現在2018年5月16日17時51分である。
「あれっ、どうしたの? こんな題で」
今日、通院だったんだ。
でも、入院なんてことにはならず、5月18日、『アメリ』観に行かれそうなんだ。
「チケットは買ったんだから、当然これるんじゃないの?」
いや、危なかったんだ。
今回こんな題で、単発的に投稿することにしたのは、本当は、これ以外に、長い記事を一昨日(5月14日)書いていたんだけど、書き終われなかったからなんだ。
「どれくらいの長さの記事を書いてたの?」
軽く5千字を越えていて、しかも麻友さんにウソは書きたくないからと、10冊以上文献を参照して、インターネットも検索して、お昼の12時頃から、夜21時頃まで、書いてたんだ。
「お昼ご飯や、夕食は?」
書き上げたら食べようと思って、食べてなかった。
「そんなことしたら、病気が再発するわよ」
それが、ぎりぎりのところで、回避されたんだよ。
「どうやって?」
最後の薬のアラームが鳴ったとき、
『はっ』
と、気付いたんだよね。
『このまま、眠らないと、また入院することになる』
ってね。
「太郎さん、そこまでならないと、気付かないの?」
いや、今回気付いた、というのは、大きな進歩なんだ。
「進歩だかなんだか分からないけど、もうすこしで、『アメリ』に、来られなかったんじゃない」
うん。危なかった。
「それで、今回の記事は?」
今日、ダブミーのリンクから、明治安田生命のライフフィールドマガジンのインタヴューを読んだんだ。
「あれは、5月11日発表だったけど」
今日まで、気付かなかったんだ。
「それで?」
まず、麻友さんが、『人のことは気にしない』ということを教訓にして、生きてきた、と書いてる。
「それは、そうよ。人は人、自分は自分。親にそう言われて育ってきたのよ」
うん。その心がけは、非常に良いと思う。
ただ、私は、麻友さんの口からこういう言葉が出てきたのが、ちょっと意外だった。
そのまま、インタヴューを、読み続けた。
すると、その麻友さんが、こういうことを言っている。
「私にはないアメリの奔放さみたいなものに憧れます。だけど、私の性格上、やっぱりそうなることはできない。だから、演技を通してなりたい自分になれる喜びを感じています」
これは、半分本心だけど、半分ウソだな。
「なんてことを、言うのよ」
『私にはないアメリの奔放さみたいなものに憧れます』は、本心だ。
でも、『だけど、私の性格上、やっぱりそうなることはできない』は、ウソだな。
麻友さんは、
『アメリのように、奔放に生きたいし、(誰かが手伝ってくれれば)自分も奔放に生きられるはずだ』
というのが、本心だろう。
「いや、無理なのよ。だから、女優という形で、奔放に生きている気分を、味わっているのよ」
ここで、これ以上口説いても、すぐ落ちる麻友さんでないのは分かってるから、今日は、ここまでにするけど、『人のことは気にしない』というのを教訓にして生きてきた麻友さんは、演じるだけで満足できる人ではない。
AKB48だって、応援する側でなく、歌う側になった麻友さんじゃないか。
私の側から提示できる条件が、
『ものすっごく幸せな家庭に育った人』
というものの他に、もう一つ、
『昼ご飯も夕食も食べず、以前に飲み忘れて死にそうになったほどの薬も忘れるほど、ひとつのことに集中できる、ものすごく奔放に生きている人の見本を見せられる人』
というものがあるよ、と言っておこう。
「太郎さん、『あげたい』って、太郎さんの人生をくれるってこと?」
いつもの、物わかりの良さ、健在。
あっ、そうそう、
『バードウォッチングじゃないのだから、そんな双眼鏡恥ずかしいわよ』
と言って、母が舞台を見に行くときの、おしゃれな単眼鏡貸してくれたからね。
「お母様」
じゃ、バイバイ。
「あっ、バイバイ」
現在2018年5月16日18時56分である。おしまい。