現在2015年4月22日0時04分である。
昨日22時から、『戦う!書店ガール』というドラマの第2話が放送された。
主人公の、まゆゆ、が、涙を呑んでの演技だったと思うので、明日の朝、起きたとき読めるよう、書いてから寝ることにしよう。
まゆゆ、私は、時計をチラッチラッと見ながら、ドラマを見ていたので分かるのだけど、69分の放映時間の中で、10分以下といったら、言い過ぎだけど、15分より多くは、まゆゆ、は、画面に出て来なかったね。
主人公として、出演を抑えられるのは、辛かっただろうけど、良くがんばった。お疲れ様。
見ていて思ったのだけど、あのドラマ、第1話を放映した後、第2話のかなりの部分を収録したんじゃない?
『書店員が重労働だ。』
っていう会話があった辺りで、
「後から加えたかな。」
と思ったんだけど、最後のところで、新しい本の紙で指を切るシーンがあって、
「やっぱり撮り直してる。」
って、確信を持ったんだよね。
そして、
「撮り直してるんじゃなくて、初めから、反応を見て撮影をしよう、というつもりだったんじゃないかな。」
と、思ったんだよね。
それを、考えたとき、まゆゆ、の出演時間が抑えられたのも、私が前回書いたのと同じようなことを感じた人が多くて、見ていていたたまれなくなる、まゆゆ、の若さ全開の演技を、さりげない回想などのシーンに置き換えて、最小限にしたんじゃないかな、と思ったんだよね。
前回あったような、
「あっ、それ以上、言わないで。」
と、思わず言いたくなってしまうようなシーンは、今回はなかった。
安心して、見ていられたよ。
私が書いたような、本を伏せておく、なんてところも、まったくなかったのも、改善した努力を買います。
それにしても、最後の10分になるまで、ほとんど出て来なくて、最後のところで、みんなの視線をさらうというのは、アメリカ映画『イヴの総て』の最後で、まだ無名だったマリリン・モンローが、観客にその後の活躍の兆しを、はっきりと示したみたいなものだね。
私は、マリリン・モンローのファンではないので、モンローがそれほどすごいとは思わないけど、モンローの人気はものすごかったそうだから、今日のドラマが、私に、『イヴの総て』を、彷彿とさせたというのは、まゆゆ、の今後の名声を約束するものかも知れないよ。
今後も、悔しいだろうけど、まゆゆ、は、総出演時間を、低く抑えた方が良い。
多分、今日の話を見た人は、
「あの可愛い女の子、もうちょっと見たかったな。」
と、思って、来週も見てくれると思う。
それを、満足させちゃ、いけないんだ。
まだ、まゆゆ、は、大女優、と言えるほどには、演技が天才的に上手いわけではない。
演技で、画面に釘付けにするというのは、半端なことじゃない。
でも、今の、まゆゆ、は、それでいいんだ。
『ものすっごく、可愛い女の子がいる。』
っていうだけで、ドラマを演じる周囲の人間、全員が、幸せな気持ちになる。
それって、重要なことだと思う。演技は、これから、亀の甲より年の功で、上手くなるけど、若くて可愛いが故のエネルギーを、ドラマや映画に、吹き込む、ということは、今だからこそ出来ることだものね。
普通の人だったらこういう時、周囲の俳優さんや女優さんと良い意味の化学反応を起こしてね、と書くところだけど、私は、物理学者だから、化学反応なんて、出てくるエネルギーが少ないよ、と思う。
やっぱり、核融合反応を起こしてね、と書く。アインシュタイン方程式というのは、本当は、これではないんだけど、普通の人が知っているのは、次の式、イー・イコール・エム・シー・スクェア。
光の速さはものすごく速いから、水素原子核が核融合してくっついたことで少し安定になって、軽くなった分、その軽くなった質量に光の速さを2回もかけたら、莫大なエネルギーになる。
まゆゆ、は、それくらい、輝ける。
前にも言ったけど、まゆゆ、のようなスター、おほしさまが、輝くのは、こうやってエネルギーを出しているんだよ、と説明できる。
もっとエネルギーを出したい、なんて言わないで。超新星爆発というものすごいものが、あるのだけど、それは、星が最期を迎えたときなんだ。
まゆゆ、には、超新星には、なって欲しくない。新人は、新しい人だけど、新星は、星の断末魔の叫びだから。
まゆゆ、と、一晩中、星を眺めながら、語り合える日が、いつか、来るだろうね。宇宙について語れることは、いくらでもあるよ。
ペガサス書房の、ペガサスだって、天文学では、通常、ペガスス座なんだよ。
『戦う!書店ガール』第3話、撮影、がんばって!
今日は、ここまで。
現在2015年4月22日1時34分である。おしまい。