相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

私の単位(その3)

 現在2019年1月30日20時08分である。

「あらっ、単位の話は、終わったんじゃなかったの?」

 わっ、今、出来たてのアイディア!

「えっ、いつの?」

 2019年1月30日20時38分29秒のアイディア。


「どういう状況で?」

 『麻友54』のノート3188ページに、昨日、


2019.1.29 14:33:42「

 {h=2\pi \hbar}

 円周の長さは、{h}


 重力が幾何学でないのではなく、幾何学として扱うべきが、重力なのだ。

 エネルギーがあるとき、そこの空間がゆがむ。

 というか、空間のゆがみが、エネルギーなのだ。

 だから、ほつれた糸が、ほどけていくように、エネルギーは、散逸する。

 すなわち、エントロピーは、増大する。

              」2019.1.29 14:44:57



と、書いてあったのを、読み返していて、

 ほつれた糸は、自然にほどけるだろうか?

 余計ほつれるという場合もあるか。

 どっちが、状態は増えるんだろう。

             2019.1.30 20:34:04


と書いて、空間がゆがんでいるところを、想像していた。

 きれいな、ビニールの袋なら、くしゃくしゃ、としても、ちょっとなでれば、また広がる。

 でも、サランラップだったら、一度、くしゃくしゃにしちゃったら、もう元には戻せそうにない。


と、考えた。その瞬間だった。


 脳が、記憶を蓄えているのは、くしゃくしゃになったサランラップと同じ原理で、長い間、記憶を留めているのだ。脳がしわしわなのは、そのためなんだ。

と、気付いたんだよ。

 これが、上で言った、出来たてのアイディアだよ。

「でも、これ、そんなにすごい発見?」

 まあ、ヒットくらいにはなるよ。脳が、どうしてあんなに何十年も、記憶を蓄えていられるかは、ちょっと気になってはいたんだ。


「それで、今日は、どんなことのために、投稿してきたの?」

 昨日、Eqという単位使う上で、例えば麻友さんと私が、好き合ってる量を、1qみたいに、基準にして、定めたんじゃないか? という話をしたよね。

「ああ、冗談半分かと思ってたけど」

 実は、偶然今日、『Eq』とググったとき、おまけで、『EQ』というのも引っ掛かってきたのね。

「ああ、EQなら知ってるわよ。心の知能指数でしょ」

 さすが、特待生。

「自分の感情をコントロールできる、社会性のある人が、EQが高い人なのよね」

 まさにその通り。

 ところで、そのEQの単位って何だろう?

「IQは、確か、10歳のとき、20歳の人の平均の知能を持ってたら、IQ=200なのよね」

 うん。そうだ。だが、EQは、何を基準にする?

「何を1にするかが、問題なのよね」

 そうだよね。

「この出来事に遭ったとき、太郎さんが嬉しいと思った量を、その出来事に関しての標準的受け止め方、として、それを、1と置く。他の人が、同じ出来事に遭ったとき、2倍嬉しいと感じたときには、その人は、感受性が高いとして、その人の心の感受性は、2だとする。もちろん、出来事によって、感受性は、変わるわよ」

 そんな感じだね。ただ、その人が、同じ出来事に遭ったとき、2倍嬉しいと感じた、というのを測るのは、難しかっただろう。

「それは、そうね」

 そこで、私が、ブログを書いていたことが、役に立ったのではないかと思うんだ。

「ブログが?」

 私は、もう14年もブログを続けているが、2014年までのものには、正直に書かなかったこともあった。

 だが、麻友さんに会った2015年以来、私の勘違いを除けば、このブログに、ウソはない。

 だから、京野さんにしてみれば、薬を変えたりしたときの変化を、ブログを読むことで、かなり正確に、把握できる。

 私が、心の中でどう思っているかも、全部分かってしまうからだ。


 心の科学に、定量的な研究を、持ち込めたとしたら、幸せに生きられる人が、もっと増えるかも知れないね。

「どんどんアイディアが浮かんで、また躁状態になって、入院しないでね」

 気をつけるよ。

 もう寝よう。

「おやすみ」

 おやすみ。

 現在2019年1月30日22時19分である。おしまい。