相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

駆け落ちのシミュレート(その19)

 現在2021年7月17日21時51分である。(この投稿は、ほぼ5159文字)

麻友「昨日は、山田詠美さんに関して、ずっと謎だったことが、氷解したわ。太郎さんのお母様への対応を、間違えないように、情報を有効活用する」

私「私も、上手く書けたかどうか、ちょっと心許ないけど、かなり正直に書いた」

麻友「そうすると、次は、お父様のことを、知りたくなるんだけど」

私「これね、今までにも、書きたいことが、一杯あったんだよ。だけど、父という人が、自分のことを知られるのを、好まない人なので、非常にデリケートな問題だったんだ」

麻友「でも、私としては、知ってないと、困るのよね」

私「今まで話しているように、勉強好きなのは、私と互角と言っていい。私が、読んでいる学術書の新しい版が出ると、すぐ手に入れる人間であるのに対し、父は、図書館で借りて、変化した部分だけ、コピーするというように、勉強のスタイルは、全然違うけど、学問を、信仰のように思っているのは、同じだ」

麻友「2018年まで、大学院へ行ってたのよね」

私「これは、きちんと書いた方が、良いのだと思うけど、大黒ふ頭サザンオールスターズの、『♪マーリンルージュで愛されて、大黒ふ頭で虹を見て』の大黒ふ頭)にある、『ふれーゆ』という温水プールに、健康のために母と通っていたとき、途中のバス停に、横浜市立大学というのが、あったんだ。父は、調べて、そこの大学院に、分子生物学の研究室があるのを、確かめた。2012年頃だ。そして、受けるだけ受けてみた。発表の日、『どうせ落ちてる』なんて、言って、『みかん山の家』へ行く用意までして、発表を見に行った。そうしたら、受かってたのだ。『どうしよう?』などと言いつつ、面接試験を受けた。『70代の学生を入学させるのは初めてだが』、などと言われ、さらに、入学したら、実は、その研究室の先生は、もう他の大学に、移ってしまっていたんだ」

麻友「あらっ、それ酷くない?」

私「そういう話は、良く聞くんだ。アメリカの大学に留学した人でも、立派な先生だからと、入学したのに、その先生は、いつも他の大学を飛び回っていて、全然面倒を見てもらえなかった、という話も聞いたことがある。だから、大学院を受けるなら、あらかじめ研究室訪問をしておくべきなんだ。私でも、大学院を考えていたとき、『失敗しない大学院進学ガイド』という本を読んで、行こうかどうか検討していた、京都大学基礎物理学研究所に当時いらした、佐々木節(ささき みさお)先生を、マロングラッセ持って、訪問したことが、あるくらいだからね」

サイエンスコミュニケーション『理工系&バイオ系 失敗しない大学院進学ガイド』(日本評論社

麻友「そういうものなんだ。でも、太郎さんは、受けなかったの?」

私「放送大学卒業の学力では、研究は無理だと覚って、その年、大学院は、受けなかった」

麻友「そうだったのね。お父様の方は、どうだったのかしら?」

私「それで、父も困ったんだけど、超伝導の研究をしている研究室に、ちょっと興味をそそられたんだ。それで、本当に入学した。正直言って、71歳くらいの父にとって、50年前の21歳くらいのときとは、何もかも違っただろう」

麻友「そうよね。50年前なんて、全部手書きだものね」

私「2年かけて、修士号を取った。実は、父が大学院に行っているというのは、この後(2015年頃)私は、初めて知らされた。あの横浜市立みなと赤十字病院の入院の後だ。私は、父に『一緒に超伝導の勉強をしない?』と言ってみたが、梨のつぶてだった」

麻友「あらあら」

私「父の横浜市立大学での担当教官は、東京工業大学の先生だった。それで、父に、『1週間に1回くらい東工大のキャンパスへ来るだけでいいから、後は、横浜市立大学の研究室で、好きなだけ、研究していていいから、博士号を、目指さないか?』と、言ってくれた」

麻友「そういう口利きで、なんとかなるの?」

私「一応、東京工業大学の博士課程入学の試験はあったけど、ほとんど、英文の論文が書けて、英語でプレゼンできるかどうかの試験だったと、後で父が言っていた」

麻友「太郎さん。英語、磨かなきゃ、駄目なんじゃない?」

私「英語を磨いた後になって、業績が伴わなかった、という方が、よっぽどがっかりだ」


麻友「そう思って、太郎さんは、あまり英語を真面目に勉強しないの?」

私「英文学を書くのなら、それなりに、きちんと勉強しなければならないけど、数学の論文を書くのなら、そんなに、英語の学力が問われるわけではない」

麻友「でも、プレゼンは?」

私「妹の例を見ているから、安心しているんだ」

麻友「妹さんが?」

私「就職した後、妹は、ガーデニングの勉強をするんだと言って、イギリスへ行くために、駅前留学だよね、YMCAに、通い出したんだ。国文科だったし、そんなに英語が話せたはずないのに、あっという間に、英会話できるようになって、前にも話した、Nikon newFM2 を持って、イギリスへ行って、色々勉強してきたんだ」

麻友「あっ、だから太郎さんは、英会話は、必要になってから、なんとかなると、高を括ってるのね」

私「私の現在の、数学の程度の低さを考えると、英語なんか、どうでも良いんだ」


麻友「お父様、東京工業大学の博士課程で、どうだったのかしら?」

私「いじめられているんじゃないかと、私は、心配していたんだよ。工学部とは言っても、超伝導を扱うのなら、やっぱり場の量子論を、使うわけだし、私でも読めない、ランダウ理論物理学教程の9巻なんだからね、超伝導は」

リフシッツ/ピタエフスキー『量子統計物理学』(岩波書店


麻友「お父様が、ランダウの9巻が、読めないというのは、確かだったの?」

私「父に『一緒に超伝導の勉強をしない?』と言ってみたと、書いたね。2015年1月15日に、みなと赤十字病院から退院してきて、初めて大学院へ行っていることを知らされ、『ラグランジアンって、知ってる?』と、聞いたら、『知らない』と言われて、これは、どうしてあげたらいいだろう?と、考えた。2015年1月末の頃だ。2月1日から、OneNoteで、一緒に勉強しようよと誘っても、反応がなく、じゃあ交換ノートを、作ってみたらと、ノートを開いた左側を私が書き、右側を父が書くようにして、交換ノートを作った。どうしたら、父が、質問しやすくなるだろうと考えて、私が先生、父が生徒ということにして、何を質問してもいいですと、した。だがこれにも、『生徒になる気ないから』と、いうことで、そのノートは、その後、母のメモ帳になってしまっていた」

麻友「確かに、普通の人かも知れないけど、気難しいのは、確かね」

私「そうやって、大学院博士課程は、3年では、駄目だった。でも、担当の先生が、良い先生で、『もう1年頑張りましょう』と、言ってくれて、無事2018年、学位論文が通った」

麻友「お父様にとって、どんな意味があったのでしょうね」

私「あるとき、孫なんかもいるところで、ざっくばらんに、『それで、お父さん、大学院に行って良かった?』と、聞いてみた。そうしたら、『良かったよ。知らなかったことを色々知ったし』と言って、孫の方を向いて、『慶応の先生は、あんな風に、『こうやったら、ノーベル賞が取れる』とは、教えてくれなかったな』と、言ったんだ」

麻友「えっ、こうやったらノーベル賞が取れるなんて、東京工業大学の先生は、教えてくれるの?」

私「直接、父がどんな話を聞いたか、分からないけど、私が京都大学に入学した年、理学部の入学ガイダンスで、物理学の担当の先生が、


  アップ   チャーム    トップ
   ◯      ◯      ✕

  ダウン   ストレンジ   ボトム
   ◯      ◯      ◯

という表を見せて、『ダウンクオーク、アップクオーク、ストレンジクオーク、チャームクオーク、ボトムクオークは、見つかっている。だが、トップクオークは、見つかっていない。トップレスの状態なんだな。でも、トップレスというのは、風紀が悪い。だれか、トップクオーク見つけないか? ノーベル賞もらえるぞ』と言ったこともあった」

麻友「わからないんだけど、それが、見つかると、どうなるの?」

私「理論の予想の通りだ、ということになって、発見した機関は、ノーベル賞授与」

麻友「実際は?」

私「私がまだ在学中の、1994年、配達していた朝日新聞に、『フェルミ国立加速器研究所が、トップクオーク発見』の報が載った。新聞を配り終えた後、『専門分野なので』と言って、ASA(朝日新聞サービスアンカー)で、記事を丁寧に読ませてもらった。大学に行ったら、『益川さん、ノーベル賞か?』と、言ってる人もいて、私が『あの先生、字が汚いんだよなあ』などと笑ったりもした。先生の中には、『益川さんは、トップクオークは、あって当たり前なんだと、言ってるが、今は黙っておけと言いたいんだよな』という人もいた」

麻友「益川さんって、あのアインシュタインが、晩年こんなことを、考えていたっていう風刺画の人よね『相対論への招待(その30)』の」

私「そう。だから、本当に身近に、ノーベル賞受賞者が、いたりする」

麻友「それで、トップクオークが、見つかって、ノーベル賞は?」

私「それから、その夏で、私は、気が触れ、学問から遠ざかったので、分からなかった。鎌倉のねくすとに、参加していた、2008年、小林誠さんと、益川敏英さんと、南部陽一郎さんの3人が、ノーベル物理学賞を、受けた。益川さんの受賞理由は、『クオークの世代数を予言する自発的対称性の破れの機構の発見』要するに、ボトムクオークとトップクオークの予言に対する、授与だった」

麻友「トップクオークを発見した人は?」

私「これ、見つかったばっかりの頃から、問題になっていたんだ。もの凄く沢山の人が関与している研究所で、論文自体も何十人もの連名で、誰にノーベル賞あげるべきなのか、ノーベル賞委員会も、困っているということだった」

麻友「そんな、ノーベル賞委員会が、困っているなんていう情報も、太郎さんのところまで、来るの?」

私「物理とか、数学って、かなり狭い世界だから、噂は、かなり広まる」

麻友「そこまで聞いて、初めて、お父様が、『慶応の先生は、あんな風に、『こうやったら、ノーベル賞が取れる』とは、教えてくれなかったな』と言ったのが、分かった気がする。学問って、平等に開かれているわけではないのね」

私「それは、あるんだよね。父が、70代になってからでも、そういう一流に触れられたのは、良かったと思うし、もしこれを読んでいるのが、中学生や高校生なら、理系の学問、特に、理論物理学や、数学を目指すのなら、京都大学や、東京大学や、東京工業大学を、死守するよう勧める」

麻友「太郎さん。結構イジワルなのよね。京都大学は、レヴェルが高いと言い、大学3回生で、十分大学院に受かる力を付けさせてくれるんだ、と言いながら、演習の時間にどんな問題が出るのか、見せてくれないんだもの」

私「これは、イジワルしてるんじゃなくて、見せられないんだ」

麻友「なんか、協定を結んでいるとか?」

私「恥ずかしいんだけど、私にも解けないんだ」

麻友「(絶句)」

私「分かった?」

麻友「じゃあ、問題は、見せてくれる?」

私「しょうがないね。今日は、遅くなっちゃったけど、次回、京都大学の数学の演義というのが、どれほどか、見せてあげるよ」


麻友「太郎さん。どうして、3回生の問題が、解けないの?」

私「これは、訓練で解けるように、なる部分が、大きいんだ。1週間で、この問題を解こうと、必死になることで、力が付く。私は、もっと速く、その波に乗らなければ、ならなかったんだろうね」

麻友「お父様の気持ちと、太郎さんの気持ちを、色々聞いた日だったわね」

私「父が、アイドルをどう思っているか、分からないけど、誠実に応じれば、全く無理ではないよ」

麻友「じゃあ、今日は、おやすみ」

私「おやすみ」