきゃ。


 時間が経過して、

「クッキー、サービスです。」

「ありがと。」

の後、好きだったら絶対、亜紀は、思わず、チラッと、三田君を見るはずだ。

 そうすれば、ほんの一瞬、目が輝くはずなのだ。

 目が輝くということは、顔も輝くことになるんだよ。

 そうすると、場合によっては、小幡さんのことを思い出し、顔が引きつるかも知れないけど、とにかく一回、顔が輝くはずなのだ。


 分かるでしょう。

 この場面の前には、亜紀の見る腕時計が、なぜか、まゆゆ、の顔よりも輝いているくらい、美しい。亜紀の三田君への思慕の念がそうさせたのではないかと、さりげないメッセージにも感じる。

 この腕時計は、三田君との思い出の腕時計だっけ?


 好きだったら、その人の方を見てしまうものだ。

 瞳の方向を、自由にコントロール出来る人間なんて、いない。

 女優が、瞳をある方向に動かしたかったら、その方向にあるものを、見るしかないんだよ。



 さあ、けなすのは、おしまい。

 公式ホームページでも読んだけど、AKB48の仕事もあるのに、ものすごく熱心にやってるみたいじゃない。

 今日のラスト近く、

「理子さんは、理子さんです。どんなことがあっても、私以上に、本を愛している、理子さんでいて欲しいんです。」

に至る、稲森いずみさんとの対決。

 第2話で、わらゆん、の前で、対決したときは、周りの照明を工夫したりして、効果を加えることも出来た。

 でも、今回は、明るい職場の、普通の照明の下。

 しかも、難しい注文を、いっぱい付けられているよね。

 まゆゆ、が、苦労したの分かるよ。

 だって、第2話でのような対決は、実話でも良く起こるケースだけど、今回のようなやり取りって現実問題で、起こるのかな?

 有り得ない芝居をしたというのでなく、ドラマでは必要だけど、現実にはないものを、やらなきゃならなかった、という難しさがあったと思う。

 少なくとも、現実には、あんなにしゃべれる人いないだろうからね。

 まゆゆ、苦労しただろうと、思うよ。お疲れ様。

 最後にささやかな、プレゼント。


 理子が、若い4人の机を見る場面。他の3人の電話が手の届きにくい場所にあるのに対し、亜紀の電話だけ、すぐ手に取れる場所にある。


 小さい努力、認めます。

 第7話。楽しみです。

 現在2015年5月21日9時24分である。おしまい。