相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

微分・積分入門(その6)

 現在2019年5月25日7時55分である。

 5月30日木曜日の午前中に、ヤクルトさん、来ることになった。

「本当に、思い立つと、行動は、速いわね」

 ヤクルト400と、ヤクルトのはっ酵豆乳にした。


「ミルミルだったら、最初の週、無料キャンペーンを5月31日まで、やってるのに」

 注 これは、間違ったニュースだった。ミルミルは、キャンペーン対象外だった。麻友さん、ウソを言わせて、ゴメン。


 麻友さんが、深く関わってなければ、意味がないんだよ。

「ああ、はっ酵豆乳の動画、作ったから?」

 そういえば、麻友さんのツイッターのトップの写真、『7人の人格がいる』に引っかけたのかと、思ったけど、1週間7日だから、毎日違う気持ちで、『はっ酵豆乳飲んで♡』というメッセージだったのかも知れないね。

「太郎さんに取って、謎を解くのって、本当に楽しいのね」

 他の人は、どうだって言うんだい。

「滞りなく、問題が起きずに、物事が進んでくれるのが、一番よ」

 度胸を付けたい、なんて言ってた麻友さんの言葉とも、思えない。

「そりゃー、女優の仕事に、全力で向かっていくのは、太郎さんが数学に命かけてるのと、同じだけど」

 うん。若者は、そうでなきゃ。

「私に数学の証明まで追わせるのは、許してあげて欲しいと、お父さんにもお母さんにも、頼まれたのに、性懲りもなく数学の話をするのね」

 数学は、分かるようになったら、絶対面白いって。

「でも、太郎さんのリスクと対価じゃないけど、余りにも努力を強いられ過ぎるわ」

 それは、20世紀の半ばまでのことだよ。

 数学の王様ガウス(1777~1855)の手帳の中にまで、

『こんな計算もう嫌だ』

という書き込みがあるそうだ。

 また、対数の発見は、天文学者の寿命を、倍に延ばしたと、数学者ラプラスが、対数の発見者ネイピアを讃えたほど、計算をするというのは、昔から、大変だった。

 でも、電子計算機というものができ、計算間違いしたから、もう一度最初からやり直そう。なんてのも、気楽にできるようになった。

「じゃあ、私、スマホで計算していいのかしら?」

 もちろんだよ。

「じゃあ、若菜と結弦、加えて、始める?」

 よしきた。



若菜「ブルバキランダウのブログで、失恋しましたが」

 若菜は、まだ中学3年生だから(4月を経過したので、もう中学2年生ではない)、女の人と男の人のことは、あまり分からないかも知れないけど、

『この人、2度と会いたくない』

と、思いつつも、忘れられない人というのも、いるんだ。

「言っとくけど、太郎さんなんて、一番好きな人とは、言えないわよ」

結弦「修羅場は通り越して、テキストを、始めようよ」

 じゃ、前回の続きから。

結弦「1957年のスプートニク1号、1969年のアポロ11号などの、話だったね」




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  §1.広がる波紋

 われわれの住んでいる大自然は,かた時も静止してはいない.それは粒子のように小さいものから,遊星のように大きいものまで,みな激しい変化と激動の渦中にある.「ゆく川の流れは絶えずして,しかももとの水に非ず. よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例なし」と方丈記の著者がいみじくもうたったように,いっさいのものは流れ,走り,揺れ動き,弧を描いて,とどまるところを知らない.

 変幻微妙な自然の実体を,もう少しでも把握して,そこから汲めども尽きない無限の泉と,しあわせを探り出そうとすれば,さまざまな変化のもよう,とりわけ瞬間瞬間に変わってゆくものの姿を数量的に捕えなければなるまい.

 単に物理・化学・天文学量子力学などといった自然科学ばかりでなく,社会的な,経済的な現実であっても,「変化する」ということに変わりはないから,変化のもようを明らかにするなんらかの方法が見いだされれば,それが広い応用をもつに至ることは,きわめて当然なことといってよい.

 澄みきった池の水面に小石を投げると,波紋はつぎつぎに広がってゆく.詩人的な感傷はふり捨てて,いまこの水面に描かれた円について,面積の大いさと円周の長さとの関係を明らかにしたい.こういうと読者は,そんなことはもう知っている.円の面積は,円周率 {\pi} (パイ,約 3.1416 )に半径 {r} の2乗を掛けたもの,つまり

  (円の面積){=\pi r^2}

であって,円周の長さは同じく {\pi} に直径 {2r} を掛けたもの,つまり

  (円周の長さ){=2 \pi r}

であることくらい,別にこと新しくいわれなくてもわかっていると主張されるだろう.しかし,それは円の面積と円周の長さとを別個に切り離して考えているだけで,円の面積からどのようにして円周の長さが導かれ,また円周の長さからどのようにして円の面積が求められるか,という重要な課題を解決ずみのうえのことであろうか.



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 今日は、ここまで。

結弦「一応、数式は、出てきた」

「『数Ⅲ方式ガロアの理論』と『現代論理学』と『数学原論』と『理論物理学教程』と『多様体テンソル解析』と『細胞の分子生物学』と『微分積分入門』の7冊読んでるけど、『数Ⅲ方式ガロアの理論』の次に、数学らしくなったわね」

若菜「私、獲物見つけた。◯面積の大きさと ✕面積の大いさと (p.2,下からl.2) 誤植ね」

 やったね。若菜。

「物理・化学・天文学量子力学、と、書いてあるけど、太郎さんの話では、量子力学は、物理の一部ではなかった?」

 そうだね。確かにそうだ。

 これは、この本の著者が、高校の数学の先生だというのも、関係しているかも知れない。

 日常会話で、『物理』というと、ニュートン万有引力みたいな古典力学を、思い浮かべる人が多い。そういう人に取って、量子力学も、物理だという認識は、ないのかも知れないね。

「太郎さんは、耳にたこができるくらい、『量子力学』という言葉を使うけど、『量子力学って、こんなもの!』って、私にも分かるように書いてある本って、ないわよね?」

 麻友さん。何のために、特待生がここにいるのかと言ったら、そういう質問をするためなんだよ。

「えっ、私、ホームランかっ飛ばした?」

若菜「どんな本ですか?」

結弦「僕でも分かる?」

 実は、今まで4年間、どのタイミングで、この3冊の本を紹介するか、迷ってたんだ。

 ヒッポファミリークラブというところが発行している、

フーリエの冒険』

フーリエの冒険

フーリエの冒険

量子力学の冒険』

量子力学の冒険

量子力学の冒険

『DNAの冒険』

DNAの冒険―ことばと人間を自然科学する

DNAの冒険―ことばと人間を自然科学する

という3冊の本。

「結構高い本ね」

 かなり、厚ぼったい本なんだ。500ページくらいある。

若菜「お父さんと同じように、『冒険』って、言ってるんですね」

 この本を読んであったから、麻友さんを、冒険に誘う、という言葉が生まれたんだ。

結弦「どんな本なの?」

「ヒッポファミリークラブって、何?」

 7カ国語(日・英・韓・西・仏・中・独)で、しゃべろうという、ほとんど無謀な目標のもとに、1981年に誕生した、言語版、鈴木メソード的、集団。

「鈴木メソードって?」

 鈴木慎一さんは、

『誰でも、文学者にはなれなくとも、母国語を、聞いて、話せるようにはなる。音楽も、同じだ。子供に、適切な訓練をすれば、楽譜なんて読めなくとも、耳で聴いて、それを弾けるようになる。それは、その子の財産になる』

という信念のもとに、鈴木メソードを、確立した。

「でも、どういうものを、確立したか、書いてくれなきゃ」

 色々、言われているけど、私は、これが、鈴木メソードの真髄だと思うのは、

『例えばAの曲がよく弾けて、次のBという曲を与えられた場合、前の曲をやめてしまうのでなく、同時にAとBの両方を学習しなければならないということです』

というものだ。

 これは、鈴木慎一ヴァイオリン指導曲集VOL.1 に、本当に書いてあることだ。

若菜「えっ、でも、そんなことしたら、曲が進むにつれて、どんどん同時に勉強する曲が、増えて行っちゃうじゃないですか」

 そうだよ。増えるよ。

 でも、鈴木メソードで、最初からそれで訓練されると、本当に、いつでも、勉強した全部の曲、弾けるようになるんだ。

若菜「そんなの、信じられません」

 もう亡くなった、私のヴァイオリンの先生、山下恭子さんは、1年に1回6月に、渋谷の東邦生命ビル(現在の渋谷クロスタワー)の地下の東邦生命ホールで、弟子たちのお勉強会をした。

「あの『きっとあの先生』が、ピアノで伴奏してくれるのよね」

 そう。ひとり一曲ずつ弾く。

結弦「でも、全員じゃないんだろ?」

 いや、あの先生は、全員1曲、必ず弾かせた。

 舞台で上がるなんていう感情を持つ前から、舞台で1人で、弾かせたんだ。

若菜「お弟子さんは、何人くらい?」

 100人なんてものじゃないのは、確か。

 だって、私が、京都から戻ってきて、聖マリアンナ医科大学病院の精神科に連れて行かれたとき、朝倉さんという先生だったんだけど、次の週に行ったら、

『山下先生のお弟子さんだったのですね。私も、あの先生に習っていた1人なんです。恐い先生でした』

と言われて、

『えっ、どこでつながってるんだ』

と、びっくりした。

 山下先生のお孫さんが、白血病になって、お兄ちゃんが、医学部に進んだという話は、以前ちょっとした。どの科のお医者さんになるか考えていたとき、

『血を見るのが嫌だから、精神科に進んだ、朝倉君みたいに、精神科にしたら?』

と、山下さんが言ってた、なんていう情報まで、入ってきた。

「うわー、太郎さん。もの凄い人脈を、持ってるのね。半端じゃないわよ。それで、お勉強会の話をしたのは?」

 全員が、弾き終わると、山下さんは、

『それでは、4巻の最後の曲から弾ける人、上がって』

と言って、4巻の最後の曲を弾ける人達で、弾かせる。

 そこから、その前の曲、前の曲、と、戻って行くんだ。

 当然弾ける人が、多くなるから、舞台の上で弾く弟子は増える。

 4巻分、全部の曲は、やらないが、ほとんどの曲を、先生は、指定してくる。

 私は、初等科卒業の3巻の最後の、バッハのブーレ(バッハの無伴奏チェロ組曲第3番第5曲)から、加わったのが、最後だった。

「鶴見に、引っ越しちゃったからね」

 そう。

 ただ、その後も、

『お勉強会だけ、来ませんか?』

と言われ、練習して参加した。

 ただ、慌てるのは、これまでは、弾かせないだろうと思って、練習せずに行った曲まで、例えば、

『次は、『無窮動(むきゅうどう)』』

とか言われて、周りの人の弓の動きに合わせて、動かしてるだけだったりした。

若菜「つまり、弟子は、全曲弾けるんですね」

 まともな弟子は、みんなそうだったんだよ。

 それが、鈴木メソードだったんだ。


「それで、ヒッポファミリークラブが、言語版、鈴木メソードとは?」

 文法とか、あまり拘らず、とにかく、どんどん、しゃべることで、質より量で、言語を身につけるということを、目指した。

結弦「そこから、どうやって、量子力学?」

 量子力学を、勉強するには、あれも必要、これも必要、と言ってると、膨大な予備知識を身につけるまで、量子力学に辿り着けない。

 そこで、ヒッポの研究部門トランスナショナルカレッジオブレックス(といっても、高校卒業した年代から孫のいるおばあちゃんまで)の、50人ほどが、母国語を学ぶように、量子力学を、勉強していったんだ。

 この本は、その過程が、書いてある本。

「母国語を学ぶようにって?」

 とにかく、この本読んでいくと、繰り返しが多いんだ。

 何度も、何度も、みんなが納得するまで、量子力学の難しいところを、議論してる。

若菜「『フーリエの冒険』の方は?」

 ヒッポの最初の冒険は、『フーリエの冒険』だったんだ。

量子力学の冒険』で、ちょっと、フーリエ級数を、使うけど、468ページもある『フーリエの冒険』から始めると、挫折しそうだったら、いきなり『量子力学の冒険』から始めてもよい。

若菜「『DNAの冒険』というのも、ありますね」

 実は、『DNAの冒険』は、私が、京都から帰ってきた後、出たんだ。

 だから、『細胞の分子生物学(第3版)』を、読んでいくという設定だった。

 私が、当時持っていたのは、『細胞の分子生物学(第2版)』。2万円もする本を買ってもらえなくて、完璧主義の私は、『DNAの冒険』すら、読まなかった。

結弦「お父さんの完璧主義って、あんまりよい結果を生んでないなぁ」

 そうでもない。

 私が、自分は天才だと、信じられるのは、自分の『こうありたい』という勉強法を、貫いてきたからだ。

若菜「それで、『DNAの冒険』は、どうなんですか?』

 実は、この本、父が買って読んだんだ。

「お父さま、ちゃんと、生物学、勉強してるじゃない」

 アンケートの葉書見たら、

『繰り返しが多い』

と、書いてた。

 ヒッポの本の良さが、分かってない。

 だって、何度も、何度も、重要なことを、書いてくるのが、ヒッポの良さなのにね。

「『THE CELL』を、そのまま読める、お父さまの、読む本じゃないわね」


若菜「この3冊の本を紹介するのを、4年間迷ってたって、どうしてですか?」

 人間、最初に、楽な方法を、教わっちゃうと、努力を惜しむようになって、成長しないんだ。

 これは、本当につい最近、気付いたことだけど、大学の理学部数学科、特に京都大学東京大学の理学部数学科でも、新しい理論を生み出す天才、例えば望月拓郎君や川口周君や伊山修君のような人を育てるという役目も、確かにあるにはある。だけど、学生の大半にとっては、『これとこれが、正しいとすると、これは正しくない』とか、『これが正しくないとすると、これが正しいはずがない』というように、社会に出て、法律の下に、社会人として生きていくときに、必要になる、論理的な思考をきちんと行うための、訓練をするために、数学というきちんと論理で白黒つけられる学問を使って練習しているのだ。と、分かったんだ。

「太郎さん、47歳になるまで、それが、分からなかったの?」


『麻友59』のノート、3527ページ


2019.5.1 13:36:10「

 マックで考えていて、一般には大学では、論理的に考えることの訓練のために、数学を教えているのかな? と気付いた。わざとギャップのある文献を読ませて、そこにギャップがあることを気付かせ、自分でギャップを埋める訓練をさせているのではないか?

 だって普通の人が新しい数学を作れるとは、思えないもの。

 普通の人にとって、数学は終わっているもので、論理の力を付けるために、証明を、『自分の基準』で論理的に完璧なものにする練習問題の集まりなんだな。

      」2019.5.1 13:50:28



「本当に、太郎さん。数学を発展させることに、命かけてたのね」

若菜「それが、もう終わっていることだと知って、生きていくのが嫌になって、自殺したいとは、思いませんか?」

 もう、私の周りは、数学の花園なんだよ。花園にいて、自殺する人がいるかい?

若菜「アルゼンチンの昔話で、『4人の子ども』という絵本を読んだことがあります。良い子だった末の子は、花園を飛ぶ、ハチドリに、なるのでしたね」

結弦「お父さんは、新しい数学を、作れたの?」

 新しい数学は、作れなかった。少なくとも、これまでのところ。

 でも、悲観はしてない。花園の一輪一輪の花を、楽しんでいくのは、私に取って、喜びだもの。


「太郎さんが、まだ知らない花ってあるの?」

 実は、整数論って、私、勉強したことないんだ。

「まったく?」

 大学受験で必要なくらいしか、知らない。

「その整数論は、何時勉強するの?」

 『数Ⅲ方式ガロアの理論』を、読み終わった後。

「また、『こうありたい』という勉強法?」

 『数Ⅲ方式ガロアの理論』は、読み切れる目処が立ってる。これを、終えてから、

高木貞治『初等整数論講義』(共立出版

初等整数論講義 第2版

初等整数論講義 第2版

を、読みたい。

「本当に、周りは、花ばかりね。私の踏み込む場所は、ないわ」

 そんなこと言わずに、若菜や結弦と一緒に、来てごらんよ。

若菜「2042年の世界では、数学は、楽しみでやるものというのが、行き渡ってます」

結弦「数独なんていう、ただのパズルじゃなくて、家族や友達と楽しむ、すっごいゲームになってます。でも、『数学』というゲームを作ったのが、お父さんだったとは、知りませんでした」

「『数学』というゲーム?」

結弦「夢中になって楽しめて、しかも、生活にも役に立つんだよ」

「そんなの、信じられない」

結弦「ウソだと思うなら、お父さんとちゃんと結婚して、僕らを生んでよ」

「江戸の敵を長崎で討つ、って、感じね。今日は、撤退するわ」

 じゃあ、今日は、お開き。



 『グリーン&ブラックス』4つくらい観たよ。毎回出てるわけではないんだね。

「やっと、観てくれたのね。コメディは、どう?」

 どこで、笑って良いのか、分からないこともあるけど、あれも、文化だ。『習うより慣れろ』かな?

「太郎さんの話って、ほとんどボケることがないから、突っ込めないし、私って、ゆきりんの前では、ボケて、ゆきりんが、必ず突っ込んでくれるんだけど、太郎さんの前でボケても、太郎さん突っ込んでくれないだろうから、寂しいだろうなぁ」

 麻友さんこそ、私を、改造してよ。

「とりあえず、今日は、『グリーン&ブラックス』を、見始めてくれた、というのが、報告ね」

 じゃあ、終わりにしよう。

「バイバイ」

 バイバイ。

 現在2019年5月27日11時22分である。おしまい。