相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

「やっほー」の効果(その3)

 現在2019年5月29日21時14分である。

「太郎さん。今日の19時のNHKのニュース見た?」

 『がんゲノム医療』を、本当に、始めたね。

「これは、今日、発表したと言うことは、今まで、試験的には、行われていたのかしら」

 それは、当然だね。

 ゲノム解析、ゲノム編集、という今までは、表だってできなかったことを、もう堂々とできるんだ。

「喜ばしいことね」

 そう。


『「やっほー」の効果(その3)』

としたのは、1つ前の投稿を、麻友さんに、ツイートしたら、私の戦友から、ツイートで、返事をもらったからなんだ。

「あんな訳分からない投稿が、解読できる人がいるの?」

 私の戦友は、大学院で、モデル理論を専攻していた人だから、プロなんだよ。

「どういうことを、言ってきてくれたの?」


 まず、私の麻友さんへのツイートから。


渡辺麻友様。私が中学3年のとき先生が授業で『有理数より無理数の方が多いということが分かってるんだよ』と言いました。高校に入り私は『代数的数より超越数の方が多い』と知りました。そして今『計算可能実数より計算不可能実数の方が多い』と知りました。



これに対し親友から、

松田さん,実数の可算モデルというものがあるのをご存知ですか?松田さんが書いている理由により,実数は性質だけ見るなら可算個の元だけからなるモデルで記述可能です.それにもかかわらず,実数の濃度が可算濃度ℵ^0より大きいとういのが混乱しますが…

と、返信ツイートがあった。




 私の方から、

りゅういち様。
>実数の可算モデル
レーヴェンハイム=スコーレムの定理ですね。
 私が気付いたのは誰でもが0から9までの数を可算個並べたものを実数だと思い込んでいるということです。
 計算できる(つまり人に説明できる)実数の全体が可算集合でそれが実数の可算モデルなのではないか?



りゅういち様。私は集合論では実数は連続無限だが1階の述語論理を用いるとき可算モデルが作れる。ここの分かりにくいところに橋を架けたかったのです。本当は0から9までの数を可算個並べたものを実数として使ってきたけど、あの中にはいらないものがいっぱいあった。だから連続無限になっていた。



りゅういち様。だけど、今までの実数を連続無限の実数と呼ぶことにして、この中で人間が実際に手にできる実数(それを、計算可能実数と呼びましたが)だけを取り出してみると、それは可算集合なのではないか? 勿論、実数の公理17個を満たす体は連続無限の実数体ただ1つですから、犠牲は出ます。



りゅういち様。どんな犠牲が出るか? もの凄く深刻だと思います。私がブログの記事の最後に書いているように中間値の定理などの連続無限の実数の連続性(つまりアルキメデス的完備順序体)という性質を使った存在を言う定理がほとんど駄目になる。代数学ではいいかも知れないけど解析学が築けない。



りゅういち様。そういうわけで直観で分かる数学でありながら、証明も行き届く数学として進みうる限界は、直観主義集合論で証明できるものとする立場があり得るなと、気付いたのです。排中律が成り立たない数学というふれこみでなんか嫌なムードのあった直観主義集合論でしたが本当は前向きかも。




と、5つ返信ツイートした。

「太郎さんは、可算、可算、って言ってるけど、可算って何?」

 可算(かざんと読みます)というのは、数える(かぞえる)というのを、算える(かぞえる)とも書くでしょ。だから、『可算』とは、『算えられる』、という意味なんだ。

「じゃあ、有限個?」

 有限個なら、数えられるね。じゃあ、数えられる数で、一番大きいのは?

「そんなの、あるわけないじゃない。グーグルの語源のグーゴルだって、10の100乗だけど、これが、1番大きいって言ったら、『それに、1足したのは?』って、揚げ足を取られる」

 そうだよね。だから、可算というのは、有限とは限らないんだ。

「無限で、数えられるって?」

 正式に書くと、・・・


 あっ、そういえば、麻友さん、ドラえもんのブログの『整数環(整数のまとめ)』の記事も、読んでくれたんだね。

 あそこで、書いておいたけど、私達は、自然数全体の集合を表すのに、{\mathbb{N}} と、{\omega} との2つの記号があることを、利用して、{\mathbb{N}} は、{0} を含まない自然数{\omega} は、{0} を含む自然数、を表すと決めよう。

 高校までの自然数と、大学での自然数と言ってもいい。

「どうして、エヌとオメガなの?」

 そう、どんどん聞いて。

 自然数は、英語で、natural number と言うから、{\mathbb{N}} だろうし、ギリシャ語のアルファベットの最後の文字は、z でなく {\omega} なんだ。だから、{0,1,2,3,4,5,\cdots,n,n+1,\cdots} と行って、一番大きい数のつもりで、最後の {\omega} で、自然数を表せた気がしたんじゃない?

「そんなとこか、それで、無限で、数えられるって?」

 正式には、{\omega} という集合との間に、全単射写像がある集合を、可算集合という。

「ぜんたんしゃって?」

 まず、関数くらいは、一応、知ってるよね。

「関数とは、2つの集合A,Bがあるとき、Aの元にBの元を、1つずつ対応させる、その対応関係のことです。それを、AからBへの関数と、言います」

 試験前に、一所懸命、覚えたんだろ。

「意地悪ね。覚えなきゃ、点数取れないじゃない」

 笑っちゃう話が、あるんだ。

 中学へ入って、1学期中間でも、1学期期末でも、数学で、100点取れなかった。

 悔しかったが、2学期中間で、また駄目で、どうしてだろうと思ったら、私、計算は全部合ってるのに、『倍数とは、なんでしょう?』とか、『素数とは、なんでしょう?』という言葉の定義を、我流で書いてたから、ばつにされてるのに気付いた。

 それで、2学期期末、遂に、数学で100点取った。先生が、答案用紙に、『ヤッタ!』と、書いてくれた。とても、嬉しかった。

「それが、笑っちゃう話なの?」

 いや、笑っちゃうのは、この後だ。

 2歳年下の、妹が、同じ中学に、入学してきた。

 私が、注目していると、1学期中間で、『関数とは、なんでしょう?』という問題に、さっきの麻友さんの答案を、書いてたんだ。さっきのは、本当は、妹の答案なんだ。

「それで、どうだというの?」

 計算は、いくつも、間違えているのに、関数の概念が、完璧に身についてるなんて、信じられなかった。

 妹に、

『どうして、これ、答えられたの?』

と、聞いたら、

『先生が、言ってたのを、そのまま書いただけだよ』

だって。

 はっきり言って、ショック。

 関数という言葉には、

『時間と共に変わる走行距離のように、Aが変わるとBもそれに伴って変わるという性質があるとき、BはAの関数であるという』

という別な定義まであることを、知ってるくらい、私は、数学が分かってるはずなのに、丸暗記に、負けたなんて。

「太郎さんが、お兄ちゃんじゃ、妹さん、生きにくかったでしょうね」

 でも、結婚して、子供2人もいて、姪や甥が、麻友さんと私の子供代わりを、ブログで務めるほどになってる。

「それで、関数と、ぜんたんしゃ、は?」

 まず、写像と関数という言葉は、どっちをどっちに使っても、間違いにはならないんだ。だから、麻友さんは、写像という言葉を知らないなら、関数と言おう。

 それで、全単射な関数というのは、まず全射な関数というのは、上への関数と言われるもので、AからBへの関数で、B全体に行き渡る関数のこと。

 次に、単射な関数というのは、1対1の関数と言われるもので、AからBへの関数で、Aの側が違ったら、Bの側の違う元に行く関数。

 そして、最後に、全単射な関数というのは、全射かつ単射な関数。

「じゃあ、単純に、A全体とB全体が、1対1に、対応し合ってるというだけ?」

 まあ、そういうこと。

「それと、可算集合と、どう関係するの?」

 ドラえもんのブログで、『1から始める数学(その12)』の中で、下品な証明と、エレガントな証明って、話をしたとき、自然数全体の集合は、そこから1つどけた集合とも、全単射な関数で、結ばれるというような、話をした。

「ああ、なんか、思い出した。自然数の集合が、無限集合だということを、私が、『いーっぱい』って、言ったあれね」

「そうすると、無限集合は、全部、自分の一部と、全単射な関数で、結べるのか」

 それは、そうなんだ。

「だとすると、無限集合は、全部同じように、全単射な関数で、結べるのか。だとすると、全部、可算集合だ」

 悲しいかな、そうではない。

 19世紀の終わりから20世紀の初め(1845~1918)に生きた、集合論を作った、カントルという数学者は、集合の濃度には色々ある(要するに、無限にも色々ある)ことを証明し、愕然とした。

可算集合より、もっと量の多い無限集合があるの?」

 戦友からの返信ツイートに、

『実数の濃度が可算濃度ℵ^0より大きい』

という言葉があるだろう。

「太郎さん、あれも、全部分かってたの?」

 『可算濃度ℵ^0』というのは、本当は、『可算濃度 {\aleph_0} 』と、書きたかったんだ。

 『 {\aleph_0} 』というのが、可算集合の無限の多さの記号だ。こう書いて『アレフゼロ』と、読む。

 オウム真理教が、名前を『アレフ』としたのは、この数学の記号を読める人が、少ないからでもある。

「数学で、実数の濃度が {\aleph_0} より大きいということは、実数は、『{\aleph_1}アレフワン)』?」

 そうだったら、恐らく、カントルは、精神病院で死ぬようなことに、ならなかっただろう。

「じゃあ、実数の濃度は、アレフいくつなの?」

 実数の濃度を、ひとまず数学では、『 {\aleph}アレフ)』と書き、

 『 {\aleph_1=\aleph}

というのを、連続体仮説と呼んだ。

「その仮説は、正しくないの?」

 集合論が無矛盾なら、連続体仮説が正しいとしても、矛盾は導かれないことを、ゲーデルが、1938年と1940年の論文で、証明した。

「それ以外に、何かあるの?」

 集合論が無矛盾なら、連続体仮説の否定を加えても、矛盾は導かれないことを、コーエンが、1963年に証明した。

「結局、どっちなの?」

『それは、良い質問なんですよ』

「えっ?」


 いや、大学に入学して、最初の数学の授業で、先生が、

『実数の濃度は、自然数の濃度より大きい』

ということを、証明したとき、授業が終わった後、出て行って先生に、

『あのー、どうでもいいことかも知れませんが、自然数の濃度よりも、実数の濃度の方が、多いということですが、その中間くらいの濃度の集合というのは、あるんでしょうか?』

と、聞いたときの、先生の言葉だ。

「ふーん。それで、私も、同じ質問をしてるというの? 冗談じゃない。私は、本当に分かってないの。分かってなくて、聞いたのよ」

 私は、先生が、ゲーデルとコーエンの話をするであろうことは、予想していた。すでに、知ってたから。

 だが、私は、カマトトぶったのではなかったのだ。

 なぜ、どっちでもいい、なんてことが、起こるのか、知りたかったのだ。

 だが、先生は、肝心のそのことを、私に分からせて、くれなかった。

「太郎さんって、こういう風な、つかみ所のない話を、振ってきても、必ず、目標を、しっかり目指してるのよね。何を、目指してるの?」

 まず、この、どっちでもいい、という謎は、もう解けている。

 それから、人間が、本当に納得するには、時には、血を見るほどの、苦労をしなければ、ならないという話を、したい。


「じゃあ、どっちでもいい、というのは?」

 これはね、こういうことだったんだよ。

 麻友さんにも、少しは、集合の話を、しただろ。

 それに、麻友さんも、中学や高校で、集合の和集合とか部分集合とか、少しは、習っただろう。

 そういうね、和集合を取ったり、共通部分を取ったり、という当たり前の集合の手段をいくら使っても、自然数の濃度と、実数の濃度の間の濃度の集合は、作れないんだよ。

 だから、連続体仮説が正しいとして、実数の濃度が可算の次の濃度で、『 {\aleph_1=\aleph} 』 と、0の次の1としてしまってもいい。

「それで?」

 ただね、なんか、今まで、誰も気付かなかった、演算か何か、集合を扱う方法で、今までの集合論と矛盾しない、方法を発明した人がいて、その人が、この集合は、実数の濃度と可算の濃度の、中間の濃度の集合です。と、持ってきた場合、それを拒むことは、集合論にはできない。そして、1963年に、本当にコーエンが、持ってきちゃった。そういうわけなんだ。

 だから、『 {\aleph_2=\aleph} 』 ともなり得るんだ。

「あっ、それは、分かる! 太郎さんは、先生に、分からせてもらえなかったのかも知れないけど、私、分かったわよ。太郎さんは、いつ、どうやって分かったの?」

 これが、数学や理論物理学をやりたいなら、京都大学東京大学へ行け、という理由なんだけど、大学1回生のある日、湧源クラブの昼食会で、お昼をほぼ食べ終わって、ぼんやりしていたときのことだ。すぐ隣に、吉信康夫(よしのぶ やすお)さんという3年先輩で、数学基礎論を研究したいから、卒業したら、名古屋大学の大学院へ行くんだと、言ってる人がいた。京都大学には、数学基礎論の研究室はなかったからだ。

 そのとき、いきなり私の頭の中で、『どっちでもいいって、どういうことだ?』と思っていたのが、さっき言ったように、『間の濃度の集合は、既成の方法では、作れないけど、今までにない方法で作ったら、作れるかも知れないということなんだ』と、謎が解けて、その場で、吉信さんに、『連続体仮説が、どっちでもいいって、こういうことですか?』と、聞いたら、『そうだよ』と、答えてもらって、解決した。あの人の数学基礎論で鍛えた脳が私のそばにあったから、あの瞬間、私があの人の脳を使って、問題を解いたのだ。

 はっきり言って、数学や理論物理学では、こういうことが、本当に起こる。だから、訓練された人の中に交じるというのは、才能を伸ばす上で、非常に大きなウェイトを、占める。数学や理論物理学では、京都大学東京大学。これは、先生の質も、学生の質も、全然違う。入ってみれば分かる。

 吉信康夫さんという人は、その後本当に、ロジックの数学者になり、ちゃんと活躍している。分子生物学の女の人と私がつき合い始めた後でも、同時につき合う権利があると、勘定に入れていた、立派な男の人4人の1人だ。

「後の3人は?」

 弁護士になった人、サラリーマンになった人、お医者さんになった人。それぞれ。

「どうして、その3人?」

 分子生物学の女の人と、相思相愛だったのは、私の知る限り、その4人だったし、あの人が、エリートでない人を、相手にするはずが、なかった。

「あっ、それ。前から、太郎さんのブログ見てて、気になってるんだけど、分子生物学の女の人が、エリート意識が強いという発言は、何を、根拠にしてるの?」

 あの人の連載を読んでて、間接的に感じたのと、直接的には、ただ1回デートしたとき、

『広島の県立高校ダメね。松田君は、転校生だったから、あんな高校からでも、京大へ来られたのね』

と、言ったんだよね。

 本人は、当然のこととして言ってるし、私は、学校で2番だったから、その高校のレヴェルが低いのも、知ってたけど、言わせてもらえれば、あの高校(県立広島井口高校)だって、ちゃんと人間の通ってる高校だったんだよ。

「ご本人は、高校は?」

 広島大学附属高校。

 つまり、国立だね。

「ああ、広島県立でなく」

「その言葉が頭にあるから、太郎さんの、『エリート意識が強く、エリートではない人のことを、虫けらか大腸菌のように思っているところがあった』という言葉が、重みを持って感じられるのね」

「でも、太郎さんは、そんな人だということも含めて、愛していたと、書いてた。あれは、本心なの?」

 本当だったから、私が、気が狂うのを、助長することに、なったんじゃないか。私は、好きでもない女の人に、好きだなんて、言わない。

「そうよね。でも、太郎さんのブログで、あんなに、人を貶したのは、もうひとつ、お父さまが、『慶応大学という、2流の大学だったために』と、書いてある部分よ。この場で、謝ったら?」

 父は、私が女の人のことばかり考えていたから、気が狂った、と、決めつけていたので、私としては、頭にきていたんだよね。それだし、学校にもやっぱり、レヴェルの違いはある。

 京都大学が、いいとか、東京大学が、いいとか、一概には言えない。だから、高校時代に、目指している大学の文化祭とかに行って、自分のやりたいことが、本当にできる大学かどうか、ちゃんと確かめた上で、受験する大学、学部、学科、を、決めた方が良い。

 私は、余り良いことだとは、思わないんだけど、最近は、AO入試とか言って、推薦入試のようなのが、増えてる。本当は、1科目2時間半とかの、過酷な試験を突破できるくらいの、運と実力を持っていなければ、その後の人生、生き抜いて行かれないぞ。と思うのだが、AO入試にも、それなりに、良いところも、あるのだろう。とにかく、入りたい大学を、きちんと決めたら、合格作戦を立てて、本当に受かろう。

「太郎さんは、受験を語り出すと、止まらないわね」

 この前、分子生物学の女の人の器量を試したかったんだと言って、喫茶店にかかってる『オーバー・ザ・レインボー』を、『昨日、伊藤みどりさんが、踊ってましたね。』と言った話を書いたでしょう。

「ああ、先輩たちが、怒ったって」

 そう。あの反対意見を言ったのが、実は、吉信さんなんだ。もしかしたら、それまで、分子生物学の女の人とつき合ってたのかも知れない。あれは、名古屋へ行くからというお別れ会ではなく、2人のお別れ会だったのかも知れないんだ。

「それは、怒って当然よ」

 まあ、そういうこともあったから、吉信さんは、さっきの同時につき合う権利がある4人の1人として、勘定に入ってたんだ。

 吉信さんって、こんな人。

吉信康夫さんのページ


「吉信さんのお陰で謎が解けた話は、分かったわ。それで、もうひとつの『本当に納得するには』というのは?」

 この間の日曜日(2019年5月26日)、ゼミが終わった後、ピンチヒッター(2人目)の人。本を訳しているくらいだから、名前を出して良いんだろうけど、

デイヴィッド・C.ケイ(クストディオ・D.ヤンカルロス・J訳)『テンソル解析』(プレアデス出版)

テンソル解析 (マグロウヒルシャウムアウトラインシリーズ)

テンソル解析 (マグロウヒルシャウムアウトラインシリーズ)

  • 作者: デイヴィッド・C.ケイ,David C. Kay,Custodio De La Cruz Yancarlos Josue,クストディオ・D.ヤンカルロス・J
  • 出版社/メーカー: プレアデス出版
  • 発売日: 2018/10/12
  • メディア: 単行本
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の訳者の人が、丸善へ、本を見に行くと言ったので、私も行く、と言って、一緒に向かった。

 この本に興味がある、と言ったのは、

C.M.ビショップ『パターン認識機械学習 上・下』(丸善出版

パターン認識と機械学習 上

パターン認識と機械学習 上

パターン認識と機械学習 下 (ベイズ理論による統計的予測)

パターン認識と機械学習 下 (ベイズ理論による統計的予測)

という本だった。

 その後、こんなことを、聞いてみた。

私「ホーキングの本を、訳したじゃない」

彼「はい」

私「ちょっと聞いてみたいんだけど、物理学では、今でも、超弦理論とか、研究してるよね」

彼「そうですね」

私「極端な話、今の科学、まあ、物理学としていいんだけど、それは、現在の我々にとって、必要なことは全部、解明されてるのかな? 超弦理論とかは、もう全部分かってるけど、それを、もっとエレガントに導くとか、人に説明するのを分かり易くするために、もう分かっているけど、計算が面倒なところを、よりやり易くするために、エレガントな方法を見つけようとか、してるのかな? それとも、本当に、まだ解けなくて困っている問題があって、例えば、人の命を救うために、物理学は、今でも、研究しているのかな?」

彼「それは、前者ですね。もう素粒子も宇宙も分かってて、だから、宇宙がどうやってできたかは、特異点だから分からないと、ホーキングは、証明しましたけど、そのどうやって宇宙ができたか、なんていう、分からなくてもいいことまで、解明しようとしているわけですね。量子力学も使ったら、宇宙がどうやってできたか、分かるんじゃないかとかみたいに」

私「そうなのか。私は、まだ、物理学は、終わってないんだと、思ってたんだよ。人の命を救うために、物理学を進歩させれば、助かる命があるのかと、思ってたんだ。じゃあ、命懸けで、やらなくても、いいんだね」


「太郎さん。それ聞いて、がっかりした?」

 サンプル1で、満足する私ではない。


 月曜日(2019年5月27日)、トントンへ行ったとき、職員さんに、

私「科学というものは、もう完全に、解明され尽くされているものなのでしょうかね」

職員さん「えっ、でも、今、リュウグウでしたっけ? はやぶさ2とか、飛ばして、新しいことを、探ろうとしてるんじゃ、なかったでしたっけ?」

私「あっ、もちろん、太陽系のことを調べるとか、そういうことでは、終わってませんが、物理法則というものは、もう完全に解き明かされているのでは、ないかと」

職員さん「どうなんでしょうねえ、たくさん、お金をかけて」


「それ以上は、聞かなかったのね?」

 もう、私には、十分。

「太郎さん。命懸けだったんだ」


 これは、京都大学の図書館で読んだ本に、書いてあったことなんだ。

「どれが?」

 代数幾何学という、数学で一番難しいと言われている分野の数学者が、自分の経験から言って、代数幾何学で身を立てようというのだったら、本当に、全部きちんとやるか、あるいは、初等的な部分を一応終えたら、後は絶対に振り向かず、最先端まで突っ走れ、あれの証明はどうだったかな? などと振り返るのは、最先端へ行くまで、やるな。

と、書いてあったんだ。

「太郎さん。振り返らないというの、やるつもりだったんだ」

 人の命がかかっていると、思ってたからね。

「じゃあ、なんで、発病なんてことに、なったの?」

 遺伝的に、統合失調症の遺伝子を持ってたのは、多分確かなんだ。

 だから、妄想が、頭を占めてたのは、高校3年生からのことだ。

 だが、大学4回生の夏に、

ウルトラマンの怪獣が、本当にいる』

などと言いだし、頭をリセットしなければ、ならなくなったのは、3回生の秋の頃から、父母が、

『単位がない。学費止めるぞ』

などと言ってきたために、朝日新聞の朝刊の配達という、私には、とても学業と両立できない仕事に春から就いて、極端な負荷が、脳にも体にも、かかったんだね。

 この極端な負荷が、かからなければ、発病は、しなかったと思う。

「でも、太郎さんは、そのまま行ってたら、4回生の終わりに、自殺してたって言うんでしょう」

 うん。それは、ほぼ確実。

 だから、

『気が狂うというのは、自殺を止める、体のできる最後の手段』

というのは、本当だと思う。


「そうだけど、最近、見せてもらったノートによると、3回生だった1993年12月2日に、もう振り返ってるじゃない。『数学基礎概説』は、数学の基礎的な本でしょ。最先端の本じゃないわね。それを、3回生の12月に丁寧に読んでるなんて」

 私は、振り返った場合に、もう一方の道。全部きちんとやる。というので、雪辱戦ができるのかどうかの、見本のように、なろうと、思ってたんだ。

「じゃあ、あの時から、自然科学の良心に、なりたいと、思ってたの?」

 このしおり、本当に、1993年12月2日に、作ったものなんだ。

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「もう、ボロボロね。でも、最近は、使ってないみたい」

 うん。妹のご主人様に、木のしおり、もらったからね。


「平和な日本にいて、人の命を救うために、物理学と数学を勉強しようなんて、本気で思う人が、いるなんて、この世界も捨てたものじゃないわね」


 麻友さん。壁紙、5月の真っ赤なのも、良かったし、6月の真っ白なのも、いいねえ。ちょっと、凝った肩をほぐそう。

「えっ、まだ、続ける気?」

 私、分かったんだよ。

「何が?」

 私、京都から帰る直前から、ずっと、教科書の全文写しを、してきた。

 麻友さんにも、見せたでしょう。

「うん。『数学基礎概説』だけでも、19冊あるとか」

 これ、統合失調症が、原因でなく、OCD(強迫性障害:obsessive-compulsive disorder)という別な障害のせいだったんだ。

「えっ、OCD? 何それ?」

 今日、図書館へ、行ったんだ。

「また」

 それで、ティーンズの棚を見ているとき、この本を、見つけたんだ。

ドーン・ヒューブナ-:著 ボニー・マシューズ:絵

『だいじょうぶ 自分でできるこだわり頭[強迫性障害]のほぐし方 ワークブック』(明石書店

だいじょうぶ 自分でできるこだわり頭[強迫性障害]のほぐし方ワークブック(イラスト版 子どもの認知行動療法 3) (イラスト版子どもの認知行動療法)

だいじょうぶ 自分でできるこだわり頭[強迫性障害]のほぐし方ワークブック(イラスト版 子どもの認知行動療法 3) (イラスト版子どもの認知行動療法)


「こだわり頭か、太郎さん、確かにこだわるものねぇ」

 いや、見かけだけじゃないんだ。

 私は当然、最初にある、

『親と先生のためのまえがき』

というのを、読んだ。

 麻友さんも、笑っちゃうだろうから、ちょっと写すよ。


*******************************

◯ 食べ物に毒が入っていないかと心配する7歳の女の子。

  いちいち確かめないと食べられず、まったく食べられなくなることも多い。

◯ なんでも2の倍数でないと気がすまない12歳の男の子。

  計算ができなくなったりじゃまされたりすると、パニックに陥る。

◯ いつも謝ってばかりいる9歳の女の子。

  誰かを怒らせたのではないかといつもおびえている。


 手を洗ってばかりいるのがOCD(強迫性障害:obsessive-compulsive disorder)ではありません。OCDとは、子どもの頭が振り払うことのできない思考や衝動にはまり込んで身動きがとれなくなり、おびえたり苦しんだりすることです。子どもは災いを回避するための儀式を行ったり、ある特定のことについて「正しくない」と感じたりします。際限なく質問を繰り返したりもします。それは安全性や確実性についての質問です。こうした終わりのない質問は、親をいらだたせ悲しませます。

 OCDは神経生物学的問題で、親や子どものしたことが原因で起こるものではありません。OCDは不規則に現れる奇妙なものに見えますが、実際はわりとよくあるもので、予測することができます。OCDには、脳内化学物質と脳機能のある種の異常が関係しています。しつこい障害に見えますが、実際は治療可能なものなのです。


*******************************

 以上6ページから、一部抜粋。


「太郎さん、毒が入ってるとか、2の倍数じゃなきゃ、受け付けない、というわけじゃ、ないじゃない」

 うん。細かいことを言うと、当てはまらないこともある。

 でも、私が、普通の人だったら考えない、

『数学において、『正しい』とは、どういうことか?』

ということにまで、正しいかどうかを疑った。

 また、本を、目次も含めて、全部書き写し、挫折した本は、改めて読み直すとき、また最初から全部写していたのは、儀式のようになっていたと言えるのは、自分でも分かる。

 でも、あのときは、ああしないと、精神衛生上、よろしくなかったのだ。あの6年くらいの努力がなければ、今の私は、あり得ない。

 だから、過去のことを、とやかく言うのは、よそう。

 前向きに、考えよう。

 私は、統合失調症と、OCD(強迫性障害)という、2つの障害を持っている。

 そして、少なくとも、今の医学では、統合失調症の方の障害は、治せない。

 だが、強迫性障害の方は、治せる。

 そして、全文写しは、強迫性障害が原因だった。

 そうだとすると、OCDを治療すれば、全文写しという儀式をしなくて良くなるはずだ。

 ノートに書くというのは、それはそれで、良いことなのだが、全文丸ごと写さなくても良いな、と思うことは、しばしばある。

 だが、後で心配にならないために、私は、写していた。

 全文写していたからといって、全く心配にならないかというと、時間が経つと人間は忘れるもので、心配になることもある。

 結局、理解に必要な分だけ、手を動かせば良いということだろう。


 全文写しが、統合失調症と別な障害が、原因だったというのは、驚きだった。

 数学者も物理学者も、お金のために仕事をしているのであり、私は、好きだから、数学をやってる。人の命がかかっているのでなければ、無理に急ぐ必要はない。急ぐことに命を懸ける必要は、なかったのだ。

「納得したのね。25年かけて。血の滲むような努力の末に。」

 うん。



「太郎さん。私、何度も、信号出しているのよ」

 何の信号だい?

「太郎さんを、好きだっていう信号」

 確かに、もらっているよ。そういう信号。

「だけど、太郎さん。そういう信号もらったときは、『ふたりが近付いた』みたいに喜んで、そういう記事を書くのに、ちょっとすると、また元の距離に、戻っちゃうのよ。これじゃ、恋愛は、できないわ」

 じゃあ、どうすれば、いいんだよ。

 私は、デートシーンも作ったし、キスシーンも作ったし、ベッドシーンも描いたんだよ。麻友さんの方には、私のスマホの番号も送ってあるんだから、麻友さんがメールで、麻友さんのスマホの番号送ってくれれば、LINEもできるんだよ。調べてみたけど、LINEは恐いっていうのばっかり聞いてたけど、LINEって会社の名前で、実はLINEには、色んな機能があるんだね。投資もできるらしいし。

 後は、もう私は、麻友さんが、会ってくれるの待つのみ。

「そんなこと、言ってるけど、デートに着て行かれるシャツなんて、持ってるの?」

 あー、確かにそこを突かれると、痛いな。

 今日というか、昨日、西友へ、トイレットペーパー買いに行ったとき、4階のメンズウェアのところ行ったんだよね。

『あっ、ちょっといいな』

と思ったのは、税抜き9,900円。やっぱり、麻友さんの横に立つ男の人は、最低でも、これじゃなきゃな、と思ったけど、財布の中は、そのとき、1,085円。

「えっ、ちょっと待って。西友で、9,900円? それは、西友にしては、もの凄く良いもののはずよ。それに、反応するってことは、前から思ってるけど、太郎さんのセンスって、馬鹿にできない」

 センスって、あっ、そうだ。忘れてた。最後にチラッと写るかな? と思って、予告のところ、巻き戻して、良く見てたら、チラッと写ったね。茜ちゃん。

「ちゃん?」

 来週へ、続けよ。

 現在2019年6月2日6時41分である。おしまい。