現在2019年7月15日2時58分である。
「バカに、早い時間に起きてるじゃない」
昨晩、22時ちょっと過ぎに眠って、今日0時12分に起きた。
だが、まだ眠れそうだったので、もう一度、寝た。
しかし、2時14分に、上半身にちょっと汗をかいて、目が覚めた。
今度は、眠れそうになかったので、起きて、ヤクルトのはっ酵豆乳を、飲んだりしながら、パソコンを起動し、ツイッターで、
さんという人のツイートを、引用ツイートしてみた。
「なぜ?」
麻友さんが、この人を、フォローしていることが、通知で知らされてきたから。それに、この人の尾道についてのツイートで、
『いつかなにかで使う用の映像収録をして、帰京の途。いつかなにかで使われなければただのオジ散歩なので、上手に使っていただきたい』
というのがあって、面白かったから。
「『おじさん』というのが、堪えたのね」
まあ、どうでも、勝手に取れ。
「それで、2時14分から、2時58分までの空白が、理解できたわ」
あーっ、麻友さんとのこの会話、楽しいんだけど、本題に入れない。
「『 の超越性』の証明だったわね」
この本の第6章を、ほぼ丸写しする。
証明もさることながら、スチュワートが、歴史を語っているところが、非常に価値があるからだ。
「スチュワートといったり、昨日のように、スチュアートといったり、区別してるの?」
1973年の原書の1975年のリプリントの訳書。つまり、1979年の初版(厳密には私のは、1985年の初版4刷)では、スチュワートと、なっており、昨日紹介した『明解ガロア理論[原著第3版]』では、スチュアートとなってる。
私は、第1版しか持ってないので、『スチュワート』と、書くこととする。
「それだけのことか」
そう。
「ひとつだけ、教えて欲しいの。前にも聞いたかも知れないけど、『超越数』って、何?」
整数を係数とする、
とか、
とか、一般に、
ただし、各 は、整数とする。
というような方程式の根とならないような数のこと。
「どうして、上では、 って、 を使ってたのに、下では、 って、 を使ってるの?」
もし、下で、『各 は』って、書いちゃうと、上の式の先頭の項だけを言ってるのかな? と勘違いするかも知れないから、数学では、こういうとき、わざと別な文字を使ったりするんだ。これは、数学での慣習のひとつだよ。
「それで、そういう方程式の根にならないと、いいことあるの?」
そもそも、そういう方程式の根にならないから、役に立つかどうか、ということより、円が与えられたとき、それと面積が等しい正方形を、定規とコンパスだけで、作図できるか? という紀元前500年頃からの古代ギリシアの幾何学三大問題の1つが、解けるかどうか? という意味があったんだ。
「他の2つの問題は?」
・円積問題(上で、言ったもの)
・立方倍積問題(立方体が与えられたとき、それのちょうど2倍の体積の立方体を定規とコンパスだけで、作図できるか? つまり が、3乗根でなく2乗根、つまりルートだけで書けるかということ。コンパスでは、平方根しか、作図できない)
・角の3等分(任意の与えられた角を、三等分する直線2本を、定規とコンパスだけで、作図できるか?)
「そうすると、 が超越数だと、どうなるの?」
円が与えられたとき、それと面積が等しい正方形を、定規とコンパスだけで、作図できるか? というのが、
『できない』
と、分かるんだ。
「太郎さん、分かってるの?」
が超越数である、ということの証明は、完璧に分かってる。
でも、だからなぜ、定規とコンパスで、作図できないのか、という方は、分かってない。
「えー、その証明は、知らないの?」
「どうやったら、見つけられるのかしら?」
安心して。もう見つけてある。
ドラえもんのブログで、『数Ⅲ方式ガロアの理論』の次に読むことになっている、『体とガロア理論』に、書いてある。
藤﨑源二郎『体とガロア理論』(岩波基礎数学選書)
「太郎さん、知っててなぜ読んでないの?」
『数Ⅲ方式ガロアの理論』を、完璧に読み切るまで、現代的なガロア理論を勉強しないでおこうと、思っているからだ。
「それが、太郎さんの美学なの?」
まあ、そうだね。
『数学ガール』でも、『数学ガール/ガロア理論』って出たけど、持ってるけど読んでない。
結城浩『数学ガール/ガロア理論』(ソフトバンククリエイティブ)
「ただ1冊『数Ⅲ方式ガロアの理論』読んでないってだけで、先へ進まないなんて、もったいない」
『私の科学に徹して』という記事も、このブログにある。
『私の科学』でなくなったら、それは、私には、信じられないものになるよ。
って、つい脱線しちゃうけど、今、5時頃から、9時51分まで、眠くなったからベッドに横になって、5時間近く眠ってたんだ。
いよいよ、証明始めるよー!
「分かった」
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イアン・スチュワート著『ガロアの理論』(共立全書)
62ページ
6章 超越数
本書であつかわれる内容は、他の章では一切用いられないのでとばしてもわまわない。
研究者注
◯かまわない
✕わまわない
注終わり
面積を変えないで円を正方形にすることができないということを完全に証明するためには(そして、3000年にもわたる数学者の努力に報いるためにも)、
研究者注
この本では、3000年となっているが、Wikipediaで、『円積問題』と調べると、
古代ギリシャで円の正方形化に最初に取り組んだのは、イオニア学派のアナクサゴラスだとされている。
と、書いてある。
私の電子辞書で、アナクサゴラスと引くと、『精選版 日本国語大辞典』で、『前500頃~前428頃』となっており、日本大百科全書(ニッポニカ)でも、同様である。
このため、麻友さんとの上の会話では、
『紀元前500年頃からの古代ギリシアの幾何学三大問題の1つ』
と、書いたのである。本当のところ、3000年前なのか、2500年前なのかは、タイムマシンのようなものを作らないと、確認できないだろう。一応、テキスト本文は、そのままにしておく。
ところで、これを調べていて、面白いものを、見つけた。
Wikipediaで、『立方体倍積問題』を、見たら、
アポローンによってもたらされた疾病を鎮める方法を知るためにデルフォイの神託を求めたデロス島の市民の故事から、「デロス島の問題」(Delian problem)とも呼ばれる。プルタルコスによると、島内の政治問題の解決法を探していたデロス市民が、デルフォイの神託を求めたとされている。神託は、立方体の形状をしたアポローンの祭壇の大きさを2倍にせよと告げた。デロス市民は、この答えを奇妙に感じ、プラトンに相談した。プラトンはこの神託を、与えられた立方体の体積を2倍する数学的問題と解釈し、アポローンがデロス市民に幾何学や数学を勉強させることで、その熱情を鎮めようとしていると説明した。
とある。
もしかして、私の周りの人は、私が、この世界の人達に、幾何学や数学や、量子力学や一般相対性理論を勉強させて、賢くさせて、世界を平和にしようとか、政治を行いやすくしようとか、そんなこと考えて、このブログとかを書いたり、麻友さんに数学の話、書いたりしてると、思ってた?
だったら、全然違うよ。
麻友さんにも、書いてるように、私、本当に、数学好きだし(改めて書くほどのことでもないか)、この喜びを、多くの人に知ってもらおう、というただそれだけだよ。
平和、だとか、医学、というのは、その楽しい数学をやってると、こういう風に、ひとりでに、出てきますよ。という話であって、平和のために、嫌々、数学勉強するような人は、数学勉強しなくたって、いい。ただ、数学って、あるところを、越えると、俄然面白くなるんだって。
私は、放送大学時代、『若者の科学離れを考える』という授業を取った。
父が、
『今学期は、どんな科目取るんだよ』
と聞くから、4つ科目登録してたけど、
『『若者の科学離れを考える』っていう科目とか、・・・』
て、言ったら、
『なんで、そんなつまんない科目取るんだよ』
と、言われたので、仕方なく、
『必修だったんだよ』
と、言ったけど、本当は、必修どころか、私が取らなくても良い科目なのに、楽しみにして登録した科目だった。
この科目は、全部の授業、見たし(テレヴィ放送の科目だったから)、テキストも読んだし、成績もⒶ(90点以上)だったんじゃ、なかったかな?
テキストを、読んだというのは、放送大学は、面接授業は、一般の本を指定だが、放送授業は、500円か何かで、授業をする先生が書いた教科書を買うことになっている。8年半で50科目近く取った中で、テキスト全部読んだのは、『微積分入門Ⅰ』、『カオス学入門』、『日本政治思想史』、『若者の科学離れを考える』、『西洋音楽の諸問題』、『相対論』、の6つくらいじゃなかったかな?
それくらい、熱心に聞いて、分かったことは、上で上げた、『私の科学に徹して』という記事でも書いたが、小学校3年生くらいまでは、算数や理科が、好きな子供が、多いのだ。ところが、小学校高学年になってくると、一気に、士気が下がる。
結局、自分で、
『こうなんじゃないかな?』
と、思っていて、計算して行って、答えが合う。
『やった!』
という思いがある。
その成功体験が、算数や理科を、好きにさせるのである。
『成功するとは、限らないではないか?』
と、思うだろうか?
もちろん。間違うことだってある。
でも、間違う回数が少なければ、子供は、
『今度は、頑張ろう』
と思って挑戦して、次のときは、答えが合う。
もっと、もっと、成功させなければ!
注終わり
私の甥の公文の問題を、見てあげていたときのことは、前回は、書きかけだった(ドラえもんのブログの『整数環(その6)』のこと)。私が、甥に教えたのは、そのときは、連立方程式をやってたので、例えば、次の問題。
『この問題を解こう。
なら、上の式から下の式の2倍を引いて、
よって、
である。
次に、これを、上の式に入れて、
よって、
から、
と、求まり、
だよな。
でも、連立方程式なんだから、両方の方程式を、満たさないと、いけない。
だから、下の式に、このふたつを、入れてみる。
だったから、
となって、合ってるな。
これが、違っているときは、計算を見直す。
でも、違っていることは、滅多にない。
だから、こうやって検算して、答えが合った瞬間に、
『やった!オレって、天才じゃん』
と、思うんだよ。
これから、必ず、
『オレって、天才じゃん』
を、続けてたら、数学の成績どんどん上がるぞ』
これが、私の秘伝である。秘密という程じゃないけど。
「姪御さんにも、そう教えたの?」
姪には、
『やった!私って、天才!』
って、思えと、伝えた。
「そりゃー、女の人が、『オレ』じゃね」
「でも、それって、数学に関し、ほぼ無敵のサーベルね』
これを、サーベルと、命名したか。
まあ、武器は、他にもあるけど、他の武器は、また別の機会に話そう。
の超越性に戻らなければ。
麻友さん。長い脱線してゴメン。
「もう、今日中に終わらないじゃない」
そうなんだけどね。今(2019年7月15日18時38分)、偶然ついていたテレヴィでやってた、アニメの『パズドラ』っていうので、『こうやれば、成長できる』って言うの、見てて、閃いたんだ。
近未来の大人達の会話で、
私「今、解析学に関し、19世紀くらいまで、来たよ。解析関数の定義に、取りかかった」
麻友「私、一気に、2019年まで飛んで、グラフ理論を、ほぼ、マスターしたわ」
というようなものが、会話として、成立するようにする。何世紀の数学まで、『数学』というゲームでその人がクリアしてあるかが、それぞれの人の数学の素養として、示し合えるように、したらどうか?
つまり、『数学』という、暇なときや、待ち時間などの好きなときに証明を、積み上げていく。そして、ゲームでの経験値を、その定理自体が、成立した年代で、ある程度ランク付けできる。これで、普遍的な、経験値みたいなものにできるんじゃないか?
と、言うこと。
「それで、そのゲームの究極的な目的は?」
さっき、1時間前に、思いついたんだけど、
『ぼけ防止』
だよ。
今、私の父方の叔母さんのひとり(行方不明でない方)が、認知症になってる。
「その話は、聞いたわ。AIのロボット買ってあげたけど、遅かったんでしょ。『AKB0048視聴』という記事の中に、出てきたわね」
あっ、そうか。あの叔父さん!
「どうしたの?」
私、この企画、今まで、SONYに持ち込む気だったけど、叔父さん(要するに、認知症の叔母さんのご主人)は、富士通の人だったんだ。
叔父さんに、このプログラム、作ってもらおう。
奥さんの病気を、回復させるためなら、死ぬ気で、プログラミングするだろう。
「でも、その叔母さんって、数学好きなの?」
いや、多分嫌いだと思う。
「じゃあ、ゲーム自体を、楽しめないじゃない、『数学』っていうゲームなんて」
それを、楽しめるように、美しい曲や、美しい映像や、数学の歴史を散りばめながらのゲームにするんだよ。むしろ、今まで数学が大っ嫌いだった人ほど、
『これも、分かるぞ、これも、分かるぞ、数学って、こんなに面白かったんだ』
って夢中になり、のめり込むかも知れない。
そして、数学は、現実だ。本当は、ゲームじゃない。
そこが、一番大切なことだ。
「叔父さんに、聞いてみるの?」
タイミングを、間違えないように、しなければ、ならない。
「いずれにせよ。もう太郎さん、眠そうよ。(その4)に回したら?」
気を使ってくれて、ありがとう。寝るよ。
「おやすみ」
おやすみ。
現在2019年7月15日23時04分である。おしまい。