現在2007年2月13日22時27分です。
しばらく更新していなかった。事情があったのである。
最大の理由は、大学院に受け入れてもらえるかどうか、ということだった。
私が最初に目指していた大学院は、東京大学の大学院だった。佐藤勝彦先生という私が今読んでいる本の先生の研究室を受けたいと思っていた。しかし、私が佐藤先生に直接メールを書いたところ、残念ながら、私は退官するので、面倒を見てあげられませんというお返事を頂いた。
その時、私の研究室の出身の、須藤靖先生の門戸をたたいてみてはいかがですか、というようなことを書いていただいた。
そこでまず私は、須藤先生の「一般相対論入門」という本を読んだ。
更に、つい先頃出版された、「ものの大きさ」という本を買ってきて読んでみた。
これには痛く心を打たれた。物理学というもののあり方に対する、須藤先生の考え方が、私には非常に共鳴を持って受け入れられた。役に立つことをするという発想から完全に脱したところに、科学というものの本来の姿がある、という主旨の文章が書かれており、技術者として、目の前の役に立つものを作ることに追い回されている、周りの人達には、絶対理解できない世界の話だと思った。
初めにことわっておくが、私は技術者が悪いことをしているというつもりはない。私の父も優秀な技術者であり、それを誇りにしていた。私自身、父のその姿を見て、誇らしくもあった。
私が言いたいのは、科学というものは、技術であってはならないということなのだ。科学というものは、役に立つためにあるのはある意味では本当なのだが、別な言い方をすると、役に立たなくても、科学は存在しなければならないのだ。それが科学なのだ。
なぜ役に立たないものが存在しなければならないのか。それは、なぜベートーヴェンが、耳が聴こえなくなってまで、音楽を作り続けたか、ということを問うのに似ている。ベートーヴェンが苦労して新しい音楽を作らなくても、既にモーツァルトが何百曲もの素晴らしい音楽を生み出していた。もう十分じゃないか。耳の聴こえない音楽家なんていなくてたくさんだ。
あなたはそう思うだろうか。そうだったら私の以下の文章は、目の玉の飛び出るほど、驚くべきものだろう。
確かに、モーツァルトの音楽は完璧だ。恐らく人類が今後何千年文明を続けても、あんな天才作曲家は現れないだろう。そして、一方のベートーヴェンは、確かに天才ではあったが、音楽を作る能力では、モーツァルトにかなわなかったのである。
ここでかなわなかったと書いたが、私は、ベートーヴェンの方が、作曲家としてモーツァルトより下だったというつもりはない。むしろこの文脈から分かるように、私は、ベートーヴェンこそ作曲家として真に偉大な人だったといいたいのだ。
モーツァルトは偉大だ。だが、文章で言えば、それはあくまで小説、つまりフィクションなのだ。じゃあベートーヴェンはどうかというと、フランクルの「夜と霧」のような、ノンフィクションなのだ。そこには、人間が心弱くなったときにふと開いて、衝撃を受ける、あの迫力があるのだ。それは小説では絶対に駄目なのだ。私は小説と言うとき、ブロンテの「嵐が丘」とか、夏目漱石の「こころ」を思い浮かべるので、このイメージになってしまうのかも知れないが、「夜と霧」の持つ絶対的な力を小説は持っていない。
いや、持っていないのではなく、小説にはないものを「夜と霧」は持っているのだ。そう捉えた方が良い。「夜と霧」を読んだことのない人のために書いておくと、これは、アウシュビッツ収容所での本当の体験をもとに書かれたノンフィクションなのだ。この本は、絶対読んでおくべき本だから、これ以上ここでは紹介しないが、人間というものについて考えるとき、絶対に読んでおかなければならない本である。
さて話がそれたが、ベートーヴェンの音楽は、「夜と霧」のようなものであり、小説がいっぱいあるのだから、何も実際にあったことを事細かに書かなくても良いよ、というものではないのである。モーツァルトの音楽でどうしても癒されない傷をベートーヴェンの音楽が、癒してくれるのか。いやそんな生やさしいものではない。
ベートーヴェンの音楽というものは、人生かくあるべきという一大モニュメントであり、人々が迷っているときにまばゆいばかりの光を放って、皆をその下に集めさせる力を持っているものなのだ。
ベートーヴェンなんていなくてもよかったんだ。なんてことは、絶対に有り得ない。モーツァルトがいなかったら、確かに音楽の世界は随分寂しくなっただろうが、もしベートーヴェンがいなかったら、果たして現在のクラシックというジャンルが残っていただろうか、という危惧すらある。
ベートーヴェンが作曲し続けたことに意味があったということに少しは納得してもらえただろうか。
それが分かったら、科学というものが、役に立たないとしても存在しなければならないというのが少しは分かるだろう。
基礎科学の持つ重要性、それは、分からない人には分からないのかも知れないが、本当に大切なものなのだ。
そのことに触れた須藤先生の文章に打たれ、私は先生にメールを書いて、是非先生の研究室を受けたいのですが、としたためた。
これに対し、須藤先生は、私の研究分野をよく熟知した上で、私は適任ではないから、他を当たった方がよろしいと、即日返事を下さった。
私は、さてどうしたものだろうか。と思った。色々模索しているうちに、1998年3月の数学セミナーで新井朝雄研究室という特集をしているのを知った。新井先生というのは、私はもう10年以上前から注目していた先生で、量子力学の数学的厳密化に取り組んでいらっしゃる先生だった。
私が好きそうなテーマなのに、なぜ今までこの先生につこうとしなかったかというと、それは、この先生が数学の先生だったからということと、北海道大学の先生だからというものがあった。
なぜ数学の先生は避けていたのかというと、数学の好きな私であるが、やっぱり物理が本業だ、という意識があったのだ。
しかしここに来て、一度この先生にも話を聞いてみようと思った。そこで、この先生にも、メールを送って、自分の研究したいことを伝えた。そうしたら、この先生も、即日お返事を下さり、私は一般相対性理論の専門家ではありませんが、それを承知の上であれば、いらしても良いですよ。といってくださったのだ。
私は、非常に心を動かされた。
ほとんど、北海道大学へ行く準備までして、時刻表まで買った。なぜ時刻表が必要だったかというと、インターネットで、札幌までの電車を調べると、必ず新幹線を使った方法しか出てこないので、私は、各駅停車を調べようと思ったのだ。
さてそこまでしてから、もう一度落ち着いて考えてみようと思った。私が一番やりたいのは、一般相対性理論だ。日本に本当にもう一般相対性理論の専門家はいないのだろうか。
そう思って調べたときに、懐かしいお名前を見つけた。佐々木節先生。私が京大の学部でただ一科目優を取った科目、一般相対論の先生だった人だ。大好きな先生だったが、大阪大学へ行ってしまったので、その後の消息は知らなかった。その先生が、京都大学の基礎物理学研究所にいらっしゃり、しかもまさに一般相対性理論を研究していらっしゃったのだ。
私は、すぐにメールを送って、35歳なのですが、今からでも研究者を目指せるでしょうか、と率直に書いた。
すると、佐々木先生も即日返事を下さり、まず、私の年齢では、研究者を目指すのは無理でしょうということをきちんと説明してくれた。
私にはこの瞬間、あっそうだったのか、と納得がいった。私は、なぜ今まで説明の仕方を間違えてきたのだろう。物理の研究者になるというから、いけなかったのだ。小学生のための、物理の専門書を書きたいんだと、初めから言えばよかったんだ。そう気付いたのだ。
そこで、メールを頂いた日に、すぐ返事を書いても、向こうも困るかな、と思いつつ、私が、研究者になるのは、諦めていて、そうではなく、物理の普及に努める使者になりたいのだ。と訴えた。
そうしたら、驚くべきことに、その数時間後には、もう一度お返事が届き、私が目指しているものならば、年齢制限は無いから良い目標ですね。といってくださり、更に、その目的のためには、やっぱり、修士号くらいは取っておかなくてはいけませんね。といってくださったのだ。
私が、今日というかもう昨日になるが、佐々木先生から受け取ったものは、計り知れない。先生は私の目にあるおが屑を取り除いてくれたのだ。
なぜ今まで私は、本を書きたいのだ。と正直に言わなかったのだろう。私がやりたかったのは、物理の研究ではなく、ファーブル昆虫記のような、物理の専門書を書くことだったのだ。
私の数学的厳密さは絶対だ。ベルナイス・ゲーデルの集合論に裏打ちされた、物理学者の誰にもまねの出来ない、完璧さを持っている。この私だけの持っているとりえを利用して、物理の専門書を書くと言うことこそ、私の天職だったのだ。
そしてそのために、大学院へ行って、勉強するというのが、正しい説明だったのだ。それを、大学院へ行きたいといって、その理由を問われると、物理学者になりたいから、と答えていたから、今まで誰にも相手にされなかったのだ。
私はやっと、自分の道を見つけられた。自分の人生を賭けるものを、やっと見つけられたのだ。
立花隆が、その著書、「青春漂流」の最後に書いている言葉を思い出した。
自分の人生を自分以外の何ものかに賭けてしまう人がどれほど多いことか。自分以外の誰か頼りになれる人、頼りになれる組織、あるいは、自分自身で切り開いていくのではない状況の展開などなど。他者の側に自分の人生を賭ける人が、世の大半である。
しかし、空海にしろ、この連載に登場した若者たちにせよ、自分の人生をそうしたものに賭けようとはしなかった。彼らは、他者の側にではなく、自分の側に自分の人生を賭けたのである。
以上 立花 隆 著「青春漂流」
講談社文庫276ページより
私は、今初めて、自分の人生を自分の側に賭けるということの意味が分かった。それは私の場合、物理学者になるということではなかったのである。
私に頭のおかしい人間からのメールだと思いながらも、どの先生も、きちんと即日返事を下さった。先生というのは立派な職業なのだなと、私は改めて思った。もちろん、大学の先生がすべてこの4人の先生のようだとは思わない。でも、日本の大学にも、こんなにも、立派な先生が何人もいらっしゃる。日本の未来は明るいと、私は安心するとともに、物理学を小学生にもしっかりと教えられる、小学校の先生を作るためにも、ランダウ・リフシッツ理論物理学教程小学生バージョンを書き上げなくてはならないと、決心を新たにしたのであった。