現在2016年1月23日0時47分である。
昨日(1月22日)の21時から、フジテレビで、『大奥』というドラマがあった。
同じ時間に、日本テレビで、『魔女の宅急便』をやっていたから、普通だったらジブリ好きの私なら、『キキとジジ』を見ていただろう。
だが、読んでいる人は分かるように、渡辺麻友さんが、出演しているとあっては、私は、絶対フジテレビを見ることになる。
12月26日に、麻友さんが慌てて、「本日情報解禁しました。」とツイートしたのは、私が、先に情報を得て、女の人同士のすごい撮影があったというのを読んで、
渡辺麻友様。優れた数学者になるには未解決の難問に挑戦することです。同様に優れた女優になるには『ガラスの仮面』の『舞台荒らし』の節のように様々な役を実際演ずることです。『大奥』頑張ったじゃない。でも女優なら「RTのやつね」でなく「RTしたのね」だよ。!
とツイートしたからなのだった。
「RT(リツイート)のやつね」
なんて、綺麗な女の人が使ったら男の人ががっかりするような言葉を、一つ前のツイートに書いていたから、こんなツイートをしたのだった。
さて、麻友さんが、先月から予告していたこのドラマで呼び声が高かったのが、主演の沢尻エリカ(さわじり えりか)さんと麻友さんの『禁断の恋』だったのだが、私は、二人がキスするかどうか、気を揉ませるのだろうな、と思っていた。
ところが、麻友さんの取った態度は、最初、私を困らせた。
麻友さんが、色んな女の人達と、うっとりと見つめ合ったり、キスしかけたり、という写真をツイートし出したのだ。
挙げ句の果ては、後輩の矢吹奈子(やぶき なこ)さんに、
「麻友ちゃんからキスされたり、パンツの色教えてとか、パンツ見せてとか言われるんです」
なんて、言われたことを公開し、私は、しょうがないので、
渡辺麻友様。「早く奪わないとファーストキスしちゃうぞ」と挑発するの?
とツイートしなければならなかった。
麻友さんも、自分が、やり過ぎたことに気付き、それ以上は、私を、刺激しなかった。
だが、私は、あんなことをやった、麻友さんの真意を知りたかった。
『真意』というほど大げさでなくとも、何か理由があるのではないかと思っていた。
さて、ドラマが始まって、真ん中くらいから、麻友さんが現れた。
もちろん、二人が恋に落ちるのだが、どこまで二人が、濃厚なキスをするのか、麻友さんの演技も見ながら、待っていた。
というより、キスシーンが気になって、ちゃんと、演技が見られなかった。
理性的な、私でも、好きな女の人が、他の人とキスすれば、気になるのは、仕方のないことなんだよ。麻友さん!
二人のキスを見て、厳密に言うと、キスシーンは、3回くらいあるのだが、その3回目を見た瞬間、私は、
「あっ」
と、4ヶ月前のことを思い出した。
4ヶ月前、2015年の9月のことである。
9月19日には、麻友さんのコンサートが、あった。
ということは、私は、9月16日に、入院したのである。
あの、コンサートに行かせてもらえなかったときのことまで、日付が分かるのは、前にも話した、『麻友』のノートがあるからである。
入院するまで、私は、麻友さん達、AKB48が、コマーシャルをやっているので、
『アサヒワンダモーニングショット』
を、飲むようにしていた。
そもそも、麻友さんを好きになる前の、2007年4月頃、アルバイトで働いていた保谷から横浜に引っ越した頃から、向精神薬のために、眠くてたまらない私は、『ワンダモーニングショット』を飲むと、目が覚めるんだ、と言って、毎日のように飲んでいたのだった。
それが、本当であることは、私が、缶に張ってあった応募のシールをはがし、インターネットをつないで、オンラインで、AKB48のメンバーが入っている樽にナイフを刺す、というゲームをかなりやったことで分かる。
本当に、何度もやった証拠に、私はとうとう、メンバーを救い出し、QUOカードをもらったのである。
今、そのQUOカードを見てみると、5人のメンバーが写っている中央に、麻友さんが、笑顔を浮かべている。
私は、以前は、AKB48のファンではなかったので、作業所のメンバーが、
「AKB48のファンなんです。」
と言ったとき、そのカードをあげようかと思ったほどであった。だが、
「どんな歌が好きなの?」
と聞いたら、そのメンバーの人が、
「『恋するフォーチュンクッキー』しか知りません。」
と言ったので、あげなかったのである。
私は、ファンではなかったが、
『桜の花びらたち』
と、
『スカート、ひらり』
の2曲、知っていたから、
「1曲しか知らないで、ファンなんて言うなよ。」
という感じだったのである。
でも、あのとき、カードをあげてしまわなくて、良かった。
本当に、めぐり合わせってあるんだね。
さて、その大好きだったワンダモーニングショットを、入院中も飲もうと思ったのだが、入院したその晩、みんなとテレヴィを見ていたら、いきなり、
『WONDA』
の文字の後、麻友さんが現れて、
『アサヒワンダエクストラショット』
のコマーシャルをやったのだ。
渡辺麻友さんのコマーシャルwww.youtube.com
次のリンクの「カッコイイ、お父さんが好き!」というのは、麻友さんのお父さまに実現させてあげようと思っている。
こういうのもあったが、実際に放送されたかどうか、分からない。
この「カッコイイ、お父さんが好き!」のCMは、削除されてしまった。(2019年3月24日21時11分現在)
ところで、このコマーシャルを見て、
「あっ、しまった。」
と、私は思った。
実は、入院する前日、私は、入院したときの備えの他に、麻友さんのために、もう一つメッセージを送っていたのだ。
渡辺麻友様。はっきり言うけどアサヒワンダモーニングショットが危ない。『UTAGE!』の直後の缶コーヒー「BOSS」のコマーシャル見た?中島みゆきの『時代』を聴き落とすくらい面白いコマーシャルだ。見返していて「時代」という文字を見るまで気付かなかった。
これも、ツイッターで送ったのだが、何を意味しているか、説明がいるだろう。
私は、入院する前日、TBSで、昔あった、『UTAGE!』という番組を見たのだ。
それが、終わった直後、
「この惑星の若者は、同じパターンを、繰り返している。」
というナレーションが流れる。
寿司屋の息子が、家を飛び出していく場面である。
そして、息子は修行を積む。
褒められて、涙を流している息子を見ながら、宇宙人がつぶやく。
「ただ、この惑星の住人は、いつも同じところを回っている。」
まだ、リンクが切れてなかったら、これで、見られる。
私が、このコマーシャルを見ていて慌てたのは、麻友さんへのツイートにもあるように、中島みゆきの『時代』が、バックにかかっているにもかかわらず、コマーシャルが面白くて、気付かないことである。
そんな、バックグラウンドミュージックくらい、と言うだろうか。
それは、私を知らないからだ。
今でこそ、AKB48のファンで、去年買ったCDも、『僕たちは戦わない』,『出逢いの続き』,『1830m』の3枚だけ、という状態だが、それまで、暮れの私の楽しみは、毎年発売される、中島みゆきのCDだった。
私は、ファンのCDを中古で買う、なんてことをしない人間である。
あの前橋汀子さんも、中古を買ったのは、どうしても売らなくなったCD1枚だけで、後14種類くらいは、全部、新品だった。
中島みゆきは、30枚以上持っていたが、全部、新品。他に、DVDも3枚くらい持っていた。
『時代』なんて一言で片付けて欲しくないねぇ。『Singles』に入っているの、『Singles2』に入っているの、『私の声が聞こえますか』に入っているの、『十二単』に入っているの、おまけのDVDに入っているの、ちょっと数えただけで、5パターンもの『時代』を思い付く。
それだけではない。私は、『時代』の絵本まで持っているのだ。
それだけ、『時代』を評価していながら、
「中島みゆきは、『時代』より、『誕生』の方が、ずっといいよね。」
なんて、憎まれ口を叩いたりするほどの、ものすごい中島みゆきのファンなのだ。
中島みゆきの声だったら、すぐ分かるはずだった。
それなのに、
「あのコマーシャル、面白かったなあ。」
と言って、見返すまで、しかも、
『時代』
の文字を見るまで、気付かなかったなんて。
どれだけ、面白いコマーシャルなんだ!
どこが、面白いかって?
「この惑星の住人は、いつも同じところを、回っている。」
に、ひっかけたところじゃん。
要するに、
「地球は、いつも同じ軌道で、延々太陽の周りを回っている。」
と、あの宇宙人ジョーンズが、気付いた、ってところに、ひっかけてるんじゃん。
その面白さも冷めやらぬところに、『BOSS』の文字が出てくれば、
「ちょっと、あの缶コーヒー、買ってみないか。」
ということになる。
あれが、ワンダモーニングショットのコマーシャルだったら、まだ良かった。
なぜ、ライバル会社のコマーシャルなんだ。
私は、麻友さん達、AKB48も、対抗する面白いコマーシャルを、繰り出さないと、危ないよ、と言ったわけである。
そのメッセージが、届くか届かないかに、AKB48ではなく、麻友さんが、思いっきり一人で、缶コーヒーのコマーシャルを、買って出るなんて・・・。
それが、
「あっ、しまった。」
だったわけである。
私は、翌日、10時になって、付き添い付きなら外出できる時間になると、まず、5階の売店に行った。
冷たい麻友さんはいたが、温かい麻友さんはいなかった。
それで、店員の人に、
「これは、新商品で、売れるはずだから、保温器にも入れておいて下さい。」
と、お願いして、1階に降りた。
下の売店には、温かい麻友さんがいた。
「1日1本が限度だな。」
などと思いながら、それを持ってレジへ行き、
「この缶コーヒーは、今日、何本、売れたか、分かりませんか。」
と、聞いた。
「ちょっと、分かりませんねぇ。新しい商品で、何本か売れているようですが。」
と言われたので、
「最初だけでなく、ずっと売れて欲しいんだけど。」
と思いながら、買ってきた。
普通の人から見たら、あの大きい病院で、缶コーヒー1本、買うために、看護婦さんが一人、ずっとお供をしなければならないなんて、なんて不経済な、と思うだろうが、私は、刑務所にいるのと同じ身分なのだ。
こういうのを見ると、気違いなんて言うものは、気違いになったままにしておかないで、ちゃんと健常者に戻した方が、よっぽど社会のためだというのに納得するだろう。
私は、正直に言うと、自分の体を、献体したつもりになっているのだ。
私の健康保険証の裏は、
1.私は、脳死の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
の数字の1に、まるがつけてあって、さらに、
心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球・その他(すべて)
の全部の臓器にマジックでまるが付けてあって、さらに、「その他」にも、まるを付けて、「すべて」と、書き込んであるのだ。
ここまででも、普通の人は、やりたがらないのに、私のには次がある。
2.私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
の数字の2に、まるが付けてあって、さらに、
腎臓・膵臓・眼球・その他(すべて)
の全部の臓器にマジックでまるが付けてあって、やはり「すべて」と書き込んでいるのだ。
何を言いたいのか、もう分かっているだろう。
そうなのだ。
私は、死んでなくても、私の体を、統合失調症の治療のための、実験台として、使っていいよ、と宣言しているのである。
ただ、これは、普通の人にとっては、ものすごく勇気のいることなのだろう。
それが分かるのは、私が、上の『献体』の文字を打った瞬間、昨年の誕生日の翌日(2015年12月3日)ファミリーマートで、余りに輝いていたので1回だけ買った、麻友さんが表紙に大きく写っている『週刊少年マガジン』が、机から落っこちてしまったからだ。
なぜ、そこに置いてあったかというと、外から帰ってきたとき、
「麻友さん、ただいま。」
と言えるように、置いてあったのである。
ただ、机が揺れて偶然落ちたんじゃない?
という質問は、その後の私の行動で、打ち消される。
落ちてしまった麻友さんを拾い上げた私は、
「ちょっと、恐かった?」
と、話しかけたのだ。
そんな、虫の知らせみたいなこと、本当にあるんですか?
などと、ある程度、経験を積んだ人は、聞かないだろう。
麻友さんと私くらいになると、お互いの意思疎通が、こういう具合に進むのである。
これを、私は病院で、看護婦さんに次のように説明した。
「麻友さんと私は、メールをやり取りするように、愛情をやり取りできるんです。どういうことかというと、一方が想いが高ぶってしまってどうしようもないほどになっても、それを、メールで送るように、いつでも好きなとき開封して下さいといって送るみたいなことができるんです。麻友さんの方が、どうしても伝えたいことがあると、私に邪魔にならないように分かるんです。そういう関係なんです。」
先ほどの雑誌が落ちたのなんて、麻友さんが、私を心配していたことの表れだろう。
まあ、重要なことだから、きちんと書いておこう。
私は、統合失調症など、私の味わった病気に関し、生きているうちから、危険だが効果を見込める治療のための実験に、私の身体・脳・心を使うことに同意します。
ここで、『心』も使って良いと書いたところが、重要である。
普通の人は、体を使うのには同意しても、こころの中まで詮索されるなんて・・・と、思いがちだ。
だが、私は、その最後の砦も、明け渡すと言っているのだ。
なぜかというと、そこまで、踏み込まないと、統合失調症は、治らないと思うから。
『心』まで、立ち入るって、どういうこと?
という人には、私の今までの21年間をあげるだけで良い。
私は、ずっと薬で、半分、眠らされ、心をされるがままに扱われていたのだ。
あのときより、悪くはなるまい。
私はそう思って、心まで、明け渡したのである。
ここまで書いてきて、麻友さんが、私に、この献体の一文を書かせたのだなあ、と思う。
元に戻って、缶コーヒーを買ってきた私は、
「早く飲まないと、冷めちゃいますよ。」
などと言われたりしながら、温もりを楽しんだ後、
「コマーシャルが、悪くても、味が良ければ、売れるから。」
などと思いつつ、アサヒの缶コーヒーには、
「開缶前によく振ってください。」
と書いてあるので、よく振ってから、開けて、口に運んだ。
「モーニングショットより、甘さ控えめだけど、よく振って飲むと甘い。糖類0gと書いてあるけど完璧に0なはずがない。むしろ、本当のグラム数を書いた方が売れる。」
これと、ほぼ同文が、私の『麻友5』のノートの260ページにあり、
「2015年9月17日11時23分26秒のアイディア」
と、秒まで書いてある。
麻友さんの宣伝している商品が、少しでも売れたら、と心を砕いているのである。
私は、その後も考え続けた。
14時58分頃、母が面会に来てくれる。
「渡辺麻友さんと、結婚なんて、有り得ないから。」
と、母は、言っていたが、私は、とりあえず様子を見ていた。
ノートは、全部、記録している。
「1mol(いちモル)の正確な定義を与え、糖類の量を±10の21乗くらいの誤差をつけてmol単位で書く。」
これは、
「2015年9月17日17時7分35秒のアイディア」
と、やはり秒まで書いてある。
実をいうと、このアイディアは、麻友さんには、もう話してある。
退院した後、ツイートしたのだ。
だが、麻友さんには、私が、こうして、アイディアを得ていったのだとは、話してなかったので、面白いのではないかと思った。
麻友さんは、もらっていくだけではない。必ず、何らかのものをくれる。
この日は、
「すべてのものを、素粒子の個数を数えることで量れる。」
と、麻友さんの糖分を厳密に測ることを物理学に応用している。
「2015年9月17日18時33分23秒のアイディア」
と時間もはっきりしている。
こういう正常な人間性の発露の反面、261ページには、
「熱交換器からの湯気の出る位置が、2つの窓でズレているように見える。2015年9月17日17時28分46秒」
とある。
これは、並んで取り付けられている、2つの窓の、外の景色が、違っている、と言いだしたときのものである。
もちろん本当に、湯気が、右側は2つ、左側は3つ、というように出ていたので、明らかに、違うのだが、精神科病棟のガラス窓なんて、スクリーンの可能性もあって、本当のことなんて、全然、患者には分からない。
でも、私が、そういうことを気にすることを、お医者さんは、減らそうとしていたようだった。
私が、そういうことにいちいちこだわるから、病気が良くならない、というようなことを、お医者さんも、母も、親友も、言っていた。
私としても、どうしたらいいのか、良く分からなかったのだ。
なんとか、私に、麻友さんを忘れさせようとしているのではないかと思って、それは、困る、と行動していたのだ。
262ページには、
「2015年9月17日20時19分」
として、
「努力せずに納得できる人などいない。」
「人間は死なないと分かっている世界で、人々が苦しまないように、生きる上での道しるべを作ってあげるには、どうしたらいいのか。」
「お金が欲しい人には、お金をあげるよ。」
「渡辺麻友さんが欲しいという人には、完全に近いが、心の素粒子だけが異なるコピーを作ってあげるよ。渡辺麻友さんの心まで欲しいという人には、麻友さん自身を、麻友さんが耐えられるまで、一時、身近に行かせてあげるよ。」
と、書いている。
私にとって、麻友さんという人が、どれほど大切な人か、ということである。
この文章を、普通に読んではいけないのだ。
普通の人が、普通の常識で考えたら、大切な麻友さんなら、守ろうとするだろう。
だが、この入院の間中、私は、
『人間は、絶対、死なない。』
と、思い込んでいた。
人生が、80年なら、大好きな麻友さんと過ごそう、というのが、常識だろう。
だが、私にとって、人生は、無限の長さがあった。
その世界で、魅力的な麻友さんを好きになった場合、何を望むか。
やっぱり、私にとって、麻友さんは、人生で初めて出会った、共に人生を歩みたい人だった。
だとしたら、麻友さんと、永遠に、過ごす方を選ぶ。
何を選ぶのか?
こういうことである。
麻友さんのファンの人が、
「3日間、まゆゆを貸してくれ。」
と言ったとき、断れるか?
「あなたは、無限に長い時間、まゆゆを独占できるんだから、いいじゃないですか。僕は、たった3日間だけ、まゆゆと遊びたいんです。」
と言われて、
「3日間でも、だめ。」
なんて、そんなことを言うのは、あなたが、数学が不得意で、無限ということの意味が分かっていないからだ。
あるいは、誠実なファンもいるかも知れない。
「まゆゆを、70年間、貸して下さい。」
人間だったら、普通、断るね。70年なんて。
でも、あのときの私の頭では、人間は、死なないものだった。
だから、
「僕は、70年間だけでいいです。どうぞ太郎さんは、まゆゆと永遠にお過ごし下さい。」
と言われたら、どうしよう、ということで、
「渡辺麻友さんの心まで欲しいという人には、麻友さん自身を、麻友さんが耐えられるまで、一時、身近に行かせてあげるよ。」
という発想が、生まれるのである。
あなたも、人生が無限だと・・・思い込めないんだろうなあ。
でも、もしあなたの人生が無限なら、あなたの連れ合いは、その無限の間、一緒にいたい人でしょうか?
少なくとも、麻友さんは、私に取って、そういう人なのです。
だから、こんなに、一所懸命になっているのです。
その晩寝て、翌日(9月18日)には、5階の売店を見に行った。
「保温器に入れて下さってありがとうございます。」
と言って、
「今日、この缶コーヒーは、何本売れましたか。」
と聞くと、また、
「ちょっと、何本かまでは、分かりません。朝なので、5階ではまだ売れてないかも知れません。」
という曖昧な反応で、大丈夫かなあ、などと思いながら、病棟に戻った。
私の頭は、働いていて、次の文章もある。
「科学教育とは、
最初から実験するなどということをせず、理論的に正しいか正しくないか、又はそのどちらでもないかなど、考えられ有るすべての項目を洗い出し、それを検討し、自分なりの漸定的な解答を出し、その上で他人に聞いたり、文献を調べたりして、その解答を検証し、本当に心の中に一点も迷いがなくなるところまで、安全を確かめてからでなければ、絶対に危険なことをしない。
そして、なるべくなら、その危険なことをせずに済む方法を考え続け、危険がより少ない方法が見つかったら、他の危険が増さない限り、あらゆる犠牲を払ってでも新しい方法に切り替え、最終的には、危険な方法を使わないようにする。
どんな時も、危険に対し、そういう姿勢を取れるように、すべての人の科学的意識を高め、訓練することが、大切な理念の一つとしてあるもの。
それが、科学教育である。」
これは、2015年9月18日15時40分と時間がある。
上の文章を読んだ人は気付いただろうが、漢字を2つ間違えている。
×考えられ有る
○考えられ得る(かんがえられうる)
×漸定的
○暫定的(ざんていてき)
これは、入院の最初のうち、辞書すら持ち込めなかったために、起こったことで、当時私が、
『人間は、絶対死なない。』
と思い込んだとしても、補正しようがなかったことを端的に表している。
さて、劇的な瞬間は、近付いている。
285ページで、科学教育の次に性教育について、書いている。
「中学生くらいの子供が、性に目覚めたとき、自慰をプライベートなことなのよ。と教えるのは、間違っている。恥ずかしいという人間的な感情は、もっと別な形で教えられる。」
「私にとってやっぱり人生で一番恥ずかしかったのは、選挙でひらがなの候補に投票したことである。」
私は、他の人の方法を、批判したら、必ず代替案を提示する。
286ページに、私なりにユニークなことを、書いている。
「将来、大好きな麻友と、服を脱いで触れ合うとき、恐らくお互い恥ずかしい、という感情を持つだろうな、と感じている。
そういう感情自体は持って良いと思う。その感情の延長に、あの大好きな人とこの感情を共有できた。という喜びがあるから。
ただそのとき、その喜びとともに、何か後ろめたいような感情を抱え込むのはいやだ。
誰かを犠牲にして、自分達が喜びを得ているという感情が、み塵でもあると、楽しめない。
人が、死なないということが分かった今、気にしなければいけないのは、麻友と私を恋愛を初めあらゆることをするときのお手本にしてしまっている人達を、自分で自分の歓びを作れる、まともな大人にすることである。
そのために、私と麻友が、ものすごく恥ずかしくても皆に中継させながら、満天の星空の下、本当に愛し合っている男の人と女の人だったら、どのように初体験するのかを一切隠さず見せるしかないだろう。」
これを、書き終わったのが、
「2015.9.18 21:53」
と、刻印されている。
これを書き終わって、私は、22時に、寝るために、ディルームから、病室に戻ろうとした。
手には、2日間、どこにいくのでも、持ち歩いていた、『ワンダエクストラショット』の缶が2個、握られていた。
「3個は、持てないな、そろそろ、捨て始めないと・・・」
「でも、これ、麻友さんだよな。」
迷った私は、とっさの思いつきで、フッとキスして、それをそのまま、ゴミ箱に放り込んだ。
一瞬だったが、私は、慌ててテーブルに戻り、メモを書いた。
翌朝、看護婦さんと、1階の売店に行くために、エレヴェーターに乗りながら、私は、話した。
「キスにも、色んなキスがあるんですね。」
「そうなんですか?」
「昨日の晩、やってみて初めて分かったんです。」
看護婦さんは、
「あれーっ、松田さんが、患者同士でキスできるとは思えないから、妄想かな?」
と思っただろうが、私は、あの時、初めて、
「恋人とサヨナラするときの、軽いタッチも1つだし、それ以外にも、様々なキスが有り得るのだ。」
と、悟ったのだった。2015年9月18日21時56分7秒と、今でもメモが残っている。
昨日、麻友さんの沢尻エリカさんとのキスを3つ見て、
「あっ」
と気付いたのは、
「麻友さんが、暮れから、様々なキスをしていたのは、
『太郎さん。キスには色んなキスがあるんです。太郎さんとのキスは、どんなときでも、ファーストキスなんです。私をそう好いて下さい。』
と言うためだったのだ。」
ということだった。
麻友さん。
安心して、女優になっていいですよ。
でも、必ず戻ってきて下さいね。
って、どうよ。この気違い数学者。映画の主人公に、なれない?
麻友さん。疲れたから、もう寝るね。
というか、恋文って、10時間書いてても、ほとんど疲れないんだよね。
おやすみ。
現在2016年1月23日11時07分である。おしまい。