現在2015年3月5日0時41分である。
私が、大学に入ったとき、理学部にトップで合格した人を、私は知っていた。
お互いに、広中平祐さんの数理の翼という夏期セミナーに参加した人達で作る、湧源クラブという集まりの、メンバーだったからだ。
そのメンバー達で話していたとき、1つの数列の収束先を求める問題があった。
それを見た、あの、分子生物学の女の人が、
「これ、北上田君が解きたがるような、問題じゃない。」
と言った。
それを聞いた私は、
「あの人、私にライバル心を持たせようとしてるんじゃないかなあ。」
と、勝手に妄想した。
これが、妄想だったか、本当のことだったかは、今となっては、あの人に聞くしか、方法がない。
ところで、その北上田敦(きたうえだ あつし)君という人は、本当に優秀で、次の本に載っているほどである。
数学の天才児ができた!―数学オリンピックに出場した高校生6人の母親に訊く
- 作者: 三石由起子
- 出版社/メーカー: 蔵書房
- 発売日: 1995/05
- メディア: 単行本
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私は数学と物理学、北上田君は数学を分子生物学に応用するんだと言っていたので、研究者としては、ライバルだったが、直接競争することには、ならなかった。
私の方では、1回生の時、3回行われた全部の数学の試験で、100点満点を取ったという、望月君という秀才もライバルだったので、北上田君に悪い印象は持ちようがなかった。
分子生物学の女の人の研究していることを知ろうとして、3回生になってから、初めて分子生物学の授業に出るようになり、ある実習で、その頃やっと萌芽がみられたパソコン通信というものの授業で、北上田君の隣に座って、パソコンで、初めて、
「S.Ishida」
と検索した時、
「そんなの出てくるわけない。」
と、北上田君に言われた。私は、
「北上田君は、何か入ってる?」
と尋ねた。
私は、まだその頃何も知らなかったので、イスラエルの夏期セミナーなどへ行っている人達なら、もう論文を書いているだろう、と思っていたのだった。
そんな恋をしている私を、北上田君は温かく見守ってくれた。
分子生物学の授業で、アンチコドンというものは、そこだけくびれたように、持ち上がるのです、と、教わると、
「制限酵素が働くとき、アンチコドンの部分に働きますが、今のようにめくれあがって、そこに働く、というようなことが、あるのですか?」
と私は、質問した。
それを聞いていた、北上田君は、
「『おお、専門用語使ってる!』と、思った。」
と、後で湧源クラブのメンバーで集まったとき言った。
私は、分子生物学のプロになろうと思って勉強している、北上田君にとって、私が考える程度のことは、簡単に分かっているだろうから、私を喜ばすために、言っているのだろうな、と思ったのを覚えている。
結局、北上田君の温かい見守りもむなしく、私は、失恋した。
そして、その失恋の時の脳へのダメージのために、気が狂ってしまった。
1994年の夏、私は、精神分裂病になって戻ってきた。
その年の暮れに、北上田君がガンだという連絡があった。
北上田君に、当時はまだ珍しい、ノートパソコンというものを贈ろうといって、寄付を集めていた。
私は、
「みんなに、おかしな人間になったと思われるようなことを、いっぱいしてしまいましたが、精神分裂病という病気にかかっていることが分かりました。いつも、そばにいて、親切にしてくれて、ありがとう。君が、ガンだと知って悲しいです。気が狂ってしまったのですから、僕が代わりになってあげたいです。」
と、手紙に書いた。
だが、母が、
「オウム真理教とか、おかしなものがいっぱいあるから、気が狂ったことは、書かない方がいい。」
と言って、ほとんど削除してしまった。
結局、
「僕が代わりになってあげたいです。」
というだけの、説得力のない手紙が行った。
おばあちゃんからもらった、お誕生日の1万円があったので、5,000円を寄付した。
メンバーの中から200人以上寄付があり、200万円集まった。
ノートパソコンを買って病床の北上田君に届けた。
「これがないと、書けないからねえ。」
と北上田君が言った。
と、報告があった。
私の母にとっては、自分の息子も、大学を中退するような大病になっているのに、1円も寄付が集まらず、一方で、北上田君の方は、みんなに大事にされて、という思いが、なくはなかっただろう。
だが、母は、間違えている。
北上田君は死んだのだ。
北上田君のお母さまは、どうやったって、もう会えないのだ。
それに対し、お母さんの息子は、生きているのだ。
現にあれから21年たった今でも、こうして、しゃべれているじゃないか。
北上田君のお母さまは、その後、寄付をしてくれた人全員に、親のエゴですが、と言いながら、北上田君の写真を印刷した、テレホンカードを送ってきた。
私は、あるときから、それをいつも財布の中に、入れておくようになった。
おまもり、というほど効果はないかも知れないけど、時々眺めては、
「僕は、今も、君が研究者を目指していたように、研究者を目指し続けているよ。」
と、話しかけているのだ。
ずっと、財布に入れているので、カード同士がこすれあって、かなりはげちょろけになっているが、今でも、北上田君の顔を確認できる。
いつも私の話題に登場する、怪盗ルパンの「結婚指輪」という話の最後のルパンの台詞は、永遠の真理だと思う。
「彼女が、怪盗の私に挨拶するのは、昔好きだったからでも、助けてもらったからでもない、私が彼女の息子を取り戻してあげたからだよ。」
息子や娘を取り戻してくれるのなら、悪魔であっても、母親は、お礼を言うだろう。
お医者さんの息子で、歯医者さんを目指している人の家庭教師をしていたときのこと。
「天才といわれるほどの人は、どんな、不利な状況からでも、光の中に出て、業績を残すものだと思います。」
と言ったら、
「それが、松田さんの天才の定義なんですね。」
と言われてしまった。
その定義からいって、北上田君は天才ではない。
だが、私は、北上田君の写真を見ながら、こんなことを考えているのだ。
私が、一番やりたいことは何か、と言われたら、ドラえもんのどれか1つの道具を作る、なんてそんな小さな夢でなく、ドラえもん自体を作りたいと、答える。
「子供って恐いんですよ。クリスマス・プレゼントに、『サンタさん、ドラえもんください。』なんて言うんですよ。」
なんて言っていた、代々木ゼミナールの英語の先生がいたが、43歳になってなお、本気でドラえもんを作るようなことを、しようとしている、研究者が、ここにいるのである。
北上田君を復元し、生き返った北上田君が、
「どうやって、こんなことをやったんだ。」
と言ったら、
「その物理的説明は、明日きちんとしてやるから、今は、まずお母さんとお父さんのところへ行ってこい。」
と送り出してあげる日が、北上田君のお母さまとお父さまの生きている間に訪れたら、と本気で思って、私は、物理学の勉強をしているのである。
やっぱり、半分きちがいでなきゃ、こんなことは、成し遂げられない。でも、私は、ちゃんと生きている。人類には、希望があるのだ。
戦死した息子や娘と再会できるのなら、人間の最大の愚行、『戦争』だって、スリルのあるゲームになる。
平和にしなくても、戦争の惨禍から人類を救う方法がある。
大江健三郎が、2冊の本の最後に到達した、「新しい人」へは、私が実現への一歩を踏み出してあげよう。
それは、戦争を楽しめる人達なのだ。
私は科学の力で、我々を、死んだ人を取り戻せる、新しい人達にしたい。
それは、ドラえもんを作るのと、等価だと、諸君は分かるだろうか。
今日は、ここまで。
北上田君のお母さまに、いつか、この投稿に書いてあることを、実現してあげたい。
現在2015年3月5日1時54分である。おしまい。