相対性理論を学びたい人のために

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『数学』というゲーム(その4)

 現在2019年7月20日7時28分である。

「いつまで経っても、{\pi} の超越性の証明が、できあがらないわね」

 もう駄目だ。

 一気に、証明しちゃおう。

 始めよう。ちょっと復習から。


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 面積を変えないで円を正方形にすることができないということを完全に証明するためには(そして,3000年にもわたる数学者の努力に報いるためにも),{\pi}{\mathbb{Q}} 上で超越的であることを証明しなければならない.(この章で“超越的”といえばそれは {\mathbb{Q}} 上で超越的ということを意味するものと理解していただきたい.)


研究者注

{\mathbb{Q}} 上で超越的とは、まず {\mathbb{Q}} は、有理数全体の集合であり、その {\mathbb{Q}} 上で超越的とは、有理数を係数とする方程式の根とならない数になっているということである。有理数を係数とする方程式の根となる数は、代数的数(だいすうてきすう)という。有理数を係数とする方程式は、分母を払えば、整数を係数とする方程式となるので、あえて、『有理数を係数とする』と言わなくても、良いのである。

注終わり


 ここで与える証明は解析的なものであるが,それは {\pi} が解析的に最も具合よく定義されていることを考えれば,別におどろくべきことではない.証明の際用いられる手法としては,積分微分および不等式の巧妙な処理,それに一見複雑そうに見える式に幻惑されない大胆な心がまえとである.

 複素数体内に超越数が存在するということは,決して自明なことではない.超越数の存在は,実数の有理数による近似を考えることにより,1844年 Liouville (研究者注:リュービル)によってはじめて証明された.代数的数は有理数によってある一定の“速度”より速くは近似できないことが知られている(演習問題 6.6-6.8 参照).超越数を見つけ出すということは,代数的数に対して知られている限界を越えた速さで近似できる数を見つけ出すことに帰着される. Liouville は実数

{\displaystyle \xi =\sum_{n=1}^{\infty}10^{-n!}}

{=0.110001000000000000000001000 \cdots}

の場合がそうであることを示した.しかしながら1873年 Hermite が”自然対数の底”である {e}超越数であることを証明するまでは,”自然に現れる”数でそれが超越数であるということが証明されたものはなかった.同じような方法で、Lindemann (研究者注:リンデマン)は1882年 {\pi} の超越性を証明した.

 一方 Cantor (研究者注:カントル)は1874年,実際には何も構成することなく超越数の存在に関する革命的な証明を与えた.Cantor の証明は集合論的方法を用いたもので,それは無限濃度に関する Cantor の理論の最初の成果の一つであった.当時の数学界は,これを疑いの目で見ていた(演習問題 6.1-6.4 参照).

 この章では四つの定理を証明する.どの場合も証明は背理法で行われ,最後の決め手は次の簡単な結果にもとづいている:


6.1 補題

 変数が無限大にゆくとき {0} に収束する関数 {f: \mathbb{Z}  \rightarrow \mathbb{Z}} は,ある整数から先はすべて {0} の値をとる.

 証明

{n \rightarrow \infty} のとき {f(n) \rightarrow 0} だから,ある整数 {N} に対して {n \geq N} ならば

{\displaystyle |f(n)-0|< \frac{1}{2}}

となる.{f(n)} は整数だから,{n \geq N} に対しては {f(n)=0} である.





 無理性

 Lindemann の証明法は巧妙でかつ複雑である.その方法を準備するために,これと似た一般的でもっと簡単な定理を証明しよう.これらの結果は,Lindemann の証明には必要でないが,その考え方には慣れておく必要がある.最初の定理はしばしば Legendre によるものとされているが,実際は1770年に Lambert により連分数を使って初めて証明されたものである.




「あっ、Legendre って、ルジャンドルよね」

 そうだよ。

「『数Ⅲ方式ガロアの理論』で、ガロアが、ルジャンドルの「幾何学原論」の、トリコになって、よくできる生徒でも、マスターするのに2年はかかるのに、ガロアは、一気に通読したって」

 そうだったね。あの本は、『陰になり日向になり、支えとなってくれる』というのが、良く分かるだろう。

「Lambert という人は、何と読むの?」

 ヨハン・ハインリヒ・ランベルトという人だ。今調べるまで、こんなに業績のある人だとは、知らなかった。

「生没年は?」

生 1728.8.26 ミュルハウゼン

没 1777.9.25 ベルリン

 この死んだ年、実は、重要な年なんだ。

「カチャカチャ、えーと、あっ、ガウスが生まれた年なのね。確かに数学の王様なら、私達にとっても、重要ね。そういえば、アーベルは、何年だっけ、19世紀だけど」

 ベートーヴェン交響曲第2番の作曲された年だよ。

「1番が、1770年生まれのベートーヴェンの30歳の年。2年後だったわね。2番は。だから、アーベルは、1802年ね」

 その通り。

 こじつけでも良いから、ちゃんと年を覚えられれば、その方が良い。ただ、あまりひどい語呂合わせとかにすると、その年を思い出すたびに、恥ずかしいことや、連想しなくて良いことまで、思い出されちゃう。

 例えば、

AKB48中学数学の


{\sqrt{2}=1.41421356}

を、

あいしたい、あいしたい、ニイサン、こじはる

としてしまうと、試験中、AKB48の歌が、頭に流れてしまう。

一夜一夜に人見頃(ひとよひとよにひとみごろ)

の方が、プレーンで、安全だ。

「人見頃って、何?」

 そんな日本語は、ないみたいだよ。

「なーんだ」


 ちょっと、今日は眠くなってしまったので、ここで止めるよ。

「おやすみ」

 おやすみ。

 現在2019年7月20日21時40分である。おしまい。