現在2013年5月1日0時23分である。
今年に入ってから、元旦に投稿して以来、ブログをほったらかしにしていた。
原因の一つは、パソコンが故障し、古い、起動してから40分くらい使えないパソコンしかなくて、インターネットどころではなかったのだ。
まだ、根本的原因は解消されていないのだが、今日は、やっぱり投稿しておこうと思って、やっと書き始めた。
まず、書き始めた理由は、1月ほど前に出会った1冊の雑誌と、今日というか昨日出会った、一冊の本であった。
先月に出会った雑誌というのは、
ソフトウェアデザインという、プログラマーの間では結構よく知られているらしい雑誌の4月号だった。
Software Design (ソフトウェア デザイン) 2013年 04月号 [雑誌] [雑誌]
この雑誌のどこが気に入ったかというと、若いプログラマー達が、どうやって自分が、プログラミングの勉強をしたか、ということの本音を書いていたことだった。
いくつか、買う動機になった言葉があったのだが、その中の一つに、
アウトプットを出す
というものがあった。
雑誌の43ページにあった言葉で、その人は、理解を深めるには、一番良いのは、人に説明すること、次が書いて理解すること、良くないのは、読んで理解すること、というようなことを書いていた。
そして、
具体的に何をすれば・・・・・・という読者は、ブログを開設して、今日理解できたこと、理解できなかったこと、調べたメモなどを記事にしていくのがのが1つの手です。
と、書いていたのだ。
ブログなら、私も、このブログを持っている。私の場合、プログラミングを勉強するわけではないが、数学や物理学の勉強をするのを、記事にしていったら良い。
本当のことをいうと、私は、今までにも、物理学の勉強で、分からなかった点などをこのブログに書き込んだりはしていたのだが、何度も挫折した経験があった。
そんなわけで、せっかく良いヒントをもらったが、4月から、ブログに書き込みをすることは躊躇していた。
さて、そんな経過があって、今日、外出した帰りに本屋で、
「100%自分原因説で考えてみたら・・・・・・」
100%自分原因説で物事を考えてみたら…… [単行本(ソフトカバー)]
という本を手に取ったのだ。
なぜそんなことになったかというと、ちょっと自分の病気のことで調べたいことがあって、戸塚のmodiの有隣堂で、統合失調症の棚に行った。精神病の棚は、心理学の棚などの隣で、そのそばには、自己啓発の本もあったのだ。この本は、そこにあったのである。
気になる本を見つけたら、例えそれがどんなに高くとも、また、恥ずかしい内容の本であったとしても、一度は開いてみる、というのを心に決めている私は、今までにも、自己啓発の本は何冊も見てきたが、開いてみる気になった。
そこに書いてあったことは、大まかにいうと、次のようなことだった。
今の自分がそういう状況にあるのは、自分がそうなることを容認してきたからだ。幸せでないとしたら、それは、すべて自分の責任だ。
これを読んで私は、思い当たる節があった。
現在私は、統合失調症になり、障害年金でカスカスの人生を送っている。そして、以前から口にしていたとおり、得意の数学と物理学で仕事が出来なかったら、他には何の才能もないのだから、パン屋の厨房の奥で、ブドウの選別をのろのろと、しかし正確にやっているのが良いのだ、というのがそのまま現実になって、作業所で、お弁当作りをしている。
確かにこうなったのには、父の教育方針の影響もあったが、それだけだろうか。とにかく自立しろという父の言いなりになって、経済的に自立するために、全力を傾けてきたのだが、本当に私が幸せに生きていくためのことを考えたら、例え父が自立しろと言ったとしても、自分の唯一の才能の、数学と物理学の研究のために、必死に勉強すべきだったのではないか。
病気のために、眠くなりやすいというハンディキャップを負ってしまったために、勉強が、なかなか出来なかったというのは事実である。私には、わずかの時間しかなかった。だが、その貴重な時間をすべて数学と物理学に傾けていたら。
そして、無理矢理にでも父を説得して、大学に戻っていたら、少し出発は遅くとも、数学者か物理学者になれていたのではないか。
その方がよっぽど、経済的に自立した生活を送れていたのではないかと、今になって思う。
私も、考えが甘かったし、父と母も、考えが甘かった。
同じく統合失調症だったというヴィンセント・ファン・ゴッホと比べるのは、分野も違うし、才能も違うから適当ではないかも知れないが、ゴッホは、生前にはたった1枚しか絵が売れなかったそうだが、絵を描くことしかできなかった。
「黄色いひまわりの絵ばかり描いていたんでしょ。」
と、少しばかり絵の才能のある母に尋ねた時、
「黄色、なんて単純なものじゃないのよ。」
と言われて、一つの絵を見せてもらった。
そのひまわりは、少し枯れかけていたが、確かに母の言うように、一色の黄色ではなかった。
ゴッホだから、写実的というわけではないのだが、とにかく、ありとあらゆる工夫のなされた、何十段階もの黄色と黒の間の色が使われていた。
「これが、天才ということか。」
と、その時、思い知らされたのを今でも覚えている。
話がそれたが、ゴッホが絵を描くことしかできなかったように、私には、数学と物理学しか出来ないのである。その明白な事実から目をそらし、技術者か職人にでもならせようとして、私に、
「学者になる道は閉ざされたのよ。」
と言い聞かせようとした、父と母は、どこからそんな考えを持ったのだろう。今になると、少し不思議にも思う。
だが、まずかったのは、そういう父と母に、反発を感じながらも、とりあえず、技術者になってお金を稼いでから、大学に戻ろうと、私が考えたことだった。
学者の世界は、年齢制限が細かくあって、よっぽどノーベル賞級の論文でも書かない限り、年取ってから博士になって、それから、研究者を目指すというのは、難しいのである。
それに気付いたのは、私がかなり歳をとってからだった。
万事休すか。
そこで、さっきの本が出てくるのである。!
自分の人生は、自分の責任でかたち作られる。
というようなことが書いてあった、と言った。
そうなのである。この世界は、自分がこうしたいと強く望むのなら、そうなっていくものなのである。
私は、現在41歳である。だが、それを、もう41歳ととるか、まだ41歳ととるかで人生は変わる。
私は、まだ41歳ととろうと思う。
そして、自分のこれからの人生を、本当に、自分で幸せだと思えるような人生にしていこうと思う。
そのために、このブログをもう一度活用しようと思う。
今日はもう遅くなってしまったのでこれで終わりにするが、明日はまず、私が、本当は何をやりたいのかという根源的な問題から、掘り起こしていこうと思う。
今日はここまで。
現在2013年5月1日4時30分である。おしまい。