現在2023年6月4日15時06分である。(この投稿は、ほぼ1994文字)
麻友「昨日の話では、ヴァイオリンの話は、出てこなかったけど」
私「話は、きたざわれいこちゃんの話から始まった」
母が、
「あの輝いていた、きたざわさんが、結局音楽の道に、進まなかったなんてね」
と言った。
これに、妹が、反応した。
「きたざわれいこちゃんみたいなのは、いくらでもいるのよ。ヴァイオリンは、3歳か、4歳で、始めなかったら、絶対ダメ。だけど、音大出ているようなのは、全員、3歳か、4歳から、始めているのよ」
「それで、音大出てるくらいでなきゃ、前橋さんや、諏訪内さん、みたいには、なれない。千住さんは、お父様が、慶応の先生だったから、慶応出になったけど」
「だけど、前橋さんみたいに、なれない人が、一杯いるのよ。そういう人が、一流のオケで、弾いたりして、一応プロなのよ」
「で、その下に、セミプロって言うのが、いるのよ。ヴァイオリンだけでは、食べていかれないから、他の仕事もしてる」
私「それが、セミプロと、プロの定義か」
「うん。そのセミプロみたいなのが、アマチュアオケのコンサートマスターとかになっている。この人達だって、3歳や4歳から、始めてて、十分上手なのよ」
「その下に、あまり口にしないけど、私達、3歳や4歳から始めたけど、音大行ってない人達がいる。私は、音大に行く前に、挫折したけど、音大に行ったけど、挫折した人が、沢山いるのよ」
「それで、一番腹立つのが、アマチュアオケのアマチュア。自分達が、上手く弾けないのは、親が3歳か4歳から、始めてくれなかったからなのよね〜。自分も、3歳から始めてたら、諏訪内さんみたいに、なれてたかも知れないのに〜。みたいに言ってるけど、3歳から、始めてて、挫折した人が、どれだけいるか」
「それで、分かったのよ。ヴァイオリンを弾くのは、難しいんだって」
私「妹も、ヴァイオリンで、挫折した。でも、今でも、弾いている」
麻友「それ、太郎さんのことを、言いたかったんじゃない?」
私「数学者に、なれなかったのに、何時までも、数学に恋々と、してるって?」
麻友「そのものズバリじゃない?」
私「数学も、芸術のようなところがあるからな。確かに数学で、定理も見つけてないし、賞ももらってない。収入にも、結びついてない。だけど、私には、私の、数学が、あるんだよ。いくつもある数学を、その場その場で、使い分ける。その使い分けを、手中にするまでに、長い年月が掛かった」
麻友「ちょっと、その数学の使い分け、というのを、話してみて?」
私「標準的な数学に、(ズィーエフ)というものが、ある。だが、これでは、選択公理と同値なツォルンの補題を証明できないので、超準解析(真理のカメさん)の、存在を証明できない。だから、無限大、無限小を扱えない」
私「一方、選択公理を加えよう。という動きもある。選択公理(Axiom of Choice)を (ズィーエフ)に加えて、
(ズィーエフシー)とする。これならば、ツォルンの補題を証明できるので、超準解析(真理のカメさん)の存在が、証明できて、無限大、無限小を扱える」
私「だったら、初めから、選択公理を加えておけば、良かったのに。と、思うかも知れないが、選択公理を、いつでも使えるようにしておくと、困った定理まで、証明してしまったりする。矛盾を導いたなら、その公理系は、使い物にならないが、矛盾するというほどではない」
麻友「知ってる。ルベーグ積分できない関数が、できたり、バナッハ=タルスキのパラドックスが、起こったりする」
私「そう。両方で成り立つ定理なのか、意識できるようにすると、良いのではないか?」
麻友「それが、太郎さんの数学?」
私「51歳になって、やっとここまで、辿り着いた」
麻友「それは、つまり、2つの数学のどちらかに、統一するのではなく、両方使って、意味のあるものを、汲み取ろうというわけね」
私「実は、以前見せた、この本で、
私の読み間違いでなければ、 と、2階算術には、強弱関係はないらしい」
麻友「と、
を考えることに、意味がある。太郎さんの進む道に、まだフロンティアはあるということね」
私「そう」
麻友「太郎さんて、面白い人ね。応援するわ」
私「今日は、ここまでにしよう」
現在2023年6月4日17時46分である。おしまい。