現在2015年3月14日12時05分である。
今日は、横浜市立みなと赤十字病院に入院していたとき出会った看護婦さんの中で、ただ一人、名前を書き留められなかった、看護婦さんのことを、主に書こう。
なぜ、名前を書き留められなかったのかというと、その看護婦さんが、精神科病棟の看護婦さんではなく、1回しか、会えなかったからだ。
だが、その看護婦さんは、ものすごく柔軟な発想の出来る、素晴らしい人だった。
私が、あの病院にいた2ヶ月で、ただ一人、発想の豊かさで、まともに渡り合えると感じた、看護婦さんだった。
私は、入院してから、病棟の地図を丁寧にチェックしたので、私のいた閉鎖病棟から、もっと自殺の危険のある人を収容する、隔離病棟への扉が、2カ所あるのに気付いた。
それで、その日、病棟の医師の長の人が、みんなを引き連れて、私のところに、
「今日は、どうですか。」
と、巡回に来たとき、
「隔離病棟へ、行こうと思えば、一度この閉鎖病棟から出て、左に行けば、扉があることに気付きました。今度、行ってみようと思います。」
と言った。
みんな笑っていたが、私としては、興味があった。
ところで、その頃、私は、料理の献立の書いてある紙に、ボールペンで、次のような絵を描いていた。
この、矢印のついた、絵である。
私は、絵がものすごく下手だから、人の似顔絵などは描けない。だから、こんな、線だけの絵を描いていたのだ。
これが、何を意味しているか、理学部の人なら、すぐ分かるだろう。だが、普通の人には、それは分からない。
分からないからこそ、この絵から、私の考えていた以上のものを、見いだすかも知れない、と思い、私は、この絵を看護婦さんや看護士さんに見せて、
「何の絵だと、思います。?」
と、聞いていた。
一番上の、
という、矢印がぶつかっている絵を、
「人と人の出会い。」
と言った、看護婦さんがいた。
これは、素晴らしい発想だと思った。
それで、
「私は、もっと速いスピードを考えていたんです。ポルシェとフェラーリの衝突のようなことを考えていたんです。」
と、答えた。
すると、
「じゃあ、ペチャンコね。」
と言ってきたので、
「もし、こっちが、ボルボだったら。?」
と応じた。
「ボルボは、頑丈だから、大丈夫かしら。」
などという、会話もあった。
この看護婦さんは、優秀だったのだ。
そんなことを、何度かやった後のことだったのだ。
私は、その日、隔離病棟へ行くつもりだった。
見慣れない、看護婦さんが、
「今日は、私と、図書室へ行きましょう。」
と言った。
私は、また、あの絵を見せて、
「何の絵に、見えます。?」
と、聞いた。
「かわいい目に見えます。」
と答えたのだ。
「どういう風に見たら、目に見えるんですか。?」
と、私が聞き返すと、
「これ、書いても良いですか。?」
と言って、私のボールペンを指すので、
「もちろん。」
と言って、渡すとこんな絵を描いたのだ。
これには、私も脱帽だった。
それで、
「これは、私が今まで、宇宙の中にいたのに、あなたは、宇宙の外に出たってことです。これが、一般相対性理論の発想なんです。数学での多様体という概念は、宇宙の外に出るっていう発想なんです。素晴らしいですね。」
と誉めた。
それから、2人で、探検に行った。隔離病棟の位置は分かっていたのだが、扉は閉まっていて、
「こっから先は、関係者以外、立ち入り禁止なんです。」
と、言われたので、諦めた。
それから、図書室へ行った。
私は、その数日前、図書室にある、
『看護学大辞典』
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というものが、ものすごく面白いことに、気付いた。
まず、その辞典をケースから取り出したら、付箋が1つ付いていたのだ。そこを開くと、「り」のところだった。そして、次のような項目があった。
読んでもらえば分かるが、ナイチンゲール看護婦学校の卒業生で、リーズという女の人のことが書いてある。
私は、余りに感動したので、ボールペンでアンダーラインを引いてしまった。写真にあるアンダーラインは、コピーに引いたものではなく、元の辞典に引いたものである。だから、古い版なので、現役の看護婦さんは見ないだろうが、あの病院へ行けば、この辞典に、私のアンダーラインがある。
何を感動したのかというと、私のアンダーラインの一本目が看護婦の『婦』という字にあるように、男の人と女の人を分けて書いてあったことだ。もちろん、この辞典が、平成元年(1989年)10月9日第3版第7刷のものなので、看護師という言葉がなかったためなのだが、私は、この区別があったから、ちゃんと意味のある文章になっていると思った。
どういうことかというと、
「看護婦は最良の淑女によって構成されねばならず、巡回看護に当たるものは特にその必要がある・・・」
と、書いてある。これを読んで私は、
「つまり、看護婦さんというのは、訪問した先の男の人が、どんな男の人であっても、口だけで天に昇らせてあげられるようでなければならない、ということまで、要求されるのだな。これは、看護士さんじゃ駄目だということだな。」
と、理解したのである。そして、もっとびっくりしたのが、2つ目のアンダーラインの、
「修業試験を課すことを提唱している。」
という部分だ。
「男の人を口だけで昇天させられるようになったかどうかなんて、どうやって試験するんだ。このリーズっていう人、ものすごく頭のいい人なんだな。」
と思ったので、感動したのだった。
さっきの宇宙の外に出られる看護婦さんと一緒に図書室に行ったときも、その看護学大辞典を、読んでいた。
ところが、普通の看護婦さんは、黙って待っているのに、その看護婦さんは、
「あっ、この本、読んだことある。」
なんて言って、辞書を読んでいる私の気をそらそうとするのだ。さては、何か、
「私に伝えたいことがあるのだな。」
と思って、
「その本のどこが、良いのですか。」
と、辞書を読みながら尋ねた。
「私、この人の本、文章の書き方がうまいなと思って、お手本にしているんです。」
と言うので、
「どんな本かな。?」
と思って、一応場所を覚えておいた。
それから、じゃあ、私の方からも、私が日本語のお手本としている本を、示しておかなければならない、と思って、
「私が、文章のお手本にしているのは、大江健三郎の『「自分の木」の下で』と『「新しい人」の方へ』なんです。特に、後の方の中の、『賞をもらわない九十九人』という短編は、ものすごく良いですよ。」
と、話した。
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そして、病棟に帰ってきた。
その看護婦さんとは、それっきり会わなかったが、私は次に図書室に行ったとき、場所を覚えておいた、その宇宙の外に出られる看護婦さんのお手本にしたという本を、調べた。それは、栗本 薫(くりもと かおる)という作家で、評論家としては、中島 梓(なかじま あずさ)という名前で活動していた人の『グイン・サーガ』という100冊以上のシリーズになっている本だった。
最後の本を上げると、
『グイン・サーガ』
見知らぬ明日―グイン・サーガ〈130〉 (ハヤカワ文庫JA)
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というものである。
なぜ、これが、最後の巻なのかというと、栗本薫が死んでしまったからだ。
私は、その本自体をほとんど読まなかったが、この作家がものすごい作家だというのは、すぐに分かった。それは、あとがきに、
「こんなに、100巻以上書いてきて、まだ100巻以上書きたいというほどに、私は、お話を書くのが大好きなのです。」
と、書いていたからだ。
それくらい、書くことが好きならば、そりゃあ、文章も上手くなるでしょう。
私は、そういう作家を知っていて、私に教えてくれた、あの宇宙の外に出られる看護婦さんを、尊敬したのだった。
今日は、ただ一人、名前を書き留められなかった看護婦さんのことを書いたのだった。
「どうも、ありがとう。」
という言葉を伝えたい。
今日はここまで。
現在2015年3月14日14時12分である。おしまい。