相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

論文探しの冒険

 現在2019年2月25日19時15分である。

「通院は、どうだったの?」

 私の頭の、再発見の嵐が、収まってたから、先生も安心した。

「再発見の嵐に見舞われていると、どうなるの?」

『この発見を、人類に伝えなければ』

と思うから、思いつく先から、『麻友』のノートに、書き込むので、1カ月で、ノートが3冊近く進むことになる。

「そうやって、思いついて、書いたものが、本当は、もう他の人が発見したものだったと知ったとき、がっかりしないの?」

 まったく、がっかりしない、と言ったら、ウソになるけど、中学の3年生の頃から、同じようなことは、いくらでも経験しているから、

『いつものだな』

くらいで、しょげたりしない。

「楽観的よね。でも、その楽観的な、人生観がなかったら、そこまで、生きてないかもね」


 今回、『プレミアムバースデーイベント(仮)』のキャンセル分チケットの受付を、始めたようだけど、今、父母を説得して、スマホを持つのは、ちょっと無理。

 母に、打診したけど、

『麻友さんが、というより、運営の側の、卑怯なやり方が、許せない』

ということだった。

 スキヤキチケットでなければ、絶対駄目、という今回のやり方は、私は、スマホを持つ機会を作ってくれたのかな? と、前向きに受け止めたけど、誰でもが、そう取るとは限らない。

「お父さまの反応は?」

 私にスマホを持たせるのを、心配している。

 私という人間が、もの凄くのめり込む人間なので、父でなくとも、心配するのは、当然だ。

「私も、今すぐ、太郎さんに、スマホを持ってもらわなくても、良かったの」

 麻友さんが、そう思ってくれるなら、無茶なことは、しない。

「太郎さんは、そういうとき、無茶なことを、する人じゃないわ」

 とにかく、3月24日のバースデーイベントには、私は、行かれない。

 もし、本当に、私に会いたかったら、3月26日に、個人的に呼んで欲しい。

「凄い、自信よね」


 まあ、こういう自信を持つに至る、伝説の一つを、麻友さんのお誕生日の一月前ということで、披露しよう。

「どんな伝説?」

 もう死んじゃったけど、ホーキングっていたじゃない。車椅子の物理学者だったあの人。

「覚えてるわ。そもそも、『ホーキング&エリス』のホーキングじゃない」

 そう。

 あの『ホーキング&エリス』の本は、古典論と呼ばれる物理学の分野の話なんだけど、ホーキングを、有名にしたのは、あの本が出版された1973年に発表された、ブラックホールからも、出てくるものがある、という後に『ホーキング効果』と、呼ばれるようになる、量子論一般相対性理論を、ミックスさせた論文なんだ。

「じゃあ、今日の冒険の目標は、その論文?」

 そういうことだ。

「それが、私へのお誕生日プレゼントなのね?」

 もちろん。


 冒険は、1年浪人して、京都大学に入ったところ(1991年)から、始まる。

 1回生のとき、後期で、4回生向けの、『一般相対論』の佐藤文隆さんの授業を、グライダー部の親友と一緒に受けた私は、

テンソルには、付いて行かれない』

と言い、グライダー部の親友は、

解析力学を、要求されると、無理ですね』

と、撤退した。

 一般相対性理論と、量子論の、統一というのは、誰でも、考えることで、『ホーキング効果』は、ある意味、その一里塚である。

 日本語の難しそうな本をいくら探しても、シュッツの本にある省略された記述以上のものを、見つけられなかった。


 シュッツ『相対論入門』(丸善

第2版 シュッツ 相対論入門 ハードカバー版

第2版 シュッツ 相対論入門 ハードカバー版


 1回生が、終わり、いつもの『多様体の基礎』を、勉強しながら、グライダー部の親友と、ファインマン物理学のⅤ巻『量子力学』のゼミを、始めた。

 私は、待っていられない。

 何を、待っていられないのかというと、3回生からしか、物理学科の図書館に入る許可がもらえないという規則が解けるのをである。


 私の頃は、まだおおらかで、物理学科の図書館にゲートなどは、なかったので、私は、2回生の秋、思い切って、その物理学科の図書館に、入り込んだ。

 入ってみて、びっくりしたのは、まさに輸入されて入ってきたばかりの、論文や本が、あちらこちらに、並んでいることだった。

 最初の日は、それらを、見るだけで、満足して、帰ってきた。


 次の日、今度は、武装して向かった。

 シュッツの本で、目標の『ホーキング効果』の論文は、

Hawking,S,W.(1975)Commun.Math.Phys.,43,199

という名前だと、分かったが、これだけでは、探しようがない。

 とにかく、論文というものが、どういう風に保存されているかを、知るために、論文がありそうな部屋を見つけた。

 一応、天下の京都大学の物理学科の図書館である。タイプライターで、本文が書かれ、数式が、手書きで書いてある論文まである。

 いや、論文だけではない、萩原雄祐(はぎわら ゆうすけ)という天文学者の書いた、Celestial Mechanics (天体力学)(5巻9冊)というどこでもはお目にかかれない文献もある。

 さて、お目当ての、論文は?


 さすがに、こんなにあっては、絨毯爆撃も、できない。

 案内が、書いてある、壁の表を、見ると、

Commun.Math.Phys.

は、5階にあるらしい。

 私が、入り口を入ったのは、3階であった。

 じゃあ、5階へ行こうと、一旦入り口から出て、階段で、5階へ。

 だが、5階には、それらしい入り口はない。

『中でつながってるのかなあ』

と、もう一度、3階へ。

 論文のある部屋を探してみると、急な階段があった。

 5階へ。

 端から、見ていくと、年毎に製本された論文が並んでいる。

Commun.Math.Phys.

が、あった。

 1973,1974,1975。

『あれだ!』

 高いところにあるので、脚立を持ってきて、下ろす。

『どこからだろう』

と、199ページをめくらなくても、分かった。

 多くの学生が、この論文を研究しようと、コピーしたので、そのページだけ、白い紙が、灰色になっていたのである。

 論文の題名は、

Particle Creation by Black Holes

ブラックホールのそばでの粒子の生成)

であった。


 さて、論文は、見つかった。

 だが、不法に侵入しているので、借り出すことはできないから、コピーもできない。

 当時は、ノートよりルーズリーフを使っていたので、それに、手で書き写すことにした。

 3階の図書閲覧の机の所に座って、写し始めた。


 私が思うに、司書の人は、私が、2回生であることを、感付いていたのだろうと思う。

 だが、論文を手で書き写す学生に、それを悪用する子はいないだろうと、大目に見てくれていたのだと思う。


 その論文は、どんどん難しくなり、全文写ししていても、分からないほどになり、3日くらいで5ページほどで、挫折した。

 だが、論文というものが、どんな風に書かれているか、などが分かり、大いに、収穫があった。

 その後、3回生になった後、1994年1月13日、京都の丸善で、この論文を含むホーキングの論文集、

Hawking on the Big Bang and Black Holes (Advanced Series in Astrophysics and Cosmology)

Hawking on the Big Bang and Black Holes (Advanced Series in Astrophysics and Cosmology)

を買ったので、手書きの方は、いらなくなった。

 京都から中退して戻ってきたとき、

『これまでは、置いておけない』

と、捨ててしまったと思う。


 いずれにせよ、私に取って、初めて論文というものに出会った、大切な思い出として、今も胸の内に残っている。



「これが、『論文探しの冒険』? それで、その論文の内容は?」

 まだ、解読できていない。

「あらあら。でも、今の学生なら、スマホで、パシャッね」

 私は、2007年2月に、京都へ行った。

 そのとき、物理学科の図書館へ行ってみたが、ゲートができてしまっていて、入れなかった。

 京都大学の自由な校風が、ひとつ失われてしまったようで、残念だった。


 この論文の内容を、普通の本で書いてあるのは、例えば、

Quantum Fields in Curved Space (Cambridge Monographs on Mathematical Physics) (English Edition)

Quantum Fields in Curved Space (Cambridge Monographs on Mathematical Physics) (English Edition)

だと思う。



「太郎さんって、物理のことは、何でも知っているように、見えて、あれも知らない、これも知らないって、どうしてなの?」

 そんなに、物理学って、簡単に分かるものじゃないんだ。

 小学校6年間って、ものすごくたくさんのことを習うようだけど、中学に進むと、小学校のことなんて、常識になる。

 上には上があるってことだよ。


「私のバースデーイベントに来られない代わりに、この冒険の話を、してくれたのね」

 そうだよ。

「ありがとう。今度、25歳になるの5✕5だから、去年に引き続き、割れる数で、素数ではないわね」

 当分腹を割って話せる歳だね。良かった。

 一応言っておくけど、母は、麻友さんという人を、悪い感情を持って、見ていない。それは、確かだ。必ず、一緒になれる。

「うれしいわ。じゃあね」

 ばいばい。