現在2016年11月17日22時22分である。
麻友さん(真剣に)こっち向いて。
「もう。」
お願い。
「遅いわよ。」
分かってる。
「分かってない。」
えっ。
「私の周りには、素敵な男の人、いっぱいいるの。」
うん。
「1月に4回くらいは、握手会もやってるの。」
1月に4回か。
「太郎さんを、見失わないでいるのは、太郎さんが思っている以上に、大変なことなの。」
その言葉だけで、考慮時間を完全に使い切って、でも、やっぱり私を選ぶ決心をしてくれたことは、分かった。
「前回決裂した原因は、太郎さんのお母さまのことだったわね。」
そうだった。
「私、パソコンオタクだったことは、知ってるわよね。」
もちろん。
「ちゃんと、調べたのよ。」
何を?
「太郎さんのお母さまの名前。」
どうやって?
「会友の名簿で、神奈川県で、松田っていう女の人は、一人だった。」
あっ、さすが。本当に、パソコン自在に扱えるんだね。
「博識なのは、あの名前の影響かしら。」
妹は、その博識ぶりを表して、『CD-ROM(しーでぃーろむ)』と、母を呼んでた。
「本当に、博識なの?」
まあ、
『フランス国歌ってどんなだっけ?』
などという問いには、どんな時でも、口ずさんで答えられる。
「ラ・マルセイエーズね。」
そう。
「絵は、上手いの?」
麻友さんは、2通のラヴレターを見てるから、私の絵の下手さ加減は、分かってるでしょ。
「うん。あっ、でも見どころあるわよ。」
お世辞は言わなくて良い。私が、絵が下手なのは、万人が認めることだから。
「で、お母さまは?」
今から、30年くらい前、父が、
『家族ひとりひとりに、1年ずつ割り当てて、みんなで各々金1グラムだけの献金をしよう。そして、その年のひとりを応援しよう。』
と、言い出したんだ。
「太郎さんのお父さまって、アイディアマンなのね。」
確かに、それは認める。
「それで?」
最初が、母の年ってことになったんだ。
「金1グラムだけの献金って、どういうこと?」
これは、子供たちに、物価というものを、理解させようというのが、目的だったんだ。
「じゃあ、これ本当に、金(かね)ではなく、金(きん)なのね。」
そうだよ。金(きん)は、価値が変わりにくいものなんだ。だから、いくら献金、とするより、年々増加するので良いと、父は、言ったんだ。
「金1グラムって、いくらくらいなの?」
最近は、当時の2倍くらいになっているけど、当時は、2,000円くらいだったんだ。
「本当に、変動するのね。」
父は、3倍額か何か、献金して、家族から母は、12,000円ほどもらった。
「何に、使ったの?」
その時初めて、母が、絵の勉強するのに使うと言ったんだよね。
「それから、30年か。」
数年前に、25年くらい前の母の絵が出てきて、私も見たけど、
『あっ、これは、色を置きすぎだな。』
と、感じた。上手くなったんだよ。
「太郎さんの年には、何をしたの?」
私は、天体望遠鏡を買う資金にしたんだ。
「カレンダーの裏を墨汁で塗りつぶし、それを丸めて作ったんじゃなかったの?」
あの紙の天体望遠鏡は、実話だけど、実際には、あれは、父を説得するためのデモンストレーションだったんだ。
「じゃあ、紙の望遠鏡ってウソじゃないのね。」
本当だよ。
「30年前に、お母さまは、絵の道に進み、太郎さんは、天文学へ。」
そうだね。
「お母さまは、会友になられているのに、どうして太郎さんは、天文学者になれていないの?」
今の世の中は、インターネットがあって、誰でもが、ブログ書いたり出来るから、調べられていいんだけどね。
「何を?」
世の中で、失敗した人なんかも、ブログ書いてるんだよ。安いものだから。
「それはそうね。」
そういうの見ていると、この人は、これだけ優秀だったのに、どうして伸びなかったのだろう。と、思える人が、何人もいる。
「太郎さんだけじゃないのね。」
失敗しても、生きていきたかったら、他の仕事するか、あくまでそれにしがみつくか、しかないんだよ。
「ああ、そうか。」
私は、20年間、ずっとしがみついていて、やっと光明が見えてきたところなんだよ。
「その翻訳の仕事が、軌道に乗るのは、2年後くらいなんでしょ。」
軌道に乗るって言うか、1冊訳し終えるのがね。
「じゃあ、その時まで、私、アイドル続ける。誰のものにもならない。」
そうやって、私を、立ち直らせよう、としているの?
「そう。太郎さんが、1冊本を訳せば、定収入が入る。ちゃんと仕事したって事よ。世間にも認められるわ。」
それで、麻友さんは?
「それを、見届けて、AKB48を卒業する。」
卒業した後は?
「本当に、普通に会社の社長さんとかと結婚する。」
本心で、そう思ってるの?
「太郎さん、甘いわよ。現実は、厳しいのよ。」
麻友さん。今日というか昨日、『さばドル』見切ったんだ。全部TSUTAYAで取り寄せてもらってだったけどね。
「やっと見てくれたのね。」
私には、すっごく面白かった。
「それしか、言ってくれないの?」
私より、23歳若い麻友さんが、この年齢差を行き来するのは、大変だっただろうと思う。
「少しは、褒めてくれるのね。」
いや、これは褒めてるんじゃないんだ。
「えっ。」
麻友さんは、もう既に21歳年上の世界に生きるすべを持っていると、気付いたんだ。」
「逆さばドルなんて、いやよ。」
そういうことじゃない。私の奥さんが十分務まるということだ。
「うっ。」
遠距離恋愛って、長続きしないね。やっぱり、結婚しちゃわなきゃだめなようだ。
「結婚は、良く考えるって。」
うん。結婚という形式でなくてもいいんだ。ただ、公認カップルになる必要があるんだ。
「なぜ。」
私も、今のままでは居心地が悪いし、麻友さんも、好きな人ができました。と言えば、AKB48を卒業して、女優の道に進むきっかけになる。
「どうして、太郎さんは、一度も聞いてくれないの?『一緒にならない?』って」
『一緒にならない?』
「いいわよ。」
そうか。こう聞けば、良かったんだ。
私の指が、こういう文章を紡ぎだしたということは、恐らく麻友さんの方にも、何らかの心境の変化があったのだろう。
この一文を、この時間に、結わえておこう。
現在2016年11月18日0時52分である。おしまい。