現在2005年10月14日21時28分です。
前回微分積分が発見されたのは、17世紀であることを書きましたが、その頃生まれた大作曲家アントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲集「調和の幻想」作品3を聴きながら、これを書いています。
この協奏曲集の第6番の第1楽章は、鈴木方式でヴァイオリンを習っている人なら、アーモール、と言えば分かる、有名な曲です。4冊目の楽譜に出ていて、初等科卒業と言われる、3冊目のバッハのブーレが終わった後、挑戦できる曲です。
私は3冊目まで習ったところで、ヴァイオリンをやめてしまったので、この曲は弾けません。私と一緒に習っていた、妹が、私がやめた後も、ヴァイオリンを習い続け、とうとうこの曲を弾けるようになりました。
妹がこの曲を弾くのを聴くのは、私にとっては、とても嬉しいことでした。私がいつか弾きたいと思っていた曲だからです。
私の今日の話は、完全にフォローしようと思えば、大学2回生レヴェルの数学の知識を必要とします。でも、他の本には書かれていない話なので、証明が分からなくても、私の話に含まれている、美味しい部分だけつまみ食いするだけで、十分楽しめるはずです。
微分を習ったのだから、その食後のデザートだと思って、堪能してください。
さて、私達の読んでいる本の71ページからは、テイラー展開の話です。高校で、なぜこの面白いものを教えないのか、私には納得がいきません。
71ページから読んで行って、最初に分からなくなるのが、g(ξ)を(3.44)式で定義して、それについてg(0)=g(x)を満たしている。と、書いてある部分だ。これは本の書き方が悪い。xとξの二つの変数の関数をg(ξ)と、書いているからだ。
ここは、
G(ξ,x)=f(x)−f(ξ)−f’(ξ)(x−ξ)
−(1/2!)*f’’(ξ)(x−ξ)^2
−(1/3!)*f’’’(ξ)(x−ξ)^3
・・・
(n)
−(1/n!)f (ξ)(x−ξ)^n
−A(x)(x−ξ)^(n+1)
と、二つの変数の関数、G(ξ,x)を定義し、xを固定したとき
g(ξ)=G(ξ,x)
と、定めるのが、回り道だが分かりやすい。断りなく使ったが、第5章の多変数の関数の記号が、現れている。G(ξ,x)というのは、ξとxの二つを決めると、値が一つ対応する関数のことである。
またa^nというのは、nを指数とするという意味で、
n
a
の意味である。
そうしたとき、
g(0)=G(0,x)
=f(x)−f(0)−f’(0)(x−0)−・・・
−A(x)(x−0)^(n+1)
=f(x)−f(0)−f’(0)x−・・・
−A(x)x^(n+1)
となり、誤差の項A(x)の定義により、g(0)=0が分かる。
そして、
g(x)=G(x,x)
=f(x)−f(x)−f’(x)(x−x)−・・・
−A(x)(x−x)^(n+1)
=0
も分かるので、やっと、g(0)=g(x)=0であることが分かるのだ。(3.45)式の
g’(c)=0
となるcが存在するというのも、xを固定してξで微分するというわけであり、第5章の偏微分という考え方を先取りしている。
g’(ξ)
∂
=────G(ξ,x)
∂ξ
と書く方法を知っていれば、意味が分かるであろう。
こうして、ラグランジュの剰余項というものが得られるが、この剰余項というものにこだわるのは、数学科の人だけである。多くの関数では、この剰余項というものがnが大きくなるにつれて、限りなく0に近づき、無視できるようになる。
だから、これを無視して、nを無限大まで大きくするまで足し合わせた無限級数を、マクローリン展開という。そして、特に有限のnまでで止めて、剰余項を書いた式を、マクローリンの定理と呼んで、展開と区別したりする。
例1も実際に計算して試してみるように。
さて、テイラー展開の話のはずだったのに、なぜマクローリン展開なのか。それは、75ページまで読まないと分からない。テイラー展開の特別な場合をマクローリン展開と呼ぶのである。
明確な区別があるのかというと、実はない。テイラー展開というものは、イングランドのBrook Taylor(1685〜1731)により、1715年に発見され、それが後にスコットランドのColin Maclaurin(1698〜1746)により、1745年に再発見されたものなのです。
ちょっととばして、75ページを読み、そこで0の代わりにa,xの代わりにx−aとすればよい。と書いてあるのを読んで、そんなことして良いのかなあ?と思った人がいても不思議はない。
x→x−a 0→a
という置き換えをしたとき、(3.43)の左辺のf(x)が
f(x)=f(0+x)
と表されていたと思えばよいのだ。そうすると
f(0+x)→f(a+x−a)
と置き換えられ、左辺がf(x)のままで良いことが分かり、(3.53)の式が納得できるだろう。
この場合も、剰余項のある形の公式をテイラーの定理と呼び、無限級数にしたものを、テイラー展開と呼ぶ。
aを0としたものを特別に、マクローリン展開と呼ぶ習慣になっているだけである。こういう習慣というものは、数学でも結構いろんなところで見られ、とまどわされる。例えば、まだ群(ぐん)については学んでないが、そこで、可換群というものが出てくるのだが、これを、場合によって、アーベル群と呼んだり加群と呼んだりする。特に、演算を+で書くときに加群と呼ぶのだが、なんで演算記号を違えただけで名前が変わるのか分からない。
これは、和と積という二つの演算を考える環(かん)というものを考えるとき、名前を変えておかないと混乱するから、という理由によるのだが、初学者にはそんなこと分からない。数学というのは、こういう風に、結構あちこちに落とし穴があるものなのである。
少し行き過ぎたので、74ページに戻り、例題3−3はきちんと計算すること。(3.48)式は
α
(1+x) ≒1+αx
という近似式が使えるもとになる式である。この近似式は、高校でも習うが、それは、テイラー展開によって証明されるものだったのである。ただし、≒というのは近似できるという意味で使うが、その正確な定義は、岩波の数学辞典にもない。この辞典でも、1435ページで使われているのだが。
≒を使うのは、大体等しい、というのを気持ちで表したいときだ、と思っていて良いと思う。=では結べないが、大体等しいという場合である。
x
e
や、cosx,sinx,log(1+x)の展開も、実際に手を動かして試してみること。そうすると、なぜlogxでなくlog(1+x)なのかも分かる。
logxでは微分したとき、
1
───
x
となり、xを0と出来ないのだ。
75ページでランダウの記号というものが出てくるが、これを物理の好きな人は、物理学者のLev Davidovich Landau(1908〜1968)の記号だと思いやすいが、残念ながらそうではない。Edmund Georg Herman Landau(1877〜1938) という数学者が、1909年にOrdnung(orderのドイツ語)にちなんでその論文で使って以来便利なので定着したらしい。物理学者のランダウは、かろうじて生まれていたが、1歳ではさすがに論文は書けない。
そういえば、ファインマンの話は私のブログで何度も登場したが、アメリカのファインマンに対し、旧ソビエトの天才物理学者ランダウの話は、今まで書かなかった。私の尊敬するランダウの名前がこれまででなかったなんて、ちょっと不思議なくらいだ。
ファインマンの言葉で私が、物理学者になるための3つの条件の一つとして心にとめているものとして、
「すぐれた物理学者といわれるほどの人は、全く同一の物理に対してつねに六つや七つの理論的表現を知っているものです。」
というのがあり、残りの2つの条件は、ランダウから学んだものです。
その一つは、ランダウがいつも、数学をしっかり勉強しておいて、物理をやるとき数学に振り回されないようにせよ。と言っていた。というものであり。
3つめの条件は、ランダウが、量子論で数々の業績を残せたのは、古典論をしっかり学んであったからだ。という記述を読んだことがあることです。
・同一の物理に対し六つや七つの表現を持つこと。
・数学を大事にすること。
・古典論を大事にすること。
これが私の物理に対する姿勢です。このブログはそれを表現したものだと言うことに、皆さんは気付かれたでしょう。一般相対性理論という古典論を学んでいること。数学を学んでいること。私が回り道をいとわないこと。これらは皆新しい物理のためなのです。
話がそれましたが、ランダウの記号というものは便利なものなので、結構いろんな本に出てきます。二人のランダウがいたということと共に、覚えておきましょう。
76ページまで読むと、私がテイラー展開と呼んだものを、この本では、テイラー級数と書いていることが分かります。同じものです。
77ページにテイラー展開が必ず出来るとは限らないということについて書いてあります。
無限級数が収束しない場合があるのです。物理屋さんはこういうことをいい加減にしているので、何でもテイラー展開できるように扱ってしまいますが、数学科ではここにあるように、収束半径というものをきちんと学びます。
ここでは触れられていませんが、もう一つ重要な概念があって、
e^(−1/x) (x>0)
f(x)={
0 (X≦0)
と定義するとfはx=0において何回微分しても0となります。従って、テイラー展開を無理にするとそれは0となりますが、x>0でfは0ではないのでfにテイラーの定理を適用したときの剰余項が効いてきていることが分かります。従って、fは0の周りでテイラー展開出来ないということが分かります。
志賀浩二さんは数学の30講シリーズの中でこの関数fのことをどんな多項式よりもゆっくりと0から上昇していく関数なのだ、と表現していますが、まことに適切な表現だと言えます。
こういう経緯から、無限回微分可能な関数を
∞
C
(シーインフィニティ)と表し、これは各点でテイラー展開出来る関数である実解析的関数
ω
C
(シーオメガ)よりも緩やかな条件であると、数学科では習います。
テイラー展開出来ないという意味が、収束半径を超えているという意味と、全く収束しないという意味と二つあることを、覚えておいてください。上のfの例は、いつもの解析入門Iの97ページの例3から取りました。
さて今日進むのは、78ページのオイラーの公式の再登場までです。オイラーの公式についてはこれまでも何度も私の考えを述べてきたので、今日は触れません。
ところで、77ページのテイラー展開の式を見て、sinやcosの式があるのに、なぜtanの式はないのだろう。と思った人はいませんか。これに気付いた人こそ、今日のデザートを最後まで味わえる人です。
そうなんです。sinxやcosxは容易にテイラー展開でき、オイラーの公式まで導けて良いこといっぱい、ほくほくとデザートを味わっている人には悪いですが、数学の恐いところはここからなのです。やってみれば分かりますが、
x^3 2x^5
tanx=x+───+────
3 15
17x^7 62x^9
+──―――+――――――─+・・・
315 2835
となってtanxについては規則性が見えてこないのです。ではテイラー展開できないのか?いや、|x|<π/2で実はtanxもテイラー展開出来るのです。
焦らさないで答えを書きましょう。
2n 2n
∞ 2 (2 −1)Bn 2n−1
tanx=Σ ─―――――――――――x
n=1 (2n!)
となるのです。Bnって何だ? 良い質問です。これこそ数学の中に現れる謎の数列の一つベルヌーイ数というものです。なぜベルヌーイだけ名前を付けてもらって、他の人の名前ではないのかというと、ベルヌーイが最初に
n r
Σ k
k=1
の公式を発見した人だからです。厳密に言うと、日本の関孝和(せき たかかず)(1642?〜1708)の方が、先に見つけていたそうですが、出版されたのが1712年で、Jakob Bernoulli(1654〜1705)の業績が出版された1713年よりも1年前であるということです。
いずれにせよ、どちらも生前には発表されなかったようで、この栄誉を生前に得られた人は誰もいなかったと言うことです。
なぜいきなりこの公式の話をこじつけたのかって? まあ焦らないで。
この本を読み始めたばかりの頃に、
n n(n+1)
Σ k =――――――
k=1 2
の公式と、
n 2 n(n+1)(2n+1)
Σ k =―――――――――――――
k=1 6
の公式は覚えておくように言いました。これからちょっと手品をします。
n 3 n(n+1) 2
Σ k ={――――――――}
k=1 2
という公式をとりあえず認めてください。認めたくない人は数学の公式集ででも確認するか、
4 4 3 2
(k+1) −k =4k +6k +4k+1
をkが1からnまで書き並べて足し合わせて証明してください。
4 3 2
(n+1) −1=4Σk +6Σk +4Σk+Σ1
ですから、
4 3
(n+1) −1=4Σk +
n(n+1)(2n+1)+2n(n+1)+n
となりますね。整理すると
n 3 4 3 2
4Σ k =n +2n +n
k=1
です。さあ皆さんせっかく微分を習ったのですから、これを自然数nの関数と見ず、実数nの関数と見てnで微分してみてください。
3 2
4n +6n +2n
ですね。高校生くらいになると、こういうのを見ると因数分解したくなるものです。
2
2n(2n +3n+1)
=2n(n+1)(2n+1)
良くできました。
これを見て何も思わない人はいないでしょう。そうです。12で割れば、
n 2 n(n+1)(2n+1)
Σ k =―――――――――――――
k=1 6
と同じ式になるではないですか。kの3乗の公式を微分したら、kの2乗の式が得られた。
これが私の手品です。面白くなかった? もちろんこれで終わりではありません。
なんだそれだけのことか。と、がっかりするのは早い。じゃあkの2乗の式を微分したら、1乗の式が得られるのか?
やってみてください。
n 2 1 3 1 2 1
Σ k =―――n + ――n + ――n
k=1 3 2 6
の右辺を微分する。
2 1
n +n+―――
6
なんだ。2で割っても
2
n(n+1) n +n
――――――=――――――
2 2
と違うじゃないか。1/6だけ多い。失敗だ。失敗だ。手品は大失敗だ。
と、あなたは思いますか。数学の世界を探検するのに、そんなにあきらめが早くては大魚を取り逃がします。
そういえば、tanxを展開したとき最初の項はxだった。それなのに、私が書いた答えの式は、n=1の項が
2 2
2 (2 −1)B1
―――――――――― x
2!
4*3*B1
=――――――― x
2
=6B1 x
となる。そうすると、謎の数列と言っていたベルヌーイ数の最初の項
1
B1=―――
6
だったんだな。あれっ? これって偶然?
いや、偶然ではないのです。Σkの2乗の式を微分したときに邪魔になった、1/6 こそベルヌーイ数の最初の項だったのです。
これで手品は種明かしです。
Σkの奇数乗の式を微分して割り算をするとΣkの偶数乗の式が得られます。そして、Σkの偶数乗の式を微分して、定数項に現れる数を(本当は2回に1回マイナスの数になるのだが、そのマイナスをとって)下から順にB1,B2,・・・としていくとベルヌーイ数となる。
逆に言うと、ベルヌーイ数というものを先に求めることが出来たら、微分と逆のことをすることにより、どんどんとΣkのr乗の式が作れることになる。ベルヌーイ数の一般項をnで表す式はないの?
残念ながら私には出来ませんでした。ここまでのところは、私は本当は微分して見つけたのではなく、積分して見つけたということを除けば、私が高校2年生の時にやったことでした。
最後に言うのも気が引けるけど、清少納言の枕草子じゃないけど、今日の話は、私の数学における最高の自慢話。
そう、私は高校2年生の時に、Tnと書いて私の数列をレポートにした。でもそれは200年以上前に分かっていたことで、私はそこから先、TnではなくBnをさらに解き明かすということは出来なかった。
tanxのテイラー展開に現れるということを知ったのも、大学に入って、解析入門Ⅱ の336ページで読むまで知らなかった。
だからこの自慢話を完結させるのは、最初にあげておいた写真。200年以上たって同じことを発見した私が、唯一付け加えたのは、2項係数と呼ばれる数を
1
1 1
1 2 1
1 3 3 1
1 4 6 4 1
1 5 10 10 5 1
と順々に右上と左上の数を足し算するだけで求めていく表にヒントを得て、Σkのr乗の式の係数をどんどん求めていく表を作ろうとしたこと。
それがあの写真に載っている表で、私の数学の先生が、これは面白いということで、私には出来なかったなぜその表が正しいのか、という証明を付けて、広島県高等学校教育研究会(数学部会)の会誌第25号に投稿してくれたものです。
やり方は簡単。左上から右と下に向かって、1,2,3,4・・・と数字を並べる。まずΣ(kの0乗)はΣ1だから、答えはnであることを知っている。だから係数は1だ。二項係数を1から始めるように、左の1番上は1から始める。
そこから、表の1番上に並べた数で割り、1番左に並べた数をかけてそれぞれの数の右下に書くということを繰り返す。
まず1を
1 2 3 4 5 6
1
2
3
4
5
6
と並べた表の左上に書くので
1 2 3 4 5 6
1
1
2
3
4
5
6
だ。本当のことを言うとΣ1がnなので、nの0乗の項はないために定数項のところは空欄にしておくのがミソだ。
今思えば0から始めれば良かった。大学では自然数は0から始めるが、この本の著者のように当時の私は自然数は1から始まるものと思っていた。
次にこれを2で割り1をかけて
0 1 2 3 4
0 1
1 1/2
2
3
4
とする。さてここで、数学でも実験というものが必要だと分かる。Σ(kの1乗)の式で実験する。nの1次の項には何を置いたらいいか。その答えは、Σkの式で、n=1とした時、
1 r
Σk =1
k=1
がrがなんであっても成り立つということだ。
だから、1次の項を埋めるには、その行の分数を全部足して、1になるように係数を定めればよいのだ。従って、
0 1 2 3 4
0 1
1 1/2 1/2
2
3
4
となる。後はこの繰り返し。
0 1 2 3 4 5
0 1
1 1/2 1/2
2 1/2 1/3
3
4
までかけ算割り算した後、足して1になるように1/6を一次の項の係数とする。
0 1 2 3 4 5
0 1
1 1/2 1/2
2 1/6 1/2 1/3
3
4
参考のためにもう少し書くと、
0 1 2 3 4 5
0 1
1 1/2 1/2
2 1/6 1/2 1/3
3 1/4 1/2 1/4
4
まで、3をかけて2や3や4で割った数を書く。そして、分数の足し算。この場合、ちょうど1になるので、1次の項は0。
0 1 2 3 4
0 1
1 1/2 1/2
2 1/6 1/2 1/3
3 0 1/4 1/2 1/4
4
次は、
0 1 2 3 4 5
0 1
1 1/2 1/2
2 1/6 1/2 1/3
3 0 1/4 1/2 1/4
4 0 1/3 1/2 1/5
まで4をかけて上に並んでいる数で割り、最後に足し算。
31/30となるので、一次の項の係数は、
1
− ―――
30
となる。前にベルヌーイ数を定めるとき、2回に1回マイナスになるのでそのマイナスをとったものをベルヌーイ数とすると言ったが、ここで現れるのがそのマイナス。表に書き込んで
0 1 2 3 4 5
0 1
1 1
1 ― ―
2 2
1 1 1
2 ― ― ―
6 2 3
1 1 1
3 0 ― ― ―
4 2 4
1 1 1 1
4 − ―― 0 ― ― ―
30 3 2 5
5
ここまで来れば、誰でも後を続けられるだろう。私の写真をうつすと。
0 1 2 3 4 5 6 7
0 1
1 1
1 ― ―
2 2
1 1 1
2 ― ― ―
6 2 3
1 1 1
3 0 ― ― ―
4 2 4
1 1 1 1
4 −―― 0 ― ― ―
30 3 2 5
1 5 1 1
5 0 −―― 0 ―― ― ―
12 12 2 6
1 1 1 1 1
6 ―― 0 −― 0 ― ― ―
42 6 2 2 7
となっている。従って、ベルヌーイ数は、
1 1 1
B1=― ,B2=――― ,B3=―――
6 30 42
である。解析入門Ⅱを持っている人は、336ページで確かめてみて欲しい。ここで、そちらを見た人は分かったと思うが、分子が1であるのはB4までだということだ。このベルヌーイ数の分子というのは、今はワイルズによって完全に解かれてしまったが、つい何年か前まで未解決だった、フェルマーの大定理の証明にも関係するホットな話題だったようだが、それについては私の発見ではないので、この自慢話の最後には持って来たくない。
これは私の、数学における最高の自慢話だと書いた。物理における自慢話は、静電磁気学が話題に上ったときに話すことにしよう。
今日は、「香炉峰の雪やいかならん」というのにすだれを掲げて見せた。という清少納言のように博識ぶりを見せびらかさんとしたのだが、最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
ヴィヴァルディなんてとっくに終わってしまって。その後やっぱりバロックで、と思ってパッヘルベルのカノンやジーグをかけたがそれも終わってしまって、もう何もかけてない。
今晩は完全に徹夜になってしまい、現在2005年10月15日6時33分。
デザートは堪能できただろうか。
私はこのブログを書いてみて初めて、ではkのr乗のrが自然数ではなく複素数を動いたら、公式はどうなるのだろうかと、思いをはせた。nを∞まで足し合わせる場合、それはリーマンのゼータ関数となる。だが、nを途中で止めたら・・・
それはまだ私の調べていないことである。そして、知っているのは、∞まで足し合わせると言うことは、このように整数を足していく場合、rが自然数なら、級数は無限大に発散する。例えば、
3 3 3 3
1 +2 +3 +4 ・・・=+∞
としたくなる。だが、このシリーズの5巻を読む時、これが
B2
ζ(−3)=―――
4
という有限の数値を持つとした方が、数学的には美しい。そして、量子力学をきわめて、繰り込み理論というものを制覇するには、無限大に発散するこれらをこのように有限の数値で置き換えたみたいなことを自然がやっているということを認める必要がある。
これはまだ以前の大学にいた頃、「弦理論への道」という本で読んで驚かされたことである。自然は本当にこの様な置き換えのようなことをやっているのか。複素関数論というものは、そこまで自然の摂理をえぐり出しているものなのか。
それはまだ、私のこれから調べていくことである。
繰り込み理論について。そして、有限のnまでの場合の複素数指数の和の公式。これらについて、もっと新しい情報を知っている人は、出来れば教えて欲しい。私に理解できるかどうかは兎も角、そこに新しい科学の開ける先があると思うから。
2005年10月15日7時10分、これで今回の大冒険を終わりとする。
2012年04月06日07時21分復活させた。