現在2008年3月13日22時14分です。
私は現在、求職中であり、一つの予備校の非常勤講師の職を求めて、就職活動中である。
京都大学で、物理学科だったのだから、物理の先生になれば良さそうなものだが、以前にも書いたように、私の物理学は、余りにも数学的に厳密に組み立ててしまっているので、高校生に教えるのはちょっと問題があるのだ。
一方、数学の方は、もう少し柔軟に対応できるので、一応数学の先生として、雇ってもらおうと思っている。
現在の予備校を選んだのには、多少理由があった。
私は、今年になってから、かなり悩んでいた時期があって、数学や物理学の先生になれないのなら、今持っているすべての本を売って(30万円にはなる)、ベートーヴェンの生まれたボンと、音楽の都ウィーンに海外旅行に行って、最後に素晴らしい音楽を聴いた後、死のうかと思ったりしていた。
そんなとき、ふと、どこか、地球の果てにでも、先生のいない僻地があって、数学の先生が来てくれるのなら、障害者でも構わない、というようなところがないかと思った。
そこで、パソコンを立ち上げ、Yahoo Japan! で、「数学の先生求む」とだけ入れて検索してみたのだ。
そうしたら、1997年の記事だったが、SEGという中学高校一貫校を主に対象にした、数学の塾が、非常に魅力的な、数学の先生の募集をしていたのだ。
生徒に、受験のための数学を教えるだけでなく、本当の数学の面白さを伝え、大学へ行ってからも役に立つ、しっかりとした数学の力をつけることを目標にする。
というようなことが書いてあって、これはなかなか良いじゃないか、と思った。
そこで、そのSEGの横浜校に応募してみようと思ったのだ。
統合失調症の障害者であることを、隠す気はなかった。それをオープンにした上で、本当に、数学の先生として、才能があり、是非この人間をこの予備校の先生として、受け入れたい、と思ってもらえるくらいの授業をしようと思った。
本当のことを言うと、大学へ入ってから、私の数学は、一階の述語論理とベルナイス・ゲーデルの集合論の上に、築き直したものであり、受験数学は、ある意味、少し、不得意になってしまっていた。
完璧に論理的に証明されたことのみを正しいとして、それ以外のことは、認めない、という立場を貫こうとしており、そのために、数学の本を読む時も、非常に、ストイックに自分を律してきた。
だが、この予備校の募集に応募することにして、まず、履歴書を書く時、障害者であることを書いた上で、「御社で働きたい理由」という、作文を書いて送ったのだ。
それには、「数学において、正しいとはどういうことか述べよ、と言われたら、レポートを一本書けるくらいの深い理解を持っています。」
と書いた。また、次に、採用試験が送られてきて、それを解いた時も、800字以上の作文を書きなさい、というのに、
「生徒一人一人が、『自分の数学』を持って生きていけるように、助力するつもりです。」
と、書いた。
『自分の数学を持つ』
これは、私が常に心懸けていることであり、むしろ私の場合、
『自分の科学を持つ』
と、言った方が良い。『自分の科学を持つ』とは、先生がそう言ったからとか、本に書いてあったから、正しい、と思いこむようなことはなく、本当に、自分でゼロから、正しいと信じられることだけを、積み上げていって、正しいと認められることだけで、科学をすることである。
大学へ行って、新しいことがどんどん出てきて、その洪水の中で、自分の正しいと認められることだけで、科学をする、というのは、非常に困難なことである。
だが、そういう地道な積み重ねをしていかないと、本当の科学的な発見、というものは出来ないのだ。
自分で、これは絶対正しい、と信じられることをやっていないと、人間は、本来の力を発揮できないのだ。
逆に、自分で、これはきちんと積み上げてきたものだから、自信を持って、正しいと言える、というようなことをやっている人は、少々飛躍のあることをしても、それを、後で、埋めることが出来る。
こういうことは、自分が研究をやっているような人は、身に染みて感じていることだろうから、敢えて、書くまでもないのだが、大学に入ったばかりの新入生にとって、その重要さに気付いてもらうことは、なかなか難しい。
『自分の科学を持つ』
これを、私の生徒への最大のプレゼントにしたいと思っている。なかなか予備校の一講師として、それを実践するのは、難しいだろうが、これが、数学や科学を好きになるかどうかの分かれ目でもあるように思うから、重要なことだと思う。
それでは、講師に採用してもらえるよう、模擬授業の練習をすることにしよう。
今日はここまで。
現在2008年3月13日23時13分です。おしまい。