現在2015年6月18日18時56分である。
以前、予想したとおり、選抜総選挙が、終わり、ドラマも終わると、当然、まゆゆ、の情報が、テレヴィやインターネットに、流れることも、減ってくる。
私から、まゆゆ、に、メッセージを送って、安心させてあげるのも、難しくなる。
最近、まゆゆ、は、移動中も、ポムポムプリンくんを、抱きしめているという。
寂しいだろうけど、私は、今は、そばに行ってあげられない。
ポムポムプリンくんの体温を少しでも上げるには、まゆゆ、にとって、新鮮な話題を書き、
「えっ、この世界には、そんな魔法も起こるの!?」
と、魔法を信じさせるしかない。
そのために、この問題の解答を続ける。
まず、少し復習しよう。
実数を、きちんと定義しようということで、実数の条件を17個書き、その17番目だけを、説明していたのだった。
その17番目の条件とは、次のようなものだった。
(R17) 実数体Rの、上に有界な任意の部分集合A≠に対して、Aの上限(最小上界)s=supAがRの中に存在する。
これの前半を、次のように、解析したのだった。
「実数の、上に有限な世界であるような、任意の部分集合A」
そして、「上に有限」というのを、「これを越えることはない、という限界を見せること」だとして、その限界として、まゆゆ星というものを考え、まゆゆ星が、3のところにある場合、集合Aは、例えば、
-2 -1 0 1 2 ☆ 4
―――――――――――――――――――――→
←――A――→
のように、
A={1,2}
などだ、という話をした。
前回の最後のところで、上限というのは、まゆゆ星より下の世界Aの最大値みたいなものだけど、それが、本当に、人間になるかどうか(実数になるかどうか)が、深刻な問題なのだ、と書いたのを、覚えているだろうか。
この話から、始めよう。
人間になるかどうか、とは、どういうことか。
例えば、まゆゆ星、が、3だった場合、それは、整数だから、もちろん分数でもあり、有理数の1つだ。
有理数を全部、集めた集合は、Q(きゅう)と、表す。割り算の商をquotient(くうぉーしえんと)というので、割り算、つまり分数で表される数、という意味なんだ。
有理数自体は、英語では、rational number(理性のある数,理解の及ぶ数)と言う。
そこで、今、この世界に、恐ろしい悪法をしくことを、考えよう。
悪法:有理数以外は、人間と認めない。
この瞬間、まゆゆ星は、有理数だったからいいけど、多くの人が、人でなくなった。
この悪法の支配する世界で、集合Aとして、
A={2乗して、2より小さい数}
というものを考えてみよう。
これは、つまり、その数を2乗して、2より小さければ、集合Aに入っていて、良いですよ、ということなのだ。
まず、1×1=1だから、1は、2乗して2より小さいから、Aに含まれている。
こういうとき、
1∈A
と書き、1はAの元である、という。
「∈」
という記号は、「1がAの元()である。」という意味らしい。
そういうわけで、Aは、空集合ではない。
では、まゆゆ星より下の、Aという世界と、まゆゆ星の存在する世界に、境界はあるだろうか。
つまり、Aに、最大値は、あるだろうか。
小学生なら、
「限界があるならば、どこかに、最大となるものがあるだろう。」
と思ってもおかしくはない。
だが、中学生くらいになると、
{x|1≦x<2}
なんていう集合、つまり、1以上2未満、なんていう集合には、最大値はない、ということを、知っている。
これが、最大値だ、と思って、1.99999999くらいの、大きそうな数を持ってきても、後から来た人間が、1.9999999999999なんかを後出しで、出してきたら、負けてしまう。
ここまで来て、まゆゆ、は、私が、ちょっとズルいことをしたのに、気付いただろうか。
では、まゆゆ星より下の、Aという世界と、まゆゆ星の存在する世界に、境界はあるだろうか。
つまり、Aに、最大値は、あるだろうか。
と、書いたところである。
これは、「つまり」で、結んでは、いけない文章だったのだ。
境界があっても、それが、Aの最大値になっていない場合がある。
さて、もう段々分かってきたと思うが、Aとまゆゆ星の世界の境界は、
なのである。
2乗して2になる数のところで、切れるのだから、当然である。
そして、このは、Aの元ではない。だから、Aの最大値でもない。
ジャーン。とうとう、あの悪法が、効力を発揮するときが来た。
が、有理数でない、というのは、以前、苦労して証明した。
だから、境界が、人間でないのである。
これがどういうことかというと、人間だけで考えていると、最大値どころか、境界の数値自体が、存在しない、ということに、なってしまうということなのだ。
これが、どれほど、深刻なことかというと、境界を定める条件である、
「2乗して2になる数」
には、無理数が現れていないのにも、かかわらず、境界が、無理数になってしまうということが、起こってしまっている、ということなのである。
具体的に書くと、
A={}
というように、A自体は、有理数だけで、定義されている。
ところが、Aの上の縁が、という無理数になってしまうのだ。
まゆゆ、は、
「だったら、悪法を退治して、無理数も人間と認める、とすれば、良いじゃない。」
と、言うかも知れない。
いかにも、『優等生』と言われているアイドルらしい意見。
でも、世界には、色んな悪魔がいるものだ。
なぜ、私が、今の話をしてきたと思う。
無理数まで、数を広げ、実数で考え始めても、今度は、実数の集合の上の縁が、超実数(?)とかいうような、実数でないもっとすごい、モンスターになって、求められなくなったら、どうする?
まあ、まゆゆ、は、ただの『優等生』ではなく、天才であった、ということで、答えを教えよう。
「モンスターが、現れない。」
つまり、
「上の縁は、常に実数になる。」
ということを、初めから、実数の性質としてしまう。
もう少し言うと、
「上の縁が、自分自身の中にあるもの。」
として、実数を定義する。
これを、実数の定義にしちゃった、というのが、20世紀の数学なんだね。
「そんなことして、本当に大丈夫なの?」
という問いには、
「小数で表される具体的な数として、実際に実数が表せる。」
ということが、大丈夫さを保証するものとして存在する、と答えられる。
もっと、厳格には、現代の数学の標準的な公理系ZFC(ツェルメロ/フレンケル+選択公理)やBG(ベルナイス/ゲーデル)で、実数の集合の存在が証明できるから、となるが、ここまで来ると、まゆゆ、に分からなくなる。
とにかく、原理的に、モンスターは、現れない。
「無理数も、人間と認める。」
という、まゆゆ女王、の改革は、結果的に成功だった。さすが、王様の道を、歩いてきただけある。
でも、女王様なら、
「蟷螂の斧(とうろうのおの)」
という言葉を調べて、まゆゆ、の前では、非力な、多くの人のことも、思いやれる人になってね。
というわけで、まゆゆ女王の改革により、実数の性質として、
「実数の、上に有限な世界であるような、任意の部分集合Aには、上の縁が、実数として存在する。」
というものが、新しい掟として、採用された。
これを、言い直したものが、
(R17) 実数体Rの、上に有界な任意の部分集合A≠に対して、Aの上限(最小上界)s=supAがRの中に存在する。
supの難しい定義を言わなくても、『上の縁』で、通じてしまうと思う。
上限とは、上の縁という意味なのだ。
一応、今日の最後に、supという記号の説明をしておこう。
まゆゆ、にも、分かるように、説明するから、大丈夫。
s=supA
であるとは、sが、Aの上の縁であるということである。
つまり、
・sは、Aのどの元を持ってきても、それ以上でなくてはいけない。
さらに、
・sからどんない小さい数ε(イプシロン)を引き算したとしても、それはもう上の縁ではないのだから、s-εよりも大きいAの元が、存在してしまう。
の2つの条件が、成り立つのである。
こういうとき、εという記号を使うのは、数学での慣習である。まゆゆ、は、初めて見るだろうが、こういう慣習を知るというのも、数学への入門の第一歩。
私は、中学校3年生の時、難しい数学の本で、3乗すると1になる数を、どの本でもω(おめが)と表しているのを、
「こういう慣習は良くない、もっと易しい、yなどの記号にしたほうが良い。」
と思って、ノートに書き写すとき、yにして書いてみたことがあった。
でも、後になって見返すとき、どの本でもωになっているものが、yになっていると、
「他の数かな?」
と思えてしまったり、逆にωになっていると、それだけで、3乗すると1になる数だと分かって、そのページだけいきなり見ても、分かるものなのだな、と感じられ、慣習を覚えるというのは、重要なことなのだと、認識したんだよね。
まゆゆ、にも、そういう慣習を、きちんと伝えていくよ。
今日の記号のおさらいをかねて、supの定義を書いてみると、
・任意のa∈Aについて、a≦s
・任意のε>0について、あるb∈Aが存在して、s-ε<b
の2つの条件が成り立つことを
s=supA
と、書く。
となる。
次回、他の16個の条件に、切り込んでいこう。
まゆゆ、『優等生』と形容されようと、『王道』と形容されようと、『正統派アイドル』と形容されようと、常にその言葉には、妬ましさが含まれている。
それに屈せず、生き続けるのは、厳しい。
でも、現に今、まゆゆ、は、生きている。
必ず、その人生を、全うできるさ。
一番辛いときは、もう過ぎているよ。
じゃ、今日は、バイバイ。
現在2015年6月18日23時11分である。おしまい。