相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

数学で、心を病んだら、この大樹に泊まれ

 現在2019年10月10日19時20分である。

麻友「あれっ、これ、日付が変じゃない?」

私「前に、書きかけてた記事なんだ。改めて、始めるよ」



 現在2019年10月31日2時17分である。

若菜「眠れなかったんですか?」

私「こういうこともある。いちいち、眠り薬飲んでいられない」

結弦「凄い題だけど」

私「これは、大学時代、数学の危機に直面して、何年もかけて、乗り越えた経験から、数学で心を病んだ人のための、心の支えとなる大樹を、育てておこうという話なんだ」

麻友「太郎さんの、数学の危機って、どこまで根深かったの?」

私「数学の教科書に書いてあることまで、信じられなかった」

若菜「それは、数学を目指す資格がないのでは?」

私「私は、教科書が駄目なら、自分で、数学全部、築き直そうと思った」

結弦「どういうふうに?」

私「私が、かなり大事にしている本に、次の本がある」

彌永昌吉(いやなが しょうきち)彌永健一(いやなが けんいち)『集合と位相』(岩波基礎数学選書)

集合と位相 (岩波基礎数学選書)

集合と位相 (岩波基礎数学選書)

私「この本の第1章に、


 与えられた命題 {P} に対して,その否定,すなわち“ {P} ではない”という命題を記号的に {\neg P} と書く.ここで,つぎの事柄を仮定する.

 排中律

 数学的命題 {P} について,{P} または {\neg P} のどちらかが成り立ち,それらがともに成り立つことはない.────



と、書いてある。だが一方、排中律が成り立たない数学もあると、書いてある。

 こういうのを、読むと、私は、排中律が成り立たない数学って、どんなものだろう。それも加味しながら、数学を作ろうと、考え出す」

結弦「じゃあ、お父さん。『ウソをつかない数学』というゲームでも、それを、取り入れるつもり?」

私「一通り、排中律が成り立つ数学を、プレイした後、排中律が必ずしも成り立たない数学も、冒険できるようにするつもりだ」

若菜「排中律が、成り立たない数学って、どんなものなのですか?」

私「大学の2回生のとき、数学で何が正しくて、何が正しくないか、分からなくなったとき、排中律が成り立たない数学は、それはそれで正しい理論として築けるが、排中律が成り立つ数学も、きちんと築けるのだと、悟った。そして、今自分が、どの立場で、数学を語っているのかを明確にしないと、

『これは、正しいです』

とは、言えないことが、分かった」

麻友「じゃあ、数学って言っても、色々あるの?」

私「そういう色々のもの全部を合わせて、数学って、言うんだよ」

麻友「その排中律が、成り立たないって、否定の否定が肯定にならないという論理よね。でも、想像できないのよ、それって」

私「大学時代、私も、それで、かなり悩んだ。京都から帰ってきて、1999年1月7日、以前にも見せた、この本を見付けて買った」

麻友「ああ、これね。私が、ブルバキランダウのブログで、『他の論理学の本、見てみようかしら?』って言ったときの本ね」

若菜「直観主義集合論って、どんなものなのですか?」

私「直観主義集合論というのは、直観論理というものを用いて展開される、集合論なんだけど、この直観主義集合論までは、私は理解してない。ただ、直観論理だけなら、ある程度分かっている」

結弦「その直観論理で、排中律を認めないんだろう。ちょっと、どうやって認めないのか、やって見せてよ」

私「この定理は、数学で正しいかどうか分からない。排中律を認めなかったら、これは、正しくないのだろうか? などと悩んでる人のために、ちょっと紹介してみるか」


私「『現代論理学』のゼミでやったように、論理記号というものがある」

{\Rightarrow (ならば);\vee (または);\wedge (かつ);\neg (否定);\exists(存在する);\forall (任意の)}

結弦「それは、ブルバキでもやったなあ」

私「直観主義集合論を始めた L.E.J. Brouwer (ブラウワー)は、何かが正しいというのは、本当は未定のこともあるのだから、今まで“{A} が正しい”と言っていたことを、“{A} を確認する方法をもっている”と言いかえるべきだと考えたんだ。そこで、論理記号の意味を、


{A \wedge B}  {A} を確認する方法と {B} を確認する方法をもっている。

{A \vee B}  {A} を確認する方法をもっているか、{B} を確認する方法をもっているかどちらかである。

{\forall x A(x)}  すべての {x} について {A(x)} を確認する方法をもっている。


と、変えた。この3つは、“正しい”を単に“確認する方法をもっている”と言っただけで余り変わらない。だが、次はちょっと違う。


{\exists x A(x)}  {A(x)} が確認できるような {x} を見つける(または作る)方法をもっている。

{A \Rightarrow B}  {A} を確認する方法が与えられたときに、その方法をもとにして {B} を確認する方法を作る方法をもっている。

{\neg A}  {A \Rightarrow \perp} の略記号だと思う。ただし {\perp} は矛盾を表すとする。すなわち {\neg A} は“{A} を確認する方法が与えられればその方法をもとにして矛盾を導く方法をもっている”ということである。


 以上が、直観論理だ。矛盾というのは、命題 {A} で、{A \wedge \neg A} となるものがあるということである。{A \vee \neg A} とは違うよ」

結弦「結構、複雑だな」

麻友「だから、つき合いきれない数学って、前、太郎さんが、言ってた」

若菜「それで、排中律云々は?」

私「排中律とは、すなわち、上の記号で、{P} かまたは {\neg P} が成り立つのだから、{P \vee \neg P} だよね。これを、直観論理で解釈すると、どんな命題 {P} であっても、

{P} を確認する方法をもっているか、{\neg P} を確認する方法をもっているかどちらかである

となる。これは、神様かなんかでなければ、無理だよな。

結弦「ああ、そういうことだったのか」

若菜「お父さんは、直観主義集合論を、研究されるのですか?」

私「数学って、広いんだよ。そして、自由なんだ。私は、恐らく後20年以上、直観主義集合論を研究しないと思う。私の好きなのは、むしろ幾何学だ。微分幾何学微分位相幾何学を研究したいんだけど、ベルナイス・ゲーデル集合論を用いるのが、望ましいと、思っている。論理としては、直観論理でなく、古典論理を用いる。リンク集にある『NKとBGの要約』にまとめた手法だよね」

麻友「数学で、心を病んだら、どうすればいいのかしら?」

私「何よりも、正常な数学の本で、内容的に易しすぎず、丁寧に書かれた本を、どれか1冊か2冊、読破するのが、良いのではないかと思う」

若菜「例えば、どんな本?」

私「それは、その人によって、病んでいる理由やレヴェルが違うから、紹介できない。自分で、『この本で立ち直ろう』と選ばなければ、本気にもなれない」

結弦「そっかー。お父さんは、どういう本だったの?」

私「『現代論理学』と『数学基礎概説』で、やっと立ち直ったけど、今でも『直観主義集合論』見ているくらいだから、まだ病んでるかもな」

若菜「他にアドヴァイスは?」

私「数学だけでなく数学の歴史、つまり数学史を、調べてみると、『数学が好き』くらいだったのが、『数学が楽しい』くらいになる」

麻友「太郎さん、数学のために、色々やってるんだ。話が面白いわけよ」

私「じゃあ、直観主義集合論の話、終わりにして、いいかな?」

麻友・若菜・結弦「いいともー」

 現在2019年10月31日8時13分である。おしまい。