現在2017年1月11日12時45分である。
「この題は、いったい何?」
今朝、こうツイートしたでしょう。
渡辺麻友様。深夜の『AKBINGO!』録画して見たよ。どうトップの責任を担う?面白い話をしよう。湯川秀樹は研究発表の場などで結構すっとんきょな質問をして自分でも『俺バカだな』と頭をかいていたそうです。でも十個に二つくらい凄く冴えた質問があったそうです。
見ている他の人には分からないので説明すると、2017年1月11日0時59分から日本テレビで放送された、『AKBINGO!』というバラエティ番組に麻友さんが出演し、手相を見てもらったら、アイディアぼくろというのがあるといわれ、もっとアイディアを出した方が良いと言われた。
そして、
『普通の人が考えつかないような見方で物事見てるんです。麻友って。でもそれが周りの人にまだ』
なんて、親友の柏木由紀さんにいわれ、麻友さんもみんなの前で、
「じゃあ、言っていった方がいいんですね」
といい、
「言います」
と、約束してしまった。
もちろん、これは、AKB48グループのために麻友さんを利用しようと、勝手に手相でそう出てるなどと、けしかけたのだが、麻友さんが責任を背負い込んだのは確かだ。それで、私は、麻友さんに、アイディアの出し方を、プレゼントしたのである。
「でも、太郎さんのツイート、大分ギャップがあるわよ。湯川秀樹って、ノーベル賞の人?」
うん。やっぱり、あのツイートだけじゃ、伝わらないと思って、記事にしたんだ。
そもそも、湯川秀樹(ゆかわ ひでき)とは、戦後間もない1949年にノーベル物理学賞を受賞し、日本人の心に、日本だってまだやれる、と灯をともした人であり、実は、漢文を白文のまま(つまりレ点も送り仮名もなしということ)で読め、日本文学もたしなんでいたために、日本古典文学大系などの全集に毎月ついてくる冊子の先頭を飾ったりもした。
「それ、すごいことなの?」
だって、物理学で、ノーベル賞取るくらい、研究してるんだよ。あの冊子って、文学者でも、書かせてもらえれば、光栄だと思うところなのに、なんで、物理学の湯川秀樹が、先頭に書いてるのよ。
「つまり、ミュージカル大好きな私が、井上芳雄さんと、ミュージカル愛を語ろうと思ってたら、ミュージカルなんてど素人の太郎さんに、番組持って行かれたみたいなこと?」
そう。そういうこと。
「でも、湯川さん、それを喜んでたのかしら?」
喜んでなかった。
「えっ、なんで、太郎さん、そんなこと知ってるの?」
私、実際その冊子読んだことあるんだ。
「どう書いてあったの?」
この作品は、小さい頃読んだから、余り覚えていないって、はっきり書いてた。
「それを、確認している太郎さんも、さすがね」
いや、あれ読んだとき、当然だと思ったね。
「何を?」
湯川さんは、もっと物理学の研究をしたかったんだよ。
「今日の話につながってくるわね」
そう。そういう人なんだよ。それくらいすごい人だと知ってから、次の文を読んでよ。
この本の中の一節。

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「ずっこけくん」の役割-ノーベル賞学者は愚問の達人
ぼくがまだ、三十代、ちんぴら助教授のころだった。あまり近しくお話をしたことはなかったけれど、大学内の不定期的なちょっと変わった研究会みたいな場で、湯川秀樹さんとよくご一緒した。研究会といっても大げさなものではなく、たとえば生物物理学が流行ってきたら、その話を若い人にちょっとレクチャーさせるとかいう感じの軽いノリだ。いろんな学部からよりどりみどり、三十人ぐらいがやって来て勝手なことをしゃべっていたりした。
そういう会に、あのノーベル賞学者の湯川さんがしょっちゅうやって来た。湯川さんはいつも前のほうに座り、関心が出始めると貧乏揺すりを始めるクセがあった。湯川さんが貧乏揺すりをし始め、ぼちぼちでるなと思っていると、突然阿呆な質問をする。何でそんなことを聞くんやろう、とぼくらがどう考えてもよくわからないような突拍子もない質問なのだ。三十歳ぐらいの若手講師が怪訝そうな顔でおそるおそる「それはこういうことですが」と質問に答えると、湯川先生が頭をかきかき「あ、そうか、俺も馬鹿やな、やきが回ったな。阿呆な質問したなあ」と肩をすくめるのだった。
湯川さんはそういう「愚問の達人」だった。十質問すると、八つまではものすごい愚問。ところが二つぐらい、だれも考えなかった変わった方向の質問をする。そういう質問を仲間内では「湯川さんの愚問」といって珍重していた。実際湯川さんが来ると、研究会が盛り上がった。そういう研究会での姿勢を、湯川さんは阪大の助教授時代の上司である菊池正士(きくち せいし)教授に学んだという。これええなと思って、自分でもやるようになったのだという。
講師に対する質問というのは、大体うまいこといかないものなのだ。中には、自己顕示欲のために質問する奴が必ずいる。講師をヨイショするような質問をする奴もいる。喜んでいるのは質問者と講師だけ。
ところが「湯川さんの愚問」がでると、議論はだれも思いつきもしなかった方向に流れて行く。あ、そんなこともありかというふうな感じ。ついつられて、いろんなことを言い出す人がでたりして、研究会がものすごく盛り上がる。講演や研究会には、方向性がある。「湯川さんの愚問」は、その方向を推し進めるためにするのではなく、方向を変えるためにする質問だったのだ。
先生の授業の流れについていけない子は、落ちこぼれる。でも新しいアイディアは、落ちこぼれた奴の中から、示される可能性が高い。現実的にはそういう生徒は落ちこぼれやすい。これは、教育における一つのパラドックスなのである。そもそも優等生が先生の考え方についてくるのは、妙なことを考えないからだ。違う方向性を持っているのは劣等生なのだ。ただし劣等生は抑圧されている。劣等生が何か言うと、周りの子が「あいつ、阿呆なくせに変なことを言う」と馬鹿にする。いい先生の教室だったらそういうものをうまくすくい上げてくれるのだけれど、よくない教室だと「つまらん質問するな」と先生からも弾圧されてしまう。そういう点で優等生ほど実は解放されているのだ。そうなると変なことを言うのは優等生が多いというのは理屈に合ってくる。実際に優等生のほうがすっとんきょうなことを言う傾向がある。
湯川さんやアインシュタインでも、そうだった。「愚問」は湯川さんだからこそ言えるのだ。三十代ぐらいの無名の若者だと、自分を優等生に見せたいという欲望が強い。そのため、ヘンな質問を自分で抑制してしまう。たとえ思い付いても、講師の考えの流れに沿わないような質問は自己規制してしまう。口に出さない思想はやがて消えていってしまうものだ。
というように続いていくが、私が強調したいのは、麻友さんに、
『良いことを言おう』
と、力まないで、ということ。
湯川さんだって、10回中8回は、外しているんだ。
ちょっと、口を出してみようと思ったら、他にしゃべりたそうにしている人がいないのを見計らって、言ってみよう。
恥ずかしい思いをするかも知れない。でも、AKB48の中には、『渡辺麻友』の名は、響き渡っている。何も恐くない。
それと、もうひとつ強調したかったのは、劣等生を大事にすること。
ものすごい劣等生でありながら、卒業の最後の瞬間、麻友さんを越えた、島崎遥香さん。
ああいう劣等生を大事にしないと、多様性が求められる、今の時代にAKB48は、生き残れないと思う。
麻友さんは、高橋みなみさん達に、大事にされたんでしょう。
今度入ってくる、ダイヤモンドの原石の劣等生のそばに行ってあげるのは、麻友さん自身なのかも知れないね。
というように、しんみりしてしまったので、一つ笑いを取らなくては。麻友さん、何か言ってよ。
「太郎さん。私に、『おい。ロリコン』って言われたら、なんて答える?」
マジな顔して、
『ロリコンって、褒め言葉だって、今知った』
って、答える。
「そう、褒め言葉なのよ♡」
現在2017年1月11日23時47分である。おしまい。