相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

私のメモ

 現在2015年3月3日16時36分である。

 2015年2月28日の投稿は、300人くらいの人に読んでもらったようで、私の夢がかなうと良いな、などと思いながら、今日はまったく違う話を書こうと思う。

 私は、今年の1月15日まで、横浜市立みなと赤十字病院に入院していた。その時、病棟にいたほとんどすべての看護士さんと看護婦さんの名前を書き取っていた。そして、すべての名前の下に、その人の特徴を、メモしておいた。
「小説でも、書けますね。」
などとも言われたが、作家でなく、物理学者を目指している私にとって、そんな目的で、メモを取っていたわけではない。
 私がメモを取っていた理由の一つは、私が、


私の憧れの人


という投稿で書いている、
「あんな人になりたい。」
と思っている人物に関係している。
 どういうことかというと、ジークフリード・キルヒアイスが、「銀河英雄伝説外伝」のアニメの中のワンシーンで、ある一兵卒の兵士に、フルネームで呼びかけ、その兵士から、
「なぜ私のような一兵卒の名前まで覚えているのです?」
と驚かれたとき、
「あなたの上官は、例え貴族の名前は忘れても、部下の名前を忘れたりはしませんよ。」
と何でもないことのように、応えるところがあったからなのだ。
 私の看護をしてくれている人の名前を、全部覚えていれば、看護してくれている人にも、それは伝わる。
 人間関係というものは、そうやって築くものだ。そう思っていたからなのだった。
 もちろん、私が何かをするとき、理由が一つということは、滅多にない。メモを取っていた理由も、それだけではなかった。
 やっぱり人間、
「あの、」
とか、
「そこの人、」
と、呼びかけた場合には、その後の言葉を、続けにくい。やっぱり、
「なになにさん」
と、呼びかけた方が絶対しゃべりやすい。
 そうは言うものの、精神科病棟だけで、看護士と准看護士が7人、看護婦と准看護婦が23人もいたのだから、なかなか暗記できない。仕方なく、受験生のように、暗記カードを作ることになったのである。
 3番目の理由は、同姓の人がいるので、ちゃんと名前まで覚えておかなければならなかった、というものだった。
 こういう理由で、メモを取っていたのだが、退院してからもうすぐ2ヶ月になり、段々とみんなの顔を忘れてきた。
 今日、久しぶりに、このブログにリンクをはってある、横浜市立みなと赤十字病院公認“ナースのブログ”というのの中を検索したら、5Aのみなさんの写った写真が見つかった。
 それで、懐かしくなって、メモを取り出して、一人一人を思い出した。
 もし、メモがなかったら、暗記力の低い私は、みんなを思い出せなかっただろう。
 そのメモには、こんな風にして、特徴が書いてある。
 例えば、
『2014年12月9日、私が、「(食事を運んでくるとき、コンテナの)保冷と保温を間違えたら大変ですね。」とか一言話しかけたら笑ってくれて、素敵だった。』
などと書いてある。
 『素敵だった。』なんて書いてあるのは、この看護婦さんだけである。なぜ、そんなことを書いたかといったら、その看護婦さんが、ものすごく笑わせるのが大変で、嬉しかったからなのだ。
 女の人は、涙も武器になるけど、笑顔というものを武器にすることも、本当に重要だと、知っておいた方が良いだろう。
北斗の拳ラオウが好き。』
なんて書いてある、看護婦さんもいる。
 夜、遠くから、
「今、薬飲みますか?」
と、声をかけられ、近付いてきたら女の人で、びっくりしたときは、
『2014年11月27日、ドップラー効果のためか、声が低く聞こえた。』
と、物理的なオブラートをかけてある。
 女の人を傷つけるようなことは、極力書かない。
 准看護婦の人が、
「大学へは、行ってないんです。」
と、応えた場合には、
『大学へは行っていない。2014年11月24日、医学のために犠牲者を出していいか、医学の犠牲になる気があるか、考えると。2015年1月14日、他人には言えないと示したので、「誠実な答えですね。」と応じた。』
と記録した。
 私の薬を飲むときのつまらない儀式の犠牲になった看護婦さんも、何人もいる、例えば、
アローゼン0.5gの袋の中の粉を苦労して落としてくれる。金属が塑性変形してしまったら、不可能なのに、・・・。』
というメモもある。
『私が、7つの薬を1列に並べたのを、『惑星みたいですね。』と言った。』
とか、
『「薬が、表か裏かで、勝ったとか負けたとか言うのよ。」と忠告していた。』
などというのも、私がパッと薬を飲まず、並べて、表か裏かで運勢を占い、粉薬は、粉一つでもアルミの袋に残ると気にする、なんていうようにして、薬を飲むということを楽しんでいたからだった。


 看護婦さんには、本当に心を許して何でも聞いたので、
『2014年12月8日、「お風呂で看護婦さんに背中を流してもらうには、どうしたら良いのですか?」と、聞いて、お風呂に入ってから、呼び出しボタンを押せば良いのだと、教えてもらった。』
などというメモもある。
 それを聞いたけど、私は実行しなかった。ただ、方法を知りたかったのだ。私は、豊臣秀吉なのだ。
 なぜ流してもらわなかったかというと、女の人に背中を流してもらったりしたら、こっちだってむらむらっとくる。でも、あの病院のお風呂には、カメラが付いているのだから、行為に及ぶなんてわけにはいかない。それじゃあ、私は、面白くないのだ。私とは、そういう人間なのだ。


 私は、入院したときから、ものすごく才能の働きが活発になっていたので、周りの人は、初めはきちがいと思い、次にものすごい才能のある人だと思うようになった。
 だから、
『2014年12月10日の朝、『松田さんは博士のようで、私でも疲れます。』と患者さんの一人に話した。』
というメモもある。
 その時の才能は、そのままだが、お医者さんが薬で私を落ち着かせたので、周囲の人が疲れるほどではなくなった。
 だが、それは、見かけだけで、才能は働きっぱなしなので、私の親友は、私の論文を批判するメールを私に送ると、ただちに私から新稿が行くので、困ったりもしている。
 また、私の本領が、物理学と数学なので、超伝導の研究をしている父をバックアップして、ついでにこっちも勉強しちゃおうというので、前から名前があがっている、ランダウ理論物理学教程を全部読破しようと思い立ち、父に見せるため、ということで、インターネット上にノートをおいて、2015年2月1日から、毎日読み始めた。
 そちらでは、
「徹底的に数学的に厳密にやる。」
と宣言したので、大学にいた20歳の時から、理解したかったのに、理解できなかった、無限小や無限大をきちんと扱う、超準解析というものを、23年越しの恋がかなって遂に理解するところまで、達した。
 この超準解析というものは、κ(かっぱ)級の飽和モデルというものを使うと、非常に話しが上手く進む。私のこのブログで、以前1回、このことを話題にした。


やっぱりだめだった


 東京大学の名誉教授の齋藤正彦さんに直接質問し、
「だめだったけど、がっかりしないでね。」
と、お返事をもらった、あの時の問題である。
 私は、問題を解いたのではなく、そこら辺の数学がどうなっているのかが遂に分かり、展望が開けたのだ。
 これは、私の大学にいたときの冴えが戻ってきた証である。
 私は、こうでなくっちゃいけないのだった。


 今度は少し看護士さんの話をしよう。
 私は、図書室へ行くときも、必ず付き添いの人に、一緒に行ってもらわなければならなかった。
 それで、ある時、図書室に他に誰もいないのを確かめてから、
「看護士さんというのは、ホワイトハンドというものをすることがあるって聞いたんですが。」
と言った。そうしたら、狼狽して、
「あっ、良かった。俺、看護士じゃないもん。」
「えっ、なんなんですか?」
「看護助手だもん。」
 私は、頭の回転がのろい人間である。この時も、その人が、なぜ慌てたか、分からなかった。
 その人は、私が、他に人がいないのを確かめてから、そんなことを言ったので、ホワイトハンドをしてくれと言われたと、思ったのだろう。

 私を知っている人なら、私が、男の人にそんなことをしてもらおうなどとは、夢にも思わない人間だと知っているだろうが、まだ入院したばかりであり、その人も、私を知らなかったのだ。

 私が、その質問をしたのは、

河合香織著『セックスボランティア』(新潮文庫

という本の中で、障害者のために、そういうことを日常的にやっている人もいると知ったので、
「この病院でも行われているんですか?」
と、聞きたかったのだ。

 その准看護士さんは、独身だったので、次に行ったときには、ピルの写真が載っている本を一緒に見て、
「私が、大学生の頃は、ピルを解禁するかどうかをもめていたんですよ。」
などと話した。


 私は、まともな女性経験はないのだが、好きになった女の人は多いので、色んな看護士さんに、その話をした。


 自分が経験がないものだから、ものすごく興味は持つ。こんな、長いメモになった看護婦さんがいた。
『その看護婦さんは、私の兄弟姉妹を聞いた。私は、アン・フーパーの『ビューティフルラブ』の話をして、「女の人が一番幸せそうで、無防備に男の人に体をゆだねていて、気持ち良さそうなのは、男の人に口であそこをしてもらっている写真なんですよね。」と話した。その後、水鳥が200匹弱浮いていたのに、その看護婦さんが見とれたので、1、2、3、と数えて、「百数十匹ですね。昔の武将で、子供の時に、庭にハマグリがいっぱい積んであったのを見て、配下の者にいくつあるかを尋ねたら二百個くらいだったんですね。ところが、それから、色んな家来を呼んできて、いくつあるかって試すと、みんな、千個とか二千個っていうんですね。それで、敵は意外と少なくても、ちょっと見は多く見えるものなんだと家来に諭したそうなんです。将来出世する武将になるほどの人は、子供の時から、そういう目を持っていなきゃ駄目だってことですね。」と話した。エレヴェーターに乗るとき、「ある小説で、体が溶けちゃいそうなぐらい、好きになった男の人ができた女の人が、ホテルのカギを渡して、一夜を過ごすんですけど、朝になったら、昨日まで王子様のように思えていた男の人が、違って見えたっていうんです。そういうことって、女の人でもあるものなんですか?」と聞くと、「つまり、好きじゃなくなっちゃったってこと?」と聞き返されたので、「いや、嫌いになったわけじゃないんです。ただ、心の状態が変わったって書いてあったんです。」と言った。』

 アン・フーパーの本というのは、私がレビューを書いている、次の本である。


 さて、メモの中で、私に衝撃を与えた看護婦さんのものがある。
『男は清潔感が生命ですからね。』2014.12.7 9:19
 男の人を見る女の人の本音を、思わず口にしたのを、分までしっかり記録した、大切なメモである。
 裏には、
『私は、「ピンクのサウスポー」』2015.1.10 10:30
と、ピンク・レディーの歌が書いてある。(これが、ピンク・レディーの歌だというのは、今日知った。いや、これを知ったから、この投稿をする気になった。)

 私は、退院して1月半になるが、才能は衰えていない。
 今日も、ランダウを進めるつもりである。
 キラさんが、私のブログを見たら、やっと私が、『サウスポー』に気付いたことを、嬉しく思ってくれることだろう。
 今日はここまで。
 現在2015年3月3日20時14分である。おしまい。