現在2019年3月26日14時07分である。
麻友さん。お誕生日おめでとう。
25歳ということは、やっぱり、ひとつの節目です。
自分の人生の今後を、少し俯瞰してみるのも、良いでしょう。
偉そうなことを言っていますが、私には25歳は、ありませんでした。
そう。1年浪人しているので、1996年に、大学院2回生で25歳を、迎えるはずでした。
でも、ご存じのように、1994年の夏、精神分裂病を発病した私は、その後の治療で、ほとんど小学生のようになり、社会から、ドロップアウトしたのでした。
「それでも、生き続けられたのは、なぜ?」
私が、
『自分が本当に天才なんだ』
と、信じてたからだよ。
「どうして、信じられたの?」
大学4回生で、単位が足りないじゃないかと父が言い出し、学費を払わないと言って、振込用紙を送ってきた。
私は、仕方が無いので、資格がなくてもお給料が良く、授業の邪魔にならない、朝日新聞の朝刊の配達の仕事に就いた。
「だって、太郎さん、オートバイ乗れないじゃない」
京都の地形は平らだから、自転車で大丈夫だったんだ。
しかし、お給料が良いと言うことは、もの凄く、危険か、きついか、汚い、(つまり3K)なんだよね。
新聞配達の場合、『きつい』だったんだ。
私は、2月たつまえに、
『こんなことを、してたら、私の科学が、立て直せない』
と、気付いた。
「発狂前なんでしょ。築き直すという話は、中退して戻ってきてからの、話じゃなかった?」
いや、大学2回生で、物理学と数学の危機を乗り越えたが、それは、克服したと言うことではなく、こうすれば、克服できるという道を見つけただけだったんだ。
だから、3回生、4回生は、その険しい克服への道を、登ってたんだ。
「それで?」
新聞配達を、しながら、
『こんなことやってたら、科学者になれない。一時的に、他のところで、羽を休めないと、完全に私の人生が破綻する。自殺するようなことになる』
と、考えていたんだ。
そんなとき、私は、発病し、横浜に、連れ戻された。
私は、
『この才能が、いたずらに、破壊されるのは、見るに堪えない』
と、神様が判断し、発狂という形で、朝日新聞配達を、辞めさせてくれたのだな、と感じていたんだ。
だから、私の才能を、疑う余地は、なかったんだ。
「太郎さんって、本当に、凄いわね」
いや、麻友さんだって、大したもんだよ。
私が、最初から全力で麻友さんに、ボール投げてたと、言ってるけど、確かに2015年の時から、全力投球だったのは本当だけど、それを、今(2019年)まで、続けている、というのは、麻友さんが、見込み通りの人だということを、毎回、確認できてるからなんだ。
顔だけだったら、ここまで、続いてないだろうし、歌手としてソロを歌うのは難しいとは言いつつ、私は、麻友さんの声が好きなんだ。
オールナイトニッポンの放送中に、うんちの絵を描いてたり、指原さんに、うんちのマスコットあげたりするのも、23歳年下の男の子がやるような、アイドルの追っかけを、47歳の私がやってるように、麻友さんが23歳年下の2歳の幼児が、『うんちちゃん、ばいばい』なんて、トイレを流す前に言ってるのを、真似しているととれば、納得する。
そう。麻友さんは、振れ幅が、大きいんだ。
「うんちのことまで、褒められちゃ、かなわないわね」
「ところで、今日は、『結婚をシミュレート(その4)』と、なってるけど」
うん。
一昨日から、書き始めていたんだ。
再開しよう。
以下の記事は、一部、3月24日に、書き始めたものである。
現在2019年3月24日14時09分である。
「わっ、本当に、『結婚をシミュレート(その4)』やってくれた」
女の人は、無茶な注文してくるよね。
「女の人は、って?」
「私、かぐや姫なのね。やったー」
浮かれてる場合じゃない。
今日シミュレートするのは、麻友さんと私が、初めて麻友さんの実家に行くところにする。
「そうか、太郎さん、私とさえ、リアルに会ってないから、分からないことだらけね」
そこで、ネット上の情報などから、いくつか、仮定を置いて、シミュレートする。
「どんな仮定?」
麻友さんのお父さまが、本当に、日本信号株式会社に勤めていると、仮定する。
「他には?」
麻友さんのお父さまは、営業職ではなく、技術屋さんだと仮定する。
「太郎さん、お父さまが技術者だから、営業の人のこと、分からないものね」
まあ、一応、弟は、サングラスの営業してるんだけどね。『固形日焼け止めやサングラスはいかが?』という記事、書いたじゃない。あのサングラス、麻友さんにかけてもらえると、弟の会社のもの凄い宣伝になるんだけどね。
「宣伝?」
だって、
『あのまゆゆが、かけてます』
って、言ったら、飛ぶように売れるよ。
「だって、太郎さんが、『いや、弟と弟のお嫁さんとで、全部やってる。私は、まったく手伝ってない』って、自慢そうに言ってたから、私が、手伝ったら悪いかと思って・・・」
うん。時間差で、麻友さんを口説こうと、あの時から、狙ってたんだ。
「太郎さん、思ったより腹黒い。いや、そうじゃないんだ。太郎さんは、1年浪人したとは言え、京都大学理学部へ行った人なのよね。頭の回転が、普通じゃないんだった」
そう、肯定的に取ってもらえると、ありがたい。
「じゃあ、お父さんについては、そういうことにして、お母さんは?」
私、麻友さんのお母様に関しては、
『麻友へ
19歳、おめでとう。
・・・
・・・
お母さんより』
という、麻友さんの19歳のお誕生日の時の手紙でしか、知らないんだ。
「どうして、あの手紙を、知ってるの?」
いつも、言ってる、『麻友』のノートって、あるでしょ。
「うん」
あれ、第1巻が、始まりじゃないんだ。
「どういうこと?」
あの『麻友』のノートは、2015年7月19日に作った。でも、麻友さんを見初めたのは、4月4日だよね。
「あっ、じゃあ、それまでにも、メモを取ったノートがあるんだ」
そうなんだ。
私が、数学や物理学の計算をしている横とかに、麻友さんのことや、戦友のメールアドレスとか、入り乱れて書かれている。
そういうノートが3冊くらいになってしまったので、さすがにこれでは、後で情報を確認できないと思い、『麻友』のノートを、作ったんだ。
「あの手紙を、書き取ってあるということ?」
表紙に、
『量子力学概論 1』
と、太く書いてある上に、
『麻友のお母様の手紙』
と、メモしてある。
「ああ、懐かしいわあ。太郎さんが、『麻友』って、私を呼んでいた時期があるのよね」
そうだったね。麻友さんをなんて呼んでるかで、いつ書いたものか、ある程度分かるね。
本当に、シャーペンで、全部書き取ってあるよ。
『心配性で、雷と地震が恐くて、毎朝学校に出かける時に「何もこないよねぇ!?」と聞いてから学校に行ってたよね』
とか。
「わーっ、恥ずかしい。もう、太郎さんたら!」
そういうわけで、余りにも、情報が少ないので、麻友さんのお母様には、私の母と似たような感じ方をする人である、という仮定をすることにする。
「太郎さんのお母様?」
つまり、非常に普通のお母様として、対応してもらおうと思う。
「ああ、つまり、娘がある男の人を本当に好きになったら、普通に応援してくれるお母さんという役回りね」
そう。
「じゃあ、シミュレート始めて」
「太郎さん。ここが、家なの」
ああ、やっぱり、そんなに贅沢ではないけど、暖かそうな家だな。
と、ここまで、書いた後、本当に、父と母と弟の都合がついて、川崎まで、スマートフォン買いに行ってきたんだ。
3月23日のツイッターに書いたとおり、本当に、麻友さんと誕生日が同じ、スマホ、買ってもらったんだ。
「どれくらい時間かかった?」
16時半頃から、20時までかかった。
「じゃあ、太郎さん。もう寝なきゃ」
うん。この後、結婚を実際にシミュレートするのは、次回にしよう。
「お父さんとお母さんのことを、どこまで太郎さんが、説得できるのか、楽しみにしているわ」
まあ、もう眠り薬飲んでるし、スマホで自撮りするのは、まだ分からないので、今日は、ここまで。
「おやすみ」
おやすみ。
25歳の誕生日の夜、麻友さんは、まだ、私と離ればなれのまま、布団に入ったのだった。
現在2019年3月26日23時33分である。おしまい。