現在2008年10月28日21時03分である。
私が、就労移行支援の施設、ねくすと、というところに通っていることは、これまでにも書いてきた。今日は、そこヘ、やはりそういう施設のスタッフになるための資格を取るための実習を受けに来た人と話したことを、少し書いてみたい。
その実習生の人は、もう会社を退職して、ある意味老後という生活に入っているのだが、まだ、社会に貢献できることがあったら、そういうことに触れている方が、自分の人生も生き生きとしたものになってよい、という思いから、資格を目指している人で、もう60歳を過ぎた方であった。
その人が、私が、偶然友達の前で、杜甫(とほ)の「春望(しゅんばう)」を暗唱したら、それに反応たので、
「漢詩がお好きなのですか?」
などという話から、漢詩のリズムのようなもののある、小野不由美(おの ふゆみ)という人の書いた「十二国記(じゅうにこっき)」という一連の本を紹介してもらって、私は、もう少しこの人から学べることがあるのではないか、と思って、ねくすとの終わりの16時まで、しゃべってきたのだった。
その人と話題にしたのは、次のようなことであった。
まず、私が、
「このねくすと、というところは、スタッフ全員の士気が信じられないほど高いですよね。」
などと話したところ、その人も、その通りだと思います、と言った後、
「ただ、ここのスタッフの方の中には、小さいお子さんもいるお母さんの人もいて、こんな、ハードな仕事をしていて、それのしわ寄せが、家庭の方に及んでいないと良いのですけどね。」
という、鋭い指摘をしてくれた。
これは、私は今まで考えたことがなかったことなのだが、そう言われてみれば確かにそうである。あれだけ、朝から、夕方遅くまで、ハードな仕事をしながら、子供も育てなければいけない、という、主婦も兼ねている女性のスタッフが、少なからずいるのである。
こちらが、精神の障害を持っているので、スタッフの方が、私達に、悩みや弱い部分を見せることは、絶対に出来ない。そういう意味で、普通のOL以上に、精神的負担は重いのは確かだ。
本当に、他の人の役に立っているんだ、という、立派な志を強く持っているから、続けられているような部分もあると思う。
この視点を得られただけでも、私としては、満足であった。
だが、その人とはそれ以外にも色々な話をした。
例えば、ねくすとというところは、現在、基本的に8人のスタッフで運営されているのだが、あの士気の高さを維持できているのは、これくらいの規模で、行っているからかも知れないという話もした。
その人は、ご自分のサラリーマン時代の会社での経験も踏まえて、工場などでも、管理する人が、15人を越えると、段々と、違う意見の人なども入ってきて、上手く機能しなくなり出すのだ、という話をしてくださった。
そして、ねくすとというところが、これからさらに認知されて、社会で認められても、これ以上、規模を大きくしない方が、良いのではないか、という点で意見が一致した。
こういう話は、数学の得意な私には、この世界は、正規分布に従っているので、母集団が増えると、確実にはずれの方にも点が現れてくるものだ、というように、理解できるものである。
数学の苦手な人は、こういうところは、読み飛ばして良いのだが、科学的見地からは、こういうところは、ある意味、当然の結果として、把握できるのである。
まあ、今は数学の話は取りあえずスルーして、話を先に進めよう。
ねくすと、をこれ以上拡大できないとなると、こういう小さい施設を、いくつも作るのがよいということになる。
だが、ここにも落とし穴があって、こういう施設がいくつも出来てくると、その中には、良い施設と、余り良くない施設というものが出来てきてしまうのだ。
多くの人が集まったとき、色々な人がいるというのが、この世界を面白くしているのであり、それが人間の魅力でもあるのだから、これはある意味、良いことでもある。
だが、数が多くなると、必ず、良いものと良くないものが、混じってしまうというのは、この世界の本質に根ざした問題なのである。
ねくすと、というところが、これからも、社会の荒波に揉まれながらも、当初志したところを貫いて、立派な活動を続けて行かれることを、私としては、祈願したい。
就労移行支援の施設、ねくすと、というところの発信している情報の一つとして、私の記事も、何かの意味を持つのではないかと思い、この投稿をした次第である。
今日はここまで。私の話に付き合ってくださった、実習生の方、ありがとうございました。
実は、昨日この投稿を書いたのであるが、ライブドアブログのマシントラブルで、掲載が、今晩にずれ込んでしまった。
投稿開始と投稿終了がこんなにも時間がずれているのはそのためである。
現在2008年10月30日0時13分である。おしまい。