相対性理論を学びたい人のために

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父方の祖父の思い出

 現在2021年2月18日20時42分である。(この投稿は、ほぼ1772文字)

私「どこから、始めようかな。もう故人だから、登場させて良いかな。このブログで恐らく麻友さんの前では、初登場の、父方の祖父なんだけど」

麻友「まあ、亡くなっているなら、いいかしら」

私「実は、父方の祖父に、おじいちゃん孝行してあげられなかったな、と、ずっと心の隅に後悔と共に残っていることが、あるんだ」

若菜「どんなことですか?」

私「今は、カメラというものは、スマホにもついていて、しかももの凄く扱いに便利で、安いものになっている。でも、麻友さんが生まれて、小学校に上がる頃までは、カメラは、デジカメではなく、シャッターを切って、フィルムに記録するものだった。そして、現像するためにカメラ屋さんに2晩、預けて、『どうなったかな?』と、ドキドキしながら、印画紙に焼かれた写真を、見るものだったのだ。一方、私が生まれた1971年、私は、両方の家で、初孫だったので、父方の祖父は、Nikon Fニコンエフ)、母方の祖父は、Nikon F2ニコンエフツー)という素晴らしいカメラを買った。初孫を撮りたかったというのと、父方の祖父は、退職金のかなりをつぎ込んで、買ったとのことである。どちらも、レンズなしで、本体だけで、当時14万円くらいだったという。大学卒の初任給の3カ月分くらいだったらしい」

結弦「僕は働いたことないけど、3カ月一所懸命働いて、それ全部で、カメラだけっていうのは、ちょっと辛いな」

私「その素晴らしいカメラだったんだけどね、どちらの祖父も、実際には、十数年しか使えなかったんだ」

結弦「どうして?」

私「父方の祖父は、認知症になってしまい、母方の祖父は、脳梗塞で倒れてしまったからね」

麻友「そのカメラはどうなったの?」

私「どちらの祖母も、そのカメラは使えなかったので、我が家に預けられたんだ」

若菜「じゃあ、太郎さんのお父様が、使うようになったの?」

私「ここから、Wikipedia に載っていない存命人物が、出てしまうが、父は、父なりに、入社して少しで、Nikomat というカメラを買って使っていて、本当にシャッターの幕が、斜めになって動かなくなるところまで使った」

結弦「偉いね」

私「当時私は、天体写真を撮りたいなどということで、その3つのカメラの使い方を熟知していた。そしてあるとき、父をびっくりさせようと、思って、一眼レフの Nikomat のミラーを、上げておいたのだ。麻友さんが、一眼レフを使ったことがないと、分からないのだが、フィルムに届く光を、鏡で上へ持ち上げて、上のファインダーから見るのである。だから、光を上に持ち上げるはずのミラーを、上に格納してしまったら、ファインダーを覗いても、何も見えないのである」

麻友「なんで、そんな機能があるの?」

私「これは、写真を撮るとき、ミラーが上がって、落ちてくる、というほんのわずかのブレも、許されない撮影を、するためなんだよ」


若菜「ミラーアップまでは、分かりました。それで、お父様方のおじいさまは?」

私「あるとき、父と母が、祖父の老人ホームへ、行ってきた。母によると、父はいつも道理、カメラを持っていたのだが、祖父が、触りたいといったらしいんだよね。そして、祖父が、カメラを構えて撮ろうとするのに、『壊れてるな』とか言って、撮らなかったらしいんだ。父も、何を言ってるか、良く気にもかけてあげなかったみたい。そして、母によると、帰りのバス停で、待っているとき、父が、『アレッ、これじゃ、親父撮れなかっただろうな』と言い、母が「いつもそうなってるの」と聞いたら、『何でこんな事したのか分からない』と、言ってたそうなんだ」

麻友「太郎さん、最後のお父様方のおじいさまの、写真を撮る機会を、潰してしまったのね」

私「亡くなる前に、老人ホームへ行ってあげたい、と思っていたのに、残念ながら、行かれなかった。おじいちゃん、私は、今も覚えてますよ」

若菜「思いが届くといいですね」

結弦「じゃあ、おやすみなさい」

麻友「おやすみ」

若菜「おやすみなさーい」

私「おやすみ」

 現在2021年2月18日22時50分である。おしまい。