相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

どうやって白衣に羽は生えるのか

 現在2017年1月6日23時00分である。

「これどういう意味?看護婦さんの話って、また、入院するの?」

 いや、そうじゃない。

 麻友さんに、昨日、次のようにツイートしたでしょ。



渡辺麻友様。3日くらい寝てたんじゃない?まだ伸び盛りなんだからよく寝なきゃ。父のために本のリストを作っていて笑っちゃった本がこれ。ゲオルク・ノルトフ『脳はいかに意識をつくるのか』(白揚社)アマゾンのレビューに統合失調症患者は絆が失われてるだって(笑)。



「確かに、昨日太郎さん、こうツイートしてきたけど、それが何か?」

 麻友さんが、ここで話題にしている、レビューを読んだかな?と思ったんだけど。

「ごめんなさい。私、そんなに、暇じゃないの」

 そうか、読んでないなら、あまり問題ではないんだけど。

「どんな、レビューなの?」

 これなんだ。




統合失調症患者には 世界や他者との本来大切であるはずの 目に見えない『絆(きずな)』が失われている

投稿者 エンジェル・ダスト 投稿日 2016/11/15


統合失調症患者の心に欠けている大切な何かとは

他者から見た統合失調症患者の何が酷い状態なのかと言うと
それは統合失調症患者の
「他者との目に見えない結びつきの関係が酷い」ということです

大抵は親に恨みとか被害者意識を常々抱いていて 

周期的に癇癪を起して家の壁を殴ったりして
「全部親が悪い 壁の修理代は親が払え」
という例がよくありますが

「あなたと親との目に見えない絆(きずな)はないのですか?」
ということです

日常生活能力の低い統合失調症患者に
普段から家事をしてくれている親に対してでさえ
「基本的に不平不満しか言わなかったり定期的に癇癪を起す」というのは
これが統合失調症患者にはどんなに心を尽くしても届かない
ということです

これが統合失調症患者には
世界や他者との本来大切であるはずの
目に見えない『絆(きずな)』が失われているということです



 以上が、ゲオルク・ノルトフ『脳はいかに意識をつくるのか』(白揚社)という本のレビューなんだ。

「分かった。太郎さん、私が、これを読んで、太郎さんのことを不安に思い出すんじゃないかと思ったんでしょ。」

 思わなかった?

「この文章自体は、ショッキングだけど、私は、今まで、1年8ヶ月も、太郎さんを見てきてるもの」

 そうなんだよね。やっぱり、長くつき合ってる人だと、一本の物差しで測るということが、なくなるものね。

「安心しなさいよ。それで、この投稿は?」

 実は、去年の1月3日に書き始めていながら、規模が大きくなりすぎた投稿があったんだ。

「去年の1月3日?1年以上前じゃない」

 そうなんだけどね、病院での入院生活、それも精神科の入院生活というものの特殊な様子を紹介しようと思って、作りかけのまま、保存してあったんだ。

「でも、どうして、今それを?」

 さっきのようには、いってるけど、麻友さんにとって、私が統合失調症で、何を病んでいるのか、本当は、謎でしょう。

「分かろうと努力した時期もあったのよ。でも、分からなくても、太郎さんを好きになることはできる。だから、好きになっちゃった」

 実は、去年の1月3日(2016年1月3日)ということは、麻友さんと会った後だし、宇宙の年齢を求めたりしていた時期だ。

 しかし、この投稿を見ると、私が、自分が妄想にとりつかれているのか、それとも、これが、現実なのか、迷いながら、生きているのが、鮮明に見えてくる。

「えっ、太郎さん。私がロケットに夢中になってない、とかツイートしてきた時期よ。そんな時期に、まだ、妄想の中にいたの?」

 実際、私が、メモも含めて、書いているものを読んでみると分かる。

 そのものずばりを、持ってくるよ。分かり難い部分は、後で捕捉する。






 現在2016年1月3日22時21分です。

 私は、2015年9月16日に、横浜市立みなと赤十字病院の精神科病棟に、入院しました。

 通常、精神科病棟に入院させるのは、その人が、頭がおかしくて、他の人に危害を加える可能性がある場合と、その人自身が、自殺する恐れがある場合です。

 人が死ぬと大変ですから、女の人は、ネックレス類、男の人は、ズボンのベルトなど、首を吊ることのできるものは、すべて取り上げられます。

 また、外部と連絡を取り合って、脱走すると困るので、携帯電話もパソコンも、持ち込んではいけません。

 テレホンカードでかける、公衆電話だけ、使って良いことになっています。

 そういう耳からの情報と、後は、テレヴィを見ることしか、情報源はありません。




 一人の妊婦さんがいました。

 若い男の人に、私は、

「出産というのは、そんなに大変なものではないよ。」

と、言いました。

「大学時代に、社会学の女の先生から、踊りながら、産むところもあるって聞いたよ。」




 私は、こう考えた。赤ちゃんというのは、お産のとき、初めて形あるものになるのではないか。

 小さい頃、近所のおばさんが、お腹が大きいとき、触らせてもらったこともあった。

 だが、あれもただ膨らませてるだけで、赤ちゃんは、小さかったのではないか。

 浪人してたとき、奥さんの出産に立ち会ってきた先生が、

「女性を尊敬するようになりましたね。」

と、言っていたが、出産というのは、映画やドラマでやっているようなものと、全然違うのではないか。


 京都大学の3回生のとき、社会学の授業に出ました。

 若い女の先生で、


自分は、自分なんだー。

自我というものについて知りました。

フロイトの話がありました。

授業が終わって、私が、質問しようと立ち上がろうとすると、

「来週の授業は、・・・」

と、話し始め、私の出鼻をくじこうとしました。

それでも、私は、歩み寄り、

男の子が、お母さんと、体の関係を持ちたいと思うが、お父さんが恐くて、出来ない、という経験をして、やがて、自分だけの妻を持とうとするのだ。と書いてあった。

こういうことって、本当にあるのですか?

「僕は、よく周りの人から、『お前は悩みが少ない。』と言われるのですが、こういうことを、感じたことがないからですか? そんなにみんな、セッッグゥスのことで、悩んでいるのですか?」
(『セックス』が、『セッッグゥス』になっているのは、誤植ではない。私は、初めて発音したので、舌をかんでしまったのだ。)

 先生は、

「色々、読まれてみるといいですよ。色んな人がいますから。」



「出産するとき、お産婆さんが付くみたいな、大変な思いをするとは限らないって書いてありますけど、本当ですか?」

「本当ですよ。アフリカの部族によっては、みんなで踊りながら、女の人も、踊りながら産むところもあるんですよ。」

「それは、僕に相手が出来たら、話さなきゃ。」





 もし私が、間違ったことを想像してそのままになってしまったとしたら、精神病院として正常に機能していないことになります。

 私が、正常になって退院してきていて欲しいわけです。









 以上が、書きかけの原稿。

「ちょっと、分からないところだらけなんだけど」

 うん。麻友さんが、分からなくても、頭が悪いんじゃない。

 スパッと説明すると、私は、このとき、赤ちゃんが生まれるというのは、生まれる瞬間に、パッと大きくなるものなんじゃないか、という妄想を持っているんだ。

「どうして、そんなこと」

 私の論法は、こうなんだ。

 私は、精神病院に入っているとき、こう考えるようになった。

 そして、それを、直されずに、退院してきた。

 だとすると、この考え方は、正しいのではないか?

 こう思って、上の書きかけの投稿を、書いているんだ。

「『こう思って、書いているんだ』なんて、すましていってるけど、今は、どうなの?」

 私、考え方を、少し、変えたんだ。

「どんなふうに?」

 この世界って、わざと複雑にしている人は、ほとんどいないんだなって思って、眺めることにしたんだ。

「太郎さんのいう、わざと複雑にしている人って、どんなことをする人なの?」

 たとえば、さっきの赤ちゃんが生まれるってことにしても、本当は、生命が生まれるのなんて、ものすごく簡単にできることで、死んだら簡単に代わりを作れる、というのが、本当の世界なのに、子供たちに、お前たちは、大事に育てられたんだぞって教え込むために、身ごもって十月十日もかけて生まれて、大切な命として育てられた、と教えるように、社会全体で、仕組みを作っているみたいな人。

「ちょっと、待って。複雑すぎて、分からない。太郎さんは、『生命が生まれるのなんて、ものすごく簡単にできることで、死んだら簡単に代わりを作れる』と、思ってるの?」

 思ってないよ。

「それは、確かなの?」

 私が、それを、確かかどうか尋ねられても、証明は、できないよ。

「じゃあ、なんで、思ってもないことを、いうのよ」

 麻友さんが、『わざと複雑にしている人って、どんなことをする人なの?』というからだよ。

 さっきみたいな世界なのに、それを子供に教えないことにしているとしたら、その世界は、複雑でしょ?

「うん。少し分かった。やっぱり、太郎さんの病って、すっごく複雑で、深刻ね」

 自分の病気が、治れば治るほど、自分が、恐ろしい病気に冒されていたんだなあ、と思う。

「もっと良くなると、いいわね」

 結婚までに、もっと良くなってみせるよ。

「『白衣に羽が生える』というのは、何を話したかったの?」

 看護士さんや看護婦さんは、精神科病棟で、殺されるといけないから、心だけを、ロボットに入れて、そのロボットで、患者に接するんだ。つまり、心を売っている人達なんだ。ということを、書くつもりで、書き始めたんだ。

「太郎さん、そう思ってるの?本当に?」

 そういう、複雑なことは、多分ないと思う。

 でも、精神科病棟で、危険なことが起こるのは、本当。

 私が入院していた時も、看護している人達に、恨みを持った女の子が、部屋にあった、大きな丸い時計を、ナースステーションのガラスに、たたきつけた。

「ガラス割れた?」

 防弾ガラスみたいに強力なガラスで、割れなかったけど、時計のガラスは割れて、針も文字盤も、めちゃくちゃになった。もの凄い音もした。

「太郎さん、そういうの、大丈夫なの?」

 私、自分は、守られてるから、殺されはしないだろう、みたいに思い込んでて、平気だった。

「頭がおかしいって、幸せなことなのかもね」

 それは、あると思う。

 イエス・キリストにしても、自分は、大丈夫、みたいに思ってるから、あんなのを甘んじて受け入れられるんだ。

「太郎さんって、私に振られても、傷つかないかもね」

 麻友さんって、残酷なこと、平気で言えるんだね。

「太郎さんが1千万分の1になるためには、他の人にそれを言わなければ、ならないのよ」

 もう、寝るよ。おやすみ。

「おやすみ」

 現在2017年1月7日0時43分