現在2018年9月5日4時16分である。
「この話題、もう(その6)になってる。そろそろ、終わりにできない?」
私も、そのつもりだ。
本文中に、
そこで、毎日めげず、何度も同じようなサイトを、同じような一連の操作して、見れたのは、私の記憶力が、確かだったからなんだよ。
「そこでも、記憶に、自信持ってると、良かったんだ。って、ちょっと、先生、『めげず』なんて言葉あるんですか?」
麻友さんに、先生と呼ばれたら、私が、応じるのだよね。
というやり取りがある。
私は、日本語の文法を、ほとんど知らないので、辞書に、『めげず』という言葉がないので、『めげずなんて日本語じゃありません』などと書いてしまったが、『めげる』という日本語があり、それに打ち消しの『ず』がついたもので、れっきとした日本語らしい。これも、インターネットで調べた。
「太郎さん、チェックしてるのね」
そう、麻友さんにウソを教えないように、できる限りチェックしている。
「そうすると、その後の、〔about〕は?」
そう、ここすごく面白い話の展開になってるよね。
麻友さんに、辞書の使い方を突っ込まれて、
『この辞書、凡例が、ないんだ』
みたいに、慌てて、それに対し、麻友さんが、
『インターネットでググれば、凡例があることくらい分かる』
と、言ってくる。
この部分は、ブログ書きながら、
『あっ、凡例がない、どうしよう』
と思って、取扱説明書を探したりして、その後、ググって、解決して、
『これを、麻友さんの手柄にしてあげよう』
と思って、あの文章は生まれたんだ。
ただ、〔about〕に、めげないという意味がある、という解釈は、一時の気の迷いだった。
あの場合、cheerful という単語を引いているのだから、cheerful about ~ に、『~に関して、めげない』という意味があるのだと、取らなければ、いけないのだね。
「太郎さんの頭って、疲れてないときは、本当に、クリアーに、働いてるのね」
普通の人と、大して違わないけど。
「この後、
私は、次に続けることを考えてたんだ。
「もう、その行、持ってきちゃいなさい」
そうするか。
「ああ、そうやって、『NS-1000M』だと、特定したの、でもこのスピーカーの話は、まだ、出てくるの?」
と、無理矢理、話を進めてしまう。どうやって、『NS-1000M』だと特定したか、という話を、聞きたいわ」
そうなんだよね。あのとき、眠くてここを書けなかった。
こういうことを、書きたかったんだ。
まず、毎日のように、ヤマハのホームページを見ていると、スピーカーの情報が、入ってくる。
だが、昔、父が見せてくれた、スピーカーの形をしていない。
おじいちゃんの『あれ』を見つけるには、まずそのものの形をなんとなくでも良いから覚えていて、それを信じられなければ、いけない。
私の場合、当時のヤマハのスピーカーの主流、トールボーイスピーカー(こういうの)、
でなく、フロア型スピーカー(次のようなの)、
だった。という、かすかな記憶があった。
だから、私は、父の言っていた、『あれ』は、どこに行ったのだろうと、気になっていた。
インターネットの検索に慣れてくると、
『ヤマハの伝説のスピーカー』
などという無茶苦茶な検索ができることを、覚える。
やってみると、なんとそのスピーカーは、ヤマハが23年間作り続けて、スウェーデン国営放送や、フィンランド国営放送で、モニタースピーカーとして使われたという、『NS-1000M』というものだと分かった。
決め手となったのは、うろ覚えの形だった。それと、私が大学にいたとき、まだあったこと。私が、幼稚園の頃、発売されたという父の言葉など。
すべてが、これに合致した。
こうして、『NS-1000M』と、特定された。
早速値段は、と見ると、なんと1997年に、製造中止になっている。
がっかりだった。
「太郎さん、自分が買いたかった、2006年当時のスピーカーでは、満足できなかったの?」
あのときも、書いたように、2本で178,500円のスピーカーでは、『ハッ』とさせられるような音は、出せない。40万円でも無理。
「太郎さん、この後、YAMAHAのスピーカーが、私と同時進行だった、と書きながら、その後スピーカーの話が立ち消えになってるのよね」
そう。書き切れなかったんだ。
麻友さんに2015年に会って、2016年1月2日に、鎌倉のねくすとのメンバーだった人から、メールをもらう。
このメールをくれた人とは、ねくすとにいたときから、オーディオの話をしていた。
スピーカーの試聴会などに行ったりする、オーディオマニアなのだ。
「その人と、太郎さんだったら、どっちがよりオーディオマニア?」
断然、向こうだね。
「えっ、そうなの?」
私は、オーディオのマニアじゃないんだ。
良い音で、音楽を聴きたいんだ。
だから、いざアンプを買おうとか、スピーカーを買おうと、なったときは、雑誌なんかを見て比べるけど、普段はオーディオの雑誌なんて、読まない。
「だけど、太郎さん、高級なアンプとか持ってる」
あれは、あのとき、本当に私の要求に合ったアンプがあったから、あれを選んだんだ。
あの後も、ヤマハは、アンプ出してるけど、私に取っては、どうでもいい。
「どうして、どうでもいいの?」
あのアンプが出たとき、ちょうどDVDの規格が定着して、ブルーレイの規格もほぼ決まっていた。
だから、私のアンプは、スピーカーさえ並べれば、DVDやブルーレイの5.1ch音声も、流せるんだ。
しかもそれだけじゃない。
AV(オーディオヴィジュアル)アンプとなると、ピュアオーディオ(映像のない純粋な音楽を流すオーディオ)のアンプとしての性能が劣るものが多いのだけど、このアンプは、ピュアダイレクトモードという映像回路停止モードをボタンひとつで切り替えできて、音に関しても、完璧なんだ。
「じゃあ、ヤマハで、一番高いアンプだったの?」
実は、このアンプの前に、ヤマハは、40万円くらいのアンプを出していて、私のアンプは、231,000円だから、2番目に高いアンプだった。だけど、私は性能を調べたから分かるけど、私のアンプの方が、性能は上だった。
新宿のヨドバシカメラで、
『このアンプはいくらになりますか?』
と、聞いたとき、店員が、上司に、
『あの一番高いの売れます』
と、報告していたからね。
「どうして、新宿まで行ったの? 池袋のビックカメラじゃだめだったの?」
在庫があるのは、ヨドバシカメラ新宿店だけだったんだよ。
「在庫って、まさか、持って帰ってきたの?」
持って帰ってきたよ。重かったけどね。
「太郎さん、本当に音にこだわるのね。それで、オーディオマニアの人からメールもらって、どうしたの?」
何か、オーディオの話題を返してあげようと思って、『スピーカー』とか、ググったんだよ。
「何か引っかかった?」
何かも何も、2016年7月に、ヤマハが、NS-1000Mを超える音を出せるというNS-5000というスピーカーを発売予定だ、ということが、分かったんだ。
「太郎さんが、言いたかったのは、そのことだったのね」
そう、NS-5000の話を、あの後話すつもりだったんだ。
「それで、いくらだったの?」
税抜きで、2本で1,500,000円だった。
「150万円! それくらい出さないと、本当に音の良いスピーカーって、買えないの?」
まあ、スピーカーとしては、最高級だね。
海外には、1本150万円のスピーカーもあるけど、正直言ってそのレヴェルになると、私には、違いが分からない。
「マッハ40の、ベリリウムは、どうなったの?」
ベリリウムに代わる材質を求めて、20年かかっちゃったんだけど、ザイロンという化学繊維を使うことにした。
音速
ベリリウム 12,890 m/s
ザイロン 13,160 m/s
「これ、どこまで、信じられるの?」
はっきり言って、気持ちの問題という部分はある。
「太郎さん、このスピーカー欲しいの?」
私、奥さんに相談せずに、800万円のオーディオセット買って、離婚することになった人知ってるから、そんな無茶したくない。
いい音で音楽が聴けたら素晴らしいけど、私は、音楽評論家でもない。
私は、やっぱり、数学をやってるときが、一番幸せだから、スピーカーに150万円かけなくてもいいな。
ただ、麻友さんに、こういうスピーカーがあるということだけ、知っておいてもらいたかったんだ。
「私と同時進行だった、スピーカー、諦めていいの?」
二兎は追えないよ。私は、麻友さんが、一番大切だ。
「良かったわ。太郎さんが、無茶なことを言い出さなくて」
これは、麻友さんとの結婚が現実味を帯びてきたから、ひとりでに生まれてきた現象なんだよ。
「さあ、最後の部分よ。お母様とCDとの関係」
父に、謝ってお金を返したとき、父は、
『これからは、我が家へは客としてこい。鍵は取り上げる。もう勝手にしろ』
と言った。
これは、想定内だった。
そして、それ以来、今でも、私は、実家の鍵を持ってない。
「ああ、だから、3日に1回、お母様のところへお金を受け取りに行かないと、食べられなくなるのね」
そう。
そして、もうひとつ。
父が、2006年12月24日に、
『もう勝手にしろ』
と言ったので、翌2007年2月、社長宛に辞職願のメールを書き、色々あったが、その会社を辞めることができた。
「そんなに、その会社が、いやだったの?」
考えてもごらんよ。その小さい会社に、色々な発注をしていた大きな会社の部長様が、息子が精神分裂病になったので受け入れてもらえませんかという。
そこからして、父は、勘違いしていたのだ。
京都から戻ってきた私に、
『自立するにはどうしたらいいか、レポートを書け』
と言って、2週間に1回書かせていた。
見かねた母が、
『お父さんの懇意にしている小さい会社があるから、あそこで働けるといいのにねえ』
などと、私に言った。
当時、大学も休学中で、
『大学に戻って、どうやったら卒業できるだろう。今の頭で、卒業できるだろうか?』
と、不安だった私は、父と図書館へ行った帰り、
『栄信工業で、働くなんて事ができるのかな?』
と、聞いてみた。
父は、
『病気が治ってからだな』
と言った。
やり取りは、これだけなのである。
その後、父は、シンガポールへ、会社の拠点を作る仕事で行ってしまい、私は、インターネットもまだほとんどない社会で、父にメールで、レポートを送っていた。
地域の生活教室、デイケア、職親制度、など、少しずつ、リハビリはしていたが、現在のように、頭がクリアーになることなどなく、一日中睡眠薬で、眠い状態だった。
新横浜のデイケアから、職親制度のようなものを利用して、保土ケ谷のギャバンスパイスという会社へ、シナモンのスティックをカップ詰めする仕事をしに行っていた。
最低賃金の保証されない、仕事ではなくやることがないから時間だけつぶしています、みたいな状態で、2年過ごした。
そして、シンガポールから帰ってきたかと思うと、父は、
『明日、栄信工業の社長に、話してみようと思う』
と、言いだし、
『太郎が、行きたがっていたんだからな』
みたいな感じだった。
私の頭には、物理学者になることしかないのだから、こんなことを言われたら、
『とりあえず従っておいて、頭が元に戻ったら、大学へ帰ろう』
ということになるのは、当然だ。
『大きな会社の部長様の息子さんが来る。しかも、障害があるらしい。社長の一存で決定されたらしい』
となれば、古くからの社員の人達だって、あまり面白くない。
『ただ、松田さんは、優秀な人だったから、息子さんも優秀かも知れない。京都大学に行っていたと言うし』
などと思っていたのに、来てみたら、一日中、半分眠ったような状態で、コンピューターが使えるかと思っても、プログラムも組めない。
これは、或る意味、私は、父がシンガポールにいた頃から予想していたことなのだ。
あの京都大学入学時に、母が連れて行った京都大学病院の精神科の先生が、
『おまえな、この机、サーッとなでれば、それだけだろ。それを、おまえは、出っ張りやくぼみ、全部つまづきよるんじゃ。同志社の学生、そんな恋愛しないぞ』
と言った。
それに対し、私は、
『だって、私は、京大生なのですから』
と答えた。
「えっ、太郎さん、本当に、そう答えたの?」
答えたよ。だって、私にだって、京大生のプライドがあるもの。
「確かに、そういう人じゃ、普通の会社では、使いにくいわね」
あのときの私の頭の働きじゃ、シナモンスティックのカップ詰めより難しい仕事は、無理だったんだ。
4年前、横浜市立みなと赤十字病院に入院して、薬を1回完全に抜き、新しい薬にしたことで、京都大学の学生時代のような、頭の冴えが戻って初めて、
『ああ、これが、生きているって事だよな。今まで20年、眠ってたな』
と、分かったんだよ。
だから、あの会社の社員の人も、意地悪するつもりはなくても、私が、やる気がないし、やらせてもダメだ、というので、お荷物だな、と思っていたの当然なんだ。
考え方が違うという点では、こんな話もある。
「何が困ったの?」
まず、畑違いでしょ。
工業高校とか出ているような人が、働いてる職場だから、言葉も考え方も違う。
「どれくらい、違うの?」
例えばね、社長が、
『太郎君。三角法は、知ってるかい』
と言うから、三角関数の使い方でも聞いているのかな?と思って、
『三角関数の何かですか?』
と聞くと、
『いや、2次元の図面の描き方なんだ』
と言って、
『こうやって、ものがあるとき、下に投影図を描き、その右に、ものを右側から見た図を、描くのを、三角法で描いた図面っていうんだ』
と、説明してくれる。
『三角というから、三角関数と関係あるのかと思いました』
と答えながら、私としては、なぜその図の書き方を、『三角法』というのか、知りたくなる。
普通の人なら、
『なぜ、三角というのですか?』
と聞くか、
『そういうものなのだろう』
と思って、そのまま覚えるのかも知れない。
「私も、そのどっちかにすると思う」
私は、実際、調べましたよ。
『一角法』というのと、『三角法』というのがあり、微妙に違うのも、分かりましたよ。
でも、結論を書くと、『一』とか『三』とかいう言葉に、必然性などないのでした。
「本当にないの?」
私は、ちゃんと図面の描き方を書いてある本を読みましたが、
『ものを、グラフの第一象限に入れようと、グラフの第三象限に入れようと、数学的には、違いが出てくるはずない』
という結論に達したのです。
「今、ネットで、一角法とか三角法とか調べたけど、きちんと図を書いて、説明してあるわよ」
それは、私のときも同じでした。
ですが、
『慣習に従って、こうする』
という別な何らかの仮定を置かなければ、どっちを『一』と呼び、どっちを『三』と呼ぶか、数学的には、区別できないのです。
「じゃあ、その慣習を、覚えなきゃ」
そんなことに意味がある?
元々二つしかないものを、名前を付けて区別しようというときに、片方を『プラス図法』、もう片方を『マイナス図法』、としたっていいわけじゃない。
「結局、太郎さんは、何をしたかったの?」
二つしかないなら、片方を『一角法』、もう片方を『三角法』、なんて、紛らわしい名前付けるなっていうの。『二角法』というのも、あるのかなあと、疑問がわいちゃうじゃない。
「その紛らわしさに、腹を立てているのね」
結局のところそう。
『慣例でそうなってる』
ならば、それはそれでいいんだよ。数学でもいくらでもそういうことあるんだから。下手に理由説明しようなんて、思うなって。
「じゃあ、太郎さんが、教えるときは、そう教えたら」
本当に、後輩には、そう教えたよ。
後輩の女の子が入ってきたとき、
『この三角法っていうのは、名前の理由は考えない方が良い。どんな本読んでも分からないから。とにかく、こういう描き方を、三角法っていう名前で呼ぶんだと覚えて』
と、教えた。
先輩が、私が分かっていないのかと思って、慌ててプリント配って説明してたけど、どんなプリントでも、一角法と三角法の名前の由来を、きちんと説明できるわけない。数学が分かっている私から見て、そんなこと不可能だもの。
「その後輩は、その後伸びた?」
1年で、辞めて行っちゃったけどね。
「太郎さんの方が、その後もいたわけ」
うん。
「後輩をいじめたことになったんじゃない」
それが原因で、辞めたとは思えないけど。
「太郎さんには、第一象限にあるときと、第三象限にあるときで、光の当たりかたが違うと思えないのかしらね」
そうじゃないんだよ。そもそも、光が、座標のプラスの側から来るという仮定がどこからきたのか、ということ。なぜ、マイナスの側から来るという選択肢が消えたのか分からない。
「そういう慣習になってるんでしょ」
それこそが、私の言ってる何らかの別の仮定だよ。
「あー、新しい仕事するたびに、そこで必要な定義を全部チェックするなんて、本当に同志社の人、そんな仕事しないわよ」
まあ、技術者というのは、応用を目指す人が多いから、製品を作れてなんぼ、というものなんだろうね。
「でも、眠りながら、8年7カ月。しかも、放送大学にも行って。どうして、眠りながら、こんなことが、できるの?」
麻友さんだって、例えば、AKB48にいたとき、
『同じ24時間あって、あなたはどうしてこれだけしかできないの?』
と思える先輩や後輩が、大勢いたと思う。
そこまで、麻友さんは、意地悪な見方をしなかったかも知れないけど、少なくとも、
『どうして、私は、ここまで来られたのだろう』
と、不思議に思ったこともあるだろう。
人間って、持って生まれたものが、平等じゃないんだよ。
10年くらい前、太田あやという人が、東京大学の合格生のノートが、すごく綺麗だと公開して、有名になった。
私も、参考になるところは見習おうと思って読んだんだけど、
『よくこんなに綺麗にノートを書く時間があるな』
と、呆れるほど、綺麗にノート取ってる。
人間、誰しも、1日24時間というのは、同じだけど、その24時間の時間の経ち方は、人それぞれ違うんだよ。
私は、そう思うことにした。
「太郎さんまでが、そんなこと言うの?」
同じ5分間でも、77歳の父と、46歳の私では、考えられることの量が違う。それは、誰でも、認めるだろう。
だったら、同じ24歳の麻友さんと、24歳の友人で、できる仕事の量に違いがあっても当然だ。
「そ、それは、そうよね」
ただ、だからといって、麻友さんの方が、やる気があるから、お金をたくさんもらえて当然、という発想は、これからは、時代遅れになっていくだろうと思う。
「えっ、じゃあ、どうなるというの?」
そういうところで、他人と競い合うことに、動機付けをもらう、という仕事のやり方が、立ちゆかなくなる。
そもそも、麻友さんは、負けず嫌いといいながら、争いは好まない人だったのでしょう。
何か、良い仕組みは、ないかなぁ。
「生きていくすべも、衣食住も、娯楽も、全部、お金に頼ってるから、まずいんじゃない? お金みたいなもので、やる気を表したり、努力を表したりする、メーターを増やしたら? ロールプレイングゲームの経験値や体力やゴールドみたいに」
面白いこと、言ったね。
ちょっと聞くと、ゲームのやり過ぎみたいだけど、発想としては、面白い。
ついでに、復活の呪文とか、あると、もっといいね。
「ふざけてるの?」
いや、真面目に考えてるよ。
この、ロールプレイングゲームのアイディアは、しばらく寝かせておこう。2018年9月5日11時15分41秒のアイディア。
三角法の話から、このアイディアも生まれた。
まあ、あの会社も、そんなに、悪いことばかりでもないんだ。
「お給料は、どれくらいもらってたの?」
時給800円だから、最低賃金保証されていたんだ。
「お父さまは、確か今も、週に何日か、通ってらっしゃるのよね。あれっ、栄信工業? ポンッポンッ。練馬区? 鶴見からだと時間かかるんじゃない?」
そう。片道2時間15分かかるんだ。77歳の父にとっては、かなり応えているはずなんだよね。でも、会社を動かすわけにもいかないし。
「ドラえもんなら、『どこでもドア』、出してあげなさいよ」
あれは、立て付けが悪くて・・・
そうなんだよなぁ。
テレポーテーションが実用化されれば、父も2時間15分かかることも、なくなるんだよな。
「お父さまは、ほとんど、太郎さんのために、お金を稼いでくれているようなものなのでしょ。自分は、もう十分稼いであるのだから」
私のためのお金というのも、もちろん頭にあるだろうけど、父という人が、何か仕事のようなものをしていないと、気が済まない人なんだ。
「どうして?」
そこらの、おっちゃんだったら、自治会館で、麻雀でもやって、何時間でも過ごせるんだけど、父って、そういう時間を無駄にするの、大っ嫌いなんだ。
8月末に、10日くらい点滴打つんで、入院したときも、アトキンスの『一般化学 下』という本、コピーして持ち込んでたのに、読み終わっちゃって、退屈だから、マッカーリの『一般化学 下』という本を持ってきてくれと言ってきたくらいで、本当に、普通の家庭のお父さんのイメージとは、大分違うと思う。
「病院で、テレビはなかったのかしら?」
おとなしく、テレビでスポーツ観戦するような人じゃないの。
「だから、2時間15分かけて、会社へ行くのか」
実は、父は、少なくともひとつ、宿題を抱えているんだ。
「宿題?」
父が、昔から、自分の研究を効率よくやるために、利用している方法で、『タグチメソッド』と呼ばれるものがあるんだ。
田口玄一(たぐち げんいち)という人が、開発した方法だから、『タグチメソッド』というのだけれども、父は、その数学的根拠は良く分からないまま、その方法の使い方だけ上手く習得して、色んな場面で、材料の分量の最適な値を見つけることなどで、成功してきた。
このタグチメソッドというのは、『品質工学』とも呼ばれ、魔法の方法のように言われている。
「太郎さんから見て、その方法は、どうなの?」
私、まだ、ちゃんと勉強したことないんだ。
「じゃあ、太郎さんは、そういう問題にぶつかったら、どうするの?」
『SONY許せぬと書きたかったが4』という投稿で書いたように、絨毯爆撃する。つまり、全部の場合を調べる。
「太郎さんって、頭いいんだか、悪いんだか、分からなくなるときがあるのよね」
それぞれが、持ち味だからね。工学では、要領の良いのが重要だけど、理学では、水も漏らさぬ論理が、重要だったりする。
「じゃあ、お父さまは、その『タグチメソッド』が、なぜ上手く行ったのか、解明するという宿題を抱えていると?」
本当は、何やりたいのか、分からない。
昔から、生物学のことやりたいって言ってるのに、化学の文献の方が、多いように見えるし、父のファイルの見出しを見ると、
(化学)
というのが、目立っている。
まあ、生化学をやりたかったんだ、と言われれば、それまでだけど。
本当は、あれをやりたかったんだ。などという心残りなく、人生を終えられたらいいなと思う。
「ひとつ聞いてみたいんだけど、太郎さんは、何をやりたいの?」
それは、これから8年くらい経たないと、分からない。
「どういう意味?」
数学で、例えば、微分幾何を勉強したいとか、微分位相幾何を勉強したいとか、位相幾何を勉強したいとか、はたまた代数幾何や数論を、勉強したいという気持ちは、昔からずっと持ってるんだけど、今から8年くらいで、量子コンピューターが、一気に進歩するでしょ。そうなって、ほとんどどんなものでも計算できる世界になったとき、数学で、それでもまだ研究するべきものが、残っているのかなと思うの。
それでも、まだ残っているものを、研究したり勉強したりしたいな。
「太郎さんは、まだ、未来の人なのね」
素敵なこと、言うね。
麻友さんだって、未来の人だろ。
「そうありたいわ」
さて、何はともあれ、あの会社をやめて、会社の近くに借りていた家も、引き払うことになった。
母とのCDの話は、そこへ行く前だね。
2006年12月24日にお金を返した翌日、母が、
『2006年11月23日の10万円って、私が旅行先からメールしたときじゃない。『あさって、お母さんのお誕生日だね』なんて返事をくれたとき、ここで、10万円取ってたのか。もう誕生日プレゼントなんて、いらない』
と言って、2006年11月25日にプレゼントした、
と、『時代』という絵本を、返してきたのだ。
12月25日までの31日間の間に、母が、
『このCDの中では、『ローリング』という歌が、好きだわ』
と言ったのである。
「太郎さん。まだ分からないことがあるわ。太郎さんは、そんなにきちんと出納帳も付けてて、どうしてお母様に、障害年金を管理させて、と、言わないの?」
これは、麻友さんが、現れたからだよ。
「私?」
麻友さんが、AKB48にいたとき、自由にお金が使える状態だったら、麻友さんにたくさん投票しないことの口実がない。
それと、麻友さんと、結婚するとき、この宙ぶらりんな生活から、きちんと別れを告げようと、思っているんだ。
「太郎さんって、ぶっちゃけ、収入は、どれだけなの?」
ふた月で13万円の障害年金だけ。
後、微々たるものだけど、1,200円払うと、1年間、横浜市内バス乗り放題になる。市営地下鉄も。
「それって、どれくらい効力あるの?」
例えば、鶴見からバスを乗り継げば、4時間くらいかかるけど、鎌倉までただで行ける。
もちろん、埼玉には埼玉で、似たような制度はあるだろう。
結婚後の住まいまで、もう想定する?
「太郎さん、早過ぎ。でも、私から見てると、太郎さんのその才能を生かして、もうちょっと何かできないものかと、思えるんだけど」
それが、精神障害ってことなんじゃない。
この間の日、よもや19時半までで、あんな怖いことになるなんて、私、想像もしてなかった。病気は4年前に治ったと思ってた。それなのに、薬を飲むまで、悪化する一方だった。
普通の人だったら、いきなり、足取りもおかしくなり、そわそわし出すなんて事ないでしょ。お酒飲んだわけでもないのに。
そういうことが、起こっちゃうから、まともに働けないんだよ。
だから、国が、ひとつき6万5千円も、お金を出してくれるんだよ。
「太郎さんは、以前、『結婚している障害者のほとんどは、自分を経済的に養えていないよ』と、言ってたけど、ほとんどって、どのくらい?」
そもそも障害にも、身体障害、知的障害、精神障害、とあるから、統計の取り方によっても、違ってくるけど、全部一緒くたに無理矢理合計して、パーセント出しても、99パーセントは、自分を経済的に養えていないだろうと思う。
「その数字の根拠は?」
まず、知的障害の人は、たとえ作業所へ通っていても、そんなに稼げるわけないから、全員全滅だよね。
次に、身体障害の場合。この場合は、ある程度、お金を稼げる。
足が不自由なら、車椅子で、耳が聞こえないなら、手話で、なんとか補って、働いているのだろう。
でも、五体満足の人でも、満足に雇用のないこの社会で、障害者が働ける方が奇跡だ。
一応、障害者雇用促進法というものはあるが、先日のニュースにもあったように、官庁までが、障害者数を水増しして報告している始末だ。
「ああ、あれは、ひどかったわね」
いや、私、分かるんだよ。はっきり言って、障害者なんて雇いたくないという人達の気持ち。だって、私だって、役に立たないもの。こんなの雇いたくないよ。
「じゃあ、どうすればいいの?」
倫理がどうこうなんて言ってないで、ゲノム編集でもなんでも、あらゆる手段を用いて、障害をなくしてくれって、言いたい。
医学に、倫理の問題なんか、持ち込むな。まず、困っている人、治してから、そういうことは言え。
私は、そう言いたい。
さて、例え、身体障害者の1割が、生活費を稼げたとしても、家賃まで稼げる障害者は、そんなにいるはずない。
まあ、田舎なら、なんとかなるかも知れないけど、田舎だと働き口もない。
結局、身体障害者で、家賃まで稼げる人が、1パーセントもいるとは、私には信じられない。
よっぽど生活水準を落とせば別だけど。
さて、精神障害だが、これは、非常に難しい。
なぜかというと、うつ病、や、躁うつ病などの、一時的に症状が悪化している人もいて、どこまでを障害者としていいか、分かりにくいという問題がある。
一番簡単な線の引き方は、障害者手帳を持ってるかどうか。
この場合、ほぼ自動的に、障害年金をもらうことを前提に、手帳を取得してるので、ほとんど働けない人ばかり。
偉そうに、
『私は、働いている』
などと言っている人ほど、
『実は、・・・』
というのがある。
以前、Eテレの『バリバラ』という障害者の番組で、20回、入社と退社を繰り返したという人が紹介されていたが、私は、3回もやれば、もうたくさんです。
結局、自分を経済的に養えている人の針は、1パーセントを超えることはない。
よって、自分を養い切れていない障害者の、ほとんどという割合は、99パーセント以上だと思う。
これを、精神障害に狭め、さらに統合失調症とすれば、針は100パーセントと言って良いだろう。
男の人の中には、こんな頑張っている人もいますよ。と、ひとり持ってきても、それは、旧約聖書のヨブ記のヨブを連れてくるようなものだ。
「そういうことなのね」
ただね。
新横浜のデイケアに行っていたとき、障害者の世話をしている人が来て、講演をしてくれたんだ。
『女の人が、結婚して家庭に入ったのを、自立じゃないと言う人がいますか? あなたたち障害者は、経済的には自立できません。でも、他の形で、自立を目指せば良いのです』
と、言ったんだ。
「そもそも、なんで、太郎さんは、そんなに、自立にこだわるの?」
こだわってないよ。こだわっているのは、私の父だよ。
「えっ、太郎さん。自立なんてしなくてもいいと思ってるの?」
私、そもそも、自立という言葉の定義、よく知らないし。ただ、父が、『自立しろ~、自立しろ~』って言ってるから、調子合わせてただけ。私は、自立なんて、どうでもいいよ。
「本当に、太郎さんって、あっけらかんとしているというかなんというか。そっかー、数学の太郎さんに取って、定義が曖昧な、自立なんて言葉は、ないのか」
新横浜のデイケアに行ってた頃は、まだ麻友さんと出会ってなかったから、未来に不安もあったけど、麻友さんとこうして、きちんと、お金の問題も話したから、大丈夫だね。
「太郎さん。もう、私に隠してることない?」
わざと隠してきたわけではないけど、秘密が、2つある。
「こんなに話してくれてる太郎さんに、まだ、秘密が2つもあるの?」
ひとつは、父との会社を辞めた後、2007年の4月から始めた、ちらし配りの仕事をなぜやめたか。
もうひとつは、そのやめる原因になった、あるおじいさんに対する過失傷害事件のこと。
「ちょっと、恐い言い方しないでよ」
ちらし配りの仕事は、池袋で入社して、研修を受けたんだけど、いざ働くとなったら場所は横浜で、職員も違い、1日に600枚とか、1,000枚とか渡されるんだけど、とても一日で配れなくて、配れませんでしたと言って持って帰ると、困りますみたいに言われて、配りきれないチラシが家に残っちゃってたんだ。
そんなまま年を越して、2008年1月に、チラシを入れてカートを引いて横浜のジョイナスを歩いていたとき、何がきっかけかは分からないけど、カートを持つ手が滑って、カートを倒してしまったんだ。
通常なら、どうと言うことはなかったのだろうけど、新年開けで、ものすごい混雑だったので、後ろから来ていた78歳のおじいさんが、カートに乗り上げるようにして、倒れてしまったんだ。
「過失傷害と言ってたわよね。死んではないのよね」
最初は、脳しんとうをおこしてたのかなあ、動かなかったんだよね。ただ、私が、判断を間違えなくて良かったんだけど、私の感じとして、多分死なないだろうと思って、そのおじいさんを、『大丈夫ですか、大丈夫ですか』と言いながら、さすってたんだよね。そうしたら、1分位して、おじいさんが、はっと目を覚ましたの。
その頃になって、通りがかりの女の人が、携帯で、救急車を呼んでくれた。おまわりさんも来たんだけど、そのおじいさんが、救急隊員に、入れ歯が壊れたから、歯医者に連れて行って欲しいといったので、救急隊では、歯医者には連れて行かれませんと言われ、おまわりさんに、過失傷害だけど、後は、民事だからね、と言われて、おじいさんとふたりになった。
おじいさんは、入れ歯と、腕に骨折があり、その後、病院を2つ回った。
この事件で、私は加害者で、悪いことは悪いのだが、配り切れていないチラシの話なども父母に話したら、父から今日中に会社を辞めろと言われ、仕事も失ってしまった。
そして、おじいさんが、あんなに可哀想なことになってしまったのは、貧しかったからなのだ。
「貧しいことと、怪我は、関係ないじゃない」
いや、あるんだ。
そのおじいさんは、貧しくて、生活保護も受けていたんだ。
そして、長いこと、入れ歯を良いものにして、おいしい食事をしたいと思ってたんだ。
生活保護を受けている人って、借金することもできないんだよね。
借金をすると、それだけで、違法になるんだ。
だけど、そのおじいさん、とうとう借金して、入れ歯、良いの作ってもらったらしいんだ。
「いつ?」
私に、倒される日の夕方。
「えっ、じゃ、おいしい夕食を食べようと楽しみにしてたところを、太郎さんに台無しにされたの?」
だから、救急隊員にも、歯医者に連れて行ってくれ、なんて言ってたんだ。
「その場合、その借金は、誰が払うの?」
私も、法律は詳しくないから分からないけど、借金うんぬんより、おじいさんの入れ歯を治すのが、先決でしょう。
おじいさんは、
『あなたのような、チラシ配りの人なんかが、払える額じゃないんです』
などとオロオロしているけど、
『もちろん私のお給料では、すぐ返せないでしょうけど、少なくとも、おじいさんが、お金が足りなくて入れ歯が治せませんなんてことには、なりませんよ』
と、話した。
以前、アフリカの子供にワクチンを接種するのに、104万1人目から、もうお金が足りないんだと、死んでもらうのか! と、怒ったのは、このときのことを、思い浮かべながら書いたのだった。
「太郎さん、すごいこと書くなあと思ったけど、自分の体験を踏まえていたのか」
そう。だから、私は、なんとしても、おじいさんの入れ歯を治してあげたいと思っていた。
ところが、国も医者も、許してくれないんだよね。
「えっ、どういうこと?」
まず、私の父の保険で、治療費くらいを、渡してあげたんだ。
ところが、生活保護を受けていたのに、借金していたから、というような理由で、その何十万かを、おじいさんは、受け取れなかったんだ。
「そういうことになるの? でも、だったら、歯医者さんにとにかく治療してもらっちゃうわけにいかないの?」
私も、そうすべきだと思ったんだけど、もうおじいさん80近いでしょ。あと、2,3カ月の命だから、今更入れ歯作りたくない、みたいなこと言われて、結局作ってもらえなかったんだ。
「結局って、どうなったの?」
おじいさん、亡くなっちゃったんだよ。
「そんな貧しいおうちだったら、お墓あったのかしら」
それは、一応あった。
「どうして知ってるの?」
父母とお花持って、1回行ってきたんだ。
でも、そのおじいさんの入れ歯って、30万円くらいなんだよ。
私の自慢のアンプよりは高いけど、人間が、おいしいと思って食べられるためだったら、それくらい半年のためでも出してあげたかったな。
「太郎さんが、どうこうより、そのおじいさんが、貧しかったから、最終的に入れ歯を手に入れられなかったということよね。貧しいって、そういうことなのね」
逆に言えば、我が家が、保険なんかに頼らずとも、簡単に30万円出せるほど裕福なら、そのおじいさんを身請けするくらいできたのかも知れないけど、さすがに我が家は、そんなことができるほどの大金持ちじゃない。
「私だって、無理よ」
それは、もちろん、分かってる。
麻友さんに、そんな無理は、言わない。
「ああ、これが、太郎さんの最後の秘密だったのね。過失傷害事件って、どんな恐ろしいものかと思ったわ」
もし、過失致死だったら、もっとややこしいことになってただろうから、あの後、おじいさんが生きていたのは、意味があったのだろうな。
「もう、ご主人の秘密を知っていますとか言ってきても、全部ウソね」
そう。完璧に大丈夫。
もう、麻友さんを、ゆすることは、できない。
「私の側は、いずれ必要なら、話すわ」
それに、私は、おしゃべりだから、ゆすられたら、ゆすられたって、すぐ言うだろうからな。
「あっ、それ、助かる」
じゃあ、吉野弘さんの詩に始まった、一連の結婚のための打ち明け話。終了。
「バイバイ」
バイバイ。
現在2018年9月5日16時42分である。おしまい。