現在2008年3月27日1時29分です。
先日受けてきた予備校の講師の件は、採用されなかった。
多少残念な気もした。だって、1枚840円もする特上の証明写真を貼った履歴書を送ったのだったし、面接の日もおめかししていったのに、全部駄目になったなんて。
まあ、世間の大人の人はみんなこうやって、いくつもの会社を訪問して、やっと雇ってもらうのだろうから、私が、1社落ちただけで残念がっているのはおかしいのだろうけど。
差し当たって、また障害者支援施設のお世話になることになった。
ところで、今日はそんなことを書きたくて、この投稿を始めたのではない。書きたいことはいくつかあるのだ。
まず、持っている本のリストを覗いてみれば分かるが、以前から買いたかった、「ウミガメと少年」をとうとう買ったのだ。
八重洲ブックセンターの女性の親友が、
「絶版になっていて、取り寄せられないけど、夫が持っているので、貸してあげられるよ。」
と、言ってくれていたのだが、私はアマゾンに在庫があるのを知っていたので、いずれ買おうと思っていたのだ。
だが、数学の本はすぐ買うのに、こんな人生の糧になる本となると、生活に困ってまで買おうとはしないのである。まったく私は、数学狂だな。
今日届いたので、まだじっくり読んでないので、コメントはまた今度。布団に入ってじっくり読みたいのだ。今晩は、布団に入るのが楽しみだ。
さて、他にも書きたいことがある。今日は横浜まで行ってきたのだが、その時、ルミネの有隣堂で、「ショーケン」という本が並んでいるのを見て、ページをめくらずにはいられなかった。
なぜか?
それは、1週間ほど前のAOLのニュースで、この「ショーケン」という本に、誰あろう、あの前橋汀子さんと恋人だった一時の思い出も書かれている、という、とんでもないことが報じられていたのだ。
前橋汀子さん。もちろんヴァイオリニストの前橋さんである。
私は、諏訪内晶子さんのファンをやっているが、それは、歳も私より一つ下だし、恋人と思うにはぴったりだからなのだが、前橋さんは、私の母と同じくらいの歳であり、ちょっと、恋人と思うのは無理がある。
だが、全世界、いや、歴史上の全演奏家、ハイフェッツもフルトヴェングラーもグレン・グールドも、すべて勘定に入れても、私が最も信頼し、敬愛している演奏家は、前橋汀子さんだと言って良い。
自伝も書いてないから、情報は少ないのだが、そのわずかの情報からうかがい知る、彼女の姿は、気品がある、という言葉である程度上手く表現できるかな、という形容しがたい、素晴らしさを持っているのだ。
過去に2回(本当は3回なのだが)、その演奏会に行ったこともあり、CDも発売されているものは全部持っている。本当のことを言うと、最近発売された、ベストアルバムのSACDは、全部持っている曲なので、買ってないのだが、お金に余裕が出来たら、いずれ買うだろう。
私が、前橋汀子さんのヴァイオリンに釘付けになったのは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のCDを、大学1回生のときに買ったときだ。
ムチャクチャすごい。こんなすごい演奏があるのか、と3ヶ月ほど、毎日のように聴いた頃があった。
最近ではそれほど聴かなくなったが、それは、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータをよく聴くためで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏が、気に入らなくなったわけではない。
今でも、このCDをかけるときは、何ともなく、心がうきうきする。
さて脱線したが、その「ショーケン」の本にどんなことが書いてあったか。
その本は、どうせ買っても、前橋さんのところしか読まないだろうし、来月の2日に諏訪内晶子さんの新しいCDが発売されるので、お金を残しておかなければならないので、買わなかった。
だから、記憶を頼りに書くのだが、前橋さんは最低でも2回恋をしていることが分かった。
大好きな女性が、他の男性と関係があった、ということを知って、嫉妬心が湧かない男性はいないと思うが、私としては、巫女のように禁欲的な生活を送っている彼女にも、素敵な恋の経験があったのかと、少し微笑ましく思われた。
それに、「ショーケン」の著者も、前橋さんを本当にヴァイオリンにすべて捧げている人として、好感の持てる書き方をしていたので、それほど、腹は立たなかったのだ。
前橋さんの素敵な1面の情報がまた一つ増えた。そういうことだ。
女性を愛するということは、その人の過去も含めて、すべてを愛するということだ。その人の欠点も愛の対象になって初めて、
「好きです。」
と、言えるのだ。
前橋汀子さん。もうしばらく生きていてね。
さて、今日は他に何を書くのか。題名の「時間がないのではない」というのは何のことか。
それは、私が、もっともっと勉強する時間を作れるということなのだ。
工夫すれば、1日平均8時間は、数学や物理学の勉強に充てられる。多い日は、14時間くらい勉強しっぱなしになることだって出来るはずだ。
そうなれるはずなのに、実際は、1日平均30分くらいしかまともに勉強してないという現状は、一体どうしたことか?
本当にやりたいことをやってないんじゃないのか?
本当にやりたいことって何だ?
実は、先日、「数学ガール」を読んだとき、私はまた一つ、ζ(3)を求める試みを思い付いたのだ。そして、2日間眠らずに思い付いた試みを試そうと計算し続けた。
結局、歴史が示しているように、ζ(3)は、難攻不落であり、今回も砦を崩せなかった。
でも、私の中の、ベルヌーイ数に始まる私自身の数学研究は、また一歩あゆみを進めたのだった。
ああいうときの集中力をもっと普段から、数学物理学に注げないものか?
私は、一番やりたいこと探しをした。
そして、やりたいことは、
1つは、一般相対性理論
1つは、数学基礎論
1つは、統一理論
1つは、小学生の読める物理や数学の本を書くこと
この4つだと、確認した。
これらについて、1本ずつ自分なりの成果を論文にまとめたらどうか?
そう思った。
第1番目の一般相対性理論は、卒業研究で、ある程度まとまったものがある。だが、それ以外は、自分の考えをまとめていない。
統一理論をやるためには、量子力学を勉強しなければならないのは避けられない。だが、私は、数学が進んでいないから、という理由で、逃げてばっかりだった。これではいつまでたっても、同じままだ。
そこで、量子力学を徹底的に学ぼうと思った。
道は2本ある。物理的なアプローチをするのと、数理物理的なアプローチをするのと。
今回は、両方やることにした。
もう、
「予備知識が足りません。」
とは、言わせないことにした。そんなことを言ってたら、何十年経っても、今と同じままだ。
それから、数学基礎論。とことんまで、やってやろうじゃないか、と思った。目標は、
「数学において正しいとはどういうことか」
という1000ページくらいの本を書くことである。
1000ページといっても、ブルバキのように証明だけにするのでなく、読んで面白いものにしたい。
数学基礎論と言っても、論理学だけやっているのには、私は、納得しない。あくまでも、具体的な数学をやるための手段として、数学基礎論をとらえたい。
「数学において正しいとはどういうことか」
という問いには、人それぞれ違いがあって良い。だが、それぞれに、何らかの心得を持っていて欲しいのだ。
その心得を持つための材料を提供するのが、私の本である。
論理的な思考、論理的に筋の通った発言、を出来るようになるための、訓練として、数学をとらえる人もいる。私は、数学は全然論理的に出来てなんかいない。ということを知っているので、そんなことを目標にするのではない。人生の生き甲斐を見つけられるように、数学をとらえられる人が一人でも増えることを願っている。
本の目標としては、1階の述語論理とベルナイス・ゲーデルの集合論を自然に導入して、ガロア理論を制覇したいと思っている。だから、1000ページである。
最後にもう一つ、やろうとしていることは、テフの勉強をすることである。Wordの数式エディタでは、制約が大きすぎる。
テフで文章を打って、PDF形式で公開する。
そういうことを考えたのだ。
まず実験として、アメリカ数学会のテフフォントAMS-LaTeXが、アクロバットで、PDF形式に出来るかどうかやってみた。
そうしたら、これがうまくいかないのだ。≦の下の線が一本のフォントを印刷したら、四角い箱しか出てこないのだ。なぜだろう。と、散々色々試した後、諦めて、インターネットで、検索したら、WindowsXPはWindows2000の後継OSなので、このフォントだけ化けるのだということが分かった。
よりによって。まさにこの字が化けるというその字を実験に使ったとは、ついていたというのか、ついてなかったというのか。
まあ今後のためには良かった。
というわけで、これから1月ほど、テフの勉強をします。そして、バンバン数式入りの文章を書いていきます。
1日平均8時間、勉強すること。大学生には少ないぐらいですよね。でも、疲れやすい私には、これが限界。
限界までやってみる。人生は、いつ終わるのか分からない。だから、本当にやりたいことをやっていきます。
今日はここまで。
現在2008年3月27日3時15分です。おしまい。