相対性理論を学びたい人のために

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モーツァルト交響曲第25番

 現在2019年3月13日17時03分である。

 デートしようと思ってたけど、今、手帳見たら、ニコ生女子会の日だね。

「久し振りの、私の動く姿を見られる日なのよ」

 それは、楽しみだ。

 でも、せっかくテンション上がったから、デートもしよう。

交響曲第25番って、小さい方のト短調よね」

 そう。

 映画『アマデウス』で、冒頭で、老いたサリエリが、喉を切って自殺しようとして、『あーっ』と、倒れるところで、効果的に使われている。

「曲を、流してよ」

 じゃあ、オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団


モーツァルト交響曲第25番クレンペラー&フィルハーモニア

「あー、モーツァルトは、いいわね~」

 それは、ベートーヴェン好きの私への、あてこすりかい?

ベートーヴェンも、いいけど、モーツァルトは、特別なのよ」

 この間、オーケストラで、モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲と、ベートーヴェンの第5を弾いた妹も、似たようなこと言ってた。

 ベートーヴェンの楽譜の音符は、羊羹みたいだけど、モーツァルトの音符は、くるんと、飛び跳ねたみたいになってて、その気持ちが分かってて弾かないとならないんだって。

「太郎さん、どういうこと言ってるか、分かってるの?」

 あんまり、分からない。だって、そんなレヴェルまで、ヴァイオリン習ってないもん。

「そうよねー。楽譜読めない太郎さんですものね。でも、それでいて、私と、今回含めて、13回、クラシックの名曲のデートやってのける太郎さんのユニークさも、大したものだわ」


 さて、今までの曲と同じように、私とこの曲のかかわりから。

 私が、中学2年で、『英雄』に目覚め、家にあったクラシックのオープンテープを、片っ端から聴き始めた。

 その中に、モーツァルトの25番もあった。

 記憶が定かではないが、伊豆へ行けば確かめられるんだけど、クラウディオ・アバド指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だったように思う。

 それから、しばらくして、チョコレートのコマーシャルで、この曲の出だしを使ったものが、流されたんだ。

『この特徴的な出だし、聴いたことあるんだけど、どれだったかな?』

と、思ったが、思い出せなかった。

 2カ月ほど経って、4トラックのオープンテープだから、行きに『モーツァルト交響曲第40番』が入っている2トラック(ステレオ分)を、かけた。

 そして、巻き取ったのを、モーターを反転させて戻しながら、裏の(つまりレコードならB面に当たる、2トラック)曲を、かけた。

 その瞬間、あのメロディーだったのだ。

『これが、モーツァルト交響曲第25番』

と、私の頭に、インプットされた。

「太郎さんは、アバドのと、ホグウッドのと、2つしか、25番を聴いてないの?」

 いや、大学に入ってから、ホグウッドのは、古楽器演奏で、迫力がないので、まともなのが欲しくなって、バーンスタインのCDを買った。

モーツァルト交響曲第29番、第25番、クラリネット協奏曲
レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:交響曲第25番&第29番、クラリネット協奏曲

モーツァルト:交響曲第25番&第29番、クラリネット協奏曲

 これだよ。

 それと、もうひとつ、ワルターのCDを、持っていた。

モーツァルト交響曲第25番、第29番、アイネ・クライネ・ナハトムジークフリーメーソンのための葬送音楽

ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨークフィルハーモニー

 輸入盤だったんだな、アマゾンで、ヒットしない。1991年7月9日購入と、書いてある。入学して間もない頃だな。

「4つ聴いて、どうだった?」

 確かに、こんな曲を、17歳で書いてしまうモーツァルトは、半端ないのは、確か。

 しかも、モーツァルトは、同じ17歳のときに、あの、モテットK.165『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』も、書いてる。

 32歳で、最後の3つの交響曲を書き、35歳で天に召されるのも、当然だったのかも、知れない。


 人間の人生って、ある程度の年齢から先は、自分でこうしたいというのに、あるところまでは、そうなってくれるように、私には、思える。

 私は、小学校の頃、

『数学の問題を、どんどん解いていって、ほんのちょっと、新しい定理を最後に見つけられて、それで、死ぬことになったら、いい人生だったと思えるな』

と、言ったことが、あった。

 今の私、そうなれてるじゃん。

「太郎さん。だめ、死んじゃ。私、太郎さんのこと、本当に好きになったのよ。私のための村ちゃんになっててくれなきゃ駄目なのよ」


 ここで、19時になったんだ。

 ニコ生女子会を、見始めた。

 一番、良かったなぁ、と思ったのは、麻友さんが、

『AKBやめてから、ニキビができたり、太ったりして、人間に戻れたと感じた』

と、語ったところだった。

「えー、そこだけ?」

 まあ、動くうんちとか、面白いところは、他にもあったけど、麻友さん、AKB48にいたとき、本当に『感情をなくした』人形みたいになってたんだなあって、思えて、卒業してこうして生きていられて、本当に良かったなって思った。

「そうねえ、私も、太郎さんも、これからまだ人生を楽しめるのよ。それで、25番は?」

 この曲の出だしの数小節を聴いただけで、

『人生は、短いぞ!』

という警告を聴いているように、感じる。

 14歳で、ヘロンの公式を見つけているのだから、私だって、そんなに捨てたもんじゃない。

 でも、私には、人生は、まだまだ伸びているように感じてたし、実際、まだ当分死にそうにない。

 そもそも、麻友さんとの恋を、成就してもいないのに、死んでたまるか。

「そう、太郎さんは、それでいい。でも、ひとつ揚げ足取りしていい?」

 いいよ。

「太郎さんのいう、私との恋を成就するとは、どういうこと?」

 初体験をできる、とか、結婚する、とか言うことではないんだ。

「えっ、じゃあ、どういうこと?」

 麻友さんと、いつまででも、そばにいられるようになること、それが、私の恋の成就の定義。

「ああ、だから、村ちゃんでも、いいわけなんだ」

 そうなんだよ。

 村ちゃんは、麻友さんに、いいように扱われていながら、実は、麻友さんの悩みを聞いてあげたり、しょぼくれて帰ってくると、慰めてあげたりして、いっつも麻友さんの一番近くにいる男の人になってるんだ。

 ただ、やっぱり、麻友さんのご両親にも認めていただいて、きちんと式をあげるところまでは、したいと思ってる。

「どうして?」

 結婚という制度を、なくしたいと言っても、二人だけでは、どうすることも、できないのは、ボーヴォワールサルトルを見ても、明らかだ。

 あの医学機器にしても、結婚にしても、2年くらいで、なんとかなるものではなさそうだ。

「でも、結婚については、私達で、一石を投じたいわね」

 そのためには、もうそろそろ、リアルに会わないと、相談もできないでしょう。

「だから、『朝ドラ』に出て、太郎さんのお父さまに、認めてもらう」

 分かった。今日聞いていたら、『東京・新宿編』の中に、『アニメーション編』が、あるみたいだね。

「そうなのよ。誤解させてたかな、と思って」


 もう一つ、今日、またトントンへ行って、職員さんと話してたとき、

広瀬すずって、今の若い人で、一番くらいに有名ですよ。去年の紅白歌合戦の紅組司会でしたし』

というようなことを言われて、

『ああ、麻友さん、『太郎さん、何も分かってない』と、笑ってただろうな』

と、思ったのでした。

「そう、ほとんど常識のない太郎さんが、社会を改革するって、一体何を起こすのでしょうね。『起こしてみせますCGレボリューション!』じゃなくて、『起こしてみせます障害者レボリューション!』かしら?」


 なんか、私の甥たちは、ニュートンが晩年統合失調症になったから、伯父さんもニュートンのようなことを、するんじゃないかと、思ってるみたいなんだよね。

「ああ、ドラえもんのブログの日本国憲法の記事で、甥御さんがヒトラーだの杉原千畝だのと、歴史上の人物の話をしているわね」

 あのとき、甥は、多分シュヴァイツァーのことなんだろうけど、『患者の面倒を診ていて、『ノーベル平和賞受賞が決まりましたよ』と、弟子が言ったのに、自分のことだと分からなかったんだって』という話もしていた。

 前橋汀子さんに、ノーベル講演で『シャコンヌ』を弾いてもらって、ウィーン・フィルとのベートーヴェンブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音をして欲しい、という願いはある。

 ドラえもんのブログで、『整数環(その7)』と『整数環(その8)』で、やったように、私が、アイディアを生み出せる人間であるのは、確かだ。だが、とにかくのろい。

 明らかに、私は、現代の数学の最先端まで行くのに、眠くなってしまう症状が、かなり軽減され、またおかしくなった状態と呼んでいる、発作に襲われることも、ほとんどなくなったが、それでも、15年くらいかかりそうだ。

 小学校の頃の願いのように、最後にひとつ定理を見つけて、おしまいかも知れない。


「太郎さん。私達は、デートしてるのよ。もっと、楽しませてよ」

 音楽というのは、誰が聴いても、良いメロディーだと、感動するものがあるよね。

「そうよね」

 でも、歌の場合だと、その言語の分かる人にしか伝わらないものもあるよね。

「それは、仕方ないわね」

 モーツァルトなどのオペラの場合、どうしても、イタリア語やドイツ語などのまま、上演することが多い。

 でも、麻友さんが、ミュージカル女優を目指す場合、あくまでも日本語で歌うんだよね。

 これは、ミュージカルという敷居の高い芸術の、裾野を広げることになると思う。

 『まゆゆが、出ているから』というだけで、劇場に足を運ぶ人も多いはず(私もそうだった)。

 そこまで、ストイックにならなくてもいいと思うときもあるけど、まゆゆブランドは、周りがうらやむほど上品だ。

 これからの展開は、どうなるか分からないけど、いつまでも、麻友さんの心に位置を占めている存在でいたい。


 さて、デートだけど、この後、お楽しみだね。

「もう4回目になると、落ち着いてるわね」

 そうだね。

「こうして欲しいというのを、正直に話せば良いのよね」

 うん。今日は、若菜と結弦はいないから、中継はなくて、これで、おしまいだね。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 現在2019年3月13日23時32分である。おしまい。