相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

「ニセ学生」というアイディア

 現在2016年10月8日10時22分である。

「太郎さん。太郎さん。タロウさん!」

 えっ? あー、眠ってたのか。

「Windows 10 が、アップデートされて、再起動かかったから、データ、消えちゃってない?」

 うん?再起動?普通、ブログ書いてるとき、グーグルクロームが落ちても、はてなのサーバーに、書きかけのデータが、保管されてるけどな。

「調べてみたら?」

 そうだね。

 カタカタ。

 再起動かかってるから、パスワード入れる、大きな麻友さんの、ロック画面のところからなんだ。

 ちょっと、時間かかるな。

「じゃあ、その間に、何、書いてたか、話してよ。」

 今日の投稿の題名の意味は?って、麻友さんが聞いてきたところから始まってたんだ。

「この『「ニセ学生」というアイディア』という題?」

 いや、この題じゃなくて、『考えるのが好きな少年』という題で、書き始めていたんだ。

「どういう話だったの?」

 それがね。ある意味、書いているうちに、自分で、書いていることが、嫌になっちゃったんだ。

「まとまらなく、なっちゃったのね。太郎さんでも、そんなこと、あるんだ。」

 もちろん。あの後、2時間くらいあれば、記事としてまとまっただろうけど、眠くなって、布団に横になってたら、眠っちゃったんだ。

「太郎さんは、アメリカ国内に持ち込めないくらい強力な、睡眠薬を飲まないと、眠れないんじゃなかったの?」

 眠りにも、色々あるでしょ。

 本当に、ぐっすり眠って、爽やかに起きられる眠りもあれば、なんか頭重いな、みたいで不完全な眠りとかもある。

「じゃあ、今朝は、薬飲んで寝なかったから、冴えてないの?」

 完璧には、冴えてない。


 あっ、麻友さんも、今朝、7時19分に、ツイートで、


え!!!もう朝!!
気づいたら朝!!!!


なんて言ってる。

「うふふ。私、昨日の17時頃から、14時間くらい眠ってたの。」

 眠らせてもらえて、良かったね。

「で、私のツイッターばかり見てないで、ブログのデータは?」

 時間が長かったから、1度はてなから、ログアウトしちゃったんだな。データ復元できない。

「どこにも、残ってないの?」

 それほど嘆くほどでは、ないよ。まだ、重要なことそんなに書いてなかったから。

「えーっ、つまり、太郎さんの頭の中には、残ってるってこと?」

 うん。書きたければ、また書ける。


「で、今日は、何を書いているの? 違う題にしてるじゃない。」

 昨日、自分の書いてることが嫌になっちゃったのは、書きたいことが、いくつもあったから、というのが、原因のひとつなんだ。

「それで?」

 ひとつに絞って書こうと思う。

「各個撃破ね。当然よね。」

 麻友さんなんかは、そうしてないと、手に負えなくなるでしょ。

「ブログ書くことみたいに、バッサリ切り捨てることもあるけど。」

 ああ、そうだね。

「で、ニセ学生って、どういうこと?」

 昔、森毅(もり つよし)の話をしたの、覚えてる?

「えっ、それ、ものすごく前よ。あの『補欠くん』の話の時でしょ。『1万打席に1本くらい、長嶋にも打てないような、超特大の場外ホームランを打てる人間』って、太郎さんが書いてて、『長嶋って書くなんて、この人、前世紀の遺物だなぁ。』って太郎さんのこと、面白く思ったの覚えてる。」

 麻友さん。その言葉が、聞きたかったんだ。

 実は、私だって、長嶋が、現役でプレーしてた頃の人間じゃない。麻友さんの記憶に、この話を覚えていてもらうために、わざと、面白く書いたんだ。

「へーっ、太郎さんって、私に、ストレートばかり投げてるのかと思ったけど、内角高めに浮く球なんて、投げてきてたんだ。」

 またひとつ、手の内を明かしたけど、実はね、この森毅が、こんなことも言ってるのを、昨日、知ったんだ。



 ぼくなら飛び級よりむしろ、「ニセ学生」になることをすすめる。たとえば高校二年ぐらいのとき、学校に届出をして、一ヵ月間大学でちょっと数学を勉強してきますと休暇を貰う。別に数学でなくても、演劇でもいい。劇団にちょっと行ってきますとか。制度的にはそう簡単ではないだろう。でもやってみる価値は十分にあると思う。刺激を受けるために一ヵ月間だけ、大学の授業を聞いてくる。これだけでもかなり違ったことになると思う。学校側は、それについてのレポートを要求し、そのレポートを校長か誰かが認定すれば、出席扱いにするという形。

森毅『ええかげん社交術』(角川oneテーマ21)63ページより



「いつもの、太郎さんの、大学へ行ったら、という話と、どこが違うの?」

 この森毅のアイディアを、変奏するんだよ。

 この話で、3箇所、ひっかかる部分があるだろう。

 まず、

・制度的にはそう簡単ではないだろう。

と、書いている部分。誰でもが、できる環境には、いないだろうが、と言ってるということだ。

 それから、

・学校側は、それについてのレポートを要求し、

という部分。小学校で映画を見せに連れて行って貰うと、必ず感想文を書かされた。嫌だった人は、多いはずだ。

 3つ目は、

・ニセ学生

だということ。高校生なら、18歳に満たないから、本当の大学生に、なれないのかも知れないけど。

 この3箇所を、麻友さんに合わせて、変奏する。

 実は、そんなに難しくない。

「分かった。! 放送大学へ行ったら? と、今まで言ってきたことを、ひるがえすんでしょ。」

 さすが、特待生は、すごいよなぁ。説明抜きで、分かっちゃうんだから。

「制度的にというのは?」

 まず、放送大学には、入学試験がない。だから、18歳以上ならば(本当は、15歳以上ならば)、いつでも入れる。

 だから、麻友さんは、学費さえ払えば、いられる。

「学費は高いの?」

 麻友さんが、気にする額じゃないよ。

 入学金7,000円。授業1科目11,000円だから。

「ちょっと、安すぎない?」

 麻友さん。安ければ、当然、悪いところもある。

「どう悪いの?」

 まあ、一言で言っちゃえば、京都大学東京大学のように、将来ノーベル賞アーベル賞を取る人間を生み出そうとするような講義や演習は、受けられないということだよ。

「それだけで、こんなに学費が安くなるの?」

 学費については、そうだね。だって、放送大学図書館には、ファインマン物理学は、あるけど、ランダウ/リフシッツ理論物理学教程は、揃ってないものね。

ランダウって、この前、物理学の2位の人の話をしてくれたとき、でてきた人よね。太郎さんが、ボーアには、出藍の誉れがいるけど、ランダウには、いないって言ってた。」

 良く覚えてたね。ランダウ/リフシッツ理論物理学教程は、現在の物理学の世界標準なんだ。大学院の学生が質問に来た場合、

ランダウの本に書いてあるよ。』

で、答えになることがあるくらい、知らない人はいない。

「その本が揃っていない放送大学図書館は、世界標準になれないってことなのね。」

 それから、かかってる学費だけでなく、放送大学の悪い点はある。

 まず、普通の大学でのような、派手なサークル活動は、期待できない。

 毎日、大学に通う、という習慣がないから、学生たちのサークルのたまり場みたいなものが、できにくいからなんだ。

「話を聞いてると、ある程度、想像できる。」

 また、これは、良い面にもなるんだけど、全体的に、学生の年齢層が高い。

 だから、きゃぴきゃぴしてる、アイドルを知っている人は、限られることにもなる。

 若い人には、逆に、取っつきにくいかも知れない。

 そして、もう分かっているように、学生の学力レヴェルが、低い。

 中学卒業の資格があれば、入れるわけだから、私から見れば、恐ろしいこともある。

「例えば?」

 面接授業という、学費が半額の5,500円の、2日間だけの授業があって、それは、放送でなく、実際に先生の授業を受けられるんだ。それの微積分の2日間の授業が終わろうとする頃、

『先生。その、5たす3あい(5+3i)という数は、数直線上のどこにあるんですか?5の右ですか?左ですか?』

と、質問した人がいたのだ。

『おまえ、今それ聞くってことは、授業の最初から、まったく付いてこられなかっただろう。本当なら、おまえのような人間のために、放送大学の授業はあるべきだよな。』

と、私は、感じたものだった。

「ちょっと、太郎さん。どうして、今の質問が、恐ろしいのよ。そんなに、おかしな質問? 数だったら、数直線上にあって、当然じゃない。」

 麻友さんは、特待生だから、多分ちょっと言えば分かるのだろうけど、さっきの質問を、恐ろしいと感じられない人のために、説明すると、数直線と言ってるということは、数が一直線に並んでるという前提がある。だが、5+3iは、ただの数ではないのだ。複素数と呼ばれる、19世紀のあのガウスですら世間の批判を浴びるのを恐れて発表しなかったような、概念なのだ。

 麻友さんなら、複素平面(または、ガウス平面)という平面上に広がった数というのを、高校課程の初めの頃、習ったのを、覚えているのでは、ないだろうか。

複素数。ああ、ちょっと思い出した。そうか、『数直線上』って言ってる時点で、蚊帳の外に置かれちゃってるのか。本当は、平面上に数は一面に並んでるのか。」

 言っておくけど、実数なら数直線で良いんだよ。複素数だから、平面なんだよ。

「そんなこと言うなら、聞くけど。空間にびっしりある数なんて、あるの?」

 普通に3次元の数らしきものは、作りにくい。でも、空間3次元と、時間軸の方向も考えて、4次元を考えると、4次元の数というのなら、ある。

「えっ、なんて言うの?」

 4元数(『しげんすう』、または、『よげんすう』でも通じる。『よんげんすう』でも、数学の分かってる人なら分かると思う。)だよ。

「この、だらだらと、説明しているのは、何?」

 実は、これ、かなり悩ましいんだ。私は、小さい頃から、なんとなく、『しげんすう』と読んできていて、1985年12月10日第3版発行で、1990年7月10日第6刷発行の、日本数学会編『数学辞典(第3版)』(岩波書店)でも、さくいんの『シ』のところに、

4元数 250.B

と、言葉があった。

「じゃあ、『しげんすう』で、決まりじゃない。」

 科学というのは、どんどんアップデートされるんだ。

 実は、フェラーリの親友と、ただ1人の女性の親友から誕生日にプレゼントされた、2007年3月15日発行の『数学辞典(第4版)』では、さくいんで数字の『4』のところに分類されてて、日本語でなんて読むか、分からないんだ。

「分からないって、・・・インターネットは?」

 それは、最後にすべきだって、言ってるじゃない。

「もう、最後よ。Wikipediaでっと、あっ、『しげんすう』、クウォターニオンって言うんだ。ラッキー!」

 麻友さん。分かってない。それじゃ、自分が正しいってことを、誰にも、納得させられない。

「だって、Wikipediaに書いてあったのよ。」


 じゃあ、話すけど、この間、ドラえもんのブログで、『シン・ゴジラ』の話をしたとき、アインシュタインの『イー、イコール、エム、シー、スクエア』の話をしたでしょう。(リンク集にある、『女の人のところへ来たドラえもん』というブログのことである。)

「覚えてるけど。」

 その時、何年の論文かって、話題をしたの、覚えてるよね。

「もちろん。1907年だったのよね。」

 私、あの投稿をして以来、ずっと、気にかけて調べていたんだ。

「何を?」

 本当に、1907年だったかなって。

「だって、あの時、1905年の論文にはないって、見て確かめたって言ってたじゃない。」

 そうだよ。かの有名な、

『動いている物体の電気力学』

という論文、全部チェックした。

「だったら、いいじゃない。」

 私は、図書館で、

アインシュタイン選集1』

アインシュタイン選集2』

の2冊を借りて、さらに調べた。

「いったい、何を調べてるの?」

 アインシュタインが、1905年中か、1906年に、もうひとつ論文書いていないかどうか。

「えっ、太郎さんの1907年というのは、何で調べたの?」

 Wikipediaだったからだよ。信用できないのは!

「ちょっと調べてみる。」

 スー、スー。ポン、ポン。スー、スー。ピッ。

「やっぱり。アインシュタインのページに、

『1907年、有名な式E=mc2を発表している。』

と書いてある。スクエアは、スマートフォンじゃ、打てないわ。」

 麻友さん、それで、信じられるの?

「どうして?」

 だって、私が、アインシュタインのページ見て、1907年だよって言ったのが正しいかどうか調べるのに、同じページ見て、

『この答えあってる。』

と、麻友さんは、言ってるだけじゃない。同じURL入れれば、同じ言葉が出て来るなんて、そんなの、誰だって知ってるよ。


「太郎さんは、なんで、1907年にこだわったの?」

 このブログと、あのブログの、信頼性を落とさないためだよ。

「ブログの信頼性が落ちると、どう困るの?」

 ブログは、麻友さんと、私の、唯一の通信手段じゃない。

 私のブログが、信頼できないとなったら、麻友さんもう、私のブログ、見ないでしょ。

「見なくなったら。」

 もう、二人の、楽しかった世界が、なくなっちゃうってことだよね。


 さすがに、これ以上書くのは辛いな。

「私達、終わりってこと?」

 へっ?

「これが、大人の失恋ってこと?」

 違うよ。

「だってさっきからの流れって、破局への序曲のようだったけど・・・」

 麻友さんと私は、幾多の困難を乗り越えて行くんじゃない。これくらいで、音を上げるでない。

「じゃあ、なんで、そういう方向に、釣ったのよ。」

 いやね。実は、論文チェックしたら、あの式は出てないんだけど、読んだ物理学者みんな感づいただろうな、というくらい肉薄した論文を、1905年のうちにもう一本、アインシュタインは、書いてるんだ。

「えっ、じゃあ、1907年というのは、ウソ?」

 ウソとは断定できない。Wikipediaの、あの文章書いた人本人に、確かめないと。

「だって、1905年に書いてるって。」

 でも、その人が、どういう気持ちで、あの文章書いたか、確かめないと、もしかしたら、その人なりの、理由があるかも知れないじゃない。

「そんなんじゃ、科学は、できない。」

 いや、できるよ。

「どうやって?」

 自分で、本当に正しいと、信じられるもの以外のことをするときは、はっきり明記すればいいんだ。

『これは、私、本当は、分かってません。』

と。

「そんなことしたら、誰も信じてくれなくなるわ。」

 まさに、このブログが、瀕してたのは、その危機だったんだよ。

「私が、このブログを、信じられなくなる。」

 そう。それが、恐いんだよ。


って、大分脱線したね。

 麻友さんが、放送大学へ行ったらどうって、話だったんだよね。

「思い出してみれば、そう。太郎さん、失恋まで味わわせるのだもの。」

 放送大学って、外国みたいに、10月からも入学できるんだ。

「4月は?」

 もちろん、4月も。

「9月末の卒業は?」

 それも、可能。

 ただ、本当のことをいうと、卒業を考えると、4月に入っていた方が、有利。

「どうして?」

 卒業する人の中には、卒業研究をする人もいる。いわゆる、卒業論文というもの。これは、年度で区切る。

「太郎さん。卒業論文書いてないの?」

 うん。私が、ダメなのは、そのせいかもしれないけど、下手な論文書かなくて良かったなと、今では思ってる。

 あの時、

『君が、恥をかくだけだよ。』

って止めてくれた、生井澤寛(なまいざわ ひろし)さんに、感謝している。


「どんな論文だったの?」

 前に、『IH(アイ・エイチ)調理器のこと』という投稿をしたけど、あれがそのまま論文になったようなもの。

 実物を見たければ、リンク集の一番上に、『私の論文の生原稿』というのがあるでしょ。その中に、

『重力理論に対する一つの考察(卒業論文第5稿).doc』

というのがある。それだよ。今では、珍しくないけど、色の付いた論文なんだ。少しでも、読んで貰いたくてね。

 物理の学術用語は難しいけど、内容はなし。

「本当に、価値がないの?」

 100年以上前に分かってたことだから、価値のない論文だと、後で知ったんだよね。

「太郎さんは、この論文で、何をしたかったの?」

 私がやっているような、考え方をしたら、問題が解決するんじゃないかと、希望を寄せてたんだよ。

「本当に、ダメなの?」

 あの論文を書いて良かったことがあるとしたら、解かなければならない問題は、もっと難しいということが、分かったことだったんだ。

「前向きな太郎さんは、カッコいいけど。って、私が褒めるって、よっぽどよ。」

 『IH調理器のこと』も、書いて良かったね。2015-04-26だ。

「それって、まさに知り合った、去年の4月じゃない。」

 私が、麻友さんに、全力を尽くしているって、ここからも分かるね。

「本当に、太郎さん。卒業してるの?」

 この写真で、今日の投稿を、終わろう。

 卒業証書

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「♡」

 現在2016年10月8日20時59分である。おしまい。