相対性理論を学びたい人のために

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私の物理と数学の才能

 現在2007年4月2日3時51分です。

 私は大学に入学したとき、本当に数学と物理を勉強したくてたまらなかった。1年浪人していたし、やりたいことはいっぱいあった。

 そんな私が、やがて、数学がわからなくなり、「数学において正しいとはどういうことか」というようなことに悩まされるようになった。

 この時以来、私は、大学にいるのが辛くなった。授業でどんどん難しいことが出てくるのに、私はもっと、易しいことを、きちんとやっておきたいと思ったのである。

 結局これが私の気を狂わせた。

 では私には才能はなかったのだろうか?

 つい最近出版された、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若き数学者への手紙

という本を手にとって、16章の

「どこからあんな突拍子もないアイデアがわくのか?」

という節を眺めていて、ただ授業を聞いているだけで、ほとんど勉強しなくても、最優秀の成績を取った、筆者の経験を読んでいて、私は、高校時代までの自分を思い出していた。

 高校時代まで、私は数学でいわゆるガリ勉というようなことをしていただろうか。確かに、どこに行くにも、矢ヶ部巌著「数Ⅲ方式ガロアの理論」を持ち歩いていて、バスの中でも読んでいた。

 しかし、学校の数学の勉強なんて、公式の暗記なんてほとんどしなかった。唯一丸暗記したのは、三角関数余弦定理だけだった。

 後は、自然と身についたのである。

 問題集も、1000題以上載っている本を持っていたが、その中から、興味のあるものを見つけ出して、それだけをやっていた。それでも不自由しなかったのである。

 ところが、大学に入ってからの私としたらどうだろう。

 問題集は、全問題解かなければならないように思ってしまったり、教科書も、第1ページから順番に読んでいかなければならないように思ってしまったりするようになってしまった。

 何がこの変化を生んだのだろう。

 私が数学に対する自信を失った、というのが最も正確な解答だろう。

 しかし、気が狂ってしまってから13年もたってみると、案外自信は取り戻した。

 では才能はあったのか。

 私は、数学の全分野に才能があったとは思わない。しかし、微分幾何や、微分位相幾何や、位相幾何学といったものに対しては、かなり才能があったように思うのだ。

 これらは物理学に密接に関係している。

 物理学も、私はゼミをやっているとき、次から次へと、アイディアがわいた。友達が、「君はほら吹きみたいだ」というほど、正しい場合もあるし、間違っている場合もあったが、アイディアがわいた。

 実は、佐々木節先生に、研究者になるのは無理ですよ。といわれたとき、「しかし、アメリカの大学へ留学すれば、年齢に関係なく、研究者になる道があります。厳しいことには違いありませんが。」といわれたのだった。

 ここまで、考えてみて、私は、やっぱり物理と数学に賭けてみたいと思った。

 語学の苦手な私に、留学は難しい。しかし、可能性があるのに、それをみすみす諦めるというのは、私の生き方ではない。

 私に本当に数学や物理の才能があるのかどうかは分からない。

 以前は、数学者としては、レオンハルトオイラーやカール・フリードリッヒ・ガウスを越える才能があり、物理学者としては、アイザック・ニュートンアルバート・アインシュタインを越える才能を持っていると信じていた。

 いや本当をいうと、そうだったらいいなあと思っていたのだ。

 だが、少なくとも35歳まででは、そんな片鱗も見られない。

 しかし人生は長い。今私が生まれて、これだけの数学と物理の知識を持っていたら、その後35年間で、どれだけすごいことが出来るか。

 世の中にはものすごい早熟な天才が、多くいる。しかし、そういう天才を持ってしても、解決されていない問題が、まだまだあるのだ。

 私だって、いつか遅咲きの桜が咲くかも知れない。

 それともう一つ、私には、統合失調症の人達にも、社会復帰でき、立派な仕事が出来る人が多くいるのだ、ということを私の実績によって、示すという大きな使命があるのだ。

 やはり、数学と物理の道で、生きていこう。そのためには、一人で勉強していては駄目だ。もっと多くの人と、活発に議論を戦わせなければ駄目だ。

 一人で勉強しているから、自殺なんてことも考えるようになるのだ。ちゃんと大学院へ行って、多くの人と切磋琢磨していこう。

 今日はここまで。

 現在2007年4月2日4時55分です。おしまい。