相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

醍醐味?

 現在2018年5月20日18時01分である。

 読んでいる人に分かるよう、ちょっと状況を説明しておく。

 5月18日に、渡辺麻友さんの『アメリ』というミュージカルが封切られ、私は、初日を見に行ってきた。

 その時のことを書いたのが、前回の『ツェノンのパラドックス?』という投稿である。

 『アメリ』の中で、ギリシャのツェノン(紀元前495~425)の有名な『アキレスとカメ』のパラドックスが、使われ、物語の肝心な部分で、それが生かされていた。

 自分が入院してしまったことから、ミュージカルの原作の映画を、麻友さんに見ないで欲しいと言われたと感じた私は、映画を観ていなかった。

 映画を観てはいなかったのだが、私には、数学好きの私のために、麻友さんがツェノンのパラドックスを、盛り込んでくれたように感じた。

 わざわざ、私のために、そんなことまでしてくれるなんて、麻友さんは、私のことを好きなのだ。

 でも、それを知って、周りをめちゃめちゃにする私ではない。


 ミュージカルから帰ってきて、思っている通りをブログに書き、URLを麻友さんのツイッターにツイートして眠った。

 朝5時から目覚めていたし、強い睡眠薬を飲んだので、ぐっすり眠った。


 翌日14時にやっと起きた私は、駅前のTSUTAYAへ行き、『アメリ』の映画を借りてきた。

 ミュージカルが封切られた翌日なのに、『アメリ』のDVDが、3本あるうちの1本しか借りられていないというのは、前日の劇場で、空席が残っていたことと合わせて、ちょっと気がかりではあったが、確率1000万分の1が、少しでも下がるのなら、いいでしょう、と、前向きに考えた。

 家に帰り、DVDを観た。

 果たして、ツェノンのパラドックスは、あったか?

 なかったのである。

 『アメリ』の映画に、数学の話など、出てこなかったのだ。

 映画を観ていて、

『麻友さんは、私に意思表示してくれたんだな』

と、感じた。

 私は、映画が終わるとすぐ、翌日(つまり今日)麻友さんの舞台があるかどうか、インターネットで、調べた。

 舞台は、あった。

 だとすると、その日の晩、会ったりは、できない。

 いくらなんでも、麻友さんが、疲れすぎる。

 だが、こういうとき、麻友さんと私は、勝手にひとりで判断したりしないのだ。

 私は、麻友さんのツイッターに、次のようにツイートした。


2018年5月19日22時5分の麻友さんへのツイート

渡辺麻友様。映画の『アメリ』借りてきてみたよ。最初に麻友さんのアメリを見て良かった。私にとって麻友さんがアメリだもの。ツェノンのパラドックスは、麻友さんたちの脚色なんだね。気持ちに気付いたのだから普通の恋人たちならすぐにも会おうとするだろう。私達はどうする?



 私が、ツイートしても、いつもはすぐには返事をくれない麻友さんが、5分後、


2018年5月19日22時10分の麻友さんからのツイート

#アメリ 2日目夜公演!
お越し頂き誠にありがとうございました!明日もお待ちしております。
余ってしまった初日祝いを一人で食す。

f:id:PASTORALE:20180520185029j:plain



と、返事をくれた。

 私は、

『どうしたものか?』

と、感じた。

『寂しいでしょ。一緒に食べたいな』

と、返事して良いものだろうか?

 一瞬迷っているうちに、3分後に、麻友さんから、



2018年5月19日22時13分の麻友さんからのツイート

あ〜悔しい。明日も頑張ろう!!!おやすみなさい。


と、ツイートしてきた。

『今日、会うのは、諦めたのか。おやすみなさい、と言ってるのだから、寝たいんだな』

と思って、私も、眠ってしまった。


 しかし、実際には、麻友さんは、まだ待っていたのだ。


2018年5月19日22時19分の麻友さんからのツイート

ほんと生きてて悔しい事しかないけどそれが人生の醍醐味なのかなと思う。


と、6分後にツイートしてくれてたのだ。



 さて、ここまでが、昨日までの状況説明。

 ここからは、読者も、私と一緒に進むことになる。

「ちょっと、どうして、こんなに、だらだらと、状況説明してるの?」

 麻友さん自身も、私の気持ちが、分かってなかったんじゃないかな、と思って。

「分かってなかった部分もあるけど」

「ところで、『醍醐味?』っていう題は?」

 うん。麻友さんを、半分褒めて、半分叱咤激励しようと思って。

「私の、ツイートね」

 麻友さんが、上のツイートで、『それが人生の醍醐味なのかなと思う』と、『醍醐味』という言葉を使っている。

 語彙としては、レヴェルの高いものだから、語彙力アップしたじゃん、と褒めてあげても良い。

「太郎さんは、そんなに甘くないのね」

 これは、人によって、正解が分かれるかも知れないけど、まず言っておきたいことは、

『ここで、こういうふうにして、『醍醐味』という言葉を使ったことを覚えておいて、今後、もっと良い言葉はなかったかな? と、考え続けて欲しい』

ということ。

「えっ、どう悪いの?」

 それは、丁寧に説明してあげよう。

 まず、

『それが人生の醍醐味なのかなと思う』

という日本語自体は、完璧なんだ。

 これは、百点だよ。

「じゃあ、何が悪いの?」

 麻友さんの言っている、『それが』の内容だよ。

「えっ、指示語の問題?」

 指示語じゃなくて、麻友さんの『それが』が表すのは、

『生きてて悔しいことしかない』

でしょ。

「そうだけど。そうだとどうなるの?」

 麻友さんさあ、『生きてて悔しいことしかない』って、嬉しいことかな、がっかりなことかな?

「そりゃ、普通は、がっかりなことよ」

「でも、必ずしもがっかりじゃないのかな? って、言ってるんじゃない」

 そうだよね。

 麻友さんが、そう思って書いてるから、人によって正解が分かれるかも知れないけど、と断ったんだけどね。

「えっ、何を言ってるの?」

 つまりね、日本語として読んだ場合、『醍醐味』という言葉は、ものすごく良いことについて、言うんだ。

 だからね、一気に言っちゃうと、『生きてて悔しいことしかない』というものすごいマイナスイメージのものと、『醍醐味』というプラスばっかりの言葉が、うまくしっくりかみ合わない気がすると思うということなんだ。

「えっ、でも、私、太郎さんに言われて、辞書調べたのよ。『醍醐味』という言葉に、4番目の意味として、『ものごとのほんとうのおもしろさ』という意味があるのよ」

 うん。私も、調べた上で、麻友さんにこの話を始めたんだ。

「太郎さんは、人を非難する場合は、必ず対案を持っているはずよね。この場合、どうすればいいの?」

 麻友さんに話す行きがかり上、一応、対案は考えた。

 こういうものだ。ただし、これは、辞書に載っている、模範解答ではない。


ほんと生きてて悔しい事しかないけどそれが人生のわびさびなのかなと思う。


「『人生のわびさび』『人生の醍醐味』うーん」

 麻友さんなら、このふたつの言葉の持つ、それぞれの居場所の違いのようなものが、分かるのでは、ないだろうか?

「私にも言わせて、太郎さん、今日のこの話は、まず第一に楽しめた。そのことを、言っておこう」


 麻友さん。本当は、麻友さんの周りの人達、私のこと、知ってるんだろ。

 そうじゃなきゃ、あんなに、上手に、数学を取り込めないだろ。

「ウフフ」

 でも、密会しているところを、写真に撮られて、なんて、麻友さんらしくないことは、したくないよね。

 例えば、明日は、舞台はないけど、堂々と二人が会いたかったら、どうすればいいんだろう?

 私、芸能界のことって、『ガラスの仮面』で読んだことくらいしか、知識ないんだ。

 そういうことは、麻友さんにリードしてもらわないと、お手上げなんだよ。

「日本語の使い方を、講義できる人が、日本で女の人と会うこともできないなんて」

 冗談じゃなく、本当に、方向感覚はいいけど、どうしようもないんだよ。

「ちょっと、方法を考えてあげるわ。慌てないでね」

 自分の不得意なことは、相手を信じるのも、大切だね。

 おやすみ。

「おやすみ」

 現在2018年5月20日20時21分である。おしまい。