相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

統合失調症患者の一部に見られる解釈エラーの実態

 現在2018年3月13日14時02分である。

「昨日の続きかしら?」

 昨日の説明では、解釈エラーという言葉の説明が、不十分だったようなので、実際に、解釈エラーなのに、私が、気付いていない場合と、解釈エラーを起こしたとき、それを修正できる場合を、例示しようと思う。

「例示って、実際に起こったことで、説明してくれるの? でも、太郎さんがエラーだと気付いてないのに、エラーだったものなんて、太郎さん自身に、分からないはずじゃない」

 さすが、特待生。良いところを突いてくる。

 でも、それが可能なんだよ。

 なぜかというとね、時間をおいてみてみると、エラーだと気付かなかったことでも、

『あれは、エラーだったな』

と、分かることが、あるからなんだ。

 それに、私には、論理的に説明できるという強みがある。

「太郎さんの論理なんて、当てになるのかしら?」

 まあ、見ててごらんよ。

 まず、他の人から、

『あれは、太郎さんの解釈エラーだ』

と、見えてるのに、私は、解釈エラーをしておらず、ただ空想で考えたことを、さも本当のように書いたり話したりしている場合が1つ目。


 次に、他の人から、

『あれは、太郎さんの解釈エラーだ』

と、見えているのに、私は、自分の解釈エラーに気付いてなくて、妄想で書いたり話したりしている場合が2つ目。


 最後に、他の人が、

『あんなこと現実には起こらないのに』

と思うようなことを、私が、本当のことのように、書いたり話したりしている場合が3つ目。


「えっ、3つあるの?」

 そう。

 だから、他の人が、混乱するんだ。

 みんな、2つだと思っているから。

「それは、聞いてみたいわね」


 まず1つ目の、他の人から、解釈エラーだと思われるような、空想で考えたことを、さも本当のように書いたり話したりしていることの例は、このブログの、

宇宙の外に出られる看護婦さん27182818284590452.hatenablog.com

という投稿の中にある、次の文章。



「看護婦は最良の淑女によって構成されねばならず、巡回看護に当たるものは特にその必要がある・・・」

と、書いてある。これを読んで私は、

「つまり、看護婦さんというのは、訪問した先の男の人が、どんな男の人であっても、口だけで天に昇らせてあげられるようでなければならない、ということまで、要求されるのだな。これは、看護士さんじゃ駄目だということだな。」

と、理解したのである。そして、もっとびっくりしたのが、2つ目のアンダーラインの、

「修業試験を課すことを提唱している。」

という部分だ。

「男の人を口だけで昇天させられるようになったかどうかなんて、どうやって試験するんだ。このリーズっていう人、ものすごく頭のいい人なんだな。」

と思ったので、感動したのだった。



「ああ、これ読んだとき、太郎さんって、本当に、頭おかしいなって思った」

 そうでしょ。

 この私の思考過程を、分解してみる。

 まず、私は、『看護婦は最良の淑女によって・・・』という文の、『淑女』という単語に反応した。

『淑女って、どういう女の人をこの著者は、念頭に置いているのだろう? 普通、淑女って言ったら、品位のある女の人を指すよなあ。こういう分からない場合は、反対のものを考えるのが定石だよなぁ。だとすると、反対は売女か? でも、『最良の淑女』って言ってるぞ。だとすると、『最良の淑女』というのは、売女の機能も兼ねた、品位のある女の人か?』

と、読みながら、一瞬で、空想する。

 これは、空想であって、現実にそうだとは、まだ思ってない。

 その空想を考えながら、この一文を読み、『就業試験を課すことを提唱している』で、『えーっ、売女の機能を兼ねたかどうか、試験するなんて、どうやるの~?』って、笑いながら、この空想を終えたんだよ。

「えーっ、太郎さん。冗談のつもりで、あれ書いてたの?」

 本当の看護婦さんが、そんなことするなんて、今まで私が生きてきた世界では、まず考えられない。まあ、コスプレでやりたがる悪趣味な人は、いるかも知れないけど、あくまで趣味であって、本物の看護婦さんが、患者さんにそんなことするとは、ちょっと考えられない。

「じゃあ、なんで、自分が気違いだと思われるようなこと、するの?」

『このアイディアって、面白くない? 私、リーズっていう人の記事読んだだけで、ここまで空想できたよ』

って、紹介してるんだよ。

「この『宇宙の外に出られる看護婦さん』という記事は、今回の記事のために用意して書いたものではないから、その分析は、本当そうね。でも、今回入院したときおかしくなったのは?」


 私は、鼻から腸に通していた管を引き抜いたり、他の部屋に移ったのに、母が来たとき、点滴のスタンドを持ったまま、前いた部屋に無理矢理戻って、電話をかけたり、禁飲食の札をつけられているのに、看護婦さんが駄目ですよというのに、水を飲んだりした。そのため、何をし出すか分からないから、拘束しましょうということで、精神科に移され、拘束された。

「それ全部、論理的に説明できるの?」

 実は、できる。

 鼻から腸に通していた管を抜いたのは、鏡を見たとき、私の顔が、管が入っているために、私が昔、顔をテレヴィか本で見た、東北大学か何かの先生の顔に似ているように見えた。

 それで、

『私の顔があの先生みたいだ』

と思った。

 それで、考えているうちに、

『私が、あの先生と同じだと思われたら嫌だなあ』

と思った。

 そして、

『やっぱり顔というのは、私のアイデンティティだ。元の顔に戻そう』

と思って、管を引き抜いたのだ。

 そのとき、私は、腸閉塞というのが、腸が詰まっているということで、それを治療するために管を入れているという理由を知らなかったので、抜いたって大丈夫だろう、と思ってしまったのだ。

 また、電話をかけたのは、最初の晩、泊まった部屋で、翌朝早く、壁にある電話の説明を読んでいたら、

『この電話は、横浜市内へは、通話料無料でかけられます。最初に『0』を押してから、市外局番からかけてください。携帯電話へは、かけられません』

と、書いてあったので、一度、私の家に、電話しようとしてみたのだ。だが、最初に、『0』をひとつ多く回したために、我が家の電話番号なのに、間違った番号を回してしまった。

 それで、どこにもかからなくて、

『プー、プー』

と、なってしまった。

 母が来たとき、

『今日電話したんだよ』

と言ったら、母が、

『電話なんてないわよ。何番に回したの?』

と言ったので、私が回した番号を言ったら、

『それ間違ってるわよ』

と言われた。その瞬間、私は、正しい番号を思い出したのだ。

 それで、もう一度試したくなって、点滴のスタンドを持ったまま、看護婦さんが止めるのも聞かず、そこの部屋に行き、電話をつかんで、回したのだが、余りに慌てたので、またしても、間違えてしまって、どこにもかからなかった。看護婦さん達を振り切った理由は、私って、手品とか見せるのが好きで、あの部屋に踏み込んで、電話して、私の家にかかったら、

『この通話、無料でできているんですよ』

と、得意気に言いたかったのだ。

 それで、みんなが、

『それが言いたかっただけですか』

となれば丸く収まったのに、かからなかったので、困ったことになり、

『誰にかけたのですか』

と言われて、

『母です』

と答えて、

『お母様、ここにいらっしゃるじゃないですか』

と突っ込まれて、答えようがなくなってしまったのだ。

 水を看護婦さんの前で飲んだのは、明け方、もう吐かなくなってるかな? と思って水を少し飲んでみたら、もう吐かなかったので、じゃあ、看護婦さんが来たら、

『ほら、もう大丈夫ですよ』

とやって見せようと思っていたからなのだ。

「本当に、全部、ちょっと変わってるけど、理由があるわね。じゃあ、入院したのはなぜだったの?」

 盲腸だったから、内科で治療してたんだ。

「えっ、精神科じゃなかったの?」

 うん。

 ただ、妄想も少しはあった。

 精神科の薬を飲まなくなったためか、自分が自宅にいながら、もうみなと赤十字病院に入院しているように思えたり、この世界では、各場所で、入ってくる熱と出ていく熱が、常にきちんとつじつまが合うように管理されているんだ、ということを、自宅で凍えそうになりながら、考えていた。

「それ妄想なの?」

 後で簡単に修正できるから、空想の範疇に入るかも知れない。


「でも、待ってよ。太郎さんには、自分で気付いてないエラーもあるのよ。2つ目は、どんななの?」

 これが、まさに、昨日話した、京都大学入学直前のできごとだよ。

「っていうと?」

 男の人と女の人が恋愛しているとき、その親同士が、二人を、あるときは近付け、あるときは引き離したりしているという空想。私は、『赤い糸で結ばれている』というのは、このことだと浪人中空想していた。

「でも、空想なら、現実ではないんでしょ」

 そうだよ。

 ところが、それが現実だという証明がされてしまった。

「どうやって?」

 母が、『クロイツェルソナタの女の人には、お姉さんがいるんでしょ』と、言ったことと、私が、『今日は、会いに行かないよ』と言ったとき、父ががっかりしたように見えたこと。

 これは、どちらも解釈エラーだったことが、後になって分かったんだけど、そのときは、証拠として認めうると、思ってしまった。

「どうして、解釈エラーが、起こってしまったの?」

 やっぱり、脳が疲れてたんだ。

「どうして、疲れてたの?」

 2年間の受験勉強の疲れと、クロイツェルソナタの女の人が、後で電話するからと言いながら、2日間も電話してこないので、

『どうしてだろう?』

と、2日間、考え続けていたから。

「うーん。さすがに鉄壁の論理ね。そこまで、自分の病気を分析できるとは、大したものだわ。いつその論理の輪が閉じたの?」

 実は、昨日麻友さんに、ブログ書きながら、頭を整理したんだ。

「だから、6時間半も、夢中になって、書いてたわけ」

 そう。


「でも、3つ目が、あるって、言わなかった?」

 そう。3つ目の、他の人が、

『あんなこと現実には起こらないのに』

と思うようなことを、私が、本当のことのように、書いたり話したりしている場合。

「それも、冗談なの?」

 違う。

 冗談じゃない。

「だとしたら、妄想なんじゃない?」

 いや、妄想のはずない。

「どういう場合なの?」

 麻友さんのことだよ。

「えっ、私のこと?」

 私だって、天下の渡辺麻友が、私の方を向いてくれるなんて、思ってなかった。

 だから、一番最初の

『二人の素敵な女の人』

という投稿では、

まゆゆ、いつか、会おうね』

と、なっている。

 私は、

『確率1000万分の1だから、無理だ』

と、分かっていたのだ。

「それが、どうして、私と結婚できるなんてことになるのよ。太郎さんも初めは、正常だったんじゃない」

 そう。私も、まゆゆと結婚できるなんて、思ってなかった。

 ところが、私が、麻友さんにツイートしたら、麻友さんのスタッフの人が動かす麻友さんの写真ばかり集めたツイッターから、私のツイッターがフォローされたんだ。

「また、余計なことを」

 私は、試しに、その写真のツイッターのツイートを2つリツイートしてみた。

 リツイートすると、私の公開中のツイッター窓に表示されるんだよね。

「ああ、それ以上言わなくても分かった。私にツイートしたものは、太郎さんの公開窓には表示されないのよね。だから、内緒でツイートしてるみたいになる。ところが、このまま太郎さんが、写真のツイートをリツイートし続けると、全部ばれちゃう。それで、写真のツイッターが、凍結されたとき、太郎さんのためだと思ったのね。でも、それは、解釈エラーよ。私、あのときまだ、太郎さんのことそんなに好きじゃなかった」

 それは、分かってる。

 でも、それ以後も、どんどん、証拠が集まった。

「例えば?」

 友達の職業を聞かれて、ニートと答えた。

「オタクの人の中には、ニートの人多いの」

 あっ、この水かけ論は、止めよう。

 私だって、麻友さんと絶対結婚できるなんて、今でも思ってないから。

「じゃあ、どうして、私と結婚しても、他の人と私がつきあえるようにする、なんて言うの?」

 これには、れっきとした、理由があるんだ。

 麻友さんは知らないだろうけど、古い本だけど、次の本の最後に以下のようなことが記されているんだ。

若い女性の生きかた (1959年) (現代教養文庫)

若い女性の生きかた (1959年) (現代教養文庫)


・・・キュリー夫人の話になって、“ピエール・キュリーは事故死して惜しいものだ、どうしてまた馬車などにひかれたんでしょう?”と、聞いたそうである。すると、その仏人がこう言ったというのである。

 “あれは、じつは、キュリー夫人に恋愛事件があって、ピエールは心痛していて、放心状態だったために事故にあったのだ。フランスではみなそんなこと知っているよ、”と。

 私はこの話を聞いた晩は、眠れなかった。一点非のうちどころのない、夫妻協力の理想型の例と思っていたキュリー夫妻に、仮りにもそういうことがあり得ただろうか? もしあったとしたら……。けれども、それは決してなかったとはいい切れないことである。人の生涯には、きれいなことばかりではないはずだ。いろいろの事件や、問題があるはずだ。キュリー夫人のようなすぐれた指導者であり、ひたむきな、魅力ある女性には、また、敬慕の念を燃やす人もあったにちがいない。その容貌も、そばで見る人には大そう魅力的だったということである。しかもたくさんの栄誉をになっていたこの女性が、あこがれの対象となったとしてもふしぎはないのである。そういう崇拝者の一人に夫人が心を動かすこともあり得る、と考えることも不当だとはいえないだろう。


 以上175ページより


「つまり、私が、浮気するんじゃないかって言うの?」

 麻友さん。私達の間に、浮気なんてものはないよ。でも、誰かに心を動かされるということは、あり得る。

 その場合の、転ばぬ先の杖として、麻友さんが、私だけのものという観念を、ぶっ壊しておいたんだよ。


「まいったわ。本当に、全部、論理的に理由があるのね。でも、そんなに論理的すぎるから、自分を信じすぎて、他の人の忠告が聞けなくて、気が狂うところまで行ったんじゃない?」

 それは、認める。

 麻友さんが言うから、認める。

「太郎さん、論理は忘れて、遊びほうけるってこと、ないの?」

 麻友さんを好きになってると、こんなの1000万分の1だ、ということを忘れて、馬鹿ができるんだ。

「私、アイドル合格ね♪」


 統合失調症の人が、全員私と同じかどうかは、分からない。

 ただ、わざわざ人を殺したりする人は、人間というものが、死ぬのかどうか、自分で実験したかったんだと思う。だから、あらかじめブログで予告してから、大量殺人をするんだ。

 私だったら、コンピューターシミュレーションでやってみようと思いつくけど、そういう人は、小動物で試した後、すぐ人間で試しちゃうんだね。

 頭の構造が、シンプルすぎると、やっぱり人間は、幸せになれないね。

 だから、私は、統合失調症になって、良かったと思うんだ。

「前向きな太郎さんは、魅力的だけど、もうちょっと顔が良かったらねー」

 それは、どうしようもない。

 今日は、2時間半で、止めるよ。

「書き終わったのね。バイバイ」

 バイバイ。

 現在2018年3月13日16時33分である。おしまい。