相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

吉野弘さん亡くなってたのか(その6)

 現在2018年9月5日4時16分である。

「この話題、もう(その6)になってる。そろそろ、終わりにできない?」

 私も、そのつもりだ。

 本文中に、



 そこで、毎日めげず、何度も同じようなサイトを、同じような一連の操作して、見れたのは、私の記憶力が、確かだったからなんだよ。

「そこでも、記憶に、自信持ってると、良かったんだ。って、ちょっと、先生、『めげず』なんて言葉あるんですか?」

 麻友さんに、先生と呼ばれたら、私が、応じるのだよね。



というやり取りがある。

 私は、日本語の文法を、ほとんど知らないので、辞書に、『めげず』という言葉がないので、『めげずなんて日本語じゃありません』などと書いてしまったが、『めげる』という日本語があり、それに打ち消しの『ず』がついたもので、れっきとした日本語らしい。これも、インターネットで調べた。

「太郎さん、チェックしてるのね」

 そう、麻友さんにウソを教えないように、できる限りチェックしている。

「そうすると、その後の、〔about〕は?」

 そう、ここすごく面白い話の展開になってるよね。

 麻友さんに、辞書の使い方を突っ込まれて、

『この辞書、凡例が、ないんだ』

みたいに、慌てて、それに対し、麻友さんが、

『インターネットでググれば、凡例があることくらい分かる』

と、言ってくる。

 この部分は、ブログ書きながら、

『あっ、凡例がない、どうしよう』

と思って、取扱説明書を探したりして、その後、ググって、解決して、

『これを、麻友さんの手柄にしてあげよう』

と思って、あの文章は生まれたんだ。

 ただ、〔about〕に、めげないという意味がある、という解釈は、一時の気の迷いだった。

 あの場合、cheerful という単語を引いているのだから、cheerful about ~ に、『~に関して、めげない』という意味があるのだと、取らなければ、いけないのだね。

「太郎さんの頭って、疲れてないときは、本当に、クリアーに、働いてるのね」

 普通の人と、大して違わないけど。

「この後、



 私は、次に続けることを考えてたんだ。


「もう、その行、持ってきちゃいなさい」


 そうするか。

「ああ、そうやって、『NS-1000M』だと、特定したの、でもこのスピーカーの話は、まだ、出てくるの?」



と、無理矢理、話を進めてしまう。どうやって、『NS-1000M』だと特定したか、という話を、聞きたいわ」


 そうなんだよね。あのとき、眠くてここを書けなかった。

 こういうことを、書きたかったんだ。



 まず、毎日のように、ヤマハのホームページを見ていると、スピーカーの情報が、入ってくる。

 だが、昔、父が見せてくれた、スピーカーの形をしていない。

 おじいちゃんの『あれ』を見つけるには、まずそのものの形をなんとなくでも良いから覚えていて、それを信じられなければ、いけない。

 私の場合、当時のヤマハのスピーカーの主流、トールボーイスピーカー(こういうの)、

f:id:PASTORALE:20180905061457j:plain

でなく、フロア型スピーカー(次のようなの)、

f:id:PASTORALE:20180905061646j:plain

だった。という、かすかな記憶があった。

 だから、私は、父の言っていた、『あれ』は、どこに行ったのだろうと、気になっていた。

 インターネットの検索に慣れてくると、

ヤマハの伝説のスピーカー』

などという無茶苦茶な検索ができることを、覚える。

 やってみると、なんとそのスピーカーは、ヤマハが23年間作り続けて、スウェーデン国営放送や、フィンランド国営放送で、モニタースピーカーとして使われたという、『NS-1000M』というものだと分かった。

 決め手となったのは、うろ覚えの形だった。それと、私が大学にいたとき、まだあったこと。私が、幼稚園の頃、発売されたという父の言葉など。

 すべてが、これに合致した。

 こうして、『NS-1000M』と、特定された。

 早速値段は、と見ると、なんと1997年に、製造中止になっている。

 がっかりだった。

「太郎さん、自分が買いたかった、2006年当時のスピーカーでは、満足できなかったの?」

 あのときも、書いたように、2本で178,500円のスピーカーでは、『ハッ』とさせられるような音は、出せない。40万円でも無理。

「太郎さん、この後、YAMAHAのスピーカーが、私と同時進行だった、と書きながら、その後スピーカーの話が立ち消えになってるのよね」


 そう。書き切れなかったんだ。

 麻友さんに2015年に会って、2016年1月2日に、鎌倉のねくすとのメンバーだった人から、メールをもらう。

 このメールをくれた人とは、ねくすとにいたときから、オーディオの話をしていた。

 スピーカーの試聴会などに行ったりする、オーディオマニアなのだ。

「その人と、太郎さんだったら、どっちがよりオーディオマニア?」

 断然、向こうだね。

「えっ、そうなの?」

 私は、オーディオのマニアじゃないんだ。

 良い音で、音楽を聴きたいんだ。

 だから、いざアンプを買おうとか、スピーカーを買おうと、なったときは、雑誌なんかを見て比べるけど、普段はオーディオの雑誌なんて、読まない。

「だけど、太郎さん、高級なアンプとか持ってる」

 あれは、あのとき、本当に私の要求に合ったアンプがあったから、あれを選んだんだ。

 あの後も、ヤマハは、アンプ出してるけど、私に取っては、どうでもいい。

「どうして、どうでもいいの?」

 あのアンプが出たとき、ちょうどDVDの規格が定着して、ブルーレイの規格もほぼ決まっていた。

 だから、私のアンプは、スピーカーさえ並べれば、DVDやブルーレイの5.1ch音声も、流せるんだ。

 しかもそれだけじゃない。

 AV(オーディオヴィジュアル)アンプとなると、ピュアオーディオ(映像のない純粋な音楽を流すオーディオ)のアンプとしての性能が劣るものが多いのだけど、このアンプは、ピュアダイレクトモードという映像回路停止モードをボタンひとつで切り替えできて、音に関しても、完璧なんだ。

「じゃあ、ヤマハで、一番高いアンプだったの?」

 実は、このアンプの前に、ヤマハは、40万円くらいのアンプを出していて、私のアンプは、231,000円だから、2番目に高いアンプだった。だけど、私は性能を調べたから分かるけど、私のアンプの方が、性能は上だった。

 新宿のヨドバシカメラで、

『このアンプはいくらになりますか?』

と、聞いたとき、店員が、上司に、

『あの一番高いの売れます』

と、報告していたからね。

「どうして、新宿まで行ったの? 池袋のビックカメラじゃだめだったの?」

 在庫があるのは、ヨドバシカメラ新宿店だけだったんだよ。

「在庫って、まさか、持って帰ってきたの?」

 持って帰ってきたよ。重かったけどね。

「太郎さん、本当に音にこだわるのね。それで、オーディオマニアの人からメールもらって、どうしたの?」

 何か、オーディオの話題を返してあげようと思って、『スピーカー』とか、ググったんだよ。

「何か引っかかった?」

 何かも何も、2016年7月に、ヤマハが、NS-1000Mを超える音を出せるというNS-5000というスピーカーを発売予定だ、ということが、分かったんだ。

「太郎さんが、言いたかったのは、そのことだったのね」

 そう、NS-5000の話を、あの後話すつもりだったんだ。

「それで、いくらだったの?」

 税抜きで、2本で1,500,000円だった。

「150万円! それくらい出さないと、本当に音の良いスピーカーって、買えないの?」

 まあ、スピーカーとしては、最高級だね。

 海外には、1本150万円のスピーカーもあるけど、正直言ってそのレヴェルになると、私には、違いが分からない。

「マッハ40の、ベリリウムは、どうなったの?」

 ベリリウムに代わる材質を求めて、20年かかっちゃったんだけど、ザイロンという化学繊維を使うことにした。

            音速

ベリリウム    12,890 m/s

ザイロン     13,160 m/s


「これ、どこまで、信じられるの?」

 はっきり言って、気持ちの問題という部分はある。

「太郎さん、このスピーカー欲しいの?」

 私、奥さんに相談せずに、800万円のオーディオセット買って、離婚することになった人知ってるから、そんな無茶したくない。

 いい音で音楽が聴けたら素晴らしいけど、私は、音楽評論家でもない。

 私は、やっぱり、数学をやってるときが、一番幸せだから、スピーカーに150万円かけなくてもいいな。

 ただ、麻友さんに、こういうスピーカーがあるということだけ、知っておいてもらいたかったんだ。

「私と同時進行だった、スピーカー、諦めていいの?」

 二兎は追えないよ。私は、麻友さんが、一番大切だ。

「良かったわ。太郎さんが、無茶なことを言い出さなくて」

 これは、麻友さんとの結婚が現実味を帯びてきたから、ひとりでに生まれてきた現象なんだよ。


「さあ、最後の部分よ。お母様とCDとの関係」

 父に、謝ってお金を返したとき、父は、

『これからは、我が家へは客としてこい。鍵は取り上げる。もう勝手にしろ』

と言った。

 これは、想定内だった。

 そして、それ以来、今でも、私は、実家の鍵を持ってない。

「ああ、だから、3日に1回、お母様のところへお金を受け取りに行かないと、食べられなくなるのね」

 そう。

 そして、もうひとつ。

 父が、2006年12月24日に、

『もう勝手にしろ』

と言ったので、翌2007年2月、社長宛に辞職願のメールを書き、色々あったが、その会社を辞めることができた。

「そんなに、その会社が、いやだったの?」

 考えてもごらんよ。その小さい会社に、色々な発注をしていた大きな会社の部長様が、息子が精神分裂病になったので受け入れてもらえませんかという。

 そこからして、父は、勘違いしていたのだ。

 京都から戻ってきた私に、

『自立するにはどうしたらいいか、レポートを書け』

と言って、2週間に1回書かせていた。

 見かねた母が、

『お父さんの懇意にしている小さい会社があるから、あそこで働けるといいのにねえ』

などと、私に言った。

 当時、大学も休学中で、

『大学に戻って、どうやったら卒業できるだろう。今の頭で、卒業できるだろうか?』

と、不安だった私は、父と図書館へ行った帰り、

『栄信工業で、働くなんて事ができるのかな?』

と、聞いてみた。

 父は、

『病気が治ってからだな』

と言った。

 やり取りは、これだけなのである。

 その後、父は、シンガポールへ、会社の拠点を作る仕事で行ってしまい、私は、インターネットもまだほとんどない社会で、父にメールで、レポートを送っていた。

 地域の生活教室、デイケア、職親制度、など、少しずつ、リハビリはしていたが、現在のように、頭がクリアーになることなどなく、一日中睡眠薬で、眠い状態だった。

 新横浜のデイケアから、職親制度のようなものを利用して、保土ケ谷のギャバンスパイスという会社へ、シナモンのスティックをカップ詰めする仕事をしに行っていた。

 最低賃金の保証されない、仕事ではなくやることがないから時間だけつぶしています、みたいな状態で、2年過ごした。

 そして、シンガポールから帰ってきたかと思うと、父は、

『明日、栄信工業の社長に、話してみようと思う』

と、言いだし、

『太郎が、行きたがっていたんだからな』

みたいな感じだった。

 私の頭には、物理学者になることしかないのだから、こんなことを言われたら、

『とりあえず従っておいて、頭が元に戻ったら、大学へ帰ろう』

ということになるのは、当然だ。

『大きな会社の部長様の息子さんが来る。しかも、障害があるらしい。社長の一存で決定されたらしい』

となれば、古くからの社員の人達だって、あまり面白くない。

 『ただ、松田さんは、優秀な人だったから、息子さんも優秀かも知れない。京都大学に行っていたと言うし』

などと思っていたのに、来てみたら、一日中、半分眠ったような状態で、コンピューターが使えるかと思っても、プログラムも組めない。


 これは、或る意味、私は、父がシンガポールにいた頃から予想していたことなのだ。

 あの京都大学入学時に、母が連れて行った京都大学病院の精神科の先生が、

『おまえな、この机、サーッとなでれば、それだけだろ。それを、おまえは、出っ張りやくぼみ、全部つまづきよるんじゃ。同志社の学生、そんな恋愛しないぞ』

と言った。

 それに対し、私は、

『だって、私は、京大生なのですから』

と答えた。

「えっ、太郎さん、本当に、そう答えたの?」

 答えたよ。だって、私にだって、京大生のプライドがあるもの。

「確かに、そういう人じゃ、普通の会社では、使いにくいわね」

 あのときの私の頭の働きじゃ、シナモンスティックのカップ詰めより難しい仕事は、無理だったんだ。

 4年前、横浜市立みなと赤十字病院に入院して、薬を1回完全に抜き、新しい薬にしたことで、京都大学の学生時代のような、頭の冴えが戻って初めて、

『ああ、これが、生きているって事だよな。今まで20年、眠ってたな』

と、分かったんだよ。

 だから、あの会社の社員の人も、意地悪するつもりはなくても、私が、やる気がないし、やらせてもダメだ、というので、お荷物だな、と思っていたの当然なんだ。

 考え方が違うという点では、こんな話もある。

「何が困ったの?」

 まず、畑違いでしょ。

 工業高校とか出ているような人が、働いてる職場だから、言葉も考え方も違う。

「どれくらい、違うの?」

 例えばね、社長が、

『太郎君。三角法は、知ってるかい』

と言うから、三角関数の使い方でも聞いているのかな?と思って、

三角関数の何かですか?』

と聞くと、

『いや、2次元の図面の描き方なんだ』

と言って、

『こうやって、ものがあるとき、下に投影図を描き、その右に、ものを右側から見た図を、描くのを、三角法で描いた図面っていうんだ』

と、説明してくれる。

『三角というから、三角関数と関係あるのかと思いました』

と答えながら、私としては、なぜその図の書き方を、『三角法』というのか、知りたくなる。

 普通の人なら、

『なぜ、三角というのですか?』

と聞くか、

『そういうものなのだろう』

と思って、そのまま覚えるのかも知れない。

「私も、そのどっちかにすると思う」


 私は、実際、調べましたよ。

『一角法』というのと、『三角法』というのがあり、微妙に違うのも、分かりましたよ。

 でも、結論を書くと、『一』とか『三』とかいう言葉に、必然性などないのでした。

「本当にないの?」

 私は、ちゃんと図面の描き方を書いてある本を読みましたが、

『ものを、グラフの第一象限に入れようと、グラフの第三象限に入れようと、数学的には、違いが出てくるはずない』

という結論に達したのです。

「今、ネットで、一角法とか三角法とか調べたけど、きちんと図を書いて、説明してあるわよ」

 それは、私のときも同じでした。

 ですが、

『慣習に従って、こうする』

という別な何らかの仮定を置かなければ、どっちを『一』と呼び、どっちを『三』と呼ぶか、数学的には、区別できないのです。

「じゃあ、その慣習を、覚えなきゃ」

 そんなことに意味がある?

 元々二つしかないものを、名前を付けて区別しようというときに、片方を『プラス図法』、もう片方を『マイナス図法』、としたっていいわけじゃない。

「結局、太郎さんは、何をしたかったの?」

 二つしかないなら、片方を『一角法』、もう片方を『三角法』、なんて、紛らわしい名前付けるなっていうの。『二角法』というのも、あるのかなあと、疑問がわいちゃうじゃない。

「その紛らわしさに、腹を立てているのね」

 結局のところそう。

『慣例でそうなってる』

ならば、それはそれでいいんだよ。数学でもいくらでもそういうことあるんだから。下手に理由説明しようなんて、思うなって。

「じゃあ、太郎さんが、教えるときは、そう教えたら」

 本当に、後輩には、そう教えたよ。

 後輩の女の子が入ってきたとき、

『この三角法っていうのは、名前の理由は考えない方が良い。どんな本読んでも分からないから。とにかく、こういう描き方を、三角法っていう名前で呼ぶんだと覚えて』

と、教えた。

 先輩が、私が分かっていないのかと思って、慌ててプリント配って説明してたけど、どんなプリントでも、一角法と三角法の名前の由来を、きちんと説明できるわけない。数学が分かっている私から見て、そんなこと不可能だもの。

「その後輩は、その後伸びた?」

 1年で、辞めて行っちゃったけどね。

「太郎さんの方が、その後もいたわけ」

 うん。

「後輩をいじめたことになったんじゃない」

 それが原因で、辞めたとは思えないけど。

「太郎さんには、第一象限にあるときと、第三象限にあるときで、光の当たりかたが違うと思えないのかしらね」

 そうじゃないんだよ。そもそも、光が、座標のプラスの側から来るという仮定がどこからきたのか、ということ。なぜ、マイナスの側から来るという選択肢が消えたのか分からない。

「そういう慣習になってるんでしょ」

 それこそが、私の言ってる何らかの別の仮定だよ。

「あー、新しい仕事するたびに、そこで必要な定義を全部チェックするなんて、本当に同志社の人、そんな仕事しないわよ」

 まあ、技術者というのは、応用を目指す人が多いから、製品を作れてなんぼ、というものなんだろうね。

「でも、眠りながら、8年7カ月。しかも、放送大学にも行って。どうして、眠りながら、こんなことが、できるの?」

 麻友さんだって、例えば、AKB48にいたとき、

『同じ24時間あって、あなたはどうしてこれだけしかできないの?』

と思える先輩や後輩が、大勢いたと思う。

 そこまで、麻友さんは、意地悪な見方をしなかったかも知れないけど、少なくとも、

『どうして、私は、ここまで来られたのだろう』

と、不思議に思ったこともあるだろう。

 人間って、持って生まれたものが、平等じゃないんだよ。

 10年くらい前、太田あやという人が、東京大学の合格生のノートが、すごく綺麗だと公開して、有名になった。

 私も、参考になるところは見習おうと思って読んだんだけど、

『よくこんなに綺麗にノートを書く時間があるな』

と、呆れるほど、綺麗にノート取ってる。

 人間、誰しも、1日24時間というのは、同じだけど、その24時間の時間の経ち方は、人それぞれ違うんだよ。

 私は、そう思うことにした。

「太郎さんまでが、そんなこと言うの?」

 同じ5分間でも、77歳の父と、46歳の私では、考えられることの量が違う。それは、誰でも、認めるだろう。

 だったら、同じ24歳の麻友さんと、24歳の友人で、できる仕事の量に違いがあっても当然だ。

「そ、それは、そうよね」

 ただ、だからといって、麻友さんの方が、やる気があるから、お金をたくさんもらえて当然、という発想は、これからは、時代遅れになっていくだろうと思う。

「えっ、じゃあ、どうなるというの?」

 そういうところで、他人と競い合うことに、動機付けをもらう、という仕事のやり方が、立ちゆかなくなる。

 そもそも、麻友さんは、負けず嫌いといいながら、争いは好まない人だったのでしょう。

 何か、良い仕組みは、ないかなぁ。

「生きていくすべも、衣食住も、娯楽も、全部、お金に頼ってるから、まずいんじゃない? お金みたいなもので、やる気を表したり、努力を表したりする、メーターを増やしたら? ロールプレイングゲームの経験値や体力やゴールドみたいに」

 面白いこと、言ったね。

 ちょっと聞くと、ゲームのやり過ぎみたいだけど、発想としては、面白い。

 ついでに、復活の呪文とか、あると、もっといいね。

「ふざけてるの?」

 いや、真面目に考えてるよ。

 この、ロールプレイングゲームのアイディアは、しばらく寝かせておこう。2018年9月5日11時15分41秒のアイディア。


 三角法の話から、このアイディアも生まれた。

 まあ、あの会社も、そんなに、悪いことばかりでもないんだ。

「お給料は、どれくらいもらってたの?」

 時給800円だから、最低賃金保証されていたんだ。

「お父さまは、確か今も、週に何日か、通ってらっしゃるのよね。あれっ、栄信工業? ポンッポンッ。練馬区? 鶴見からだと時間かかるんじゃない?」

 そう。片道2時間15分かかるんだ。77歳の父にとっては、かなり応えているはずなんだよね。でも、会社を動かすわけにもいかないし。

ドラえもんなら、『どこでもドア』、出してあげなさいよ」

 あれは、立て付けが悪くて・・・

 そうなんだよなぁ。

 テレポーテーションが実用化されれば、父も2時間15分かかることも、なくなるんだよな。

「お父さまは、ほとんど、太郎さんのために、お金を稼いでくれているようなものなのでしょ。自分は、もう十分稼いであるのだから」

 私のためのお金というのも、もちろん頭にあるだろうけど、父という人が、何か仕事のようなものをしていないと、気が済まない人なんだ。

「どうして?」

 そこらの、おっちゃんだったら、自治会館で、麻雀でもやって、何時間でも過ごせるんだけど、父って、そういう時間を無駄にするの、大っ嫌いなんだ。

 8月末に、10日くらい点滴打つんで、入院したときも、アトキンスの『一般化学 下』という本、コピーして持ち込んでたのに、読み終わっちゃって、退屈だから、マッカーリの『一般化学 下』という本を持ってきてくれと言ってきたくらいで、本当に、普通の家庭のお父さんのイメージとは、大分違うと思う。

「病院で、テレビはなかったのかしら?」

 おとなしく、テレビでスポーツ観戦するような人じゃないの。

「だから、2時間15分かけて、会社へ行くのか」

 実は、父は、少なくともひとつ、宿題を抱えているんだ。

「宿題?」

 父が、昔から、自分の研究を効率よくやるために、利用している方法で、『タグチメソッド』と呼ばれるものがあるんだ。

 田口玄一(たぐち げんいち)という人が、開発した方法だから、『タグチメソッド』というのだけれども、父は、その数学的根拠は良く分からないまま、その方法の使い方だけ上手く習得して、色んな場面で、材料の分量の最適な値を見つけることなどで、成功してきた。

 このタグチメソッドというのは、『品質工学』とも呼ばれ、魔法の方法のように言われている。

「太郎さんから見て、その方法は、どうなの?」

 私、まだ、ちゃんと勉強したことないんだ。

「じゃあ、太郎さんは、そういう問題にぶつかったら、どうするの?」

 『SONY許せぬと書きたかったが4』という投稿で書いたように、絨毯爆撃する。つまり、全部の場合を調べる。

「太郎さんって、頭いいんだか、悪いんだか、分からなくなるときがあるのよね」

 それぞれが、持ち味だからね。工学では、要領の良いのが重要だけど、理学では、水も漏らさぬ論理が、重要だったりする。

「じゃあ、お父さまは、その『タグチメソッド』が、なぜ上手く行ったのか、解明するという宿題を抱えていると?」

 本当は、何やりたいのか、分からない。

 昔から、生物学のことやりたいって言ってるのに、化学の文献の方が、多いように見えるし、父のファイルの見出しを見ると、

{\mathrm{chemistry}}(化学)

というのが、目立っている。

 まあ、生化学をやりたかったんだ、と言われれば、それまでだけど。

 本当は、あれをやりたかったんだ。などという心残りなく、人生を終えられたらいいなと思う。

「ひとつ聞いてみたいんだけど、太郎さんは、何をやりたいの?」

 それは、これから8年くらい経たないと、分からない。

「どういう意味?」

 数学で、例えば、微分幾何を勉強したいとか、微分位相幾何を勉強したいとか、位相幾何を勉強したいとか、はたまた代数幾何や数論を、勉強したいという気持ちは、昔からずっと持ってるんだけど、今から8年くらいで、量子コンピューターが、一気に進歩するでしょ。そうなって、ほとんどどんなものでも計算できる世界になったとき、数学で、それでもまだ研究するべきものが、残っているのかなと思うの。

 それでも、まだ残っているものを、研究したり勉強したりしたいな。

「太郎さんは、まだ、未来の人なのね」

 素敵なこと、言うね。

 麻友さんだって、未来の人だろ。

「そうありたいわ」


 さて、何はともあれ、あの会社をやめて、会社の近くに借りていた家も、引き払うことになった。

 母とのCDの話は、そこへ行く前だね。

 2006年12月24日にお金を返した翌日、母が、

『2006年11月23日の10万円って、私が旅行先からメールしたときじゃない。『あさって、お母さんのお誕生日だね』なんて返事をくれたとき、ここで、10万円取ってたのか。もう誕生日プレゼントなんて、いらない』

と言って、2006年11月25日にプレゼントした、

と、『時代』という絵本を、返してきたのだ。

 12月25日までの31日間の間に、母が、

『このCDの中では、『ローリング』という歌が、好きだわ』

と言ったのである。

「太郎さん。まだ分からないことがあるわ。太郎さんは、そんなにきちんと出納帳も付けてて、どうしてお母様に、障害年金を管理させて、と、言わないの?」

 これは、麻友さんが、現れたからだよ。

「私?」

 麻友さんが、AKB48にいたとき、自由にお金が使える状態だったら、麻友さんにたくさん投票しないことの口実がない。

 それと、麻友さんと、結婚するとき、この宙ぶらりんな生活から、きちんと別れを告げようと、思っているんだ。

「太郎さんって、ぶっちゃけ、収入は、どれだけなの?」

 ふた月で13万円の障害年金だけ。

 後、微々たるものだけど、1,200円払うと、1年間、横浜市内バス乗り放題になる。市営地下鉄も。

「それって、どれくらい効力あるの?」

 例えば、鶴見からバスを乗り継げば、4時間くらいかかるけど、鎌倉までただで行ける。

 もちろん、埼玉には埼玉で、似たような制度はあるだろう。

 結婚後の住まいまで、もう想定する?

「太郎さん、早過ぎ。でも、私から見てると、太郎さんのその才能を生かして、もうちょっと何かできないものかと、思えるんだけど」

 それが、精神障害ってことなんじゃない。

 この間の日、よもや19時半までで、あんな怖いことになるなんて、私、想像もしてなかった。病気は4年前に治ったと思ってた。それなのに、薬を飲むまで、悪化する一方だった。

 普通の人だったら、いきなり、足取りもおかしくなり、そわそわし出すなんて事ないでしょ。お酒飲んだわけでもないのに。

 そういうことが、起こっちゃうから、まともに働けないんだよ。

 だから、国が、ひとつき6万5千円も、お金を出してくれるんだよ。

 これは、憲法生存権だね。中学で、習ったでしょう。

「太郎さんは、以前、『結婚している障害者のほとんどは、自分を経済的に養えていないよ』と、言ってたけど、ほとんどって、どのくらい?」

 そもそも障害にも、身体障害、知的障害、精神障害、とあるから、統計の取り方によっても、違ってくるけど、全部一緒くたに無理矢理合計して、パーセント出しても、99パーセントは、自分を経済的に養えていないだろうと思う。

「その数字の根拠は?」

 まず、知的障害の人は、たとえ作業所へ通っていても、そんなに稼げるわけないから、全員全滅だよね。

 次に、身体障害の場合。この場合は、ある程度、お金を稼げる。

 足が不自由なら、車椅子で、耳が聞こえないなら、手話で、なんとか補って、働いているのだろう。

 でも、五体満足の人でも、満足に雇用のないこの社会で、障害者が働ける方が奇跡だ。

 一応、障害者雇用促進法というものはあるが、先日のニュースにもあったように、官庁までが、障害者数を水増しして報告している始末だ。

「ああ、あれは、ひどかったわね」

 いや、私、分かるんだよ。はっきり言って、障害者なんて雇いたくないという人達の気持ち。だって、私だって、役に立たないもの。こんなの雇いたくないよ。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 倫理がどうこうなんて言ってないで、ゲノム編集でもなんでも、あらゆる手段を用いて、障害をなくしてくれって、言いたい。

 医学に、倫理の問題なんか、持ち込むな。まず、困っている人、治してから、そういうことは言え。

 私は、そう言いたい。

 さて、例え、身体障害者の1割が、生活費を稼げたとしても、家賃まで稼げる障害者は、そんなにいるはずない。

 まあ、田舎なら、なんとかなるかも知れないけど、田舎だと働き口もない。

 結局、身体障害者で、家賃まで稼げる人が、1パーセントもいるとは、私には信じられない。

 よっぽど生活水準を落とせば別だけど。


 さて、精神障害だが、これは、非常に難しい。

 なぜかというと、うつ病、や、躁うつ病などの、一時的に症状が悪化している人もいて、どこまでを障害者としていいか、分かりにくいという問題がある。

 一番簡単な線の引き方は、障害者手帳を持ってるかどうか。

 この場合、ほぼ自動的に、障害年金をもらうことを前提に、手帳を取得してるので、ほとんど働けない人ばかり。

 偉そうに、

『私は、働いている』

などと言っている人ほど、

『実は、・・・』

というのがある。

 以前、Eテレの『バリバラ』という障害者の番組で、20回、入社と退社を繰り返したという人が紹介されていたが、私は、3回もやれば、もうたくさんです。

 結局、自分を経済的に養えている人の針は、1パーセントを超えることはない。

 よって、自分を養い切れていない障害者の、ほとんどという割合は、99パーセント以上だと思う。

 これを、精神障害に狭め、さらに統合失調症とすれば、針は100パーセントと言って良いだろう。

 男の人の中には、こんな頑張っている人もいますよ。と、ひとり持ってきても、それは、旧約聖書ヨブ記のヨブを連れてくるようなものだ。

「そういうことなのね」

 ただね。

 新横浜のデイケアに行っていたとき、障害者の世話をしている人が来て、講演をしてくれたんだ。

『女の人が、結婚して家庭に入ったのを、自立じゃないと言う人がいますか? あなたたち障害者は、経済的には自立できません。でも、他の形で、自立を目指せば良いのです』

と、言ったんだ。

「そもそも、なんで、太郎さんは、そんなに、自立にこだわるの?」

 こだわってないよ。こだわっているのは、私の父だよ。

「えっ、太郎さん。自立なんてしなくてもいいと思ってるの?」

 私、そもそも、自立という言葉の定義、よく知らないし。ただ、父が、『自立しろ~、自立しろ~』って言ってるから、調子合わせてただけ。私は、自立なんて、どうでもいいよ。

「本当に、太郎さんって、あっけらかんとしているというかなんというか。そっかー、数学の太郎さんに取って、定義が曖昧な、自立なんて言葉は、ないのか」

 新横浜のデイケアに行ってた頃は、まだ麻友さんと出会ってなかったから、未来に不安もあったけど、麻友さんとこうして、きちんと、お金の問題も話したから、大丈夫だね。


「太郎さん。もう、私に隠してることない?」

 わざと隠してきたわけではないけど、秘密が、2つある。

「こんなに話してくれてる太郎さんに、まだ、秘密が2つもあるの?」

 ひとつは、父との会社を辞めた後、2007年の4月から始めた、ちらし配りの仕事をなぜやめたか。

 もうひとつは、そのやめる原因になった、あるおじいさんに対する過失傷害事件のこと。

「ちょっと、恐い言い方しないでよ」

 ちらし配りの仕事は、池袋で入社して、研修を受けたんだけど、いざ働くとなったら場所は横浜で、職員も違い、1日に600枚とか、1,000枚とか渡されるんだけど、とても一日で配れなくて、配れませんでしたと言って持って帰ると、困りますみたいに言われて、配りきれないチラシが家に残っちゃってたんだ。

 そんなまま年を越して、2008年1月に、チラシを入れてカートを引いて横浜のジョイナスを歩いていたとき、何がきっかけかは分からないけど、カートを持つ手が滑って、カートを倒してしまったんだ。

 通常なら、どうと言うことはなかったのだろうけど、新年開けで、ものすごい混雑だったので、後ろから来ていた78歳のおじいさんが、カートに乗り上げるようにして、倒れてしまったんだ。

「過失傷害と言ってたわよね。死んではないのよね」

 最初は、脳しんとうをおこしてたのかなあ、動かなかったんだよね。ただ、私が、判断を間違えなくて良かったんだけど、私の感じとして、多分死なないだろうと思って、そのおじいさんを、『大丈夫ですか、大丈夫ですか』と言いながら、さすってたんだよね。そうしたら、1分位して、おじいさんが、はっと目を覚ましたの。

 その頃になって、通りがかりの女の人が、携帯で、救急車を呼んでくれた。おまわりさんも来たんだけど、そのおじいさんが、救急隊員に、入れ歯が壊れたから、歯医者に連れて行って欲しいといったので、救急隊では、歯医者には連れて行かれませんと言われ、おまわりさんに、過失傷害だけど、後は、民事だからね、と言われて、おじいさんとふたりになった。

 おじいさんは、入れ歯と、腕に骨折があり、その後、病院を2つ回った。

 この事件で、私は加害者で、悪いことは悪いのだが、配り切れていないチラシの話なども父母に話したら、父から今日中に会社を辞めろと言われ、仕事も失ってしまった。

 そして、おじいさんが、あんなに可哀想なことになってしまったのは、貧しかったからなのだ。

「貧しいことと、怪我は、関係ないじゃない」

 いや、あるんだ。

 そのおじいさんは、貧しくて、生活保護も受けていたんだ。

 そして、長いこと、入れ歯を良いものにして、おいしい食事をしたいと思ってたんだ。

 生活保護を受けている人って、借金することもできないんだよね。

 借金をすると、それだけで、違法になるんだ。

 だけど、そのおじいさん、とうとう借金して、入れ歯、良いの作ってもらったらしいんだ。

「いつ?」

 私に、倒される日の夕方。

「えっ、じゃ、おいしい夕食を食べようと楽しみにしてたところを、太郎さんに台無しにされたの?」

 だから、救急隊員にも、歯医者に連れて行ってくれ、なんて言ってたんだ。

「その場合、その借金は、誰が払うの?」

 私も、法律は詳しくないから分からないけど、借金うんぬんより、おじいさんの入れ歯を治すのが、先決でしょう。

 おじいさんは、

『あなたのような、チラシ配りの人なんかが、払える額じゃないんです』

などとオロオロしているけど、

『もちろん私のお給料では、すぐ返せないでしょうけど、少なくとも、おじいさんが、お金が足りなくて入れ歯が治せませんなんてことには、なりませんよ』

と、話した。

 以前、アフリカの子供にワクチンを接種するのに、104万1人目から、もうお金が足りないんだと、死んでもらうのか! と、怒ったのは、このときのことを、思い浮かべながら書いたのだった。

「太郎さん、すごいこと書くなあと思ったけど、自分の体験を踏まえていたのか」

 そう。だから、私は、なんとしても、おじいさんの入れ歯を治してあげたいと思っていた。

 ところが、国も医者も、許してくれないんだよね。

「えっ、どういうこと?」

 まず、私の父の保険で、治療費くらいを、渡してあげたんだ。

 ところが、生活保護を受けていたのに、借金していたから、というような理由で、その何十万かを、おじいさんは、受け取れなかったんだ。

「そういうことになるの? でも、だったら、歯医者さんにとにかく治療してもらっちゃうわけにいかないの?」

 私も、そうすべきだと思ったんだけど、もうおじいさん80近いでしょ。あと、2,3カ月の命だから、今更入れ歯作りたくない、みたいなこと言われて、結局作ってもらえなかったんだ。

「結局って、どうなったの?」

 おじいさん、亡くなっちゃったんだよ。

「そんな貧しいおうちだったら、お墓あったのかしら」

 それは、一応あった。

「どうして知ってるの?」

 父母とお花持って、1回行ってきたんだ。

 でも、そのおじいさんの入れ歯って、30万円くらいなんだよ。

 私の自慢のアンプよりは高いけど、人間が、おいしいと思って食べられるためだったら、それくらい半年のためでも出してあげたかったな。

「太郎さんが、どうこうより、そのおじいさんが、貧しかったから、最終的に入れ歯を手に入れられなかったということよね。貧しいって、そういうことなのね」

 逆に言えば、我が家が、保険なんかに頼らずとも、簡単に30万円出せるほど裕福なら、そのおじいさんを身請けするくらいできたのかも知れないけど、さすがに我が家は、そんなことができるほどの大金持ちじゃない。

「私だって、無理よ」

 それは、もちろん、分かってる。

 麻友さんに、そんな無理は、言わない。

「ああ、これが、太郎さんの最後の秘密だったのね。過失傷害事件って、どんな恐ろしいものかと思ったわ」

 もし、過失致死だったら、もっとややこしいことになってただろうから、あの後、おじいさんが生きていたのは、意味があったのだろうな。

「もう、ご主人の秘密を知っていますとか言ってきても、全部ウソね」

 そう。完璧に大丈夫。

 もう、麻友さんを、ゆすることは、できない。

「私の側は、いずれ必要なら、話すわ」

 それに、私は、おしゃべりだから、ゆすられたら、ゆすられたって、すぐ言うだろうからな。

「あっ、それ、助かる」

 じゃあ、吉野弘さんの詩に始まった、一連の結婚のための打ち明け話。終了。

「バイバイ」

 バイバイ。

 現在2018年9月5日16時42分である。おしまい。