現在2018年3月21日10時16分である。
麻友さん。
「ツーン」
どうしたの?
「フーン。ツーン」
ゴメン。気分害した?
「だって、私は、ミュージカルで、主演を務めるのよ」
分かってるけど、麻友さんが歌上手くないのは、自分でも分かってるでしょう。
「自分でそれを言うのと、他人から言われるのでは、全然違うのよ」
私、分かってるんだよねえ。麻友さんの家系って、音楽一家じゃないでしょ。
「そうなの、グスン」
私の母方の叔母さんは、ふたりいるんだけど、その下の方の、いま祖母の面倒を見てくれている叔母さんは、夫婦共にコーラスで知り合った音楽一家なんだ。
その叔母さんが、どれくらいすごいかというと、次のような話がある。
私が、幼稚園の頃、母が、鉄道の絵本を見せながら、
『♪ビュワーン、ビュワーン、はしる、はやいひかりの超特急。じそーく、にひゃーくごじゅーキロ、飛んでるようだなはしる』
と、歌ってくれたんだ。
それを、聴いていたときは、叔母さんは、何も言わなかった。
そして、その歌の楽譜を見ると、
『ああ、やっぱりそうだ。ビュワーン、ビュワーンじゃないのよ。ビュワーン、(小さく、半音ずれて)ビュワーン、(後は通常通りに)はしる、~、なのよ』
と、言ったのだ。
ヴァイオリンでも何でも、まったく同じことは繰り返さないんだよね。
「その叔母さんのお子さんは、どうなった?」
真面目な子だったから、最初は、看護婦さんとかお医者さんになりたいと、言ってた。
私も、
『うちは、貧しいんだけど、医学部なんて、行かせられないわよね』
と、相談受けて、また私のことだから、
『例えば、東京大学だったら、取得単位中80パーセントくらいが、優だったら、学費免除になるから、勉強頑張れば、貧しくても医学部へ行かれるよ』
などと役に立たないアドヴァイスをした。
「ほーんと、太郎さんて、現実が見えてないんだから」
でも、かなりな、公立の進学校に行ってたんだよ。
最終的に、弟と同じ大学へ行ったんだけど、勉強してた量は、弟より遙かに多かったと思う。
高校の数学の問題で、分からなかった問題の解法が載ってるからって、高校生向けの数学辞典なんてのまで、持ってた。
私には、あんなにやってて、東京大学に受からない理由が分からないんだけど、でも、逆に考えると、あの蚤の心臓のいとこには、東京大学のすごさは耐えられなかったかも知れないから、良かったのだろうと思う。
そして、入学後、合唱部に入るなり頭角を現し、皆から、
『指揮者になってくれ』
と、言われた。
これには、いとこが蚤の心臓であることを知り抜いている、いとこの父母が大反対して、結局、指揮者にはならなかった。
でも、本人が望んでないのに、周りから指揮者になって欲しいと言われるなんて、半端じゃないと思わない?
「羨ましいわ。きっとそこのお宅では、いつも、音楽が流れているんでしょうねぇ」
って、いうかね、コーラス一家だから、自分たちで、歌うんだよね。
「ますます、羨ましい」
さて、そのいとこが、また、合唱部で知り合った男の人と結婚した。
「うそー。映画みたい」
いとこの娘をなんていうのか、私は知らないんだけど、そのお子さんは、小学校くらいの歳から、もうラテン語で歌を歌えるそうだ。
「素直な太郎さんのことだから、これは、嫌みじゃないのよね。こんなに、歌の好きな人が、結婚したら親戚になるんだよ、と、紹介してくれてるのよね」
そうだよ。
でも、こういうの見てるから、麻友さんの家系は、音楽一家ではないな、と、すぐ分かるんだ。
「太郎さんのおうちは、音楽一家ではないのよね」
父も母も、そんな無茶苦茶な才能は、持ってない。
っていうかさ、本当に才能を持っている人の場合、隠してても才能って、現れてきちゃうと思うんだ。
極端な例だけど、ベートーヴェンなんて、お父様に酷い教えられ方して、普通の子だったら、絶対音楽嫌いになってるはずなのに、歴史上最高の作曲家の一人になっちゃうわけでしょ。才能があるって、そういうことだよ。
「じゃあ、才能のない私は、どうすればいいの?」
いや、麻友さんが、才能がない、とは言ってない。
「言ってるのと同じよ」
いや、遺伝的素質はない、と言ってるだけだ。
「へぇ?」
麻友さんの音楽のセンスは、私、買ってるんだ。
「本当に?」
こういうとき、日時が記録してあるノートが役に立つ。
「『麻友』のノート?」
そう。
このノートを書き始めた最初の日、2015年7月19日の私のメモ。
4ページ
『桜の花びらたち』を小学校6年生の時、放送してもらった。
やっぱり感性が良い。
それに、前向き。
周囲に働きかけようとする。
とある。
『桜の花びらたち』という名曲にいち早く気付き、それを、小学校の皆に紹介しようとした幼き日の麻友さんの感性を、私は、ずっと評価しているんだ。
「じゃあ、突然変異の可能性に、かけてるの?」
賭けてるというより、麻友さんが、ものすごくミュージカル好きだろ。やっぱり、あれだけ好きになるには、理由があると思うんだ。
「太郎さんのように、論理的理由なんてないけど、お芝居、特にミュージカルは、好きね」
ある程度、分かるよ。舞台上のミュージカルは、ほとんど見ないけど、『サウンド・オブ・ミュージック』という映画を、次になんて言うかまで暗記するほど、見てる私だもの。
「でも、太郎さんって、音痴だという噂があるわよ」
これはね、私って、交響曲とかを聴くとき、それぞれの楽器を、今はあれが鳴って、次はあれが鳴って、と、分離して聴くことができないんだ。要するに、オーケストラというひとつの楽器が鳴っているというように、聴こえてしまうんだ。
「それで?」
だから、メロディーラインを口ずさんで、と言われても、あの音この音と、小さな音も大きな音もみんな口ずさんじゃうんだ。
だから、音痴だと言われる。
「どういうことになるのか、良く分からないけど、太郎さんと会うのが、楽しみだわ」
「ところで、今日は、SONYに、怒りをぶつけるんじゃなかったの?」
昨年末に、私のVAIOが壊れたのは、ツイッターで、知ってるでしょ。
「ええ。なんか、キーボードのキーが、壊れたとか」
このVAIOを買ったときのことは、
『新しいパソコンを買った』
という記事で書いてあるけれども、2014年1月のことである。
そのとき、私が書いているように、5年間もってもらうことを、期待していた。
しかし、実際は、2017年6月6日から、おかしくなりだした。
「もしかして、
『結婚をシミュレート(その2)』
で、パソコンがA.I.みたいに意思を持っていると言ってきたときから?」
そう。いきなり、書いた文字が確定されたりするのは、右向きの矢印キーが、押しっぱなしになっていたからだったんだ。
「でも、太郎さん、暮れまでツイートしてきたじゃない」
それは、パソコンのキーというものが、そのキーを押した後、ほかのキーを押されると、もう初めのキーは、感知されなくなる、ということを、私が知っていたからだよ。
「じゃあ、どんどん次のキーを打っていって、矢印キーが、働かないようにしていたの?」
そう。
「そんなの、続く?」
しばらくしたら、矢印キーが、壊れちゃって、押しても右に動かなくなった。
「それでも、修理に出さない太郎さんはさすが」
右向き矢印を、押したいときは、一行下へ行って、左矢印で、戻ってきてたんだ。
「あのときのツイートや、投稿は、そうやって書かれたものだったのね」
さて、いよいよ困ったのが、11月20日。
今度は、『n』キーが、押しっぱなしになってしまった。
「ということは、『な』行が打てないし、『ん』も打てなくなるわね」
そういうこと。
「でも、どうして、太郎さんのキーボード、そんなに壊れるの?」
分解して、分かったんだけど、私の短い髪の毛が、いっぱい引っかかってたんだ。
「わー、不潔。もう知らない」
ノートパソコンで、目が悪いからキーボードに覆い被さるようにして、使っていたんだね。だから、手前の『n』キーが、やられた。
「それで、修理に出したの?」
いや、良いことを思いついた。
キーボードというものは、安いのだ。
インターネットで、調べると、無線のキーボードとマウスのセットが、2,370円だった。
「今は、3,000円だけど」
私は、2017年11月20日に、横浜のヨドバシカメラで、2,370円で、買った。
「別に、キーボードを、買えばよいというものなの?」
少なくとも、最初のうちは、うまく行くように見えた。
『ん』も、打てるし、大丈夫そうだった。
「それが、駄目になったの?」
そうなんだ。
パソコン自体は、新しいキーボードと、前からのキーボードの、両方から、信号を受けていた。
ところが、一方からは常に、『n』キーが押されている、という信号が来る。
「それで、CPUが、信号を選別するのに、疲れちゃったの?」
麻友さんも、やっと私みたいな、機械を人間のように見る見方が、できるようになったな。
「太郎さんに、鍛えられちゃった」
それでね、『n』が押してあると、『n』が押してない、のどちらを採用すべきかで、CPUやメモリにものすごく負荷がかかっちゃたの。
そして、起こったことは、パソコンを起動したときの、起動時間が、異常に長くなってしまって、ほとんど、起動できないほどになってしまったということなんだ。
「そりゃー、もう修理に出さなきゃね」
私は、その時点で、別のことを考えていた。
パソコンが動かなくなった、12月6日、横浜のヨドバシカメラへ向かった。
「何のため?」
もうこのパソコンを諦めて、新しいパソコンを買おうかと、下見に行ったんだ。
「すごい、決断の速さ」
「それで、良いのはあった?」
壊れかけているパソコンは、77,801円だった。これと、同じくらいの値段のパソコンを探した。
「7万だったら、かろうじてあるんじゃない?」
ただ、私は、絶対タッチパネルを、要求している。
「ゲッ、それは、無理じゃない?」
だから、前回同様、ソニーのオーナーメイドで、WordもExcelも抜かして、CPUもi3(あいさん)という低能力のものにして、とにかく、タッチパネルだけ死守しようとした。
「どうして、タッチパネルにこだわるの?」
これは、私が、ブログに生命をかけているのに、関係している。
これからの5年、10年を、考えたとき、スマートフォンや、タブレットなど、画面にタッチする機器はどんどん増える。
だから、私のブログをタッチ画面で見る人は多くなる。
そうなったとき、私が、タッチで、私のブログがどう動くかを知っていて、書いているかどうかは、後々尾を引くと、考えたんだ。
「でも、逆に、マウスやタッチパッドの人を、置き去りにすることにならない?」
そこが、
『世界で2番目じゃ駄目なんですか?』
という発想の人と、私との違いだよ。
新しいことを目指すなら、常に、1番を追求していなければ、ならない。遅れていた人も、いずれ付いてくる。
「それで、ソニーのオーナーメイドは、どうだったの?」
横浜のヨドバシカメラでは、タッチパネルのVAIOというのは、なかったんだ。
「ああ、もうソニーは、パソコン作らなくなってるのね。VAIO株式会社となってるのね」
「それで、他のメーカーは?」
パナソニックだと、製品は素晴らしいんだけど、20万円くらいする。
諦めて、パソコンを修理に出す決心をした。
「やっと」
インターネットで、見積もりを取ると、18,360円。
「キーボードだけで、そんなにかかるの?」
技術料とか、かかるから仕方ない。
それで、修理を申し込んだ。
「VAIO株式会社に、持ち込むの?」
私のVAIOは、ソニーが作った最後のVAIOというパソコンだから、ソニーに引き取りにきてもらって、お願いした。12月12日のことだ。
「それで、治ったの? いや、治らなかったのよね」
12月14日に、ソニーから電話があり、
『キーボードの部品が、もう残ってないので、治せません。この製品の寿命は、5年で設計しているので、3年11カ月で、壊れているので、1年1カ月分として、19,481円で、買い取らせてくださいませんか?』
という。
あの、77,801円のパソコンを、2万円近くで買い取るというのが、破格の対応であることは、分かっていた。
だが、私は、お金がないのだ。
たとえ、2万円もらっても、まともなパソコンは、10万円以上する。
差額の8万円は、どうしてくれるんだ。
「それに、2,370円のキーボードも、買ってるしね」
そうなんだよ。
だから、
『『n』キーが、押しっぱなしになっているんですよね。私は、新しいキーボードを買ってあるんです。だから、そのパソコンの『n』キーを、壊してください』
と、提案した。
「わぁー、修理してください、じゃなくて、壊してください、という人なんて、太郎さんくらいなものよ」
ソニーの技術者も、これには面食らって、
『試してみます』
と言って、その日は電話を切った。
「どうなった?」
翌日電話してきて、
『キーを、働かなくすることはできませんでした。キーボード全体を無効にすることも、試みましたが、『キーボードを無効にする』というボタンが、グレーになってて、押せませんでした。買い取りという形にしてもらえませんか?』
と言う。
「キーを、壊すって、そんなに難しいの?」
あのソニーの優秀な技術者に、そんな簡単なことが、できないわけがない。
引き取りたいというのは、私のパソコンが、欲しかったということなんだよ。
「太郎さんのパソコンが欲しい?」
あのパソコンは、ソニーの最後のパソコンだった。
そして、私のパソコンは、ちょうどキャンペーンをやっていたので、『Taro』と刻印もしてある特別なパソコンだった。
技術者が、ちょっと見れば、素晴らしいデータも、入っている。
将来、20年後くらいに、私が、数学の業績で有名になれば、
『2015年から2017年にかけて、松田太郎さんが使っていたパソコンです』
と、ソニーの博物館に飾れるかも知れない。
だから、ソニーは、あのパソコンが欲しかったんだよ。
「それで、太郎さん、どうしたの?」
『あのパソコンが、欲しいんですね。Googleで、『相対性理論を学びたい人のために』と、検索すると、私のブログがヒットするんです。その目次に、『SONY許せぬと書きたかったが』という記事が、1から4まであるんです。半年以内にそれの5番目を書きますから、楽しみにしていてください。この会話録音されてますね。もう一度言わなくていいですね。じゃあ、よろしく』
と、言ったんだ。
「それで、この5番目の記事が誕生したのね」
それからが、さらに大変になった。
パソコンを、探さなければならない。
横浜のヨドバシカメラへ行き、分かっていそうな店員を見つけて、
『私は、というソフトで、翻訳をしているので、テキスト形式の文書が書ければ良いんです。だから、メモ帳だけでいいんです。ゲームもやりません。アニメーションも作りません。だから、CPUはi3で、いいです。ただ、タッチパネルじゃないと困るんです。そういうスペックの安いパソコンを、紹介してください』
と言った。
すると、その店員は、DELLのノートパソコンで、109,870円くらいのを、紹介してくれた。
これ以上、安いのはないのは分かっていたが、
『これ、聞いちゃ悪いの分かってるんですが、後2万円安いのはありませんか?』
と聞いてみた。
そうすると、
『あります』
と言い、
『韓国のメーカーで、エイスースというメーカーの商品なのですが』
と言うので、
と言って、ついて行って見せてもらった。
これと、ほぼ同じ機種で、48,950円だった。
「えっ、じゃあ、予算内のパソコン、あったんじゃない」
冗談じゃない。こんなパソコン買うわけにいかない。
「だって、ちゃんとタッチパネルになる」
これだけ安いということは、本来あって当然の装備が、削られてるんだよ。
「韓国のメーカーだから安いんじゃない?」
これは、安すぎて、信用できない。
私は、店員にお礼を言い、帰ってきた。
私は、ヨドバシカメラに行くたびに、パソコンの値段を母に報告していた。
父は、
『ノートパソコンより、デスクトップの方が、安いぞ』
と言っていた。
横浜のヨドバシカメラでは限界があると思った私は、12月18日、秋葉原へ向かった。
「あっ、あの日!」
そう。790円しか持ってなかったから、AKB48カフェで、『ホワイトキャラメルショコラ』しか、飲めなかった日。
「でも、コースター引いたら、私のが当たったのよね」
うん。あれは、嬉しかった。
今でも、写真のアルバムに、他のメンバーのコースターと共に、保存してあるよ。
「他のメンバーのも?」
麻友さんの仲間のことを、捨てるのは忍びなくて。
「そういうことね」
さて、秋葉原のヨドバシカメラで、まず、ソニーストアへ行き、VAIOで、タッチパネルのものを聞いた。
『VAIOは、タッチパネルのパソコンを作っていません』
『オプションででも付けられませんか?』
『そういう対応をしていません』
『なぜ、タッチパネルモデルを作らないんですか?』
『需要がないんです』
『需要がない? でも、Zシリーズは、確かタッチパネルのはずでしたけど』
『Zシリーズは、30万円くらいするので、別格なんです』
この瞬間、
『VAIOのパソコンを欲しい』
という気持ちが、フッと消えた。
がっかりして、放心状態で、ヨドバシカメラ内を、歩いていた。
目の前のブースに、
『hp』
と、書いてあった。
hpは、馬力(horse power)ではなく、ヒューレットパッカードであることを、私は知っていた。
なぜ、知っていたかというと、この会社のグラフ関数電卓は、高校時代の私にとって、憧れの的だったからだ。
いつも、雑誌『数学セミナー』で、これの広告を見て、
『欲しいなー』
と思っていたのだ。
これである。
「太郎さん。本当に、数学好きよね」
徹底しているでしょ。
「それで、ヒューレットパッカードのブースで、安いパソコンがあったの?」
あったんだよ。
HP Spectre 13
というモデルで、オフィスを積んでないモデルが、165,024円だった。
「ぜーんぜん、高いじゃない」
いや、これは、第8世代という最新のタイプのi5(あいご)のCPUを積んでいて、ハードディスクでなくSSDで256GBが、用意されていた。
タッチパネルで、このスペックで、16万5千円は安い。
「本当に?」
その日、他のメーカーも見た。
例えば、NECの
LAVIE Direct NS(H)
というモデルは、第7世代のi5のCPUで、SSDでなくハードディスクが1TB(いちテラバイト)付いて、137,376円だった。
「その方が、安いじゃない」
値段は安いけど、スペックが、遙かに低い。
とにかく、その日は、決め手がなかった。
一度も買ったことのなかった、アップルのブースにも行った。
お店の人に、
『なぜ、タッチパネルのものが、ないのですか?』
と聞くと、
『例えば、これを、触ってみてください。キーボードを打っているとき、画面を触ろうとすると、手を上げなければならないんです。でも、タッチパッドに触るのだと、手をそのままで、ポインターを動かせるんです』
という。
やってみると、感動するほど、ポインターが、思い通りに動く。
一瞬、気になって、
『このパソコンに、タッチパネルを積むと、いくらくらいになります?』
と、聞いてみた。
『40万円くらいですね。これ、アップルの最上位機種なんです』
という答え。
『道理で、このパソコン感動するほど動きが良いと思ったら、アップルの最上位機種ですか。30万円ですね』
と、本心を話して、帰ってきた。
「えー、30万円のパソコンだと、感動するほど動きが良いの?」
当然だよ。
さて、帰ってきて、まだ、決定打がないと母に報告した。
『あのエイスースのパソコンにしなきゃならないかな』
などと言いながら、生活費2,000円を受け取って自宅に帰ってきた。
翌日、2,000円もらったので、これで、AKB48カフェへ、『俺のからあげ~むちちの愛添え』を、食べに行った。
「そんなに、自転車操業なの?」
そうなんだよ。『俺のからあげ~むちちの愛添え』に1,000円使ったから、ソフトドリンクすら、頼めなかった。
「命がけね」
なんとなく、吸い寄せられるように、ヒューレットパッカードのブースへ足が向いた。
見てみると、デスクトップのパソコンで、
HP Pavilion 24-x014jp スタンダードモデル
というのが、124,956円。
「タッチパネル?」
もちろん。
今までの、77,801円のVAIOのパソコンと比べたら、無茶苦茶、高いようだけど、現在タッチパネルになって、このスペックで、こんなに安いパソコンはないと判断し、母にメールを送った。
「お母様、なんて?」
『よく検討したね』
と、言われた。
後は、父であるが、父の言うように、デスクトップパソコンにしたのだから、文句は言えないはずだった。
その晩、父に報告すると、
『また、高いパソコンを、・・・』
と言っていた。
「どうして、そんなこと言うのかしら?」
父は、すごくパソコンが好きだから、このパソコンが、素晴らしいスペックを持っていることに、すぐ気付いたんだ。
しかも、お金がないなら、2流か3流のメーカーのパソコンを持ってくるかと思いきや、パソコン市場の世界シェアナンバー1の会社のパソコンを持ってくるなんて。
「えっ、太郎さんの話術に騙されたけど、そんなに素晴らしいパソコンなの?」
まず、128GBのSSDを積んでいる。
「さっきから、SSDって言ってるけど、それは何?」
Solid State Drive
直訳すると、固体状態ドライブ、だよね。
ハードディスクという磁気ディスクが回っているところに磁気的にデータをNとSの組み合わせで書き込む従来の方法と異なり、USBメモリやSDカードのように、メモリにデータを書き込む方式。
ディスクのように、動くところがないから、無茶苦茶スピードが速い。
実際買ってきた後、起動してみると、30秒で、使えるようになり、40秒でグーグル・クロームで検索開始できる。
以前のVAIOは、使えるようになるまで、5分かかったのと大違いだ。
「わー、すっごいパソコンなのね。お父様、よく首を縦に振ったわね」
母が、
『どうせ、太郎のお金で買うんだし』
と言ったのもある。
「太郎さんのお金、というものが、ちゃんとあるの?」
本当は、ないんだけどね。
「どうして?」
私の収入は、一月65,000円の障害年金のみ。
生活費、光熱費、インターネット、携帯料金などを引くと、ほとんどゼロ。
そして、本来、私が、払うべき、家賃43,000円は、父が、払っていることになっている。
私のお金なんて、あるはずない。
「だったら、太郎さんには、そんなパソコンは、贅沢すぎるのね」
そういうふうに、障害者で、お金をたくさん稼いでいないのだから、良いパソコンが買えなくて当然、という考え方が、間違っているんだ。
「だって、お金のない人が、よいものを買えないって、当然じゃない?」
当然じゃないんだよ。
資本主義に余りにも慣れ過ぎちゃっているから、それを当然のように、思っちゃってるんだ。
「でも、お金を稼いでる人は、皆、それなりに頑張っているのよ」
いや、それは、どうかな。
私は、前から話しているように、父の紹介で入った会社で、働いていたとき、このパソコンとは比較にならない、素晴らしいパソコンを買った。
シャープのPC-GP2-D5Uというパソコンで、シャープのフラッグシップモデルだった。
要するに、旗艦。つまり、ラインハルトのブリュンヒルトだ。
「いくらだったの?」
304,290円。
「パソコンにそんなにお金をかける必要あるの?」
麻友さんは、女優だから、パソコンの最高機種を買う必要はないけど、あの当時は、パソコンのスピードものろくて、インターネットを快適にやるには、CPUが速い必要があった。また、私はまだ使いこなしてないけど、よく話すMathematica(マセマティカ)というソフトを高速で使うにも、速くなければ駄目。さらに、今ではブルーレイになったけど、当時としては珍しい、DVD-RAMを積んでいた。
「でも、どうしてそんな、30万円もするパソコンを買えたの?」
当時、その会社で、お金を稼いでいたので、私が、そんな素晴らしいパソコンを買うと言っても、父も母も反対しなかったんだ。
「太郎さん。お金を稼ぐ喜び、知っているんじゃない」
いや、私は、反対されずにこのパソコンを買えた、なんてことは、全然喜んでないんだ。
「えっ、どうして? 嬉しくなかったの?」
嬉しくない。
「どうして?」
このパソコンは、父のお金で買ったようなものだったから。
「どうして、そんなこと、思うの?」
前から言ってるでしょう。
この会社は、父の紹介で入ったって。
「でも、太郎さん。真面目に働いたんでしょう?」
いや、真面目には、働いてない。
「えっ、でも、8年半も働いたって、前、言ってたじゃない」
8年半、私は、本来、ここにいるべきではないと思いながら、働いていた。
「あらっ、でも、企業に勤めていて、『いずれ、独立してやるぞ』と、思っている人なんかは、みんなそうじゃない?」
私の場合、それは、当てはまらない。
「なぜ?」
あるとき、父が、
「太郎は、お金もらいすぎてるからな」
と言ったんだ。
「どういう意味?」
父は、こういうつもりで、言ったんだ。
『私が、あの会社で、一緒に働いている。私は、太郎の分も、働いてやってる。だから、太郎のお給料の50%くらいは、私が、稼いでやったものなんだ。だから、太郎は、お金をもらいすぎてる』
こういうことだよ。
「太郎さん。それを、認めるの?」
認める。
「えー、なんで、認めちゃうのよ。太郎さん、『私が、稼いだんだ』って、胸を張って言えないの?」
言えない。
「どうしてよ。肝心なことじゃない」
私が、あの会社のためにしてあげたこと。
・本来なら、半年で作ってくれと言われた、ヒットカウンターという機械を1年半かけて作った。でも、これは、欠陥品で、もう見るのもいやだ。
・先輩から、Z80というCPUを使って、仕事をして欲しいから、アセンブラ(マシン語)というものを、勉強して欲しいと言われた。これについては、『SONY許せぬと書きたかったが4』で、丁寧に報告しているように、退社後8年かかって、やっと入り口にたどり着いた。
・図面を書くときの『三角法』という言葉があるんだけど、これが、『三角』という理由は、全然ないこと。丁寧に言うと図面には、『三角法』と『一角法』という2つの書き方があるんだけど、『三角』とか『一角』とかいうと、どうしても、『じゃあ、二角法って、あるのですか?』ということになる。結局、今までの慣習で、そうなっちゃってるだけなんだ、ということを、気付いてあげたこと。
・銀行の勧誘員が来ているとき、金利がどれくらい付くか計算してくれ、と社長がいうので、等比級数の公式を用いて、計算してあげたこと。
・有機ELを東北パイオニアなどと共に開発していたとき、有機ELの裏面のガラスの強度を測るというので、デジタルのロードセル(要するに、はかりの精密なもの)を用いて、パソコンにリアルタイムで、LabViewというソフトで、グラフを表示しながら、測定していた。この表示するソフトは、私が作ったものだった。
・父が、金属をガラスに接着できる半田(はんだ、普通はんだは金属と金属を接着する)を、開発するというので、その強度を、有機ELのとき購入したロードセルとLabViewのソフトをちょっとアレンジしたもので、何ヶ月かかけて実験した。
・ある会社が、一度使ったのこぎりのような金属部品を、もう一度使いたいというので、スポンジを水で濡らして、『水商売やってます』なんて言いながら、何日もかけて50枚以上洗った。
・その会社とは別な会社が、既にある機械を掃除して改造したいというので、掃除を手伝った。
・夏の暑い日に、社長から2,000円もらって、皆にアイスクリームを買ってきていた。
・株式会社ピクトリコ(スペイン語で「絵画のような」という意味)という会社を、旭硝子が設立するとき、その会社のメインの製品になる、フィルム系インクジェット用紙というものを開発中だった。そのための機械を作る段階での試作機を作るのを微かに手伝った。
・新入社員にちょっとだけ教えてあげた。
これくらいだよ。
「えっ、太郎さん、いつも眠ってばかりで、全然働いてなかったって言ってたけど、ものすごく働いているんじゃない。どうして、そんなに卑下するの?」
ここで、私が、やったことすべて、もっと優秀な技術者なら、もっと短時間でできることなんだよ。
「それは、そうかも知れないけど、有機ELの開発で、ソフトまで作ってるんじゃない」
あのソフトは、付いてきたチュートリアルの動画を見たら、簡単に作れたんだよ。
そして、一カ所、CR+LF(改行)という信号を作るのが、分からなくて、先輩に聞いて、解決したんだ。
だから、私は、何も、やってない。
「そんなの、誰だっておんなじよ。みんな、分からないところは、先輩に聞いたり、先生に聞いたり・・・、太郎さん、今まで、そういうこと、やってきてないのか・・・」
あー、麻友さんの言うこと、分かってきた。
この会社辞めた後、先生からいわれたことがあるんだ。
「どこの先生?」
放送大学で、卒業研究を取ったとき、生井澤寛(なまいざわ ひろし)さんという人だったんだけど、その先生を選んだのは、私ともう一人、会社員の人だったんだ。
「ああ、社会人もいるのね」
その会社員の人が、
『私の会社の空調施設のフィルターを改善したいので、塵をくっつけてしまう、静電気の研究をしたいんです』
と、言ったのね。
「良い研究になりそうね」
それで、私も、色々、その人の話を聞いてあげたんだ。
聞いているうちに、私が、
『だったら、フィルターの目が細かいものに換えれば、解決するじゃない』
と言ったんだ。
「その人なんて?」
黙っちゃって、先生が、見かねて、
『一般相対性理論やろうなんて言うのは、こういう人間なんだよなあ。フィルターの目を細かくすれば解決するのは、この人も分かってるんだよ。でも、目の細かいフィルターは、高いんだよ』
と言ったんだ。
「そうなんだ。要するに、太郎さんには、お金より優先しちゃうものがたくさんあるんだ」
結局、私より優秀な技術者なら、もっと短時間でできるっていうけど、そんな技術者を雇うには、私よりもっとお給料払わなければならないのか。
「太郎さん、自分が、歴史上最高の数学者で物理学者なんて思ってるから、本来ならこの何倍も仕事ができて当然、と思ってるのよね。そして、自分が、それ以下の仕事しかできないと、自分にお金をもらう資格はない、みたいに思っちゃう」
それは、私の正直な気持ちを、正確に言い当ててるね。
麻友さんと話していると、本音で話せるから、気持ちいいね。
「じゃあ、太郎さんは、どうやったら、人間は、お金をもらえると思うのよ」
最初の方で、障害者で、お金を稼いでいないのだから、良いパソコンが買えなくて当然、という考え方は間違っていると、書いたように、世の中には、お金を稼ぎたくても稼げない人がいるんだ。
一方で、親が金持ちだったから、という理由で、平気でお金を手にできる人もいる。
「太郎さんは、不平等だと言いたいの?」
人間には、等しく、欲しいものが得られるようにすべきだと、思うよ。
「でも、太郎さんも、翻訳に携わっていたくらいなのだから、知っているでしょうけど、ホーキング博士が、『人間は、この世界は不平等なものだと理解しないと、幸せになれない』と、言ってるくらいよ。そもそも、ホーキング博士に、一番欲しい、『自由に走り回ること』を得られるように、太郎さんは、できるの?」
私は、できると思う。
っていいながら、はっと気付いたけど、ホーキング死んだんだよね。
「そうよ、3月14日に、なくなったのよ」
私、そんなことも知らずに、3月15日に、翻訳を降りた理由を、トントンの職員さんに話していて、
『今まであの本を、愛読書ナンバー1に上げてきたんですけど、これまで、あの本を、最後まできちんと読んでなかったんですね。でも、確かに記述の仕方は素晴らしいんですけど、あの本の結論は、そんなにたいしたことないんです。だから、いずれ私の愛読書ナンバー1は、他の本になると思います』
と、話してしまったんだ。
きっと、ホーキングの力が弱まってきたんだろうね。
「太郎さん。ホーキング博士が生きているうちに、訳せなかった。と、後悔してないの?」
するわけないじゃん。
ホーキングだって、生き返らせられるんだから。いずれね。
「ホーキング博士を、自由に走り回るように、どうしたらできるの?」
あの病気を、治せば良いんでしょう。
「そんなに、簡単に言わないで」
私は、22年前に発病したときはどうしようもなかった、統合失調症を、克服したよ。
「でもまだ、お金を稼げてないじゃない」
お金を稼ぐって、そんなに重要なことじゃないんだ。
「お父様というパトロン?」
ちょっと、その話をしよう。
次の本、
I.J.R.エイチスン・A.J.G.ヘイ『ゲージ理論入門Ⅰ(第2版)』(講談社サイエンティフィック)
に、こんな話が書いてある。
父が私に語ってくれたのはすばらしい世界でした.
父がその世界から得たものは結局何だったと思いますか.私はマサチューセッツ工科大学へ進み,プリンストン大学を終え,帰宅した時父はこう申しました.
“さてお前も科学の教育を終えた.私にはどうにもわからないことがあって,いつも知りたいと思っていたことがある.それを説明してくれないか,お前.” 私は “どうぞ” と答えました.
“光は原子が1つの状態からほかの状態へ,励起状態からよりエネルギーの低い状態へ移るとき出る,ということだ.”
私は “そのとおり” と答えました.
“光は一種の粒子だという.光子と呼んでいたと思うが.”
”そうです.”
“原子が励起状態から下の状態に移るとき光子が出てくるというなら,励起状態の原子の中に光子はいたはずだ.”
“うーむ.でもそうじゃありません.”
“それなら、励起状態の中になかった光子という粒子が出てくるのを,どう説明するのかね.”
私は数分間考えましたが, “すみません.わかりません.どうにも説明できない.” と言いました.
父は私に何か教えようと何年も何年も苦労したあげくに,こんな貧弱な結果にしかならなかった,と失望したのでした.
R.P.Feynman,物理教師誌,7巻6号(1969年9月号)
以上、P.93より
「これは、どう解釈したらいいの?」
まず、一般の人やファインマンのお父様にとって、『光』というものが、生命の源というか、生命そのものなんじゃないかな、という認識がある。
例えば、旧約聖書の始まりの創世記の出だしに、
『初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。』
聖書 新共同訳 旧約聖書続編つき 日本聖書協会 1992年版 P.1より
とある。ユダヤ教徒のファインマンのお父様は、当然、これを読んでいたはずだ。
ぜーんぜん。ファインマンは、小さい頃のエピソードとして、こんなことを話している。
だから日曜学校に通っている間中、僕は奇蹟という奇蹟をどれもこれも鵜呑みにはしたが、どうも心中しっくりしないものがあった。これがたまりたまって、いずれ大爆発を起すときがくるのは、自然のなりゆきというものだ。
(中略)
ついにルツが牢屋の中で死んでいくくだりになると、ラビ(先生)は「そこでルツは死んでいきながら、次のようなことを考えたんだよ」と言った。
僕はびっくりぎょうてんしてしまった。これは大ショックだった。話が終るのを待ちかねて僕はさっそくラビのところに行った。
「先生はどうして死にかかっているルツの心の中のことがわかるの?」
「うーん、それはね、ユダヤ人たちがどんなにつらい目にあったかをまざまざと想像できるように、先生たちがルツの話を作ったんだよ。ルツはほんとうにいた人じゃないんだ。」
僕は頭をぶんなぐられたような気がした。僕は人がでっちあげた話なんかではなく、ほんとうの話が聞きたかったんだ。ほんとうの話であれば、自分でそれがどういう意味なのかを判断することができるじゃないか。僕は心中煮えかえるようだった。だが子供の僕には手も足も出ない。僕の目には涙が滲みはじめ、とうとうワッと泣きだしてしまった。
ラビはびっくりして、
「いったいどうしたのかね?」とふしぎがった。
「ぼく、今までいろんな話を聞かされてきたけど、もうどれが本当でどれが作り話かわからなくなっちゃったんです。今まで教わってきたことも、どう考えたらいいのか、さっぱりわからなくなったんです。」
涙をポロポロこぼしながら僕は一所懸命説明した。科学にたとえれば、今までのデータが皆あやふやになってしまったようなものだ。だからこのとき僕の心の中で、何もかもがガラガラと崩れはじめたのだということを、ぜひともラビにわかってもらいたかった。これまで長い間いろんな奇蹟の話を理解しようと苦しんできたのだ。このショックのおかげで、たくさんの奇蹟の疑惑にあっさり解決がついたのは確かだ。だが僕の心は楽にならなかった。
「そんなことにいちいちびっくりするぐらいなら、なぜ日曜学校に来るんだね?」とラビは呆れてたずねた。
「だってお父さんやお母さんがよこすんだもの。」
このできごとをおやじたちに打ち明けた覚えはない。しかしラビが話したものか、とにかくそれ以来日曜学校を強制されることはなくなった。ちょうど僕が信者として堅信礼を受ける直前のことである。
とにかくこの事件のおかげで僕の心の葛藤は、あっという間に解決がついた。奇蹟というものは、たとえ自然現象と矛盾はしても、もっと話が活き活きしてきて、聞く者にわかりやすいように作られたものだという理論の方に軍配があがったわけだ。しかし自然そのものにひとかたならぬ興味をもっていた僕は、そんな作り話なんかで自然をねじ曲げられるのは、どうしても我慢ができなかった。このようにして僕はだんだん宗教というものを信じられなくなってきたわけだ。
以上、R.P.ファインマン『困ります、ファインマンさん』(岩波現代文庫) P.15からP.18より
「太郎さんと、似たようなところ、あるわね」
物理学者らしい人だからね。
「それで、『光』というものが、生命の源だとすると、どう解釈できるの?」
ファインマンのお父様は、原子から光が出てくるのを、新しい命の誕生だと、言いたかったのかも知れない。
「それが、『原子の中に光子はいたはずだ』と言ってるのは?」
つまり、ファインマンのお父様も、生命の命というものが、どうやって誕生するのか、ファインマンに教えて欲しかったのだと思う。
「ああ、生命誕生の謎を、聞きたかったのか。それで、ファインマンが、『でもそうじゃありません』とか言ってるのは?」
ファインマンは、生命とかでなく、物理学での光子のことばかり、考えているんだよ。
光子というのは、光の振動数が変わると、1個の光子が、2個の光子に分裂したりする。
だから、原子に1個の光子が吸収された後、その半分のエネルギーの光子が出てきて、まだ1個分のエネルギーが残っていたりする。
つまり、原子の中に光子がいたはずだ、なんて言っても、何個分いたかなんて、実は言えない。
それで、ファインマンは、説明できなくなっちゃったんだ。
「ああ、そういうことが、本当は、起こっているの。光子が生命の源ではないのねぇ」
本当のところは、私にも、分からない。
でも、量子力学では、本当は、光子なども、全部、磁石のN極やS極のように、本当は実態のないもので、数学で表されるある量を持ったもの、として、表されるようだよ。
「まだ、生命の謎は、解かれてないんだもの、ここで予測しても意味はないわね」
さて、このように、ファインマンには、お父様というパトロンがいた。
また、私には、一流企業に勤めている父というパトロンがいた。
みんな、誰かから、多かれ少なかれ、お金をもらっているんだ。
「でも、それは、独立するまででしょ」
麻友さんは、自分が、ものすごく守られている、というのに、気付かないの?
「分かっているわ。4月2日のドラマを、少しでも多くの人に見てもらえるように、3月後半、TBSさんに、何度も出させてもらった」
障害者の人にとって、願ってもとうてい得られない、アドヴァンテージだ。
「太郎さんは、どうしたいの?」
お金を得たいというためだけに、自分の得意でも好きでもない仕事をするような人を、なくしたいんだ。
「そのために、お金という概念をなくしたい」
もうそろそろ、人間も、新しい価値観を生みだして良い頃だと思う。
「新しいパソコンの話は?」
父を納得させて、翌日母と、横浜のヨドバシカメラで、秋葉原と同額で買った。
「良かったわね」
「それで、SONYは?」
パソコンが6日後について、セットアップして、メールを見て、驚いた。
『新しいPCへお得に買い換えてみませんか』
というのが来ていて、ソニーストアへ古いパソコンを持ち込んだ場合のみ、VAIOのパソコンを買うとき、古いパソコンを2万円で買い取るという。
「太郎さんにあんなことをしてしまった手前、そうせざるを得なかったのね。結局、太郎さんに取って、今、SONYって、どうなの?」
だいぶ、輝きを失ってしまったね。
もう、
『許せぬ』
と、書く気にもならない。
それより、今日は、麻友さんの24歳の誕生日だ。
「誕生日だから、こんなに気合いの入った投稿になったのかしら?」
まあ、そういうところもある。何日もかけて書いたんだ。
「ありがとう。嬉しいわ」
じゃあ、おやすみ。
「おやすみ」
現在2018年3月26日22時09分である。おしまい。