現在2013年12月9日23時45分である。
今日は、また遅くなってしまった。
今日遅くなったのは、私の働いているトントン工房という作業所で、私が帰りがけにおかしくなってしまったからだ。
キッカケは、些細なことであった。液体石けんを水で薄めることをするのかどうか、ということで、スタッフに相談しようとしたのだが、スタッフも忙しくて、ちょっと声をかけづらかった、というところから始まったのだった。
いつも通り飲む薬も、今日はちゃんと飲んだのだが、本当なら、おかしくなりかけているのなら、デパスとビカモールという頓服の薬も飲むべきだったのかも知れなかったのだが、判断を誤ってしまった。
そのために、色々なことが気になり、マジックペンがインクが切れているとか、調理の時のマスクが少なくなっているとか、もう自分でもいやになるくらい、色んなことを抱え込んでしまい、本来なら、スタッフの人も、17時頃には帰れるはずだったのかも知れないのに、18時30分まで、私がなかなか出発しないので、困らせてしまった。
でも、トントン工房のスタッフの人というのは、迷惑がかかっていても、嫌な顔一つせず、待っていてくれるので、私は助かっている。
本当に、良く訓練されているのと、所長さんを初め、士気が非常に高いのが、あの環境を作り出しているのだと思う。
私は、病気になってしまったこと自体は残念なことだが、就労の支援をしてくれる人たちにはずっと恵まれてきた。
他の障害者の人たちに聞いても、なかなか私のように、ついている人は少ない。
いやなスタッフがいて、いつも気分を害していた、という話は、数え切れないほど聞いてきた。
私が、小学校の頃から、比較的先生に恵まれてきたというのも、私が、幸運の星の下に生まれてきたということを物語っているのだろう。
まあ、こんな大変な病気を抱え込んだ、というので、釣り合いが取れているのかも知れないが・・・
先日、区役所の人と今後の病気との付き合い方を話し合ったときに言われたことなのだが、遠い先のことは分からないけれど、少なくとも、今は、一時的に安定した状態にいるのだなあ、と思う。
この安定している間に、次の危機が襲ってきたときのための、準備をしておきたいと、思う。
これも、小さな目標である。
とはいうものの、私の場合、それがすぐ大きな目標にすり替わってしまう。Foundations of Mechanicsを読もうなどといいながら、その前に、300ページもある『集合と位相』を読み、650ページもある姉妹書を読んでから、などと言い出してしまう。
12月2日は、私の誕生日であった。42歳になったのである。
もう少し、一生で使える時間というものを意識した方が良いのではないか。
などと、本を眺めながら書いていたら、朝の6時になってしまった。
本当は、『集合と位相』を進めるつもりだったのだが、もう寝ることにする。
しかし、今日、全く成果がなかったわけではない。昨日の朝、布団の中で気になっていた、1階の述語論理の「⊃導入-仮定除去」という推論で、除去される仮定は、同じもののすべてについて除去される、ということを確かめたことであった。
何を言っているのか分からない人の方が多いだろうが、私にとっては嬉しかったのである。
結局、私が一番書きたいことを書くのが、ブログを読む人にとっても、気持ちがすっきりすることなのだろう。
私が嫌々書いていたら、読む方はたまらない。
しかし、数学の本というのは、時として、嫌なことをだらだらと書かなければならないときもあるものだ。
一時の迷いで買って、すぐ売ってしまった本だが、
今日は、また遅くなってしまった。
今日遅くなったのは、私の働いているトントン工房という作業所で、私が帰りがけにおかしくなってしまったからだ。
キッカケは、些細なことであった。液体石けんを水で薄めることをするのかどうか、ということで、スタッフに相談しようとしたのだが、スタッフも忙しくて、ちょっと声をかけづらかった、というところから始まったのだった。
いつも通り飲む薬も、今日はちゃんと飲んだのだが、本当なら、おかしくなりかけているのなら、デパスとビカモールという頓服の薬も飲むべきだったのかも知れなかったのだが、判断を誤ってしまった。
そのために、色々なことが気になり、マジックペンがインクが切れているとか、調理の時のマスクが少なくなっているとか、もう自分でもいやになるくらい、色んなことを抱え込んでしまい、本来なら、スタッフの人も、17時頃には帰れるはずだったのかも知れないのに、18時30分まで、私がなかなか出発しないので、困らせてしまった。
でも、トントン工房のスタッフの人というのは、迷惑がかかっていても、嫌な顔一つせず、待っていてくれるので、私は助かっている。
本当に、良く訓練されているのと、所長さんを初め、士気が非常に高いのが、あの環境を作り出しているのだと思う。
私は、病気になってしまったこと自体は残念なことだが、就労の支援をしてくれる人たちにはずっと恵まれてきた。
他の障害者の人たちに聞いても、なかなか私のように、ついている人は少ない。
いやなスタッフがいて、いつも気分を害していた、という話は、数え切れないほど聞いてきた。
私が、小学校の頃から、比較的先生に恵まれてきたというのも、私が、幸運の星の下に生まれてきたということを物語っているのだろう。
まあ、こんな大変な病気を抱え込んだ、というので、釣り合いが取れているのかも知れないが・・・
先日、区役所の人と今後の病気との付き合い方を話し合ったときに言われたことなのだが、遠い先のことは分からないけれど、少なくとも、今は、一時的に安定した状態にいるのだなあ、と思う。
この安定している間に、次の危機が襲ってきたときのための、準備をしておきたいと、思う。
これも、小さな目標である。
とはいうものの、私の場合、それがすぐ大きな目標にすり替わってしまう。Foundations of Mechanicsを読もうなどといいながら、その前に、300ページもある『集合と位相』を読み、650ページもある姉妹書を読んでから、などと言い出してしまう。
12月2日は、私の誕生日であった。42歳になったのである。
もう少し、一生で使える時間というものを意識した方が良いのではないか。
などと、本を眺めながら書いていたら、朝の6時になってしまった。
本当は、『集合と位相』を進めるつもりだったのだが、もう寝ることにする。
しかし、今日、全く成果がなかったわけではない。昨日の朝、布団の中で気になっていた、1階の述語論理の「⊃導入-仮定除去」という推論で、除去される仮定は、同じもののすべてについて除去される、ということを確かめたことであった。
何を言っているのか分からない人の方が多いだろうが、私にとっては嬉しかったのである。
結局、私が一番書きたいことを書くのが、ブログを読む人にとっても、気持ちがすっきりすることなのだろう。
私が嫌々書いていたら、読む方はたまらない。
しかし、数学の本というのは、時として、嫌なことをだらだらと書かなければならないときもあるものだ。
一時の迷いで買って、すぐ売ってしまった本だが、
ルベーグ積分超入門―関数解析や数理ファイナンス理解のために [単行本]
という本に、「ナミダなしの学問はない」という言葉があって、確かにその通りだ、超入門などという本を買うべきではなかった、と思わされたことがあった。
この本は、決していい加減な本ではないので、けなすつもりはないということを断っておこう。ただ、私が読むべき本ではないのだった、ということに気付いたということだったのである。この本も立派な専門書である。
なんだか面白そう、と思わせる本は、通俗書に任せて、私が書くべき本は、ナミダなしでは読めない、専門書でなくてはならない。ただ、流した涙がムダではなかったな、と思わせる本を書きたいものである。
今日はここまで。
現在2013年12月10日6時34分である。おしまい。
という本に、「ナミダなしの学問はない」という言葉があって、確かにその通りだ、超入門などという本を買うべきではなかった、と思わされたことがあった。
この本は、決していい加減な本ではないので、けなすつもりはないということを断っておこう。ただ、私が読むべき本ではないのだった、ということに気付いたということだったのである。この本も立派な専門書である。
なんだか面白そう、と思わせる本は、通俗書に任せて、私が書くべき本は、ナミダなしでは読めない、専門書でなくてはならない。ただ、流した涙がムダではなかったな、と思わせる本を書きたいものである。
今日はここまで。
現在2013年12月10日6時34分である。おしまい。