相対性理論を学びたい人のために

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モーツァルト交響曲第36番『リンツ』(その2)

 現在2019年8月25日17時27分である。

麻友「最近は、比較的眠れているのね」

私「昨晩だと、23時頃眠って、23時50分ころ、体がくすぐられているような状態になって、そういうときのための、リボトリールという薬を飲んで、寝た。その後も2時5分に、目が覚めたが、もう一度寝て、12時47分起きた」

麻友「全部、覚えてるの?」

私「まさか、手帳に、メモしてあるんだ」

麻友「今日も、『リンツ』を聴きたいわ」

私「じゃあ」


ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
モーツァルト:交響曲 第36番 ハ長調 ≪リンツ≫ ワルター K386 Mozart:Symphony No.36


麻友「あっ、ブルーノ・ワルター指揮。素晴らしい演奏のが、著作権切れてるのね」

私「そうみたいだね」

麻友「クーベリックの『リンツ』は、どうだったの?」

私「演奏がどうこうとか、偉そうなことは、言えないんだけど、とにかく音質が、良かったんだ」

麻友「太郎さんと、お父さまで作った、真空管のアンプだったから?」

私「その頃は、私は、真空管のアンプ以外で音楽を聴くということは、テレヴィのスピーカーで聴くか、ヘッドホンくらいで、真空管じゃない音、というのを、知らなかった」

麻友「だって、太郎さんとお父さまで、KT-88か何かのパワーアンプを作ったのでしょう。作る前は、どうしてたの?」

私「父は、3人の娘と息子に、1台ずつ、真空管のアンプを作るんだ、といって、最初は、妹のためのアンプを作ったんだ」

麻友「妹さんも手伝って?」

私「いや、それは、無理だった。本当は、私のものも、自分ひとりで作るつもりだったのかも知れないけど、私が成長したので、一緒に作れた。弟も、父と一緒に作ったのだが、聞くところによると、全然手伝わなくて、父ひとりで作ったようなものだったと、後で漏らしていた」

麻友「太郎さんは、中学生のときに、そんなアンプを、一緒に作れたということは、電子工作に関しても、一応、力があったのよね。マクスウェルの電磁気学は、分からなくとも」

私「そのはなしか。そうなんだよ。マクスウェルの電磁気学が分かっても、ラジコンカーのプロポは、作れないんだよ」

麻友「エッ、何の話?」

私「麻友さんと出会う前の、『この世界の本当の姿は?3』という投稿で、





「おもちゃを何でも買ってもらえた。」
なんて、とんでもない。
 私も、男の子なら誰でも欲しがるように、ラジコンカーが欲しいと言った。だが父は、

「欲しかったら作れ。」

と言った。もし私が、父のように、将来技術者になるような、電子工作の本を読んで、ラジオなどを作る子供だったのなら、本当にラジコンを作ったかも知れない。

 だが、私は、動作原理の分からないものをとりあえずつなぎあわせて作る、ということの出来ない人間なのだ。ラジコンを作るなら、マクスウェルの電磁気学を理解しなければ、ならない。そんなこと、中学生の私には無理だった。結局私は、ラジコンカーというものを買ってもらえなかった。





と、書いているところを、言ってるのだろう?」

麻友「あ、分かっちゃった。ピンポイントで、攻撃しても、反撃してくるのね」

私「あそこでは、ちゃんと書かなかったけど、ラジコンを作るためには、トランジスターというものが、必要だ。このトランジスターというものは、半導体というものであり、古典電磁気学(つまりマクスウェルの電磁気学)では、扱えないものなんだ。要するに、量子力学が、必要なんだ」

麻友「そうなのよね。太郎さんの好きな、量子力学が、必要だったのよね。太郎さん、そこまで、必要だと知ってた?」

私「今まで、ずっと言ってなかったけどね、ラジコンのプロポを作れなくて、ラジコンカーを買ってもらえなかった、というのは、半分しか正しくないんだ」

麻友「どういうこと?」

私「ラジコンカーを買ってもらえなかった、というのは、本当なんだ。だけど、ラジコンのプロポを作れなくて、というのは、ウソが混じる」

麻友「じゃあ、本当は、プロポ作れたの?」

私「実際に、本物を作ったわけではないから、『これを、作ったぞ』とは、言えないんだけど、今もある鶴見図書館で、電子工作の本を見ていたとき、ラジコンのプロポの作り方が書いてあったんだ」

麻友「作り方って、例えば、この部品とこの部品を買って、みたいに、丁寧に書いてあったの?」

私「うん。そうなんだけどね、私は、見ていくうちに、『あれっ、こういうパーツを組み合わせていったら、もの凄くアマチュアっぽくなって、かっこ悪くなるぞ』と、感じたんだ。そして、最後まで見ていって、完成品を見たら、思った通りかっこ悪かったんだ」

麻友「それで、それで、、かっこ悪かったから、作らなかったの?」

私「やっぱりかっこいいとか、綺麗とか、見た目も重要じゃん」

麻友「はー、もったいない」

私「そう、嘆くほどのこともない。人生には、色んな事がある。父は、78歳の今でも、パワーアンプ3台と、トランスや、直流電源とか、オッシロスコープとか、大切に並べているけど、私の部屋は、ブルーレイとテレヴィとパソコンの他は、炊飯器などの家電以外、電気製品はない。たくさんあるのは、本とノートだね。生き方が違うんだから、当然だよ」

麻友「じゃあ、聞いてみたいんだけど、どうして天体望遠鏡は、作ったの? あれだって、アマチュアっぽくなったでしょ?」

私「それは、理由があるんだ。初めから、あの焦点距離600mmのカレンダーを黒く塗りつぶして丸めた望遠鏡は、実際に使うつもりは、なかったんだ。天体望遠鏡というものは、非常に精度良く、その星の方向に、向け続けなければならないから、きちんとした架台に載せなくてはならない。まず、デモンストレーションとして、望遠鏡を作って、次に、架台と一緒に、新しい天体望遠鏡を買ってもらおうと、思っていた」

麻友「それが、見事上手く行ったのね。でも、望遠鏡だけで、16万円って、凄い立派な望遠鏡ねぇ」

私「選んでいたときは、少しでも、性能の良いものを、と思っていたんだけど、買ってみたら、天体望遠鏡って、もの凄くかさばるし、重いんだ。今晩ちょっと晴れてるから、星を観ようと思っても、10kg以上の望遠鏡を組み立てなければならない。どこにでも運んで行かれるような、携帯型の望遠鏡にすれば良かったと、後で後悔した。ただ、ひとつ言っておくと、ガラスの仮面の中で、速水真澄が言うけど、都会では、ほとんど星が見えなくなっている。でも、私の望遠鏡で、都会でも土星がくっきり見えるのは、主鏡の直径が、15cmもあるからなんだよ」

麻友「『ALTAIR15』って言うのよね。主鏡の直径が15cmだから、『15』なのね」

私「麻友さんに、土星を見せてあげられるのは、いつかなあ」

麻友「写真で、観るのとは、違うの?」

私「この世界で、常識と考えられていることは、たくさんあるよね」

麻友「もちろんそうね」

私「そのことのなかで、科学的に常識と考えられていることは、いくつもある。例えば、地球は太陽の回りを回っているとか」

麻友「それで、何かを疑うというの?」

私「この世界で、科学で確かめられていると、言われていたことが、本当は、皆がウソをついていたのではないかと、心配になることがある」

麻友「それは、太郎さんだけよ」

私「そんな孤立無援のとき、私がただひとつ信じられるのが、望遠鏡を覗いて、あのように土星には環があったのを、本当に観たという事実なのである」

麻友「太郎さんって、易しいことでも、考えすぎるのね。それでも、今まで、生きてこられたのは、半端じゃないわね。ところで、『リンツ』の話は?」

私「ごめん。書きそびれた。次回書くよ」

麻友「じゃあ、おやすみ」

私「おやすみ」

 現在2019年8月25日21時58分である。おしまい。